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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

美保海軍航空基地 爆弾庫

鳥取県境港市、米子市に所在した美保海軍航空基地の北側に、第三十二海軍航空廠 美保分工場及び美保海軍航空基地 爆弾庫がありました。
美保海軍航空基地爆弾庫 ト 内部 南東から(鳥取)
▲市民の森に遺る爆弾庫の防爆土堤

【探索日時】
平成25年12月2日





第三十二海軍航空廠 美保分工場 ・ 美保海軍航空基地 爆弾庫 概要
昭和13(1938)年7月12日、張鼓峰事件(ソ連軍による国境侵犯事件)の発生を受け、海軍航空本部はソ連軍の策動、特に日本海側からの侵攻に備え裏日本に陸上航空基地の設営を決定、昭和18(1943)年6月、美保海軍航空基地が竣工します。

12月31日、舞鶴海軍施設部 山陰地方施設事務所は新たに航空基地北側の中濱村麦垣(97戸)、三軒屋(56戸)、渡村上大澤、同下大澤(45戸)、余呉村の一部103町歩を海軍用地に指定し、舞鶴海軍経理部が該当用地を買収、昭和19(1944)年1月、住民が移転し、第三十二海軍航空廠の分工場及び航空基地と分工場を繋ぐ誘導路(30間道路)の設営を開始、3月30日、第三十二海軍航空廠 美保分工場が開場します。

急迫する戦局に伴い美保海軍航空基地は作戦航空基地としての強化(滑走路増設、耐弾施設、掩体壕の設営)が開始され、昭和20(1945)年初旬、海軍航空本部は決號作戰(本土決戦)に向け、航空戦力を分散秘匿するとともに戦機に際し迅速に投入すべく全国各地に60ヶ所の牧場(秘匿航空基地)設営を計画、第三十二海軍航空廠 美保分工場の東側に隣接して第二美保海軍航空基地(大篠津牧場まきば:秘匿航空基地で滑走路のみ)を設営します。

4月、実施部隊が相次いで進出、天一號作戰(沖縄航空決戦)に出撃、爾後決號作戰(本土決戦)に向け準備にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

※美保海軍航空基地についての詳細は前記事『美保海軍航空基地』を参照


遺構について
美保海軍航空基地(施設番号のみ)(鳥取)
▲美保海軍航空基地周辺の海軍施設
① 美保海軍航空基地
② 第二美保海軍航空隊
③ 美保海軍航空基地 爆弾庫
④ 美保海軍航空隊
⑤ 第三十二海軍航空廠 美保分工場
⑥ 第二美保海軍航空基地(大篠津牧場)

※緑文字が当記事紹介施設

美保海軍航空基地爆弾庫 美保 現在(鳥取)
▲遺構の配置

③ 美保海軍航空基地 爆弾庫
当時は防爆土堤に囲まれた平屋建ての爆弾庫5棟がありました。
昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦後、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により内務省を通じ大蔵省に移管されます。
その後の経緯は不明ですが北端の第一爆弾庫は払い下げられ住宅地に、南端の第三爆弾庫は幼稚園になり、昭和56(1981)年、中央部分は境港市に貸与され、市民の森として造成されます。
現在、建物は皆無ですが防爆土堤が3基分遺されており、公園として管理されているため非常に見学しやすいです。
ト 第二爆弾庫 防爆土堤
美保海軍航空基地爆弾庫 ト 西から パノラマ(鳥取)
▲入口

美保海軍航空基地爆弾庫 ト 内部入口 東から(鳥取)
▲入口の近影
  石組は他の土堤に無い事から戦後の物の様です

美保海軍航空基地爆弾庫 ト 内部 西から(鳥取)
▲入口から内部

美保海軍航空基地爆弾庫 ト 内部 南西から(鳥取)
▲土堤上から奥方向

美保海軍航空基地爆弾庫 ト 内部 北東から(鳥取)
▲土堤上から入口方向


ナ 第五爆弾庫 防爆土堤
美保海軍航空基地爆弾庫 ナ 内部 北西から(鳥取)
▲土堤上から入口方向

美保海軍航空基地爆弾庫 ナ 内部 南西から(鳥取)
▲ナは北側(写真奥)の土堤が撤去されてしまっています

美保海軍航空基地爆弾庫 ナ 内部 東から(鳥取)
▲入口側から内部

美保海軍航空基地爆弾庫 ナ 南側土堤 南西から(鳥取)
▲土堤の近影


ニ 第四爆弾庫 防爆土堤
美保海軍航空基地爆弾庫 ニ 入口 南東から(鳥取)
▲入口

美保海軍航空基地爆弾庫 ニ 内部 東から(鳥取)
▲入口から内部

美保海軍航空基地爆弾庫 ニ 内部 西から(鳥取)
▲奥から入口

美保海軍航空基地爆弾庫 ニ 内部 北西から(鳥取)
▲土堤上から入口方向

美保海軍航空基地爆弾庫 ニ 北側土堤 北西から(鳥取)
▲土堤の近影


⑤ 第三十二海軍航空廠 美保分工場
大東亜戦争停戦後、施設、用地は大蔵省に移管され、昭和22(1947)年5月、分工場の事務所等を転用し南側一帯に余子村中濱村組合立誠道中学校が開校、その他の建物は戦災復興資材、新制学校の校舎資材として解体、用地は『緊急開拓事業実施要領』(昭和20年11月9日、閣議決定)、『自作農特別措置法』(昭和21年10月21日、法律第四十三号)などにより食糧難解消のため払い下げられます。
昭和33(1958)年3月、誠道中学は渡中と合併し移転(境港市立第二中)、跡地の一部は農地として払い下げられ、現在は全域が住宅地、県営・市営住宅になっています。
外周を中心に自転車で走り回ってみましたが、遺構は何も遺されていない様でした。


⑥ 第二美保海軍航空基地(大篠津牧場)
資料によると大社海軍航空基地に展開していた飛行第九十八戰隊第三中隊(飛龍)は、第二美保で雷装し出撃していた様です。
大東亜戦争停戦後、滑走路は農地として払い下げられ、現在は住宅、農地、学校等になり遺構は何も遺されていない様です。
美保海軍航空基地爆弾庫 ⑥大篠津牧場 滑走路 最南端から北側(鳥取)
▲滑走路南端付近から北側


主要参考文献
『鳥取県史 近代第2巻(政治篇)』 (昭和44年 鳥取県)

『今甦る 山陰海軍航空隊「大社基地」』 (平成8年 陰山慶一 島根日日新聞社)

『川の中の飛行場 西日本の前進基地・新川基地』 (平成24年5月 槙原吉則・岡実智子)

アジ歴史料
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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