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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉海軍軍需部 第一區

広島県呉市に所在した呉鎭守府に隣接して呉海軍軍需部 第一區がありました。
呉海軍軍需部 第一區 14(手前)・12(奥) 南から (2)(広島呉)
▲海上自衛隊 呉地方総監部内に遺る呉海軍軍需部の倉庫

【探索日時】
平成19年11月25日、平成29年4月4日、令和1年7月27日ほか

【改訂情報】
令和1年8月4日・・・写真、全て差し替え





呉海軍軍需部 概要
海軍軍需部は各軍港、一部の要港、商港に設置され、当該鎭守府、警備府に属し軍需品の準備、保管及供給、艦営需品、被服及び糧食の研究に関する事の他、必要に応じ兵器の修理を管掌しました。
また、海軍大臣の指定する場所に軍需支部(昭和12年4月6日から軍需部支部、支庫)、貯炭場(昭和3年8月6日から燃料貯蔵場)を設置しました。
第一課は兵器、第二課は航空兵器、第三課は艦営需品、燃料、第四課は被服、糧食、第五課は文庫を夫々管掌(停戦時)しました。

-兵器 関連-
明治19(1886)年4月16日、鎭守府に兵器部の設置が決定、管下に武庫、水雷庫が置かれます。
明治22(1889)年5月29日、兵器部は砲銃、水雷、弾薬、火具ほか兵器、及び兵器に属する需品、物品の製造、修理、準備、供給を管掌する事が定められます。
7月1日、呉鎭守府とともに呉鎭守府 兵器部が発足します。

明治26(1893)年5月20日、呉鎭守府 兵器部は廃止され、呉鎭守府 武庫(砲銃、弾薬、火具の準備)、同 水雷庫(水雷の準備、供給)に改編されます。

明治30(1897)年10月8日、呉鎭守府 兵器部が再編成され、管下に砲銃庫、水雷庫、工場が置かれますが、明治36(1903)年11月10日、呉鎭守府 兵器部は廃止され、武庫の管掌事務は同日、新設された呉海軍工廠管下に開設された造兵部に移管されます。

明治42(1909)年4月29日、呉海軍工廠管下に兵器庫が開設され、武庫の管掌事務を継承します。

大正11(1922)年7月1日、呉海軍軍需部が発足、呉海軍工廠 兵器庫から所掌事務を同部第一課に移管されます。

-艦営需品 関連-
明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府とともに呉鎭守府 會計部、同造船部が発足、後者において船具、船体、機関に関する需用物品、前者において後者以外のその他の需用物品を準備、供給します。

明治26(1893)年5月20日、呉鎭守府 監督部が開設され管下に艦營需品庫が新設され、艦営需品の準備、供給を管掌します。

明治30(1897)年10月8日、呉鎭守府 機關部に需品庫が新設され、需品支庫が置かれ艦営需品の準備、保存、供給を管掌します。

明治33(1900)年5月20日、需品庫は呉鎭守府 艦政部に、明治36(1903)年11月10日、呉海軍工廠に、大正11(1922)年7月1日、呉海軍軍需部の発足に伴い同部第二課に移管されます。

-被服関連-
明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府とともに呉鎭守府 會計部が発足、同部衣糧課が被服、糧食の準備、供給を管掌します。

明治26(1893)年5月20日、新設された呉鎭守府 監督部に衣糧課は移管、明治30(1897)年10月8日、呉海軍経理部に衣糧庫が新設され、所掌事務を移管、明治33(1900)年5月20日、衣糧科に改称、大正11(1922)年7月1日、呉海軍軍需部の発足に伴い同部第三課に移管されます。

昭和12(1937)4月6日、第二課が新設され航空兵器を管掌、旧第二課は第三課(艦営需品、燃料)、旧第三課は第四課(被服、糧食)に改編、昭和17(1942)年5月1日、鎭守府文庫が海軍軍需部に移管され第五課が新設され、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦時、管下に以下の施設がありました。
一區(鎭守府南側)、二區(本部)、三區(川原石)、四區(秋付)、六區(東広島)、文庫(鎭守府構内)、新宮、吉浦(工廠貸与)、吉浦乙廻、大麗女島(工廠貸与)、三ツ子島、岸根鼻、鹿川、沖村、飛渡瀬、倉橋島、尾立各燃料置場、大那沙美兵器格納場、廣軍需品置場、廣重油荷役場、廣燃料置場、川上火藥庫(賀茂郡)、阿月、長島燃料置場(柳井)、五日市、廿日市假倉庫、宿毛燃料置場(高知)、徳山支部(多迫田、黒髪島、蛇島、大島燃料置場含)、下關支部、佐伯支部(葛、女島、大入島燃料置場、佐伯兵器庫含)、門司支部

9月26日、呉鎭守府は米軍に接収され、昭和21(1946)年2月20日、英連邦軍に引き継がれ、昭和23(1948)年6月1日、英連邦軍総司令部が鎭守府庁舎に設置されます。

昭和31(1956)年5月4日、英連邦軍撤退に伴う軍用地配分が決定、11月22日、英連邦軍の撤退に伴い呉海軍軍需部管下の施設は大蔵省に返還、夫々海上自衛隊、呉市ほか自治体(のち民間に)、連合軍に引き続き接収され軍用地などに転用され現在に至ります。

※呉鎭守府については前記事『呉鎭守府』を参考の事

呉海軍軍需部 第一區 地図呉④(広島呉)
▲遺構の位置
① 呉鎭守府構内(庁舎、呉海軍艦船部・呉鎭守府文庫・呉海軍通信隊 本隊・呉海軍人事部)
② 呉海軍経理部
④ 呉海軍軍需部 第一區
⑨ 呉海軍建築部
⑩ 呉鎭守府 宮原官舎
㉑ 呉海軍工廠
施設名、位置は昭和16(1941)年頃の開戦時
※緑文字が当記事で紹介の施設


遺構について
④ 呉海軍軍需部 第一區
呉鎭守府開庁に合わせ造成、建設されました。
現在も煉瓦造倉庫4棟が遺りますが、通常は鎭守府見学、呉サマーフェスタともに立入禁止地区になっており近付けません。
ただし、呉サマーフェスタ2019の際に開放区域が拡大され見学できました。
呉海軍軍需部 第一區 13第九庫・12第八庫・14第七庫・15第六庫艦営需品格納庫(左から)南から(広島呉)
▲外周から見た呉海軍軍需部 第一區 全景
  通常はこれが限界

12 第八庫
建築年は不明ですが、この建物が『呉鎭守府工事竣工報告』にある中央倉庫(甲乙丙、各153坪)であれば明治19年11月10日、起工、明治22年3月16日、竣工となります。
木綿類、石鹸などを格納していました。
呉海軍軍需部 第一區 12(手前)・13(右奥)・14(左奥) 北から(広島呉)
▲北から
 右側が13第九庫、左奥14第七庫

呉海軍軍需部 第一區 12(手前)・13(奥) 東から(広島呉)
▲東から
 左側が13第九庫

呉海軍軍需部 第一區 12 北東側壁面(広島呉)
▲東側壁面の拡大

呉海軍軍需部 第一區 12 北西側の閉鎖入口(広島呉)
▲閉鎖されている東側の入口

呉海軍軍需部 第一區 12 窓(広島呉)
▲窓枠は当時のままの様です

呉海軍軍需部 第一區 12 換気口(広島呉)
▲換気口と排水溝


13 第九庫
建築年は不明です(上記12と同じ)。
蛇管継手、湯罐などを格納していました。
呉海軍軍需部 第一區 13 東から(広島呉)
▲丸い印は接収時の印と思われます

呉海軍軍需部 第一區 13(右)・12(左) 北から(広島呉)
▲12第八庫越しに見た第九庫

呉海軍軍需部 第一區 13 北東側壁面(広島呉)
▲東側の扉
  当時の物の様です


14 第七庫
建築年は不明です(上記12と同じ)。
塗具類、厚布、蛇管などを格納していました。
呉海軍軍需部 第一區 14 北から(広島呉)
▲北から

呉海軍軍需部 第一區 14(手前)・12(奥) 南東から(広島呉)
▲東から

呉海軍軍需部 第一區 14(手前)・12(奥) 南から(広島呉)
▲南から
 奥は12第八庫

呉海軍軍需部 第一區 14 北東側壁面(広島呉)
▲東側壁面

呉海軍軍需部 第一區 14 北東側壁面 (2)(広島呉)
▲東側の入口
  戦後に改修されている様です

呉海軍軍需部 第一區 14 南西壁面(広島呉)
▲西側壁面

12第八庫、13第九庫、14第七庫は同一の規格の様です。


15 第六庫
建築年は不明です。
金工具、木工具などを格納していました。
呉海軍軍需部 第一區 15 北から(広島呉)
▲外周から全く見えない建物です

呉海軍軍需部 第一區 15 西から(広島呉)
▲西から

呉海軍軍需部 第一區 15 南から(広島呉)
▲裏側

呉海軍軍需部 第一區 15 窓(広島呉)
▲窓は全て改修されていますが、鉄扉の金具が遺ります


31 煉瓦建物
一見、海軍時代の建物と思いましたが、『引渡目録』所収の「呉軍需部第一區ノ圖」(昭和19年5月2日調整)に記載が無く、この建物一帯は「工廠設備ノ為撤去」の記載があります。
しかしながら昭和20年8月7日の空撮には未だ「撤去」されておらず図面通りの建物が建っており、戦後の昭和22年5月5日の空撮には米軍のカマボコ兵舎に混じり該当建物と同一規格の3棟が登場しています。
以上の事から、戦後に建てられた物の様です。
呉海軍軍需部 第一區 31 北西から(微妙)(広島呉)


11 第一庫
建築年は不明です。
鎭守府構内にあった文庫の倉庫で、図書を格納していました。
呉鎭守府文庫 11 北から(広島呉)
▲全景

呉鎭守府文庫 11 西から(広島呉)
▲普段余り見られない角度

呉海軍軍需部 第一區 11 第一庫 北東から(広島呉)
▲呉地方総監部見学のコース(地下壕コース)から


サ 護謨格納所
横穴式の護謨格納所(26㎡)です。
呉鎭守府 地下作戦室 サ 壕口(広島呉)


セ 揮発油庫
横穴式の揮発油庫(119㎡)です。
呉鎭守府 地下作戦室 セ 揮発油庫 南東から(広島呉)


主要参考文献
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉市史 第3、5、6、7、8巻』 (昭和39年~平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『アジア歴史資料センター史料各種』

『国土地理院空撮』 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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今度呉に行った時見てみます👍

Re: タイトルなし

カニサボテン様

始めまして!
(Twitterでフォローして頂いているカニサボテン様ですかね?)

お近くで見れる様でしたらぜひ!

羨ましいです(^o^)

勝手にフォローさせていただいております😓

ちなみに、
市ヶ谷の地下壕
瀬戸内の監的哨跡とかご興味ありますか?

Re: タイトルなし

そうでしたか!
拝啓天皇陛下様の方ですね(^o^)

大したツイートもしませんが、フォローして頂きありがとうございます(^_^;)

東京方面は殆ど行った事が無いのですが、市ヶ谷は陸軍省ですかね。
その地下壕!!!!

瀬戸内の監的哨!!!

どちらも初めて伺いました!

大いに興味があるところです(゜Д゜;)

こんばんは。
市ヶ谷は大本営地下豪ですね。
瀬戸内の島の監的跡は、よく艦から双眼鏡で覗いていました。
市ヶ谷はこないだ出張で行った時の写真をTwitterに貼りつけておきますね😀
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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