当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大社海軍航空基地

出雲大社のほど近く、島根県出雲市に大社海軍航空基地がありました。

また東側には秘匿航空基地である直江牧場がありました。
大社海軍航空基地 D 魚雷庫 壕口(島根)
▲山間部に遺る魚雷格納庫

【探索日時】
平成25年12月1日





大社海軍航空基地 概要
大社海軍航空基地
直江牧場
昭和20(1945)年1月9日、米軍がルソン島リンガエン湾上陸、比島決戦の推移から本土周辺要域への敵侵攻が予測されたため、1月20日、大本營は『帝國陸海軍作戰指導大綱』を策定、27日、軍令部は参謀本部との協議中の素案を元に海軍省と昭和20年度の海軍戦備として基地航空兵力、特攻兵力の急速整備を立案します。

2月、海軍航空本部は堆積した砂礫が強固な地盤を形成、天井川になったため廃川された事から水捌けが良い、島根県簸川(ひかわ)郡出西村(現、出雲市)の新川跡(昭和14年、堤防の公用廃止、昭和17年から農地転換の研究開始)に新設航空基地用地を選定、基本計画を立案し、海軍省建設局により詳細計画が作成され、舞鶴鎭守府に下達されます。
3月11日(2月11日?)、美保海軍航空隊司令・山崎義大佐は県庁に直江、出西、伊波野、久木、出東、庄原の各村長を招集、新川廃川地への航空基地設営を伝達するとともに協力を要請、廃川地は内務省より海軍省に移管されます。

3月12日、第三百三十八海軍設營隊測量隊、美保海軍航空隊(出東、荘原、直江、久木、伊波野各派遣隊)、15日、設營隊本隊、美保空日の川派遣隊が進出し勤労奉仕隊の協力を得て仮称新川海軍航空基地の設営を開始します。
5月10日、航空基地管理にあたる山陰海軍航空隊 大社基地隊が進出(7月15日、防空隊進出)、6月8日、新川改め大社海軍航空基地の竣工式が挙行、元山(朝鮮)とともに退避基地に指定され、19日、さらに第五百三十四海軍設營隊の技師・技手の指導により防護施設の設営を進めます。
23日、第七六二海軍航空隊攻撃 第五〇一飛行隊(銀河40)が展開、土佐沖に来寇する敵機動部隊の夜間攻撃を開始します。

27日、舞鶴鎭守府は大社の東北東3kmに直江牧場(まきば:秘匿航空基地)の設営を下令、7月15日、第三千三百十一海軍設營隊が設営にあたります。

28日、大社に敵艦上機10機が来襲、機銃掃射により3名が散華、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月28日、両航空基地は『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により内務省を通じ大蔵省に移管されますが、9月24日、『日本軍隊より受領し、且受領すべき資材、補給品、装備品に関する件』により陸海軍全施設の連合軍による接収が通知されます。

10月2日、米第6軍第10軍団が呉市広に上陸、19日、第41歩兵師団司令部附M・R・ワック憲兵中佐以下4名が大社海軍航空基地の航空機、兵器、弾薬類を調査、11月6日、同師団200名により航空基地は接収され、軍需品が処分された後、12月、滑走路は大蔵省、借地は県、地権者に返還されます。
昭和28(1953)年10月10日、陸上自衛隊・出雲駐屯地開設に伴い滑走路の大半は出西訓練場として転用され、現在は用途廃止となり売地になっています。


大社海軍航空基地 要目
・面積 170,000㎡
・滑走路 120×1,800(コンクリート敷60×1,200)m
・飛行機運搬路 18,000m
・応急離陸路(直江) 30×600m
・掩体壕 50
・櫻花格納庫 30機分


遺構について
大社海軍航空基地は決號作戰(本土決戦)に備え急速設営されたため、主要施設は公共施設、寺院、民家を借用、及び三角兵舎、掩体壕は山裾を掘り込み設営、仏経山北麓に横穴式の指揮所、兵舎、電信所、燃料庫、爆弾・魚雷庫が掘削されましたが多くが未完成でした。
また、航空基地北東に陸軍の高射砲陣地がありました。

現在、氷室地区の谷地に魚雷格納壕、同調整壕、爆弾庫が遺ります。
大社海軍航空基地 大社海軍航空基地(島根)
▲施設、遺構の配置

① 大社海軍航空基地 滑走路
昭和20(1945)年3月12日、第三百三十八海軍設營隊の測量隊により位置が決定され、15日、本隊到着とともに設営が開始され、5月9日、60×1,500mのコンクリート敷滑走路が完成します。
停戦後、東側は払い下げられ(詳細不明)、西側は陸上自衛隊の演習場になり、現在は売地になっています。

A 滑走路
厚さ25cmのコンクリート敷滑走路が55×900m遺りますが、売却予定のため近い将来滅失の可能性があります。
※平成29(2017)年にこの辺りを通ったのですが、東側が太陽光発電になっていました。
大社海軍航空基地 A 滑走路 南西から (2)(島根)
▲西端から

大社海軍航空基地 A 滑走路 コンクリート敷(島根)
▲路盤

大社海軍航空基地 A 滑走路 東脇の排水溝(島根)
▲南側の排水口

大社海軍航空基地 A 滑走路 南西から(島根)
▲売却予定の看板と滑走路

あ 旧海軍大社基地関連施設群 説明版
平成23年8月、斐川町により建てられました。
大社海軍航空基地 あ 「旧海軍大社基地関連施設群」碑と説明板 (2)(島根)


② 同 飛行機運搬路
農道、里道を拡張し設営されますが停戦後、大部分は農地に戻され、一部は道路に転用されています。
大社海軍航空基地 ②誘導路跡(島根)
▲元飛行機運搬路の道路


③ 魚雷格納壕、同調整壕、爆弾庫
大社海軍航空基地の最大の遺構です。
美保海軍航空基地の強化にあたっていた第五百三十四海軍設營隊から派遣された長野五郎技師、高木照夫技手指導のもと鉱夫を主体とした勤労奉仕隊200名により設営された様です。

現在、殆どは放置されていますが、一部は民家の倉庫として使用されています。
大社海軍航空基地 ③魚雷庫のある谷(島根)
▲魚雷格納壕、同調整壕のある谷

大社海軍航空基地 大社海軍航空基地 詳細(島根)
▲格納壕の配置

大社海軍航空基地 地下壕 詳細(島根)
▲格納壕 詳細

B 魚雷調整壕
公民館・公園の奥に遺ります。
H型をしており片側は素掘り、もう片側は壁面のみコンクリート巻立てが施工されている事から、未完成だった様です。
大社海軍航空基地 B 魚雷調整壕 a壕口(島根)
▲全景

a 壕口
幅5あり、奥行18mあります。
素掘りで入口に雑木が投棄されています。
大社海軍航空基地 B 魚雷調整壕 a壕口から内部(島根)

a ・ b 間の横坑
16.5mあります。
途中で屈曲し、半分コンクリート巻立が施工されています。
大社海軍航空基地 B 魚雷調整壕 aからb(島根)

大社海軍航空基地 B 魚雷調整壕 a-b間の巻立 東側(島根)
▲コンクリート巻立部の近影

b 壕口
両側に石垣の擁壁、コンクリート施工がされていますが、天井が抜けています。
大社海軍航空基地 B 魚雷調整壕 b壕口(島根)

大社海軍航空基地 B 魚雷調整壕 b壕口 細部(島根)
▲壕口のコンクリート厚

b 内部
幅3.5×奥行15.5mあります。
大社海軍航空基地 B 魚雷調整壕 b壕口から内部(島根)
▲内部のコンクリート巻立

大社海軍航空基地 B 魚雷調整壕 b内部から壕口(島根)
▲天井の抜けた壕口


C 魚雷庫
道路際の私有地に遺り、物置として使用されています。
幅4×奥行28(コンクリート部5.5)mあります。
壕口付近はコンクリート巻立がありますが、内部は素掘りです。
大社海軍航空基地 C 魚雷庫 壕口(島根)
▲壕口

大社海軍航空基地 C 魚雷庫 内部から(島根)
▲内部から見た壕口
  魚雷庫は全て入口が横にずれています

大社海軍航空基地 C 魚雷庫 壕口から(島根)
▲内部

大社海軍航空基地 C 魚雷庫 コンクリート巻立部奥の碍子(島根)
▲天井の碍子

大社海軍航空基地 C 魚雷庫 コンクリート巻立部入口上の空気穴(島根)
▲天井の空気孔

※所有者の許可を取り見学しています。


D 魚雷庫
道路際に遺ります。
幅4.2×奥行13(コンクリート部4)mあります。
壕口付近はコンクリート巻立がありますが、内部は素掘りです。
床面は全面コンクリート敷で内側に基礎がある事から、他の壕と用途が異なる様です。
実用頭部庫?
大社海軍航空基地 D 魚雷庫 壕口(島根)
▲壕口

大社海軍航空基地 D 魚雷庫 内部(島根)
▲内部

大社海軍航空基地 D 魚雷庫 床面(島根)
▲床面のコンクリート張りお基礎


E 魚雷庫
道路際に遺ります。
幅4×奥行18で左側に屈曲、さらに9mあります。
壕口付近はコンクリート巻立がありますが、内部は素掘りです。
床面は全面コンクリート敷で両側に排水溝がある様ですが、奥は土砂が堆積して確認できません。
大社海軍航空基地 E 魚雷庫 壕口(島根)
▲壕口

大社海軍航空基地 E 魚雷庫 内部 壕口から(島根)
▲内部

大社海軍航空基地 E 魚雷庫 内部 屈曲部手前から奥(島根)
▲屈曲部

大社海軍航空基地 E 魚雷庫 内部 切羽から(島根)
▲切羽から屈曲部


F 魚雷庫
道路の突き当りの空地にあります。
コ型をしており壕口付近はコンクリート巻立がありますが内部は素掘りで、床面は全面コンクリート敷、両側に排水溝があります。
幅3.5×奥行28mあります。
戦後、キノコ栽培所に転用されますが、失敗し残材が放置されています。
d 壕口
大社海軍航空基地 F 魚雷庫 d壕口(島根)

d 内部
大社海軍航空基地 F 魚雷庫 d壕口 から(島根)

大社海軍航空基地 F 魚雷庫 d壕口 内部から(島根)
▲d内部から見たd壕口

大社海軍航空基地 F 魚雷庫 d 床面の溝(島根)
▲床面の排水溝

d ・ e 間の横坑
途中で屈曲しています。
大社海軍航空基地 F 魚雷庫 d-e間通路 dから(島根)

e 壕口
大社海軍航空基地 F 魚雷庫 e壕口(島根)

e 内部
大社海軍航空基地 F 魚雷庫 e壕口 から(島根)

大社海軍航空基地 F 魚雷庫 e床面のコンクリート敷(島根)
▲床面

大社海軍航空基地 F 魚雷庫 e入口付近の梁(島根)
▲e 壕口付近に遺る梁


G 爆弾庫
道路際に遺りますが前面に笹が繁っており全く見えません。
幅3.5×奥行28mあります。
壕口付近はコンクリート巻立がありますが、内部は素掘りです。
大社海軍航空基地 G 爆弾庫 壕口細部(島根)
▲壕口
  ゴミが投棄されています

大社海軍航空基地 G 爆弾庫 壕口付近から崩落部(島根)
▲コンクリート巻立てと素掘りの境は崩落しています

大社海軍航空基地 G 爆弾庫 内部(島根)
▲内部


H 爆弾庫
道路際に遺り、上記Gと同一規格です。
大社海軍航空基地 H 爆弾庫 壕口から(島根)
▲壕口

大社海軍航空基地 G 爆弾庫 内部から壕口(島根)
▲こちらも内部に廃材が投棄されています

大社海軍航空基地 H 爆弾庫 内部(島根)
▲内部


I  爆弾庫跡
GとHの間に崩落跡があります。
大社海軍航空基地 I 爆弾庫 崩落跡(島根)


い 大社基地配置図 説明版
平成7年3月、戦争と平和を語り継ぐ会により建立されました。
大社海軍航空基地 い 説明板(島根)

上記の遺構以外にも山の斜面を削った掩体壕が遺されていると思われますが、ことごとく民家が建っており調査できませんでした。


④ 高射砲陣地
陸軍の高射砲陣地ですが、部隊、備砲など詳細は不明です。
昭和58(1983)年8月、出雲村田製作所の進出に伴う工場建設で周辺の古墳もろとも破壊されてしまいました。
素掘の砲座、木造の砲床などがあった様です。


⑤ 直江牧場
昭和20(1945)年6月18日、海軍省の練習機特攻基地(秘匿航空基地:牧場)55ヶ所の設営、整備(西日本8月15日、東日本9月末を目処)示達に基づき、23日、海軍施設本部が各鎭守府に『新設秘密航空基地施設要領』を下令、27日、舞鶴鎭守府司令長官から『機密舞鎭命令第一五七號』により舞鶴海軍施設部長に直江牧場の設営が下令され、第三千三百十一海軍設營隊が設営にあたりました。
停戦時、転圧滑走路30×600mが完成していました。
大社海軍航空基地 ⑤直江牧場 西端付近から東側方向(島根)
▲現状(西端から東側)


展開部隊
第七六二海軍航空隊 攻撃第五〇一飛行隊
昭和19(1944)年7月10日、横須賀鎭守府所管の特設飛行隊として横須賀において編成(丸山宰平少佐)、横須賀鎭守府横須賀海軍航空隊(横須賀鎭守府部隊)に編入、され錬成にあたります。
機種は銀河(定数48、うち補用12)でしたが供給の遅れ、及び発動機故障が多発します。

23日、軍令部は図上演習において聯合艦隊に悪天候下、夜間攻撃が可能な「T攻撃部隊」の構想を提示、隊は同部隊に編入を予定されます。
8月21日、隊はT攻撃部隊攻撃隊に部署され七六二空指揮下に編入されます(予測実働兵数24機)。

9月1日時点の隊の銀河は19機、同月中に16機供給見込み、搭乗員は技量A18、B14、C4組、攻撃隊編制は雷撃18、爆撃6機、命中率は雷撃5、爆撃4割でした。

20日、隊は七五二空(三航艦所属)に転属、七五二空空は第七基地航空部隊東一空襲部隊に部署され木更津に展開、26日までに鹿屋に前進、T攻撃部隊総合教練に参加しますが電探と通信技術の能力不足を指摘されます。

9月25日、聯合艦隊司令部はT攻撃部隊(第六基地航空部隊:二航艦麾下)を編成、隊(銀河24機)はT攻撃部隊攻撃隊に部署され鹿屋において錬成にあたります。
第六基地航空部隊指揮官は担任哨戒兵力と一部兵力を台湾方面に展開、艦隊司令部を高雄に推進、戦局に即応する指揮下兵力を台湾、次いで比島への展開を下令されます。
9月下旬、隊の銀河36機は丹作戦部隊(三航艦司令長官指揮)義部隊に部署され、マリアナ方面の敵機動部隊奇襲攻撃を企図、10月1日、聯合艦隊司令部は丹作戦を発動、3日、準備を完成(5日、決行予定)しますが、敵機動部隊のマリアナ出航が判明したため、次月の月明期に延期、次いで中止されます。

10日、米艦上機が南西諸島に来襲してきます。
隊は七六二空(二航艦所属)に転属、七六二空は第六基地航空部隊(二航艦所属)T攻撃部隊(七六二空司令指揮)に部署され、錬成にあたります。

11日、銀河2機は新竹(台湾)を出撃、敵機動部隊を攻撃しますが未帰還になってしまいます。

12日、米艦載機が台湾に来襲、聯合艦隊司令部は基地航空部隊に捷一號・捷二號作戦を発令(台湾沖航空戦)、1300、隊の銀河22機(雷装11、爆装10、照明1)は鹿屋を発進、他隊の陸攻18機とともに、1840、敵機動部隊を攻撃しますが、銀河6機が未帰還、1機が台湾東港付近に不時着、15機が台南、高雄に帰還したうち5機が大破、1機が魚雷の誘爆により炎上してしまいます。

13日1330、銀河6機(雷装3、爆装3)は他隊の陸攻27機とともに鹿屋を発進(2機引き返す)、1845、敵機動部隊を攻撃し3機未帰還、1機が台南に帰還します。

14日1230、銀河9機(雷装7、爆装2)は他隊の陸攻15機とともに鹿屋を発進(1機引き返す、台南から1機合流)、薄暮、敵機動部隊を攻撃し9機未帰還になり、飛行隊長・丸山少佐も散華(10月27日、森本秀雄少佐着任)してしまいます。

16日、台湾に帰還した銀河の一部が鹿屋に帰還、戦況報告を行いますが、T攻撃部隊は空母11、戦艦2、巡洋艦2、駆逐艦1を撃沈、空母8、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦1、艦種不明13撃破を報じます(所謂、幻の大戦果)。
しかし、実際は空母17は無傷、重巡キャンベラ、軽巡ヒューストン大破に留まり、夜間攻撃による戦果誤認、撃墜された友軍機を誤認した戦果を積み上げてしまった結果、誇大な戦果が計上されてしまい、爾後の作戦に大きな影響を与えてしまいます。

同日、T攻撃部隊は聯合艦隊司令長官直率となり、18日、南九州への集結を下令されます。

11月1日、隊は七六二空(聯合艦隊所属)に転属、七六二空は聯合艦隊付属部隊T攻撃部隊に部署され兵力の整備にあたります。
19日、フィリピン東方海上に敵機動部隊を発見、台南にあった隊の銀河5機(爆装)は他隊の陸攻6機、飛行第七戰隊の四式重爆4機とともに発進、1945、敵機動部隊を捕捉し3機が体当たりを敢行、大型艦3隻を撃破します。

攻撃第五〇一飛行隊特別攻撃隊
森田勝美 飛曹長(操縦)/小尻義章 大尉(偵察)/ 富井孝次 飛曹長(電信)
高橋愛太郎 上飛曹/平野晴一郎 飛曹長/海老原信 上飛曹
畠山信 中尉/八尾常次郎 上飛曹/石川忍 上飛曹

24日、七六二空は松山に移駐、錬成にあたります。

12月4日、聯合艦隊はT攻撃部隊にマリアナ方面の索敵攻撃(B29の破壊)を下令、連日サイパン島に出撃しますが、25日、飛行隊長・森本少佐が小笠原方面において散華(昭和20年1月5日、坂口昌三大尉着任)してしまいます。

昭和20(1945)年2月10日、第十一航空戰隊は解隊、七六二空は新編の五航艦(聯合艦隊所属)に編入され、第一機動基地航空部隊に部署されます。

3月、米軍の沖縄侵攻が予測されるなか、14日、米機動部隊のウルシー泊地出撃を察知、17日、索敵機が九州南方海上に敵機動部隊を発見、聯合艦隊司令部は天一號作戦要領を発令します。

18日0400、隊で編成された菊水部隊 銀河隊1機は魚雷を懸吊し大分、2機は80番1発を懸吊し鹿屋を発進、九州東方海上の敵艦隊に突入散華します。

19日0420、菊水部隊 銀河隊4機は魚雷を懸吊し鹿屋を発進、3機が引き返し、1機は九州東方海上の敵艦隊に突入散華します。

20日2030、菊水部隊 銀河隊3機は魚雷を懸吊し鹿屋を発進、1機が引き返し、2機は九州東方海上の敵艦隊に突入散華します。

21日0625、0730、0745、0756、0800、菊水部隊 銀河隊12機は魚雷を懸吊し鹿屋、出水を発進、九州東方海上の敵艦隊に突入散華します。
大社海軍航空基地 神風特別攻撃隊菊水部隊銀河隊、同八幡護皇隊(島根)
▲昭和20年2月、宇佐空食堂における神風特別攻撃隊菊水部隊銀河隊、同八幡護皇隊(宇佐空)の記念撮影

菊水部隊 銀河隊
3月18日
上杉丈助 飛曹長/宇野篤 大尉/岡田春人 二飛曹
米本米吉 上飛曹/村川勝夫 上飛曹/檜山芳香 上飛曹
村上益雄 上飛曹/西村敬之助 上飛曹/西谷増吉 上飛曹

19日
井上善弘 飛曹長/土田登 二飛曹/大元良雄 上飛曹

20日
坂口昌三 大尉/大川軍平 飛曹長/清水松四郎 上飛曹
柳本拓郎 飛曹長/竹園良光 飛曹長/梅本留治 飛長
大社海軍航空基地 柳本拓郎 飛曹長(島根)
▲柳本拓郎 飛曹長(操練四十二期)
 艦攻専修で 飛龍雷撃隊に属し布哇、ミッドウェー海戦に参加した熟練搭乗員でした

21日
池永弘 飛曹長/小林光 飛曹長/岡本嘉治 上飛曹
蔵本閑男 上飛曹/新井章 一飛曹/小澤清 上飛曹
佐藤勇 上飛曹/久保田吉朗 飛曹長/山口昭二 二飛曹
寺田勇 上飛曹/氏家弘 上飛曹/加藤一市 一飛曹
中川勇 上飛曹/馬場繁郎 中尉/山下義春 上飛曹
後藤紀雄 少尉/鍛冶谷清一 一飛曹/村田豐 一飛曹
飯竹甲子郎 上飛曹/福田喜好 上飛曹/菊池孝行 上飛曹

26日、天一號作戦が発動、第七基地航空部隊は第一機動基地航空部隊指揮官(五航艦司令長官)の作戦指揮下に編入され、七六二空の銀河は全機特攻機として指定、志願者より神風特別攻撃隊 銀河隊を編成します。

27日0334、神風特別攻撃隊 第一銀河隊8機は80番1発を懸吊して宮崎を発進、3機が引き返すなか5機が沖縄周辺の敵艦隊に突入、散華します。
神風特別攻撃隊 第一銀河隊
大田博 中尉/田中三人 一飛曹/井上誠次郎 一飛曹
赤沼今朝幸 上飛曹/山瀧信一 一飛曹/谷野良秋 一飛曹
大井良美 中尉/福島照夫 上飛曹
杉浦忠三 上飛曹/高橋惣吾 中尉/南里正利 一飛曹
松田榮 一飛曹/峰政幸雄 上飛曹/筒井武彦 二飛曹

4月2日0414、神風特別攻撃隊 第二銀河隊1機は80番1発を懸吊して宮崎を発進、九州西方海上の敵艦隊に突入、散華します。
神風特別攻撃隊 第二銀河隊
木村義雄 中尉/中島襄一 上飛曹/森正勝 上飛曹

7日1243、神風特別攻撃隊 第四銀河隊6機(攻二六二、攻五〇一)は80番1発を懸吊して宮崎を発進、2機が引き返すなか4機が沖縄周辺の敵艦隊に突入、散華します。
神風特別攻撃隊 第四銀河隊(攻五〇一)
松浪武正 上飛曹//岡林春實 上飛曹
横畑一吉 飛長/保刈良男 一飛曹/片村利男 一飛曹

11日1530、神風特別攻撃隊 第五銀河隊12機(攻二六二、攻五〇一)は80番1発を懸吊して宮崎を発進、7機が引き返すなか5機が喜界島南方海上の敵艦隊に突入、散華します。
神風特別攻撃隊 第五銀河隊(攻五〇一)
酒井啓雄 一飛曹/佐野國雄 一飛曹/坂田伸 一飛曹
永井茂 一飛曹/工藤丑雄 一飛曹/長岡友正 上飛曹
上野善治 少尉/神尾穣 上飛曹/加茂敏雄 一飛曹
前川五郎 飛長/猪俣道夫 一飛曹/菅井彌十 一飛曹

12日、隊は他隊の銀河とともに15機、14日、7機(3機未帰還)、16日、12機、28日、12機、29日、4機、5月3日、4機、8日、6機で沖縄周辺の敵艦隊に夜間攻撃(通常攻撃)を実施します。

11日0602、神風特別攻撃隊 第九銀河隊3機は80番1発を懸吊して宮崎を発進、沖縄周辺の敵艦隊に突入、散華します。
神風特別攻撃隊 第九銀河隊
深井良 中尉/俵一 上飛曹/北山博 上飛曹
鈴木圓一郎 中尉/三宅文夫 上飛曹/田中榮一 上飛曹
小島弘 上飛曹/村上守 中尉/佐藤昇 一飛曹

12日、聯合艦隊司令部は第一機動基地航空部隊(五航艦)と第七基地航空部隊(三航艦)で天航空部隊を編成(五航艦司令長官指揮)します。

14日、他隊とともに銀河15機で薄暮特攻を企図しましたが、中止となります。

16日、隊は他隊の銀河とともに6機(3機未帰還)、18日、6機で沖縄周辺の敵艦隊に夜間攻撃(通常攻撃)を実施します。

23日、飛行隊長・鈴木瞭五郎大尉は列車で隊の銀河40は空路宮崎を出発、竣工した大社海軍航空基地に移駐(出撃時は宮崎、鹿屋にて整備)します。

24日、隊は他隊の銀河とともに9機、27日、7機、5日、3機(悪天候により中止)、8日、4機、11日、4機、21日、4機、25日、5機、7月28日、8機(3機不時着)、8月7日、7機で連日夜間、沖縄周辺の敵艦隊攻撃を実施するなか、15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


美保海軍航空隊
『美保海軍航空隊』の記事参照


山陰海軍航空隊
『美保海軍航空基地』の記事参照
大社には基地隊(5月9日、関野英雄中佐着任)が岡田邸を仮本部として仏教山に地下指揮所、防空隊(矢田有一少尉)が滑走路両側に二十五粍聯装機銃の防空砲台を設営し基地管理、防衛にあたりました。


第三百三十八海軍設營隊
昭和20(1945)年2月15日、舞鶴鎭守府の所管で舞鶴海軍施設部において編成(富田喜明技大尉)、舞鶴鎭守府部隊に部署され、第一教導設營班内で事務を開始します。

3月4日、鎭守府会議室において『機密舞鎭命令第五四號』に基づき第二十三聯合航空隊司令官指揮下に仮称新川海軍航空基地の設営を下令され、資材、器材、機械類の調達を開始、12日、測量隊、13日、先発隊が出西村に進出し資材運搬のため直江駅より場内に引込線を敷設、設営部隊の宿舎準備、滑走路位置の決定、測量の準備を開始します。

15日、本隊が出西村國民學校に到着し開隊、21日、残部隊が集結し開隊式を挙行し、同日より航空基地設営を開始します。
5月9日、滑走路のコンクリート舗装が完成、続いて飛行機運搬路、掩体壕、燃料分散格納所の完成を急ぎます。

6月1日、沖縄の戦局は急迫、櫻花格納所(20機分)の設営、基地施設の迷彩を実施、8日、新川改め大社海軍航空基地の竣工式が挙行されます。

27日、『機密舞鎭命令第一五七號』により第二新川海軍航空基地(直江牧場)の新設を下令され、業務担当協議により、隊は引き続き大社の基地強化にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


第三千三百十一海軍設營隊
昭和20(1945)年7月1日、舞鶴海軍施設部において編成(郷古泰三技大尉)、舞鶴鎭守府部隊に部署され、第一教導設營班内で事務を開始します。
15日、大社に進出、直江牧場の設営にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


停戦時の保有航空機
銀河39
九六陸攻1
白菊1
櫻花1(未組立30?)


主要参考文献
『いま甦る山陰海軍航空隊「大社基地」』 (平成8年8月 陰山慶一 島根日日新聞社)

『川の中の飛行場』 (平成10年 槇原吉則 足立正)

『平野遺跡群発掘調査報告書Ⅰ』 (昭和58年3月 斐川町教育委員会)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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