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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉海軍軍需部 第二區 ・ 第三區

呉駅の南側、大和ミュージアム周辺は呉海軍軍需部 第二區(本部)、有名なクレイトンベイホテル周辺は呉海軍軍需部 第三區でした。
のちに第二區には呉海軍運輸部が設置されます。
呉海軍軍需部 第二・三區 32 砲熕兵器庫 南東から(広島呉)
▲三菱日立パワーシステムズ㈱に遺る砲熕兵器庫

【探索日時】
平成19年11月25日、平成29年4月4日、令和1年7月27日ほか

【改訂情報】
令和1年8月4日・・・遺構追加





呉海軍軍需部 第二區(本部)・第三區 概要
明治16(1883)年2月10日、海軍省は第二海軍區鎭守府を呉湾に選定、明治18(1885)年3月17日、海軍省内に呉鎭守府建築委員會が開設され、呉湾の実地、地質調査を実施し用地買収を進めます。
明治19(1886)年5月3日、鎭守府建築委員會が発足、4日、第二海軍區鎭守府の安芸国安芸郡呉港(現、広島県呉市)への設置が決定、10月30日、鎭守府建設が開始され、明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府が開庁します。

文政新開(呉駅南側の⑤一帯)は海軍用地として買収されたまま長らく無用途のまま残置されていましたが、明治27(1894)年、埋立てのうえ岸壁を構築し船渠を設営、呉水雷隊の水雷艇係留池が開設されます。

呉水雷隊は明治29(1896)年4月1日、呉水雷團、大正2(1913)年4月1日、呉水雷團は廃止され呉防備隊が編成、船渠は付属舟艇係留池に転用されます。

明治36(1903)年12月27日、呉駅が開業し爾後、埋立を進めつつ、北側に自然に池ができたため造成し、広島県水主町から呉海軍工廠 造船部の艦材置場(貯木場)を移転します。
また陸地部分に貯炭所、のち重油槽を建設しますが、大正8(1919)年4月1日、江田島に飛渡瀬燃料置場を着工(大正15年、第一期工事完工)、工事の進捗に伴い重油を移送します。

大正11(1922)年7月1日、呉海軍軍需部が発足、文政新開⑤に本部を開設、爾後各種倉庫、試験場等を建設、呉駅から側線を引込み利便性を計ります。
呉海軍軍需部 第二・三區 (広島呉)
▲呉海軍軍需部 庁舎

昭和17(1942)年2月13日、呉海軍軍需部庁舎内に呉海軍運輸部が発足します。

昭和20(1945)年7月12日、米軍の空襲により多数の倉庫が焼失、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えます。

28日、海軍施設は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全海軍用地の接収を示達して来ます。
9月26日、米軍が呉鎭守府に進駐、呉海軍軍需部 第二區を含む海軍施設14ヶ所(のち3ヶ所追加)を接収、昭和21(1946)年2月20日、英連邦軍に引き継がれ補給部隊、次いで憲兵隊兵舎が建設されたのち、昭和29(1954)年5月14日、大蔵省に返還、昭和31(1956)年5月4日、英連邦軍撤退に伴う軍用地配分が決定します。

昭和34(1959)年11月、呉市の誘致により旧第二區に㈱日立製作所日立工場呉分工場(昭和38年10月5日、バブコック日立㈱呉工場として独立)が開設、平成8(1996)年12月、呉市は歴史博物館の新設を決定、旧係留池を埋立て、平成17(2005)年4月23日、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)が開館し、現在に至ります。

また、連合軍の接収を受けなかった第三區は大蔵省の管理下に置かれ、昭和25(1950)年6月28日、『旧軍港市転換法』公布に伴い、昭和32(1957)年3月28日、申請のあった大呉興産㈱など数社に払い下げられ工業地に転換、現在に至ります。

※呉海軍軍需部については前記事『呉海軍軍需部 第一區』を参照

※呉鎭守府については前記事『呉鎭守府』を参考の事
呉海軍軍需部 第二・三區 地図呉⑤(広島呉)
▲遺構の位置
⑤ 呉海軍軍需部 第二區
⑥     〃     第三區

⑧ 呉海軍港務部
⑬ 呉潜水艦基地隊 城山分隊(呉防備隊跡)
⑳ 呉海仁會病院
㉔ 呉海軍工廠 川原石魚雷調整場
㉛ 第十一海軍航空廠 補給部呉地区倉庫
㊱ 呉海軍共済組合 呉購買所
施設名、位置は昭和16(1941)年頃の開戦時
※緑文字が当記事で紹介の施設


遺構について
⑤ 呉海軍軍需部 第二區
商業・工業地としての開発が著しく、海軍時代の遺構は殆ど遺されていない様です。

32 砲熕兵器庫
当時は1階に陸戦兵器、2階に機銃、指揮要具、3階に小兵器が収納されていました。
3階建ての建物ですが西側は別の建屋に包含され、1階は壁が抜かれています。
以前から海軍時代の建物と言われ当初は遺構か半信半疑でしたが、空撮を追うと昭和20年~昭和36年の空撮に写っており、昭和37年に西側の大型建屋に包含されており、取り壊すのであればわざわざこの形状で遺す意味は無いので遺構と判断しました。
呉海軍軍需部 第二・三區 32 砲熕兵器庫 南東から (2)(広島呉)
▲南東から見た近影
  元々3連の建物ですが、左側2連は隣の建屋に埋め込まれています

呉海軍軍需部 第二・三區 32 砲熕兵器庫 東から(広島呉)
▲側面
  窓の形状に当時の雰囲気が遺る?

呉海軍軍需部 第二・三區 32 砲熕兵器庫 北東から(広島呉)
▲北東から

呉海軍軍需部 第二・三區 32 砲熕兵器庫 北東から (2)(広島呉)
▲商業施設の駐車場から

呉海軍軍需部 第二・三區 32 砲熕兵器庫 階段(広島呉)
▲階段は当時のままの様です


d 油送管
昭和12(1937)年に開設した吉浦乙廻燃料置場から広の呉海軍軍需部 廣重油荷役場(第十一海軍航空廠南端)へ引かれた油送管の様です。
呉海軍軍需部 第二・三區 d 水道橋 南西から(広島呉)
▲全景

呉海軍軍需部 第二・三區 d 水道橋 西から(広島呉)
▲近影


e 側線鉄橋
呉駅南側から鎭守府構内に敷かれていた側線の鉄橋で、現在は放置されています。
呉海軍軍需部 第二・三區 e 側線鉄橋 南西から(広島呉)
▲全景

呉海軍軍需部 第二・三區 e 側線鉄橋 西から(広島呉)
▲線路は撤去されていますが、枕木が遺ります

呉海軍軍需部 第二・三區 e 側線鉄橋と煉瓦塀(広島呉)
▲鎭守府構内との境には煉瓦塀があります


f 側線鉄橋・油送管
呉駅南側から呉海軍軍需部構内に敷かれていた側線の鉄橋で、現在は歩道橋として使用されています。
呉海軍軍需部 第二・三區 f 側線鉄橋 南東から(広島呉)
▲側線鉄橋全景

呉海軍軍需部 第二・三區 f 側線鉄橋 西から(広島呉)
▲側線鉄橋は歩道橋に転用されています

呉海軍軍需部 第二・三區 f側線鉄橋と平行に架かる水道橋 南東から(広島呉)
▲側線鉄橋と並んで架かる油送管
  こちらも吉浦乙廻(おとまわり)燃料置場から呉海軍軍需部 廣重油荷役場へ引かれた油送管の様です

海軍の燃料に関しては海軍軍需部第三課が管掌しました。
第三課燃料科には重油班、軽質班、石炭班、事務班が置かれます。
吉浦乙廻燃料置場呉海軍軍需部第三課軽質班が管理しました。
昭和8(1933)年、呉海軍経理部は㈱川崎造船所所有の30,000坪、住民30名所有の20,000坪を買収、昭和8年夏より設営を開始、昭和12(1937)年、操業を開始、停戦までに85,900坪まで拡張されます。
設備は鉄筋コンクリート製垂直円筒形燃料槽8基(船舶用重油用50,000t1基、30,000t3基、5,000t4基)、隧道内に鋼板製横置き円筒槽69基(ガソリンまたは軽油用200t55基、150t14基)、合計173,100tの燃料槽がありました。


g 横穴式倉庫
昭和19(1944)年頃設営され、昭和20(1945)年の空襲に際し開放され、多数の市民を救いました。
残念ながら内部は2m程で閉鎖されています。
呉海軍軍需部 第二・三區 g 地下壕(2m程で閉鎖)(広島呉)

呉海軍軍需部 第二・三區 gの階段上にある壕口(広島呉)
▲階段を上がってすぐの場所にも壕口があります


⑥ 呉海軍軍需部 第三區
英連邦軍時代の建物が数棟遺りますが、商工業地として開発され海軍時代の遺構は殆ど遺されていない様です。

9 移設格納庫
廣村(現、呉市広)に開設された第十一海軍航空廠の水上機格納庫と言われていますが、具体的にどこにあった物か不明です。
昭和32(1957)年、広島電鉄㈱のバス車庫として移設、その後、西側は破壊されてしまいますが、ダイクレ㈱の所有だった東側が遺ります。
呉海軍軍需部 第二・三區 9 水上機格納庫(廣から移設) 南西から(広島呉)
▲正面側

呉海軍軍需部 第二・三區 9 水上機格納庫(廣から移設) 西から(広島呉)
▲側面は切断されています

呉海軍軍需部 第二・三區 9 水上機格納庫(廣から移設) 南から(広島呉)
▲反対側から

呉海軍軍需部 第二・三區 9 水上機格納庫(廣から移設) 南東から(広島呉)
▲側面から見ると大きさが分かります


主要参考文献
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉市史 第3、5、6、7、8巻』 (昭和39年~平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『アジア歴史資料センター史料各種』

『国土地理院空撮』 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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