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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉海軍工廠 (造船部 ・ 造船實驗部)

広島県呉市に伊藤博文公をして「帝國海軍第一の製造所」と位置付けられ、ドイツのクルップ社と並び世界の「二大兵器工場」と称された呉海軍工廠がありました。

ジャパン・マリン・ユナイテッド㈱呉事業所一帯は呉海軍工廠の造船部と造機部が所在しました。
呉海軍工廠 10 造船部庁舎 南から (2)(広島呉)
▲JMU㈱呉史料館として使用されている呉海軍工廠 造船部庁舎

【探索日時】
平成17年10月26日、平成19年11月25日、平成29年4月4日、10月8日ほか





呉海軍工廠 概要
海軍工廠は艦船、兵器の造修、購買、実験を管掌しました。

明治19(1886)年5月4日、第二海軍區鎭守府を安芸国安芸郡呉港(現、広島県呉市)への設置が決定、10月30日、鎭守府建設が開始され、明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府開庁とともに造船部兵器部(明治33年5月20日、廃止)が発足します。

明治28(1895)年6月18日、假設呉兵器製造所が開設、明治30(1897)年5月25日、呉海軍造兵廠に改称、10月8日、造船部は呉海軍造船廠に改編されます。
明治36(1903)年11月10日、呉海軍造船廠と呉海軍造兵廠は統合され呉海軍工廠に改編され、同時に造船部が発足します。

昭和11(1936)年7月1日、造船實驗部が新設されます。

昭和20(1945)年3月19日、6月22日、7月1日、24日、28日、米軍による空襲により呉海軍工廠は甚大な被害を受け、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月28日、呉鎭守府の全施設は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全陸海軍用地の接収を示達、9月26日、米第6軍第10軍団先遣隊が呉海軍水上機基地に到着、呉に進駐し呉海軍工廠の一部を接収します。

昭和21(1946)年2月14日、政府は連合軍の了解のもと旧呉海軍工廠の転用を許可、4月1日、造船部、造機部一帯に㈱播磨造船所 呉船渠が開業し、我が海軍艦艇の引揚げ解体、復員船、掃海艦艇、連合軍艦艇、商船の修理を開始します。
昭和26(1951)年8月15日、㈱播磨造船所 呉船渠の一部にNBC呉造船部が開所、昭和29(1954)年9月27日、㈱播磨造船所 呉船渠は㈱呉造船所に改称し、昭和37(1962)年7月21日、NBC呉造船部は㈱呉造船所に吸収されます。

昭和43(1968)年3月31日、㈱呉造船所は石川島播磨重工業㈱と合併し石川島播磨重工業㈱ 呉造船所(IHI)、平成25(2013)年1月1日、ユニバーサル造船㈱と合併しジャパン・マリン・ユナイテッド㈱となり現在に至ります。

呉海軍工廠については前記事『呉海軍工廠 (總務部・會計部・醫務部)』を参考の事


遺構について
呉海軍工廠の第二回目、今回は呉海軍工廠の骨幹とも言うべく造船部の遺構を紹介させて頂きます。
造船部は船体の造修に関する事項、造船實驗部は船体及び材料の実験に関する事を所掌しました。
呉海軍工廠 地図呉 現在地図 呉廠造船部(広島呉)
▲今回紹介の遺構配置
施設名、位置は昭和20(1945)年頃

10 造船部庁舎
ジャパン・マリン・ユナイテッド㈱の呉史料館として使用されています。
総煉瓦造の建物ですが、建設時期は不明です。
事業所祭の際は内部も開放され見学可能です。
呉海軍工廠 10 造船部庁舎 南から (1)(広島呉)
▲正面全景
  蔦や植栽が邪魔で余り良く見えません

呉海軍工廠 10 造船部庁舎 正面側(広島呉)
▲正面側の壁面

呉海軍工廠 10 造船部庁舎 玄関(広島呉)
▲玄関

呉海軍工廠 10 造船部庁舎 玄関内(広島呉)
▲玄関内部
  内部は撮影禁止のため写真はここまでです

呉海軍工廠 10 造船部庁舎 南西から(広島呉)
▲側面側
  3階建ですが高台にあるため、かなり高く見えます

呉海軍工廠 10 造船部庁舎 北から(広島呉)
▲裏側
  ベランダがあり、各船渠が見渡せる様になっています

呉海軍工廠 10 造船部庁舎 東から(広島呉)
▲外周からの最もよく見える位置

呉海軍工廠 10 造船部庁舎 北西隅下石組(広島呉)
▲海側の石積み

庁舎前には今は無き第一、第二、造船船渠の起工、竣工碑が移設されています。
第一船渠の竣工碑
明治22(1889)年4月1日に起工、明治24(1891)年4月11日に竣工、昭和46(1971)年3月に閉鎖されます。
呉海軍工廠 10 造船部庁舎前 第一船渠銘板(広島呉)

第二船渠の竣工碑
明治27(1894)年6月28日に起工、明治31(1898)年12月14日に竣工、大正14(1925)年2月18日、拡張され、昭和46(1971)年3月に閉鎖されます。
呉海軍工廠 10 造船部庁舎前 第二船渠銘板(広島呉)

造船船渠の起工・竣工碑
呉海軍工廠 10 造船部庁舎前 造船船渠銘板(広島呉)


11 製圖場
鉄筋コンクリート造の建物で、造船部庁舎に増築されています。
呉海軍工廠 11 製図場 南東から(広島呉)
▲正面側

呉海軍工廠 11 製図場 東から(広島呉)
▲側面
  窓枠は改修されアルミサッシ対応になっています

呉海軍工廠 11 製図場 北西から (2)(広島呉)
▲裏側

呉海軍工廠 11 製図場 北西から (1)(広島呉)
▲裏側から見た製図場(左)と造船部庁舎(右)


12 第九變電所
鉄骨造の建物で、外壁は改修されています。
呉海軍工廠 12 第九変電所 北西から(広島呉)
▲結構大きな建物ですが、建物が建て込んでおり正面側しか見えません

呉海軍工廠 12 第九変電所 基礎(広島呉)
▲煉瓦積みの基礎


13 第三船渠
明治40(1907)年1月17日に起工、明治45(1912)年3月11日に竣工します。
現在は拡張されジャパン・マリン・ユナイテッド㈱の第二造船ドックてして使用されています。
現在も船渠左側に戸当り、日露戦役の戦利品である排水ポンプが遺っている様です。
呉海軍工廠 13 第三船渠 東から(広島呉)
▲全景
  写真左奥(船の左側)のみ当時のままだそうです

呉海軍工廠 13 第三船渠(広島呉)
▲渠門は当然戦後のものです


ヲ 移動式起重機
昭和7(1932)年に完成しました。
現存する呉海軍工廠唯一の槌型クレーンです。
呉海軍工廠 ヲ 移動式起重機(昭和7年製) (2)(広島呉)
▲左手前の緑色のクレーンが呉海軍工廠時代のものです

呉海軍工廠 ヲ 移動式起重機(昭和7年製)近影(広島呉)
▲近影

呉海軍工廠 ヲ 移動式起重機(昭和7年製)(広島呉)
▲「昭和七年製造」の銘板


14 第四船渠
「八八艦隊計畫」に対応すべく呉海軍港務部により、大正12(1923)年4月に起工、昭和5(1930)年11月16日、竣工式を挙行、昭和6(1931)年5月8日、東洋一と言われる第四船渠が竣工します。
総工費は600万、延べ150万人が工事に当たりました。
呉海軍工廠 14 第四船渠 東から(広島呉)
▲駆逐艦12隻が一度に入渠できました


15 造船船渠 覆屋根
造船船渠は明治40(1907)年1月21日に起工、明治45(1912)年3月11日に竣工しました。
大正14(1925)年9月2日に改装、昭和12(1937)年11月4日、戦艦「大和」の起工に対応すべく1m掘り下げ、防諜のため覆屋根を取り付けました。
また合わせてガントリークレーンの吊上げ能力を60tから100tに改修します。
呉海軍工廠 15 造船船渠 覆屋根 南から(広島呉)
▲有名な覆屋根

呉海軍工廠 15 造船船渠 覆屋根 東から (1)(広島呉)
▲よく見る角度から

呉海軍工廠 15 造船船渠跡 北から (2)(広島呉)
▲近影

呉海軍工廠 15 造船船渠 覆屋根 東から (2)(広島呉)
▲良質の鉄を使用しているため、赤錆では無く黒錆が付き朽ちることは無いそうです

呉海軍工廠 15 造船船渠跡 北から (1)(広島呉)
▲海上から

船渠自体は昭和46(1971)年11月に閉鎖され、平成4(1992)年10月埋め立てられてしましました。


25 造船船渠 記念碑
平成5(1993)年1月、石川島播磨重工業㈱により造船船渠の側壁を移設し建立されました。
呉海軍工廠 25 造船船渠 記念碑 (1)(広島呉)


24 造船船渠 記念碑
造船船渠を見下ろす高台に平成5(1993)年3月、石川島播磨重工業㈱により建立されます。
初代呉鎭守府庁舎の煉瓦材を中心に造船船渠、及び呉海軍工廠の建物廃材(石材)を組み合わせて造られています。
石碑の銘板によると造船船渠は明治41(1908)年11月起工、明治44(1911)年3月竣工になっています。
呉海軍工廠 25 造船船渠 記念碑 (2)(広島呉)
▲記念碑

呉海軍工廠 24 造船船渠記念碑(広島呉)
▲造船船渠の階段


う 噫戦艦大和之塔
昭和44(1969)年8月8日、大和の進水30周年を記念し呉大和会により建立されました。
呉海軍工廠 ツ 壕口 (2)(広島呉)
▲大和型の四十六糎と長門型四十糎砲弾があります

なお、海軍時代は造船船渠 記念碑と噫戦艦大和之塔の間の交差点に呉鎭守府 第三門がありました。


16 甲鈑罫書(けがき)工場
昭和12(1937)年11月4日、戦艦「大和」の起工に対応すべく新設されました。
呉海軍工廠 16 甲鈑罫書工場 南から(広島呉)
▲全景

呉海軍工廠 16 甲鈑罫書工場(左)・15 覆屋根(奥)(広島呉)
▲甲鈑罫書工場と造船船渠の位置
  軍艦建造の流れの一端が見て取れます

呉海軍工廠 16 甲鈑罫書工場 基礎(広島呉)
▲煉瓦積みの基礎

呉海軍工廠 16 天井(広島呉)
▲天井

ン 天井走行起重機
同じく昭和12(1937)年に取り付けられます。
呉海軍工廠 ン 天井クレーン(昭和12年製)(広島呉)
▲分かりにくいですが全景

呉海軍工廠 ン 天井クレーン(昭和12年製) (3)(広島呉)
▲裏側から
  白っぽいのがクレーン

呉海軍工廠 ン 天井クレーン(昭和12年製) (2)(広島呉)
▲「昭和12年製造」の銘板

因みに写真の建屋は戦後の増築部分です。
・・・このクレーンの写真を必死に撮影していると。
女性 「何かあるんですか?」
僕  「昭和12年製の呉海軍工廠のクレーンです」
女性 「へぇ~どこから来られたんですか?」
僕  「大阪です」
女性 「えっ?!えっ!クレーンだけ見に?」
僕  「クレーンも含め建物もです」
女性 「マニアですか?」
僕  「えぇええああぁ・・・まぁ(苦笑)」
女性 「遠くからワザワザありがとうございます(笑)」



17・18 撓鐵工場
撓鉄(ぎょうてつ)とは鉄を曲げる事です。
周囲に建物が建て込んでおり、物理的に見えません。


19 艤装工場 鍛冶場 銅工場
これら3棟も昭和12(1937)年、大和の建造に合わせ新設されました。
3棟は密着して並んで建っていますが、内部を見るとそれぞれ独立した建物です。
呉海軍工廠 21・20・19(手前から) 西から(広島呉)
▲右から19・20・21


20 機械工場
上図では19と21同様の長さに塗りましたが、西側(屋根の色の違う部分)の端は戦後の増築の様です。
呉海軍工廠 21・20・19(左から)東から(広島呉)
▲左から19・20


21 造船工場機械場
呉海軍工廠 21・20・19(右から)北から(広島呉)
▲左から19・20・21

呉海軍工廠 21 造船工場機械場 西から(広島呉)
▲近影

呉海軍工廠 21 造船工場機械場 基礎(広島呉)
▲基礎は煉瓦積

呉海軍工廠 21 造船工場機械場 基礎 (2)(広島呉)
▲場所によって煉瓦積と石積


22 造船工場艤装場
元々は上記19・20・21よりも長い建物でしたが戦後、西側が撤去され減築されています。
呉海軍工廠 22 造船工場艤装場 北から(広島呉)
▲現存部分

呉海軍工廠 22 造船工場艤装場 西から(広島呉)
▲切断側

呉海軍工廠 22 造船工場艤装場 基礎(広島呉)
▲外周からは見えませんが、内側の基礎は煉瓦と石積です


ツ 地下壕
コンクリート製の地下施設の様なものがあります。
扉が錆びついており開きませんでした。
呉海軍工廠 ツ 壕口 (1)(広島呉)
▲道路から

呉海軍工廠 ツ 壕口跡(広島呉)
▲草ボーボー

以上の遺構はジャパン・マリン・ユナイテッド㈱内に遺ります。
25、ンを除き外周の道路から見えます(一部しか見えない遺構もあります)が、毎年10月初旬に開催される「ジャパン・マリン・ユナイテッド事業所祭」で敷地内に入れます。


23 繋船堀
進水した艦船の艤装(兵装・機関を搭載する事)を行う場所です。
こちらもジャパン・マリン・ユナイテッド㈱内に遺ります。
以前は隣接する海上自衛隊の艦船見学の際に近くまで寄れましたが、現在は立入禁止区域になってしまい外周からしか見学できません。
呉海軍工廠 23 繋船堀 南から(広島呉)
▲全景

呉海軍工廠 23 繋船堀東端にある銘板?(広島呉)
▲繋船堀の渠頭に遺る「VIRTUTE ET LABORE」(ラテン語で「美徳と労働によって」)
  呉鎭守府造船部(のちの呉海軍工廠)の配置を考案したとされる仏人の海軍省顧問・ルイ=エミール・ベルタンが遺した言葉と言われます。

呉海軍工廠 23 繋船堀 排水口(広島呉)
▲排水口


91 塀の支柱
大和の建造に合わせ昭和12(1937)年6月、防諜のため呉線の海岸側855m(新宮トンネルから港町小学校の間)にトタン塀が設置されます。
現在、トタン塀はありませんが、跨道橋を挟んで支柱3本が遺ります。
呉海軍工廠 91 防諜塀支柱1(広島呉)
1本目

呉海軍工廠 91 防諜塀支柱2・3(広島呉)
▲分かり難いですが2本目と3本目

呉海軍工廠 91 防諜塀支柱2(広島呉)
▲2本目

呉海軍工廠 91 防諜塀支柱3(広島呉)
▲3本目


呉海軍工廠で建造した艦船
-明治期-
艦種   艦名    起工日    進水日    竣工日
●大東亜戦争参戦(戦没年月日)  ◎停戦時残存  ▲廃艦として残存
通報艦 「宮古」 27年5月26日・31年10月27日・32年3月31日
一等水雷艇 「隼」 32年3月15日仏・32年12月16日・33年4月19日
    〃   「真鶴」 32年10月9日仏・33年6月27日・33年11月7日
    〃   「鵲」 32年12月26日仏・33年6月30日・33年11月30日
三等水雷艇 「第五十三號水雷艇」 33年4月11日・33年9月28日・34年4月22日
    〃   「第五十四號水雷艇」 33年4月12日・33年10月30日・34年4月22日
    〃   「第五十五號水雷艇」 33年5月1日・33年11月21日・34年5月16日
    〃   「第五十七號水雷艇」 34年3月18日・34年8月14日・34年11月20日
    〃   「第五十八號水雷艇」 34年4月26日・34年10月16日・35年1月27日
    〃   「第五十九號水雷艇」 34年8月20日・34年12月16日・35年4月8日
一等水雷艇 「雁」 35年4月5日・36年3月14日・36年7月25日
    〃   「蒼鷹」 35年4月15日・36年3月14日・36年8月1日
二等砲艦 「宇治」 35年9月1日・35年3月14日・36年8月11日
一等水雷艇 「鴿」 35年5月22日・36年8月22日・36年10月22日
    〃   「燕」 35年7月25日・36年10月21日・36年11月24日
    〃   「雲雀」 35年7月25日・36年10月21日・37年1月10日
    〃   「雉」 35年9月2日・36年11月5日・37年1月23日
三等巡洋艦 「對馬」 34年10月1日・35年12月15日・37年2月14日
一等水雷艇 「鷺」 35年10月4日・36年12月21日・37年3月22日
    〃   「鶉」 36年1月20日37年2月29日・・37年4月22日
    〃   「鷗」 36年2月24日・37年4月30日・37年6月4日
駆逐艦 「吹雪」 37年9月29日・38年1月28日・38年2月28日
  〃  「霰」 37年10月29日・38年4月5日・38年5月10日
  〃  「潮」 38年4月12日・38年6月18日・38年7月15日
  〃  「子日」 38年6月25日・38年8月30日・38年10月1日
一等巡洋艦 「筑波」 38年1月14日・38年12月26日・40年1月14日
    〃   「生駒」 38年3月15日・39年4月9日・41年3月24日
    〃   「伊吹」 40年5月22日・40年11月21日・42年1月14日
戦艦 「安芸」 39年3月15日・40年4月15日・44年3月11日
潜水艇 「第十潜水艇」(波號第三潜水艦) 43年8月1日・44年3月4日・44年8月21日
  〃  「第十一潜水艇」(〃第四潜水艦) 43年8月1日・44年3月18日・44年8月26日
  〃  「第十二潜水艇」(〃第五潜水艦) 43年8月1日・44年3月27日・44年8月31日
戦艦 「攝津」 42年1月18日・44年3月30日・45年7月1日●20年7月24日

-大正期-
二等駆逐艦 「桂」 3年12月1日・4年3月4日・4年3月31日
戦艦 「扶桑」 45年3月11日・3年3月28日・4年11月8日●19年10月25日
運送船 「志自岐」 4年2月26日・5年3月15日・5年5月15日
二等潜水艇 「第十六潜水艇」(波号第七潜水艦) 5年1月8日・5年3月15日・大正5年11月1日
特務船 「勝力丸」 4年12月10日・5年10月5日・6年1月15日●19年9月21日
二等潜水艇 「第十七潜水艇(波号第八潜水艦) 5年1月8日・5年3月15日・6年2月2日
一等駆逐艦 「磯風」 5年4月1日・5年10月5日・6年2月28日
  〃     「天津風」 5年4月5日・6年4月24日
雑役船 「黒神丸」 5年12月5日・6年2月21日・6年4月30日◎
駆逐艦 「第三番駆逐艦」 6年月日・6年5月日・6年7月13日
 〃   「第四番駆逐艦」 6年月日・6年7月日・6年8月30日
特務艦 「剣埼」(快鳳丸) 5年6月26日・6年6月20日・6年11月30日●20年4月19日
二等駆逐艦 「桑」 6年11月5日・7年2月23日・7年3月31日
   〃    「椿」 6年11月5日・7年2月23日・7年4月30日
二等潜水艦 「第十九潜水艦(呂号第十一潜水艦) 6年4月25日・6年10月15日・8年7月31日
   〃    「第二十潜水艦(呂号第十二潜水艦) 6年4月25日・6年12月1日・8年9月18日
二等駆逐艦 「楡」(第一泊浦) 8年9月5日・8年12月22日・9年3月31日◎
   〃    「栗」 7年1月24日・9年3月19日・9年4月30日◎
三等潜水艦 「第十四潜水艦(波号第九潜水艦) 7年3月28日・7年7月8日・9年4月30日
二等潜水艦 「第二十三潜水艦(呂号第十三潜水艦) 8年4月21日・8年8月26日・9年9月30日
二等敷設艇 「似島」 9年1月15日・9年6月12日・9年10月15日◎
戦艦 「長門」 6年8月28日・8年11月9日・9年11月25日◎
二等潜水艦 「第二十二潜水艦(呂号第十四潜水艦) 7年9月14日・8年3月31日・10年2月17日
   〃    「第二十四潜水艦(呂号第十五潜水艦) 9年月12日・9年10月14日・10年6月30日
   〃    「第三十四潜水艦(呂号第十七潜水艦) 9年9月24日・10年2月24日・10年10月20日
   〃    「第三十五潜水艦(呂号第十八潜水艦) 9年10月20日・10年3月25日・10年12月25日▲
   〃    「第三十五潜水艦(呂号第十九潜水艦) 9年9月9日・9年12月28日・11年3月15日▲
   〃    「第三十七潜水艦(呂号第十六潜水艦) 9年11月18日・10年4月22日・11年4月29日
運送艦 「早鞆 11年3月14日・11年12月4日・13年5月18日◎
一等潜水艦  「第四十四潜水艦(伊号第五十一潜水艦) 10年4月6日・10年11月29日・13年6月20日
   〃    「伊号第五十二(百五十二)潜水艦」 11年2月13日・11年6月12日・14年5月20日▲

-昭和期-
一等潜水艦 「伊號第五十三(百五十三)潜水艦」 10年4月25日・13年4月1日・2年3月30日◎
航空母艦 「赤城」 9年12月6日・12年11月9日・2年3月25日●17年6月6日
一等潜水艦 「伊號第五十五(百五十五)潜水艦」 13年1月8日・14年9月2日・2年9月5日◎
一等巡洋艦 「那智」 13年11月26日・2年6月15日・3年11月28日●19年11月5日
一等潜水艦 「伊號第五十六(百五十六)潜水艦」 15年11月3日・3年3月23日・4年3月3日◎
   〃    「伊號第五十七(百五十七) 〃 」 2年7月8日・3年10月1日・4年12月24日◎
   〃    「伊號第六十四(百六十四) 〃 」 2年3月28日・4年10月5日・5年8月30日●17年5月25日
一等巡洋艦 「愛宕」 2年4月28日・5年6月16日・7年3月30日●19年10月23日
敷設艦 「八重山」 5年8月2日・6年10月15日・7年8月31日●19年9月24日
一等潜水艦 「伊號第六十五(百六十五)潜水艦」 4年12月19日・6年6月2日・7年12月1日●20年7月29日
   〃    「伊號第六十八(百六十八) 〃 」 6年6月18日・8年6月26日・9年7月31日●18年9月10日
二等巡洋艦 「最上」 6年10月7日・9年3月14日・10年7月28日●19年10月25日
二等潜水艦 「呂號第三十三潜水艦」 8年8月8日・9年10月7日・10年10月7日●17年9月1日
一等潜水艦 「伊號第七 〃 」 9年9月12日川崎・10年7月30日・12年3月31日●18年7月5日
航空母艦 「蒼龍」 9年11月20日・10年12月23日・12年12月29日●17年6月5日
水上機母艦 「千歳」 9年11月26日・11年11月29日・13年7月25日●19年10月25日
試作水中高速潜水艦 「假称第七十一號艦」 12年12月日・年月日・13年8月29日-
水上機母艦 「千代田」 11年12月14日・12年11月19日・13年12月15日●19年10月25日
潜水作業船 「公称三七四六號」 年月日・年月日・14年8月17日◎
   〃    「公称三七四七號」 年月日・年月日・14年8月17日◎
一等潜水艦 「伊號第十六潜水艦」 12年9月15日・13年7月8日・15年3月30日●19年6月25日
   〃    「伊號第十五 〃 」 13年1月25日・14年3月7日・15年9月30日●17年12月5日
   〃    「伊號第九 〃 」 13年1月25日・14年5月20日・16年2月13日●18年6月15日
   〃    「伊號第二十六 〃 」 14年6月7日・15年4月10日・16年11月6日●19年11月21日
戦艦 「大和」 12年11月4日・15年8月8日・16年12月16日●20年4月7日
水上機母艦 「日進」 13年11月2日・14年11月30日・17年2月27日●18年7月22日
一等潜水艦 「伊號第三十潜水艦」 14年6月7日・15年9月17日・17年2月28日●19年10月20日
航空母艦 「雲鷹」 13年12月14日三菱長崎・14年10月31日・17年5月31日●19年9月17日
一等潜水艦 「伊號第七十六(百七十六)潜水艦」 15年6月22日・16年6月7日・17年8月4日●19年5月16日
二等潜水艦 「呂號第百 〃 」 16年6月30日・16年12月6日・17年9月23日●18年11月25日
   〃    「呂號第百三 〃 」 16年6月30日・16年12月6日・17年10月21日●18年8月10日
航空母艦 「冲鷹」 13年5月9日三菱長崎・14年5月20日・17年11月25日●18年12月4日
二等潜水艦 「呂號第百六潜水艦」 16年12月17日・17年5月30日・17年12月26日●19年6月25日
   〃    「呂號第百七 〃 」 16年12月12日・17年5月30日・17年12月26日●18年8月1日
二等巡洋艦 「大淀」 16年2月14日・17年4月2日・18年2月28日●20年7月28日
一等潜水艦 「伊號第三十七潜水艦」 15年12月7日・16年10月22日・18年3月10日●19年12月6日
掃海艇 「第二十五號掃海艇」 17年4月8日・17年12月22日・18年4月30日●19年7月4日
一等潜水艦 「伊號第百八十一潜水艦」 16年11月11日・17年5月2日・18年5月24日●19年3月1日
掃海艇 「第二十八號掃海艇」 17年6月1日・18年3月8日・18年6月28日●19年8月29日
一等潜水艦 「伊號第四十潜水艦」 17年3月18日・17年11月10日・18年7月31日●19年2月21日
   〃    「伊號第四十一 〃 」 17年3月18日・17年11月10日・18年9月18日●19年12月2日
   〃    「伊號第四十二 〃 」 17年3月18日・17年11月10日・18年11月3日●19年4月27日
   〃    「伊號第五十二 〃 」 17年3月18日・17年1月10日・18年12月8日●19年8月2日
航空母艦 「神鷹」 9年5月3日独商船・9年12月14日・10年4月30日・18年12月15日改装●19年11月17日
一等潜水艦 「伊號第五十三潜水艦」 17年5月15日・17年12月24日・19年2月20日◎
   〃    「伊號第五十五 〃 」 17年6月15日・18年4月20日・19年4月20日●19年7月15日
   〃    「伊號第三百六十一 〃 」 18年2月16日・18年10月30日・19年5月25日●20年6月25日
一等輸送艦 「第四號輸送艦」 19年2月1日・19年3月20日・19年6月15日●19年8月4日
   〃    「第三號 〃 」 19年2月9日・19年3月20日・19年6月29日●19年9月15日
一等潜水艦 「伊號第三百六十三潜水艦」 18年5月1日・18年12月1日・19年7月8日◎
一等輸送艦 「第五號輸送艦」 19年3月22日・19年5月25日・19年8月5日●19年9月14日
   〃    「第六號 〃 」 19年3月22日・19年5月25日・19年8月19日●19年11月25日
   〃    「第九號 〃 」 19年5月28日・19年7月15日・19年9月20日◎
   〃    「第十號 〃 」 19年5月28日・19年7月15日・19年9月25日●19年11月25日
航空母艦 「葛城」 17年12月8日・19年1月19日・19年10月15日◎
一等輸送艦 「第十一號輸送艦」 19年7月18日・19年8月25日・19年11月5日●19年12月7日
   〃    「第十二號 〃 」 19年7月18日・19年8月25日・19年11月11日●19年12月12日
   〃    「第十四號 〃 」 19年8月28日・19年10月24日・19年12月18日●20年1月15日
   〃    「第十五號 〃 」 19年8月28日・19年10月24日・19年12月20日●20年1月17日
一等潜水艦 「伊號第四百潜水艦」 18年1月18日・19年1月8日・19年12月30日◎
   〃    「伊號第三百五十一 〃 」 18年5月1日・19年2月24日・20年1月28日●20年7月14日
   〃    「伊號第二百一 〃 」 19年3月1日・19年7月22日・20年2月2日◎
一等輸送艦 「第十七號輸送艦」 19年10月27日・19年12月30日・20年2月8日●20年4月2日
   〃    「第十八號 〃 」 19年10月27日・19年12月30日・20年2月12日●20年3月18日
一等潜水艦 「伊號第二百二潜水艦」 18年5月1日・19年9月2日・20年2月12日◎
一等輸送艦 「第二十號輸送艦」 20年1月4日・20年2月24日・20年4月23日◎
   〃    「第十九號 〃 」 20年1月4日・20年2月24日・20年5月16日◎
一等潜水艦 「伊號第二百三潜水艦」 19年6月1日・19年10月20日・20年5月29日◎
一等輸送艦 「第二十一號輸送艦」 20年2月27日・20年4月25日・20年7月15日●20年8月10日

-特殊兵器-
甲標的 甲型 15年4月
  〃  乙型 18年5月
  〃  丙型 18年12月
  〃  丁型(蛟龍) 19年5月
回天一型 19年7月
回天二型 19年12月
回天四型 19年12月
回天十型 20年7月
邀撃艇(∪金物) 19年7月
震洋一型 19年5月27日


主要参考文献
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉市史 第3、5、6、7、8巻』 (昭和39年~平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉海軍工廠造船部沿革誌』 (昭和56年復刻 呉海軍工廠造船部 あき書房)

『呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム常設展示図録』 (平成17年4月 ザメディアジョン)

『呉湾周辺における旧呉海軍工廠関連施設の調査研究事業』

『国土地理院空撮』 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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