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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

財團法人海仁會 呉集會所 (呉下士官兵集會所)

広島県呉市に所在する入船山(呉鎭守府司令長官官舎のある丘)西側に「東洋一の水兵の家」と称された(財)海仁會 呉集會所がありました。
ただ、名称は前身の呉下士官兵集會所の方が有名です。

また道路を挟んだ対面に呉海友社がありました。
海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館 北から(広島呉)
▲(財)海仁會 呉集會所 全景

【探索日時】
平成19年11月25日、平成29年4月4日





(財)海仁會 呉集會所 概要
海仁会 集会所は所属鎮守府在籍の海軍下士官兵、召集中の海軍下士官兵(海軍予備員を含む)、傭人、海軍において教育中の予備練習生、予備補習生を所員、他の集会所所属者を準所員とし、これらに修養(武技、学術講習など)、慰安(図書、雑誌、新聞閲覧、映画、娯楽)、休養(食堂、宿泊、入浴)、救恤扶助(物品預託、就職斡旋、住宅貸与)を実施しました。

明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府が開庁、同時に赴任した海軍将校、同相当官の子弟は地元公立小学校に通学しますが言葉、習俗の違いから不具合が出たため、明治23(1890)年8月31日、呉鎭守府軍政會議附属學舎として入船山西麓に私立淡水小學校を開校、水交社社員(高等武官、候補生、海軍高等文官、試補)、希望により准士官、書記、技手、判任官の子弟も入学を認めます。

明治24(1991)年12月14日、第二回帝國議會において豐田實頴、高木正年代議士が海相・樺山資紀大将に巨費を投じて建設した軍政會議所兼呉水交支社の無駄な用途、また淡水小學校を軍政會議附属「物置」としながらも当初から校舎の如く建設し、水交支社に無償貸与している事を追及したため、明治25(1992)年、軍政會議所兼呉水交支社は司令長官官舎として転用、呉水交支社は西丸通(場所不明)入口の借家に、淡水小は檜垣谷に校舎を急造しそれぞれ移転します。

明治29(1896)年1月20日、呉水雷團が発足、呉水雷團 水雷敷設隊が淡水小の旧校舎を庁舎として転用、明治36(1903)年、呉海兵團南側に移転、4月1日、旧校舎を増改築し呉海軍下士卒集會所が発足します。
海仁会 呉集会所(下士官兵) 呉下士官兵集會所(広島呉)
▲淡水小學校の校舎を改造した初代 呉海軍下士卒集會所

明治38(1905)年5月28日、日露戦役において遭難した防護巡洋艦「吉野」(桜)、触雷沈没した同「高砂」(松)を記念し隣接して櫻松館が建設されます。
海仁会 呉集会所(下士官兵) 櫻松館(広島呉)
▲初代 櫻松館

大正10(1921)年6月22日、「卒」は差別的で階級的賤称との批判を受け呉下士官兵集會所に改称、大正13(1924)年4月、法律相談所、8月、一般物品販売所(軍港見学者の弁当、食事、土産品を提供)を開設、大正15(1926)年、従前の月謝制(下士官20銭、兵10銭)を官費経営に改めます。

昭和3(1928)年12月、櫻松館を江田島に移設、鉄筋コンクリート製の新櫻松館を起工、昭和4(1929)年11月23日、竣工します。

昭和10(1935)年5月、旧集会所を解体し呉下士官兵集會所の新築を起工(増岡組が請負)、昭和11(1936)年5月25日、鉄筋コンクリート製の新集会所が竣工します。
海仁会 呉集会所(下士官兵) 海仁會 呉集會所(広島呉)
▲2代目 呉下士官兵集會所(左上)、右下は呉水交社

昭和13(1938)年5月9日、海軍軍人軍属援護扶助調査會(海軍省人事局長・清水光美少将)が設立され、海軍大臣・米内光政大将は同会に対し各軍港ごとに差があった軍人援護扶助の実態調査を諮問、8月2日、同会は調査を報告、9月13日、同会は財團法人海仁會設立委員會に改編され、10月3日、海軍省内に財團法人 海仁會(海相・米内光政大将)が設立します。

(財)海仁會発足に伴い(財)海仁會呉支部(鎭守府司令長官・加藤隆義 中将)が発足、既存の呉下士官兵集會所、呉下士官兵家族共励會(明治37年8月、柴山琴子女史(時の鎭守府司令長官・柴山矢八中将夫人)により銃後奉公の精神から設立された授産施設)を統合し、10月31日、共励会は解散、11月11日、呉下士官兵集會所は(財)海仁會 呉集會所に改称します。

昭和17(1942)年10月9日、准士官を対象とした海友社が解散、(財)海仁會に統合、従来の事業を継続します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、28日、呉集會所は大蔵省に移管されますが、9月26日、米第6軍第10軍団先遣隊が呉に進駐し呉集會所など海軍施設17ヶ所を接収、昭和21(1946)年2月20日、英連邦軍に引き継がれ呉鎭守府 軍法會議、及び呉集會所に総司令部が置かれます。
5月16日、総司令部は海軍兵學校に移転、昭和23(1948)年6月1日、呉鎭守府庁舎を修理して再移転し、呉集會所は呉ハウス(将校クラブ)として転用されます。

昭和31(1956)年5月4日、英連邦軍撤退に伴う軍用地配分が決定、11月22日、英連邦軍の撤退に伴い呉水交社敷地は大蔵省に返還、海上自衛隊により青山クラブと改称され宿泊施設、援護業務に利用されますが、平成28(2017)年6月、用途廃止、財務省から呉市に払い下げられ、現在は保存も含め活用が検討されています。

※呉鎭守府については前記事『呉鎭守府』を参考の事

海仁会 呉集会所(下士官兵) 地図呉 現在地図 原本18(広島呉)
▲遺構の位置
⑯ 呉鎭守府司令長官 官舎
⑰ 呉水交社
⑱ (財)海仁會 呉集會所
⑲ 呉海友社

施設名、位置は昭和16(1941)年頃の開戦時
※緑文字が当記事で紹介の施設


遺構について
⑱ (財)海仁會 呉集會所
現在は閉鎖され、今後の動向が注目されます。

28 呉集會所
昭和10(1935)年5月、増岡組により起工、昭和11(1936)年5月25日、鉄筋コンクリート製地下1階、地上3階の新集会所が竣工します。
総延坪数 3,376坪 収容力3,000名
総工費 755,500円
地階 678坪 ・・・ 倉庫、機関室
1階 966坪 ・・・ 事務室、応接室、大休憩室(400名収容)
2階 848坪 ・・・ 食堂、映写室、会議室、家族室
3階 829坪 ・・・ 柔剣道場、寝室、家族室
屋上 ・・・ 運動場、休憩室、弓道場、
塔屋 52坪

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館 北から(広島呉)
▲眼鏡橋から見た呉集會所全景
  海軍時代はオリーブ色に塗装されていましたが、現在は変な赤色に塗装されています

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館 北東から(広島呉)
▲北側の裏

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館 西から (3)(広島呉)
▲正面入口

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館 西から (2)(広島呉)
▲南西から見た全景

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館 西から(広島呉)
▲正面壁面

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館 南西から(広島呉)
▲南側壁面

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館外周の柵(広島呉)
▲外周にある石柵も当時の物(当時は鉄管の柵でしたが金属供出で撤去され戦後、鎖に替えられました)

レ 門柱
建物南側に地階入口と思われる門柱があります。
海仁会 呉集会所(下士官兵) レ 本館 南西側の門(広島呉)

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館正面入口(広島呉)
▲正面入口 内部

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館正面入口石敷き(広島呉)
▲入口の石畳

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館1階外廊下(広島呉)
▲内庭と外廊下
  柱上部の色が当時の外壁の色かも知れません

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館1階外廊下のガラスブロック(広島呉)
▲外廊下のガラスブロック(地階明り取り)
  損傷が激しいです

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館1階廊下 (2)(広島呉)
▲2階への階段

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館1階廊下の梁(広島呉)
▲梁にも装飾が施されています

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館1階廊下(広島呉)
▲廊下

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 内庭から北側(広島呉)
▲内庭から上階
  かなり老朽化しています

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 内庭から西側(広島呉)
▲内庭から上階

海仁会 呉集会所(下士官兵) 28 本館内側装飾(広島呉)
▲南側にある張り出し

海仁会 呉集会所(下士官兵) 内庭の池(広島呉)
▲櫻松館付近にある庭園
  往時は山上にある司令長官官舎から水が流れていました

海仁会 呉集会所(下士官兵) 本館から別館への階段(広島呉)
▲櫻松館へ続く階段


29 櫻松館
昭和3(1928)年12月、起工、昭和4(1929)年11月23日、鉄筋コンクリート製地下1階、地上2階建ての新櫻松館が竣工します。
小さい建物ながら凝った意匠が施されています。
近年まで海自・呉音楽隊が使用、平成28(2017)年6月、呉集會所とともに財務省から呉市に払い下げられましたが、取り壊しが検討されています。

総延坪数 250坪 収容力1,300名
地階 ・・・ 個室、倉庫
1階 124坪 ・・・ 講堂(柔剣道場、演劇、映画館として利用可)、事務室、応接室、談話室
2階 124坪 ・・・ 個室休憩室
屋上 162坪 ・・・ 屋上ガーデン
海仁会 呉集会所(下士官兵) 29 別館 (広島呉)
▲西側から
  植栽が邪魔で見通せません

海仁会 呉集会所(下士官兵) 29 別館 南西から(広島呉)
▲講堂部分正面

海仁会 呉集会所(下士官兵) 29 別館 南から(広島呉)
▲個室部分全景

海仁会 呉集会所(下士官兵) 29 別館 南東から(広島呉)
▲南側からの全景
  円形屋根の変わった意匠です

海仁会 呉集会所(下士官兵) 29 別館 本館から(広島呉)
▲入船山側の正面入口

海仁会 呉集会所(下士官兵) 29 別館 本館側(広島呉)
▲呉集会所側の円形窓


⑲ 呉海友社
海友社は水交社に準ずる組織で准士官により組織され、学術の研究、社員相互の親睦を図る団体で運営に関しては水交社の指導を受けました。
明治39(1906)年9月11日、呉准士官倶樂部が発足、程なく呉海友社に改称し、明治41(1908)年4月、第一門右側に社屋を新築します。
昭和11(1936)年4月15日、旧社屋を解体し新社屋を起工、7月8日、上棟式を挙行、10月31日、新社屋が竣工します。
海仁会 呉集会所(下士官兵) 呉海友社(広島呉)

昭和17(1942)年10月9日、海友社は解散、(財)海仁會に統合され従来の事業を継続します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、28日、呉海友社は大蔵省に移管されますが、9月26日、米第6軍第10軍団先遣隊が呉に進駐し海軍施設17ヶ所を接収、呉海友社は第10軍団憲兵隊が置かれ、昭和21(1946)年2月20日、英連邦軍に引き継がれ、昭和25(1950)年6月25日、朝鮮戦争の勃発に伴い、ニュージーランド朝鮮派遣軍司令部が設置されます。

昭和31(1956)年5月4日、英連邦軍撤退に伴う軍用地配分が決定、11月22日、英連邦軍の撤退に伴い呉海友社は大蔵省に返還、『旧軍港市転換法』に基づき呉市に譲渡され、労働会館として転用、現在は駐車場になり遺構は何も遺されていないようです。


主要参考文献
『呉市史 第3、6、8巻』 (昭和39年~平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『アジア歴史資料センター史料各種』 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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