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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉防備隊 ・ 呉潜水艦基地隊 城山分隊

広島県呉市に所在する海上自衛隊 呉警備隊は呉防備隊の跡地にあります。

同地は先に呉水雷隊、次いで呉水雷團が所在、呉防備隊を経て呉潜水艦基地隊 城山分隊、再び呉防備隊が併置されます。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 20 爆雷格納庫 南西から (2)(広島呉)
▲海上自衛隊 呉警備隊に遺る呉防備隊の爆雷格納庫

【探索日時】
平成19年11月25日、平成29年4月4日、7月29日ほか





呉防備隊 ・ 潜水艦基地隊 概要
防備隊は軍港、一部の要港ほかに設置され、海面防禦(海軍航空隊の所掌を除く)を管掌、海兵團(警備隊)が無い地区は軍港、要港、所在港湾の航空機を用いない空中防禦、警備、陸上防火を管掌しました。

潜水艦基地隊は潜水艦の魚雷、機雷の調整、船体、兵器、機関の整備に協力、潜水隊の隊務、潜水艦の軍需品の保管、補給、工作、医務衛生、会計経理及び乗員の休養等を補助しました。

明治22(1889)年4月17日、軍港司令官麾下(明治26年5月20日、鎭守府司令長官麾下に)に水雷隊の開隊が決定、7月1日、呉鎭守府が開庁、明治23(1890)年8月20日、呉水雷隊が開隊します。

明治29(1896)年1月20日、呉水雷隊は呉水雷團に改編され水雷敷設隊(水雷固定防御)、水雷艇隊(同移動防御:旧淡水小學校に設置、明治36年、呉海兵團南側に移転)を麾下に置き、明治38(1905)年11月26日、両隊はそれぞれ敷設隊、艇隊に改称(12月12日、復称)します。

明治39(1906)年11月22日、呉水雷團麾下に驅逐隊、艇隊、敷設隊を置きます。

大正2(1913)年4月1日、呉水雷團は呉防備隊に改編されます。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 防備隊(広島呉)
▲大正中期の呉防備隊庁舎(手前)と兵舎

大正9(1920)年9月15日、軍艦「嚴島」を校舎として海軍潜水學校が開校(20日、開校式)、大正13(1924)年7月31日、吉浦町新宮鼻の埋立地に校舎が竣工し移転します。

昭和14(1939)年11月1日、呉防備隊は復帰、佐伯防備隊、下關防備隊が新編されます。

昭和15(1940)年11月15日、海軍省は出師準備を発令、従来防備隊が担当していた潜水艦の基地任務が潜水母艦(特設含む)、防備隊で対応できなくなったため、昭和16(1941)年10月1日、呉潜水艦基地隊が開隊、呉は防備隊が無かったため練習潜水艦に付随する任務として海軍潜水學校が兼務、呉防備隊跡に呉潜水艦基地隊 城山分隊が開隊します。

昭和17(1942)年11月23日、海軍潜水學校は佐伯郡小方村に移転、呉分校に縮小され、昭和19(1944)年6月、分校は閉校、校地は呉潜水艦基地隊が専有します。

昭和20(1945)年6月10日、呉防備隊が呉潜水艦基地隊 城山分隊に隣接して再編成、高松港、多度津港に特設基地を開隊、内海の防備にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

9月26日、呉潜水艦基地隊は米軍に接収され、昭和21(1946)年2月20日、英連邦軍に引き継がれ、曳船管理所に転用されます。

停戦後も呉防備隊による掃海は続行され、昭和20年10月10日、呉防備隊は海軍省掃海部(12月1日、第二復員省総務局掃海課に)呉地方掃海部 呉地方掃海支部に改称、11月12日、米第52機動部隊指揮下に編入され啓開作業にあたります。

昭和23(1948)年1月1日、運輸省管下に編入され、同省海運総局掃海管船部 呉掃海部に、5月1日、運輸省の外局として海上保安庁が発足、広島海上保安本部 呉掃海部、昭和25(1950)年6月1日、第六管区海上保安本部に改称、呉掃海部は廃止され呉航路啓開部が新設されます。

昭和27(1952)年8月1日、海上保安庁警備隊が発足、呉航路啓開部は警備隊西部航路啓開隊本部、及び呉航路啓開隊に改編され、昭和28(1953)年9月16日、呉地方基地隊に改編されます。

昭和29(1954)年7月1日、防衛庁 海上自衛隊が発足、呉地方基地隊は呉地方総監部に改編、10月1日、総監部の開庁式が挙行されます。

昭和31(1956)年5月4日、英連邦軍撤退に伴う軍用地配分が決定、11月22日、英連邦軍の撤退に伴い、12月17日、旧呉鎭守府に呉地方総監部が移転、跡地に呉基地警防隊(昭和45年10月1日、呉警備隊に改称)が発足、昭和35(1960)年5月17日、呉潜水艦基地隊跡は㈱呉造船所(現、ジャパンマリンユナイテッド㈱)に払い下げられ、現在に至ります。

※呉鎭守府については前記事『呉鎭守府』を参考の事

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 地図呉 現在地図 13(広島呉)
▲遺構の位置
① 呉鎭守府
② 呉海軍経理部
⑨ 呉海軍施設部
⑪ 呉海兵團・呉海軍警備隊
⑬ 呉潜水艦基地隊 城山分隊(東側) ・ 呉防備隊跡(西側)
施設名、位置は昭和20(1945)年頃の最終時
※緑文字が当記事で紹介の施設


遺構について
⑬ 呉潜水艦基地隊 城山分隊
   呉防備隊

現在、海自呉警備隊内に建物が数棟遺ります。
見学は受け付けていないため外周、中央桟橋ターミナル、または呉サマーフェスタの際に城山広場からの見学になります。
20 爆雷格納庫
水雷團の綿火薬庫として建設されました。
どの位置も建物、植栽が邪魔で見通せません。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 20 爆雷格納庫 南西から(広島呉)
▲城山広場から
  窓3ヶ所はコンクリートで形状を替えられています

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 20 爆雷格納庫 南西から (2)(広島呉)
▲海上から

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 20 爆雷格納庫 西から(広島呉)
▲中央桟橋ターミナルから


21 各科倉庫
外壁、屋根は改修されていますが、基礎は煉瓦積みのままです。
かなり巨大な建物なので、非常に目立ちます。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 21 倉庫 南から(広島呉)
▲城山広場から

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 21 倉庫 西から (2)(広島呉)
▲中央桟橋ターミナルから
  1階の縦長の窓が古さを醸し出しています

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 21 倉庫 西から (3)(広島呉)
▲別角度
  外階段のリベットは当時の物っぽいですが詳細不明

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 21 倉庫 西から(広島呉)
▲基礎拡大
  見難いですが煉瓦積みに茶色の塗装がされています


22 倉庫
木造の倉庫でしたが、平成30(2018)年4月に破壊されてしまいました。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 22 倉庫 西から(広島呉)
▲切妻側

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 22 倉庫 北から(広島呉)
▲中央桟橋ターミナルから


23 表門守衛詰所
昭和3(1928)年頃建設と言われます。
白色に塗装されていますが、煉瓦造の建物です。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 23 表門守衛詰所 南東から(広島呉)
▲ほぼ屋根しか見えません


ナ 遊泳池
プール兼貯水槽で海軍時代は屋根が付いていた様です。
角度的に縁しか見えません。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 ナ 遊泳池 南から(広島呉)


ニ 門
笠石を載せた古い形状の門柱があります。
戦後の空撮には写っていますが、海軍時代は確認できないので、戦後の物かも知れません。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 ニ 東門?(広島呉)


ト 護岸と斜路
堺川の川尻に遺ります。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 ト 滑走台と護岸 北西から (2)(広島呉)
▲斜路

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 ト 滑走台と護岸 北西から(広島呉)
▲護岸に柵の基礎の様な鉄骨が遺ります


31・32 船艇圍場突堤
海軍時代からある石積みの突堤です。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 32 突堤 南西から(広島呉)


⑭ 海軍潜水學校
   呉潜水艦基地隊

開発で遺構は何も遺されていない様です。
ジェイ・アール・シー特機㈱の外周に石積みが遺りますが、海軍潜水學校の古写真では板塀になっており、入口の位置も違う事から戦後の物の様です。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 地図呉 現在地図 14(広島呉)

呉防備隊・呉潜水艦基地隊 外周石垣?(本来の門の位置が切れていない→戦後か?) (1)(広島呉)
▲呉潜水艦基地隊の正門付近(右側の街灯辺り)の石垣が切れていない事から戦後の物と思われます


海軍潜水學校
大正8(1919)年12月、呉鎭守府に海軍潜水學校設立委員が設置され、大正9(1920)年9月4日、『海軍潜水學校令』が公布され、15日、旧軍艦「嚴島」を校舎として海軍潜水學校(今泉哲太郎大佐)を設置、20日、開校式を挙行します。

海軍潜水学校は兵科及び機関科将校、特務士官、准士官、海軍特修兵(海軍下士官、兵)に潜航術を教授、また潜航術の研究、実験、教育の計画に関する研究、調査を実施、必要に応じ海軍予備員、海軍予備員候補者に潜航術の教育を実施しました。
学生は甲種、乙種、機關科、特修科、専攻科學生に区分、他に練習生がありました。

大正13(1924)年7月31日、吉浦町新宮鼻の埋立地に校舎が新築竣工し移転します。
呉防備隊・呉潜水艦基地隊 海軍潜水學校(広島呉)
▲海軍潜水學校

昭和15(1940)年11月15日、出師準備第一着、学生、練習生の激増により学生の教育期間は3ヶ月、年1回の採用を4回とし、水雷學校高等科終了者を特修科学性に採用し、先任将校の急速養成を図ります。
昭和15年春頃より新校開設のため佐伯郡小方村の小島新開の工場用地及び隣接地を購入、埋立を計画します。

昭和16(1941)年4月1日、第十八潜水隊(伊號第五十三、五十四、五十五潜水艦、以下伊〇〇と略)が海軍潜水學校長の指揮下に編入され、練習に従事します。

8月10日、伊五十二が編入され練習に従事、10月15日、第十八潜水隊は第四潜水戰隊に編入されます。

昭和17(1942)年2月4日、潜水學校乙種學生は水雷學校高等科と一本化され、潜水學校高等科が設置されます。

3月25日、第十八潜水隊が呉に帰還、海軍潜水學校長の指揮下に編入され、練習に従事します。

4月15日、佐伯郡小方村に海軍潜水學校 大竹分校が開校します。

8月1日、伊五十二は老朽のため除籍、廃潜十四號と仮称され、部内に限定し使用されます。

11月8日、第三十三潜水隊(呂六十三、呂六十四、呂六十八)が舞鶴から呉に回航、20日、第二十六潜水隊(呂六十二、呂六十七)が海軍潜水學校長の指揮下に編入され、練習に従事します。

11月23日、大竹分校が潜水學校本校、呉の本校が呉分校に改編されます。

12月、水雷學校から潜水艦用の魚雷教育を潜水學校への移管が決定、潜水艦乗員を掌潜航兵として2,000名の収容が予定されますが本校隣接地に余裕が無かったため、山口県熊毛郡佐賀村に潜水艦廠の敷地として確保していた用地を転用し分校建設を開始します。

昭和18(1943)年6月7日、海軍潜水學校の開校式が挙行されますが、資材不足から教材、施設の整備が遅れ教育に支障をきたします。

12月1日、海軍潜水學校がかねてから要望していた呉潜水戰隊(山崎重暉少将、機旗艦「迅鯨」、第十八、第十九、第三十三潜水隊)が編成されます。

昭和19(1944)年3月14日、潜水學校練習生の教程は普通科潜航術は水雷、内火、電機、高等科潜航術は水雷、操縦、内火、電機、特修科潜航術は水雷、水測の9種に改定、また学生、練習生の修業期間を甲種學生6ヶ月以内、専攻科學生1年以内、普通科潜航術練習生8ヶ月、高等科潜航練習生9ヶ月、特修科學生6ヶ月に短縮します。

4月1日、佐賀村に平生分校が開校、5月、教育開始に伴い、6月、呉分校は閉校します。

8月15日、第一特別基地隊(大浦崎)から1ヶ月で甲標的、海龍の搭乗員として学徒出身の豫備士官50名、飛行豫科練習生50名の基礎教育を委託されますが、爾後この要員教育が本務となっていきます。

昭和20(1945)年4月1日、平生分校は教育中の普通科潜航術練習生、潜水艦講習員の要員教育を大竹の本校に移管、蛟龍、海龍の搭乗員となる学生、練習生の教育に転換されます。

13日、呂六十四が広島湾において教練中に触雷沈没、第三十三潜水隊司令兼艦長・安久榮太郎大佐以下77名が散華してしまいます。

4月、呉鎭守府は海軍潜水學校の疎開先として七尾湾を調査、七尾には舞鶴海軍軍需部 七尾出張所、七尾港湾警備隊、陸軍船舶部隊が所在し利用できる施設が皆無のため、北湾沿岸の穴見町中居、波志借、比良の寺院、民家、国民学校などを調査します。

5月30日、海軍潜水學校から練習生1,200名、潜小型関係要員の移転が決定、七尾に向かい、6月1日、穴見村の住吉國民學校を本部、寺院等を教室に利用し仮称七尾分校が開校(6月2日、本校の資材を転用し校舎の仮設開始)、海軍潜水學校は付近の玖波町、大野村の山間部に疎開します。

8月10日、平生分校は柳井分校に改称します。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
22日、本校、柳井分校は復員を開始、28日、七尾分校は住吉國民學校において解員式を挙行、9月15日、海軍潜水學校は閉校します。


主要参考文献
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉市史 第3、5、6、7、8巻』 (昭和39年~平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『旧海軍恩給年加算調書(8)艦隊、戰隊司令部、陸上部隊、各廳その他』 (昭和60年3月 厚生省援護局)

『日本海軍潜水艦部隊の記録 鉄の棺 資料編4』 (平成17年5月 渡辺博史 ニュータイプ)

JMU資料館展示資料

『アジア歴史資料センター史料各種』

『国土地理院空撮』 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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