当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

玉造海軍水上機基地

夕日とシジミで有名な宍道湖湖畔に玉造海軍水上機基地がありました。

また東側に近接して湯町海軍水上機基地がありました。
玉造海軍水上機基地 A 掩体壕 全景(島根)
▲宍道湖畔に遺る水上偵察機「瑞雲」用の掩体壕

【探索日時】
平成25年12月1日





玉造海軍水上機基地 概要
昭和20(1945)年6月、沖縄の戦局は終末期に近づき、また九州各地の航空基地は連日空襲に晒され戦力が急速に低下していくなか、軍令部は来るべき決號作戰(本土決戦)に備えるべく、九州方面の航空戦力の逐次退避を計画、海軍航空本部は舞鶴鎭守府に対し山陰方面に六三四空用の新設水上機基地の設営を示達します。
6月中旬、六三四空司令・江村日雄中佐、整備長・岩元盛高少佐は零式水偵で山陰海岸を偵察、宍道湖南湖畔に適地を選定、実地調査ののち、岩元少佐以下150名が先遣隊として基地開設準備(設營隊指揮、住民との折衝)に、7月18日、第五百三十九海軍設營隊(原三雄技大尉)が進出、地元勤労奉仕隊300名の協力を得て設営(兵舎、通信所、掩体壕、待避所、防空砲台、隧道)にあたります。
8月15日、水上機基地がおおよそ竣工しますが、1200、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

基地開設後は六三四空の瑞雲24(最終的に48)機を展開予定でした。
玉造海軍水上機基地 瑞雲 増加試作型(島根)
▲降爆も可能な水上偵察機「瑞雲」(増加試作型)

10月2日、米第6軍第10軍団が呉市広に上陸、19日、第41歩兵師団司令部附M・R・ワック憲兵中佐以下4名が玉造、湯町、大社の航空機、兵器、弾薬類を調査、11月6日、同師団200名により航空基地は接収され、軍需品が処分された後、11月下旬、残務整理にあたる六三四空を通じ地権者に返還されます。

玉造、湯町両水上機基地は急速設営のため敷地を始め本部、倉庫など(兵舎の一部は新設)は全て民家を借用、隊員は民家に分宿し開設されました。
※水上機基地開設の経緯については一部通常の指示系統を参考に推定しています。


遺構について
玉造海軍水上機基地
土地は借地、建物は全て借上げ、防空砲台は開発で遺されていませんが、宍道湖畔に非常に珍しい水上機用の掩体壕が遺ります。
掩体壕は斜面を掘り込み設営され内部に板を敷き、同じく板敷きの飛行機運搬路で湖畔に設営された木造の滑走台(幅5m)、に接続していた様です。
玉造海軍水上機基地 掩体壕はこの茂みの中 (島根)
▲滑走台のあった辺り

玉造海軍水上機基地 玉造(島根)
▲遺構の配置

A 掩体壕
公園から湖畔に出る遊歩道の射面下、竹林に遺ります。
玉造海軍水上機基地 A 掩体壕 全景(島根)
▲全景

玉造海軍水上機基地 A 掩体壕 北西から(島根)
▲斜面上から

B 掩体壕
現場でははっきり見えるのですが、写真にすると・・・。
玉造海軍水上機基地 B 掩体壕 最深部から東(島根)

C 掩体壕
同じくただの草むらにしか見えません(゜Д゜;)
玉造海軍水上機基地 C 掩体壕 南東から(島根)

掩体壕の奥に広がる平地は水上機の駐機場でした。
玉造海軍水上機基地 駐機場 西から(島根)


湯町海軍水上機基地 概要
湯町海軍水上機基地
玉造海軍水上機から東に2km、同じく宍道湖畔にありました。
昭和20(1945)年5月5日、九〇一海軍航空隊(堀内茂忠少将)玉造派遣隊(垣内英二大尉、零式水偵3、150名)が旅館「八勝園」を隊本部、周辺民家に分宿し開隊、日本海の哨戒にあたります。

7月18日、第五百三十九海軍設營隊が玉造に進出、湯町駅(現、玉造温泉駅)から側線敷設、水上機用掩体壕、燃料・弾薬壕の設営にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

近年まで燃料・弾薬壕が遺っていた様ですが、残念ながら山陰自動車道建設に伴い破壊されてしまい、遺構は何も遺されていない様です。


展開部隊
第六三四海軍航空隊
昭和19(1944)年5月1日、呉鎭守府所管の特設航空隊として呉海軍水上機基地において編成(天谷孝久中佐)、第四航空戰隊(松田千秋少将、第三艦隊所属)に編入されます。
飛行機は改装中の伊勢、日向に搭載の彗星、瑞雲を予定します。
同日、四航戦は機動部隊(第一機動艦隊司令長官・小澤治三郎中将指揮)整備部隊に部署され、整備訓練にあたります。

18日、本部を呉海軍水上機基地に設置、隊員の編成と機材の受け入れを開始(彗星:岩國、瑞雲:呉)しますが、発動機故障が多発し供給が中断してしまいます(6月30日時点で稼働彗星6機、九九艦爆9機、瑞雲16機)。

6月23日、四航戦は伊勢、日向に各彗星4、瑞雲6機を搭載、初の射出訓練を実施、爾後標的艦・攝津に対し爆撃訓練を実施しますが、彗星の不足、瑞雲の空中分解により3回しか実施できませんでした。
玉造海軍水上機基地 伊勢から射出される瑞雲(島根)
▲戦艦「伊勢」から射出される瑞雲

7月10日、飛行機定数を艦爆24機(うち補用6)、水偵24機(同6)に改正され、9月末までに彗星二二型(一二型を射出用に改造)、瑞雲各22機(伊勢、日向に各11機づつ)配備を予定します。

21日、再び射出訓練を実施します。

8月1日、新編の戰鬭第一六三飛行隊(福田澄夫大尉、準鷹搭載予定)、10日、戰鬭第一六七飛行隊(龍鳳搭載予定)を編入、夫々岩國において錬成を開始し、隊の飛行機定数に艦攻24(補用6)が加えられ天山が配備されます。

10日、捷號作戰要領が発令され、四航戦(伊勢、日向、準鷹、龍鳳)は機動部隊本隊に部署されます。

31日、全機射出訓練を完了します。

9月1日、隊の戦力は彗星20機、瑞雲21機、天山5機、訓練用彗星6機、同九九艦爆10、戦一六三が零戦70機、戦一六七が零戦44機を保有し、艦戦は徳島、天山は美保において錬成にあたります。

28日、伊勢、日向は呉海軍工廠に入渠、30日から対空兵装の増備を実施、10月10日、完了、12日、公試運転を実施します。

10月10日、米機動部隊がレイテ島上陸を前に我が航空戦力減殺を企図し南西諸島に来襲、12日、聯合艦隊司令部は第一機動艦隊司令長官に対し、三航戦(大林末雄少将、千歳、千代田、瑞鶴、瑞鳳)、四航戦の基地作戦可能航空戦力を第六基地航空部隊指揮官(第二航空艦隊司令長官・福留繁中将)の指揮下に編入を下令、六三四空は台湾、次いで比島への進出を下令されます。

12日、聯合艦隊司令部は捷一號、捷二號作戦を発動、13日、隊の零戦40機は鹿屋、彗星9機は國分、天山10機は鹿児島、瑞雲12機は揖宿に進出、第六基地航空部隊 第十一聯合集團 西一空襲部隊に部署され、14日の我が航空攻撃により壊滅した敵残存機動部隊の総攻撃部署を下令、天山8は第一攻撃集團第一偵察隊として小禄を経由し高雄へ、零戦22機は同第一制空隊として沖縄本島中を経由し台南へ、彗星9は同第一爆撃隊として沖縄本島北を経由し高雄へ帰還を下令されます(台湾沖航空戦)。

14日0630~0930、隊ほか380機は各航空基地を発進しますが、悪天候のうえ使用電波の違いから連携が取れず各個攻撃となり零戦2機、天山1機、彗星4機が未帰還になってしまいます。

15日0645、隊ほか攻撃隊(銀河10機、零戦9機)は台南を発進しますが、敵直掩機の奇襲を受け銀河9、零戦7が未帰還になってしまいます。

16日、第十一聯合集團(約100機)は新たに発見された敵機動部隊攻撃のため伊江島への前進を下令されますが、空母が7隻と強大なため中止されます。

17日、捷一號作戰警戒が発令され、四航艦(六三四空、準鷹、龍鳳欠)は出撃準備を完了、八島錨地に集結、第六基地航空部隊は台湾に集結(六三四空は台中に所在、零戦26機、天山3機、彗星7機)ののち比島への前進を下令されます。

10月18日、米軍がレイテ島へ上陸を開始、19日0000、聯合艦隊司令部は捷一號作戰を発動、機動部隊本隊指揮官は三航戦収容兵力に六三四空残留兵力中、空母への発着可能兵力を追加、19日中の大分集結を下令します。

21日、第六基地航空部隊は全力で比島に前進する事となり、隊の天山は第一攻撃集團 前路索敵隊及び特一攻撃隊に部署されクラーク北、彗星は同第二攻撃隊第二爆撃隊としてマバラカット西、九九艦爆は同第三攻撃隊第三援護隊としてマバラカット東、零戦は同第三攻撃隊第三援護隊としてバムバム、瑞雲19機は同特第二攻撃隊としてキャビテに前進を下令され、22日、台湾から各クラーク地区の基地に前進します。

23日、隊(瑞雲欠)は第一攻撃集團の150機とともに各基地を発進しますが、密雲のため引き返します。

24日、隊の彗星は他隊はとともに10機、零戦は同じく51機(集團計194機)で敵機動部隊の攻撃に発進しますが、敵直掩機100機と交戦、彗星10機のみが攻撃に成功し空母プリンストンを撃沈します。
集團の零戦22機、九九艦爆25機は再発進しラモン湾に向かいますが密雲のため引き返します。
瑞雲は黎明を期して索敵攻撃を実施しますが、集團は多数の航空機を喪失してしまいます。

25日、南西方面艦隊司令部(三川軍一中将)は比島の第五基地航空部隊(一航艦:大西瀧治郎中将)と第六基地航空部隊(二航艦)で第一聯合基地航空部隊(二航艦司令長官指揮)を編成、爾後特攻攻撃が主体となります。
隊の零戦21機は他隊の零戦54、九九艦爆24機とクラーク地区を発進、会敵できずレガスピーに帰還、午後、隊を含む零戦35機、九九艦爆23機とレガスピーを発進しますが、敵直掩機と交戦、零戦6、九九艦爆2機、彗星1機が未帰還になってしまいます。

28日、隊を含む零戦37機、紫電6機、陸攻8機はレイテ島攻撃に発進、カリガラ湾上空で敵機と交戦し4機が未帰還、ドラッグ飛行場銃撃中に対空砲火により1機が自爆してしまいます。

29日、米艦上機390機がマニラ、クラーク地区に来襲、部隊は零戦132機で邀撃、22機を喪失してしまいます。

31日、瑞雲5機はレイテ島周辺の敵魚雷艇の夜間攻撃に発進、カニガオ水道南方において6隻を捕捉、1隻撃沈を報じます。

11月1日、10月29日に編成された第三神風特別攻撃隊 梅花隊(六三四空2名、二〇一空2名、二二一空1名:零戦)大下春男飛長は25番1発を懸吊し第一ニコルスを発進、レイテ湾口の敵輸送船団に突入散華します。

同日、隊の零戦隊はタクロバンを銃撃後、セブに進出しますが、直後に敵戦爆連合70機の空襲を受け零戦13機が損傷、3機が地上撃破されてしまいます。
また、瑞雲6機は2日に渡り夜間攻撃に発進、カニガオ水道において敵艦隊(巡洋艦1、駆逐艦3)を攻撃、魚雷艇1を銃撃します。

4日、B24爆撃機60機がセブに来襲、零戦20機で邀撃しますが、1機が未帰還になってしまいます。

5日、隊はクラーク地区に復帰しますが直後に米艦上機が来襲、零戦68機で邀撃するも2機未帰還、8機が地上撃破されてしまいます。

6日、米艦上機がマニラ、クラーク地区に来襲、邀撃を控え30機が地上撃破、13日、紫電9機で邀撃、6機を喪失、紫電6機、零戦1機、陸攻2機が地上撃破されてしまいます。

12日1645、第三神風特別攻撃隊 梅花隊隊長・尾辻是清中尉(六三四空)、和田八男三上飛曹(二〇一空)、石本奥二飛長(二二一空)は25番1発を懸吊しセブを発進、ドラブ海岸、及びタクロバン沖の敵輸送船団に突入、直掩の岡本恒三郎一飛曹(二〇一空)も散華します。

14日、瑞雲5機はレイテ湾の敵艦船を夜間攻撃し、1機が未帰還になってしまいます。

15日、戦一六三、戦一六七飛行隊は復帰、新たに偵察第三〇一飛行隊(瑞雲24機)が編入され水偵隊に改編、六三四空は四航戦から二航艦に編入されます。
また、艦戦隊員は他隊に転属し、水偵以外は台湾に移駐します。
江村日雄中佐が副長から司令に昇格します。

27日、隊を含む瑞雲11機、28日、同6機(2隻撃沈を報告)、30日、同8機(4隻〃)、31日、同10機(4隻〃)、12月2日、同6機(1隻〃)でレイテ湾の敵魚雷艇を夜間攻撃します。

12月5日時点での保有機は12機、うち稼働は8機でした。

11日、瑞雲隊は多號作戰(レイテ島への強行輸送)の夜間援護にあたります。

15日、隊の瑞雲3機でミンドロ島方面、16日、2機でミンドロ島イリン海峡の敵輸送船団を攻撃、19日、3機でサンホセの敵魚雷艇を攻撃し4隻撃沈を報じます。

昭和20(1945)年1月8日、第二航空艦隊は復帰、六三四空は第一航空艦隊(南西方面艦隊所属)に編入され、第一聯合基地航空部隊(一航艦司令長官指揮)第五基地航空部隊(一航艦)に部署され、台湾東港に配備を下令され、9日、東港に移駐、搭乗員、整備員は2月初旬までに瑞雲1機、零式水偵5機で逐次転進します(1月14日時点の兵力は瑞雲5機、うち夜間用2機、3月1日時点で瑞雲8機)。

3月17日、聯合艦隊司令部は天一號作戰要領を発令、六三四空は引き続き第五基地航空部隊に部署されます。

26日、米軍が沖縄に来寇、天一號作戰を発動します。

28日、瑞雲3機、30日、瑞雲4機で慶良間泊地の敵艦船を夜間攻撃し、天候不良のため古仁屋に帰還、爾後古仁屋から攻撃を反復します。

4月5日、瑞雲4機(天候不良で引き返す)、6日、瑞雲4機は古仁屋から、12日、瑞雲2機、零式水偵3機は台湾淡水を発進、沖縄周辺の敵艦船を夜間攻撃します(零式水偵1機、未帰還)。

13日、瑞雲1機、零式水偵1機(運転泊地の敵輸送船団攻撃)、19日、瑞雲1機(〃)、20日、瑞雲1機(奥諭島付近の敵駆逐艦攻撃)、21日、瑞雲2機(沖縄泊地の敵艦船攻撃)、27日、瑞雲3機(〃)は古仁屋を発進し連日、夜間攻撃を実施します。

5月5日、瑞雲3機(嘉手納沖の敵輸送船団攻撃)、10日、瑞雲3機(沖縄本島北陸軍飛行場攻撃)、14日、瑞雲3機(悪天候で引き返す)、15日、瑞雲3機(沖縄に挺身連絡:不成功)、17日、瑞雲2機、零観1機(挺身連絡)、18日、瑞雲3機(1機は奥諭島付近の敵駆逐艦、2機は名護湾の敵輸送船団攻撃)、20日、瑞雲6機(伊江島付近の敵輸送船団攻撃)、瑞雲2機(天候不良で引き返す。1機未帰還)、22日、瑞雲2機(沖縄泊地の敵艦船攻撃)、23日、瑞雲7機(伊江島付近の敵艦船攻撃)、24日、瑞雲6機(〃。1機未帰還)、25日、瑞雲9機(沖縄周辺の敵艦船攻撃。3機未帰還)は古仁屋を発進し連日、夜間攻撃を実施します。

28日、瑞雲3機は揖宿を発進、沖縄周辺の敵艦船を攻撃、6月1日、瑞雲1機は揖宿を発進、奄美大島、徳之島60浬圏内を索敵します。

6月6日、瑞雲6機(沖縄周辺の敵艦船攻撃)、7日、瑞雲2機(〃)、8日、瑞雲2機(〃)、9日、瑞雲5機(慶良間、嘉手納沖の敵艦船攻撃)は古仁屋を発進し、夜間攻撃を実施します。

15日、第一航空艦隊は復帰、六三四空は第五航空艦隊(宇垣纏中将、聯合艦隊所属)に編入され、天航空部隊(五航艦司令長官指揮)第五基地航空部隊(〃)に部署され、本部を玄海海軍水上機基地に設置し引き続き、沖縄周辺の夜間攻撃にあたります。

同日、瑞雲2機(沖縄周辺の敵艦船攻撃)、22日、瑞雲8機(沖縄周辺の敵艦船攻撃)、25日、瑞雲8機(〃)、26日、瑞雲1機(沖縄周辺の敵艦船攻撃)、27日、瑞雲1機(沖縄金武湾の敵艦船攻撃)、29日、瑞雲1機(沖縄周辺の敵艦船攻撃)、瑞雲4機(3機は沖縄本島北、伊江島飛行場、1機は敵艦船を攻撃し未帰還)は古仁屋を発進し、夜間攻撃を実施します(22日、25日櫻島から、29日の4機は淡水から)。

7月1日、偵三〇二が詫間空より六三四空に編入、3日、新司令立見孝太郎大佐が着任します。

7日、隊の零式水偵4機は天航空部隊偵察隊 第六三四部隊に部署され玄海(松島)に配備され夜間哨戒、瑞雲6機は同夜間攻撃隊第六三四部隊に部署され引き続き、沖縄周辺の夜間攻撃にあたります。

17日、海軍總隊司令部(小澤治三郎中将)は決號作戰(本土決戦)に際し、敵船団の入泊前の夜間雷撃隊として六三四空に雷撃機型零式水偵40機の配備を発令します。

19日、零式水偵6機は九州東方を哨戒、22日、瑞雲6機は済州島付近を偵察します。

8月3日、六三四空は新編の第三十二航空戰隊(田口太郎少将、五航艦所属)に編入され、水偵による対機動部隊夜間雷撃専任部隊に部署され、決號作戰(本土決戦)の準備にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


第五百三十九海軍設營隊
昭和20(1945)年7月1日、舞鶴海軍施設部において編成(原三雄技大尉)、舞鶴鎭守府部隊に部署され、18日、玉造に進出し開隊、玉造海軍水上機基地の設営にあたります。
8月15日、水上機基地が竣工しますが、1200、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


主要参考文献
『島根県玉湯町の水上機基地について』

『いま甦る山陰海軍航空隊「大社基地」』 (平成8年8月 陰山慶一 島根日日新聞社)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧 Ⅲ』 (平成21年5月 渡辺博史 楽學庵)
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大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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