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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

鳥取縣護國神社

鳥取県随一の観光地・鳥取砂丘に隣接して鳥取縣護國神社が鎮座されています。
鳥取縣護國神社 社頭(鳥取)

砂丘観光の折は是非、鳥取縣護國神社を参拝し、英霊に感謝の誠を捧げて欲しいものです。

【参拝日】
平成25年7月15日





鳥取縣護國神社は戊辰の役以降、大東亜戦争に至るまで国難に殉じた鳥取県出身、及び縁故のある英霊23,468柱がお祀りされています。
鳥取縣護國神社 拝殿 (2)(鳥取)
▲拝殿

鳥取縣護國神社 拝殿(鳥取)
▲拝殿内

鳥取縣護國神社 九二式重機関銃(鳥取)
▲拝殿内に安置されているバレテ峠から帰還した九二式重機関銃、擲弾筒、ご遺品

鳥取縣護國神社 日清日露戰役従軍凱旋記念 神門(鳥取)
▲日清日露戰役従軍凱旋記念 神門


境内には以下の顕頌・慰霊碑が建立されています。
彰忠
明治39(1906)年4月、日露戦役の際に起こった常陸丸事件において散華された鳥取県出身の須知源次郎中佐の遺徳・武勲を顕頌すべく鳥取市民により建立されました。
鳥取縣護國神社 彰忠(鳥取)

明治37(1904)年6月14日、須知中佐は後備近衞歩兵第一聯隊長として聯隊本部・第二大隊、第十師團糧食縦列1,095名を率い常陸丸に乗船し宇品を出航しますが、15日、沖ノ島付近において露軍巡洋艦ロンボイ、ロシヤ、リューリックの3隻に遭遇、露軍の停船命令に従い減速するも突如砲撃を受け、対艦兵装を持たない常陸丸は抗戦するすべなく炎上、須知少佐は軍旗を奉焼するとともに将校18名とともに自決、少佐の命で脱出した下士官・兵のうち僅か133名のみが生還しました。


海軍忠魂記念碑
6名の英霊を顕頌しています(建立年不明)。
鳥取縣護國神社 海軍忠魂記念碑(鳥取)


古南決死隊顕彰碑
昭和57(1982)年4月5日、戦友有志により建立されました。
鳥取縣護國神社 古南決死隊顕彰碑(鳥取)

昭和20(1945)年3月12日、ビルマ西海岸地帯を防衛していた歩兵第百二十一聯隊正面に英軍が侵攻、3月31日、ダンカップ防衛の要地・三七〇高地に浸透してきます。
4月4日、第一機關銃中隊長・古南謙一中尉は32名により決死隊を編成し敵の激烈な砲撃下、3度に渡り夜襲を敢行、古南中尉以下25名が散華するも遂に同高地の奪還に成功、聯隊の防衛戦を進展させます。
古南中尉は鳥取一中(現、鳥取西高)から東京大学に進学、中学時代には三塁手として甲子園出場も果たした文武両道の方でした。


慰霊碑
サイパン島派遣部隊有志により建立されました(建立年不明)。
鳥取縣護國神社 慰霊碑(歩四十サイパン派遣隊)(鳥取)

昭和19(1944)年2月20日、滿洲にあった歩兵第四十聯隊より第三大隊(河村勇二郎大尉以下618名)が抽出、3月19日、サイパン島に上陸します。
6月15日、米軍がサイパン島に侵攻、大隊は逆襲を敢行し米軍を水際に押し切る寸前まで敢闘、次いで17日の夜襲にも参加しますが、河村大尉が散華する等大損害を受け、殆ど玉砕してしまいます。


陸軍少年飛行兵戦没者 慰霊碑
平成(2009)年11月、陸軍少年飛行兵鳥取県出身者有志により建立されました。
鳥取縣護國神社 陸軍少年飛行兵戦没者 慰霊碑(鳥取)

鳥取縣護國神社 陸軍少年飛行兵戦没者 慰霊碑のプロペラ(鳥取)
▲碑に添えられたプロペラ

鳥取縣護國神社 陸軍少年飛行兵戦没者 慰霊碑の発動機部品(鳥取)
▲同、星型発動機シリンダー


比島戦没者慰霊碑
昭和49(1974)年3月、バレテ會により建立されました。
鳥取縣護國神社 比島戦没者慰霊碑(鳥取)

フィリピン防衛にあたった歩兵第六十三聯隊は島根県松江市に衛戍しましたが、鳥取東部が徴募区のため鳥取県の方が多く含まれていました。
歩六十三はバレテ峠に布陣、米軍の拒止にあたり、玉砕寸前で停戦を迎えます。


<鳥取縣護國神社 由緒> 【地図】
明治元(1868)年11月2日、鳥取藩主・池田慶徳公が岩美郡富桑村各台に仮殿を建立し、戊辰の役(奥羽の役)において散華した鳥取藩士の招魂大祭を斎行します。

明治3(1870)年5月5日、濱坂村代々山に社殿を建立、旧藩主池田家により祭祀が斎行されますが、明治8(1875)年、官祭招魂社となり鳥取県に移管され祭祀、修繕費など官費を支給される様になります。

明治12(1879)年11月5日、鳥取市西町に移転遷座、西南の役において散華した英霊を合祀します。

明治30(1897)年4月、社殿拡張のため上町の樗谿神社(現、鳥取東照宮)の旧付属地に造立を開始、11月13日、移転遷座し、14日、日清戦役、旧鳥取藩の英霊を合祀します。

昭和14(1939)年3月15日、内務省令第十三號『招魂社ハ之ヲ護國神社ト改稱ス』発令により、4月1日、内務大臣指定とともに鳥取縣護國神社と改称し、社地の整備、及び社殿を新築します。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の渙発を受け大東亜戦争は停戦、連合軍の進駐により護國神社に対し干渉・抑圧が加わったため、因伯神社と改称します。

昭和22(1947)年4月2日、鳥取大火に際し社殿が全焼してしまった為、智頭町智頭農林学校の奉安殿を移築し仮本殿、焼失を逃れた参集所(招魂社時の拝殿)を仮拝殿に転用します。

昭和27(1952)年4月28日、サンフランシスコ講和條約の発行によりわが国は主権を回復、鳥取縣護國神社に復称します。

昭和29(1954)年3月、伊勢神宮の別宮・倭姫宮より譲与された社殿を本殿として改築します。

昭和48(1973)年2月、鳥取県護國神社復興奉賛会(県知事・石坂二郎会長)が発足、鳥取砂丘隣接地2,652坪)を購入、3月、社殿を起工、昭和49(1974)年4月、竣工し、5月4日、遷座祭を斎行し現在に至ります。

例大祭日
4月22日 春季例大祭

9月22日 秋季例大祭



主要参考文献
『鳥取綜合聯隊史』 (昭和58年4月 鳥取綜合聯隊史編纂委員会)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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