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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所 射場

京都府宇治市五ケ庄に所在した東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所の東側にあった大阪陸軍兵器補給廠 宇治分廠を挟んで射場がありました。
宇治製造所 射場 あ 陸軍用地 三三(京都宇治)
▲霊園入口に遺る境界石標

【探索日時】
平成24年1月13日、平成25年1月23日

【更新情報】
平成30年5月5日・・・記事整理





宇治市五ケ庄周辺の陸軍施設
宇治製造所 宇治 全体(京都宇治)
▲現在の地図に施設を転写
① 東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所
② 東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所 分工場
③ 東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所 射場
④ 芝東借上地
⑤ 木幡駅借上地
⑥ 大阪陸軍兵器補給廠 宇治分廠
⑦ 高射砲陣地
※緑文字が当記事の紹介施設

要目・製造品目
用地 : 92205㎡(27,892坪)
建物 : 10棟
用途 : 火薬の性能試験

遺構について
③ 東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所 射場
明治27(1894)年8月1日、明治二十七八年戰役(日清戦争)が勃発、陸軍省は火薬の需要急増に対応すべく、前線に近い西日本に4ヶ所目の火薬製造所新設を決定、11月1日、宇治火藥假製造所が開所、明治29(1896)年4月14日、正式に砲兵第二方面本署 宇治火藥製造所が開所します。
また、製造した火薬の性能試験を行うため、東側の宇治火藥庫を挟んだ高峰山麓を削土、残土を西側外周に盛土し防爆土堤とし射場が造成されます。

昭和15(1940)年4月1日、宇治火藥製造所は東京第二陸軍造兵廠 宇治製造所に改称します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、10月10日、宇治製造所は米軍に接収され、火薬、製造設備の処理の後、大蔵省に返還(時期不明)されます。
昭和24(1949)年?、大阪兵器補給廠 宇治分廠の南東隅、及び射場の南側に宇治少年院が開院、昭和45(1970)年、少年院は鉄筋コンクリート製に改修、昭和47(1972)年頃より射場北側は宇治霊園に造成され、平成20(2008)年3月、宇治少年院は移転し現在に至ります。

停戦時、射場には研収場、薬莢締直室、守衛詰所、会食場、砲廠、監視員詰所、火薬取扱所、観測所、水槽がありました。
宇治製造所 射場 宇治射場(京都宇治)
▲遺構の配置

あ 陸軍用地 三三
霊園に上がる道路の際にあります。
宇治製造所 射場 あ 陸軍用地 三三(京都宇治)
▲表側は「陸軍用地」の刻字

宇治製造所 射場 あ 陸軍用地 三三 (2)(京都宇治)
▲裏側にある通し番号「三三」


い 陸軍用地 三四
霊園に上がる道路の際にあります。
宇治製造所 射場 い 陸軍用地 三四 (2)(京都宇治)
▲表側

宇治製造所 射場 い 陸軍用地 三四(京都宇治)
▲裏側にある通し番号「三四」


公式図によると下記の境界石標は厳密には大阪陸軍兵器補給廠 宇治分廠の物の様ですが、射場外周付近にあるのでこちらの記事で紹介します。
う 陸軍省所轄地
住宅地の際、フェンスの外側にあり見にくいです。
宇治製造所 射場 う「陸軍省所轄地」(京都宇治)


え 陸軍用地
住宅地の際、フェンスの外側にあり見にくいです。
宇治製造所 射場 え「陸軍用地」(京都宇治)


お 陸軍用地
住宅地の際、フェンスの外側にあり見にくいです。
宇治製造所 射場 お「陸軍用地」(京都宇治)

か 陸軍用地
位置的(フェンスに遮られる)に住宅地から行くのは困難で、下の丁字路付近から登ります。
宇治製造所 射場 か「陸軍用地」(京都宇治)

き 陸軍用地
同上。
宇治製造所 射場 き「陸軍用地」(京都宇治)

上記の境界石標以外に3件ほどの遺構が存在しますが、残念ながら公表できません。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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