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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

伏見憲兵分隊

銘水と酒造で知られる京都市伏見区に伏見憲兵分隊がありました。
伏見憲兵分隊 伏見憲兵分隊(京都伏見)
▲伏見憲兵分隊跡 全景

【探索日時】
平成30年4月20日





伏見憲兵分隊の概要
伏見憲兵分隊
明治29(1896)年1月17日、内務省及び陸軍省は『憲兵管區表』を定め、第四憲兵隊(大阪)の管轄として京都憲兵管區を制定、臨時陸軍建築部大阪支部は陸軍省用地(伏見奉行所付属地(牢屋))に憲兵屯所を建設します。

明治31(1898)年12月1日、第四憲兵隊管下に伏見憲兵分隊が発足、伏見憲兵警察区(三重県の一部、京都府全域、奈良県全域)を管轄します。
明治40(1907)年10月7日、『憲兵條例』改正に伴い憲兵隊の呼号は管区番号から地名に復称、第四憲兵隊は大阪憲兵隊に復称します。
明治41(1907)年11月10日、伏見町(現、伏見区鑓屋町)に京都憲兵隊が開庁、伏見憲兵分隊は京都憲兵隊管下に移管されます。

昭和20(1945)年3月30日、「決號作戰」(本土決戦)に向け『憲兵令』が改正され、憲兵司令部(東京)の隷下に各軍管區を管掌する憲兵隊司令部が設置、各憲兵隊司令部の管区内に憲兵隊地区が設けられ、各憲兵隊地区毎に地區憲兵隊が設置されました。
この改編に伴い京都憲兵隊は中部憲兵司令部隷下の京都地區憲兵隊に改編され、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』が煥発され、16日、停戦に伴い、28日、陸軍施設は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれ、大阪国税局伏見寮に転用されます。
昭和45(1970)年頃、庁舎は破壊され鉄筋コンクリート製の寮に建て替えられ、平成21(2009)年、更地になり民間に払い下げられ、現在はマンションになっています。

陸軍用地
隣接の酒蔵との境に境界石標が遺ります。
方向表示や通し番号は無いようです。
伏見憲兵分隊 伏見憲兵分隊 (2)(京都伏見)


一応、外周も踏査してみましたが、これ以外の境界石標は見つかりませんでした。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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