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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉海軍工廠 (水雷部 ・ 魚雷實驗部)

広島県呉市に伊藤博文公をして「帝國海軍第一の製造所」と位置付けられ、ドイツのクルップ社と並び世界の「二大兵器工場」と称された呉海軍工廠がありました。

潜水艦が間近に見える場所として有名なアレイからすこじま公園付近は呉海軍工廠の水雷部が所在しました。
呉海軍工廠 60 水雷部第一発射管・第二器具工場・電気部第二検査工場 南西から(広島呉)
▲倉庫に転用された呉海軍工廠 水雷部第一発射管・第二器具工場・電気部第二検査工場

【探索日時】
平成17年10月26日、平成19年11月25日、平成29年4月4日、10月8日ほか





呉海軍工廠 概要
海軍工廠は艦船、兵器の造修、購買、実験を管掌しました。

明治19(1886)年5月4日、第二海軍區鎭守府を安芸国安芸郡呉港(現、広島県呉市)への設置が決定、10月30日、鎭守府建設が開始され、明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府開庁とともに造船部兵器部(明治33年5月20日、廃止)が発足します。

明治28(1895)年6月18日、假設呉兵器製造所が開設、水雷工場が稼働します。
明治30(1897)年5月25日、假設呉兵器製造所は呉海軍造兵廠に改称、10月8日、造船部は呉海軍造船廠に改編されます。
明治36(1903)年11月10日、呉海軍造船廠と呉海軍造兵廠は統合され呉海軍工廠に改編、造兵部が発足します。

明治37(1904)年2月10日、明治三十七八年戰役(日露戦争)勃発、呉港内の船舶増加に伴い港内の水雷発射場は危険な事から、臨時軍事費をもって龜ヶ首水雷發射場を開設します。

明治43(1910)年1月15日、造兵部は砲熕部と水雷部に分かれます。

大正8年、吉浦に水雷部計器工場を開設します。

大正12(1923)年4月1日、魚雷實驗部が発足、7月、従来の龜ヶ首水雷發射場は射線が10,000mと狭隘な事から、大入魚雷遠距離發射場を開設します。

大正15(1926)年4月1日、水雷部から電氣部が分立します。

昭和7(1932)年末、水雷部において試作酸素魚雷の陸上低速馬力試験に成功、昭和8(1933)年、魚雷實驗部において純酸素による低速陸上馬力試験に成功、世界唯一の動力素に酸素を用いた九三式魚雷(水上艦用)の開発に成功します(昭和10年、制式採用)。

昭和12(1937)年7月、九三式魚雷に対応すべく大津島發射場を開設し、8月初旬より発射試験を開始します。

昭和19(1944)年10月、回天の基地、施設整備を行う第二水雷部が発足します(昭和20年7月、廃止)。

昭和20(1945)年3月19日、6月22日、7月1日、24日、28日、米軍による空襲により呉海軍工廠は甚大な被害を受け、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月28日、呉鎭守府の全施設は内務省を通じ大蔵省に移管されます。

昭和23(1948)年1月1日、英連邦軍から呉港は返還され貿易港として開港が決定、電氣部、水雷部の一部が呉市に貸与され市営宮原倉庫が開設(昭和25年8月、呉貿易倉庫㈱設立)されます。
昭和25(1950)年6月28日、『旧軍港市転換法』が成立、昭和29(1954)年12月18日、水雷部の大半は㈱淀川製鋼所に、また各種企業に払い下げられ現在に至ります。

呉海軍工廠については前記事『呉海軍工廠 (總務部・會計部・醫務部)』を参考の事


遺構について
呉海軍工廠の第五回目、今回は呉海軍工廠の水雷部の遺構を紹介させて頂きます。
水雷部は水雷兵器、航海兵器の造修に関する事項、魚雷實驗部は魚雷関係兵器及び材料の実験に関する事を所掌しました。
呉海軍工廠 地図呉 現在地図 水雷(広島呉)
▲今回紹介の遺構配置
施設名、位置は昭和20(1945)年頃

60 第一発射管・第二器具工場
明治32(1899)年に建設され、明治37(1904)年代には大砲庫として使用、最終的に水雷部のほか電気部 第二検査工場が同居していました。
本来は現在の4倍程の奥行がありましたが、空襲により破壊されてしまい減築されています。
現在は呉貿易倉庫㈱の倉庫として使用されています(以下63まで同様)。
変な色に塗装されていますが、全面石積みの可能性があります。
呉海軍工廠 60 水雷部第一発射管・第二器具工場・電気部第二検査工場 南西から(広島呉)
▲正面全景
 
呉海軍工廠 60 水雷部第一発射管・第二器具工場・電気部第二検査工場 正面(広島呉)
▲正面中央
  非常に簡素な造りながら入口両側に石積みの装飾があります

呉海軍工廠 60 水雷部第一発射管・第二器具工場・電気部第二検査工場 窓(広島呉)
▲窓枠の石製装飾

呉海軍工廠 60 水雷部第一発射管・第二器具工場・電気部第二検査工場 南から(広島呉)
▲側面


61 建物
上記60第一発射管・第二器具工場の奥にあり、用途不明です。
呉海軍工廠 61 北東から(広島呉)
▲外壁は波板貼りで、見えにくいですが基礎は煉瓦です


62 第一電氣換装工場
コンクリート造の建物で建設年は不明です。
戦後に外壁のみ改修(構造材のみ当時物)と思っていたのですが、昭和22(1947)年の空撮では構造材も破損している事から、戦後の新築の可能性もあります。
呉海軍工廠 62 第一電気換装工場 南から(広島呉)
▲全景

呉海軍工廠 62 第一電気換装工場 壁面(広島呉)
▲古そうな窓と換気口


63 水雷仕上工場
煉瓦基礎の建物ですが、建設年は不明です。
呉海軍工廠 63 水雷仕上工場 西から(広島呉)
▲全景

呉海軍工廠 63 水雷仕上工場 基礎(広島呉)
▲煉瓦基礎


64 魚雷仕上工場
煉瓦基礎の建物ですが、建設年は不明です。
現在はIJS呉事業所の倉庫として使用されています。
両側に増築されており、正面と後端しか見えません。
呉海軍工廠 64 魚雷仕上工場(中央2)北から(広島呉)
▲正面側
  タンクの後ろにある小屋根の載った2棟が魚雷仕上工場

呉海軍工廠 64 魚雷仕上工場後端 東から(広島呉)
▲後端
  ここより先はヨドコウの敷地になってしまいます

呉海軍工廠 64 魚雷仕上工場後端 基礎(広島呉)
▲煉瓦基礎


65 魚雷機械工場
建設年は不明です。
現在は淀川製鋼所呉第二工場として使用されています。
3連の巨大な建物で、しかも総煉瓦造ですが、残念ながら白く塗装されているうえ、奥まった場所にあるためか殆ど知られていません。
呉海軍工廠 65 魚雷機械工場 北西から(広島呉)
▲正面側

呉海軍工廠 65 魚雷機械工場 北西側(広島呉)
▲正面外壁の煉瓦積

呉海軍工廠 65 魚雷機械工場 南から(広島呉)
▲後端から
  巨大さが分かります

呉海軍工廠 65 魚雷機械工場 壁面(広島呉)
▲壁面の煉瓦積


66 発射管工場
建設年は不明です。
こちらも淀川製鋼所呉第二工場として使用されています。
2連の巨大な建物で、しかも総煉瓦造ですが、同じく白く塗装されているうえ、奥まった場所にあるためか殆ど知られていません。
呉海軍工廠 66 発射管工場 北から(広島呉)
▲正面側
  上段の色が違う部分まで煉瓦積です

呉海軍工廠 66 発射管工場 南から(広島呉)
▲後端から

呉海軍工廠 66 発射管工場 南西壁面(広島呉)
▲壁面
  変な塗装が残念過ぎます!

呉海軍工廠 66 南東の用水路(広島呉)
▲65と66の後端にある石造と煉瓦の排水路


ハ 煉瓦構造物
66発射管工場の後端付近に謎の煉瓦構造物があります。
角柱を半円の構造物4ッで囲んであります。
呉海軍工廠 ハ レンガ基礎(広島呉)


ヒ 壕口
石積みを四角く開口したりますが用途不明です。
この辺りには分析山地下工場がありましたが、その壕口???
呉海軍工廠 ヒ 分析山地下工場 壕口?(広島呉)

この辺りには謎の構造物が点在しています。


67 岸壁
明治28(1895)年6月18日、海軍省は日清戦役に対応し、建設中の海軍造兵廠の計画を変更し急造の假設呉兵器製造所を開設します。
その際に築かれた岸壁です。
現在は護衛艦を間近で見られるアレイからすこじま公園として整備されています。
呉海軍工廠 67 全景(広島呉)
▲全景

呉海軍工廠 67 桟橋(広島呉)
▲桟橋

呉海軍工廠 67 桟橋 (3)(広島呉)
▲階段

公園には各種遺物が保存されています。
ワ 魚雷積込起重機
非常に有名な遺構でアレイからすこじま=起重機です。
明治34(1901)年に製造されました。
呉海軍工廠 67 魚雷積込起重機 (2)(広島呉)
▲全景

呉海軍工廠 67 魚雷積込起重機(広島呉)
▲駆動部

呉海軍工廠 67 魚雷積込起重機 (3)(広島呉)
▲ブレーカー?

係船柱(ボラード)
各種5本あったと思います。
呉海軍工廠 67 ボラード (2)(広島呉)
▲この護岸築造当初、この場所から大麗女島(奥に見える島)に水雷試射場が設置されました

呉海軍工廠 67 ボラード (3)(広島呉)

呉海軍工廠 67 ボラード (4)(広島呉)

呉海軍工廠 67 ボラード(広島呉)

大砲
形式不明の旧式砲が3本あります。
呉海軍工廠 67 大砲 (1)(広島呉)

呉海軍工廠 67 大砲 (2)(広島呉)

呉海軍工廠 67 大砲 (3)(広島呉)


68 桟橋
建設年は不明です。
呉海軍工廠 68 潜水艦桟橋(広島呉)
▲全景

呉海軍工廠 68 潜水艦桟橋 (2)(広島呉)
▲上部に遺る運搬軌条


69 潜水艦桟橋
明治24(1891)年、潜水艇から潜水艦への発展期、艤装用に建設されました。
呉海軍工廠 69 潜水艦桟橋 (2)(広島呉)
▲全景

呉海軍工廠 69 潜水艦桟橋(広島呉)
▲上部はかなり改修されています


主要参考文献
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉市史 第3、5、6、7、8巻』 (昭和39年~平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉湾周辺における旧呉海軍工廠関連施設の調査研究事業』

『国土地理院空撮』 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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No title

 かなりのお久しぶりです。枚方市の中宮平和ロード横の霧島寮
が一部解体されています。かなり残念です。おそらく大阪北部地震か台風の影響で一部壊れていたのが原因かもしれません。
 
枚方製造所関連で数少ない遺構でしたので、残念です。
北ヶ丘合同宿舎も解体されて、いま発掘して何かがでてきています。
枚方製造所の遺構だといいんですがね。

Re: No title

中宮住民 様

ご無沙汰いたしております。
ご情報、ありがとうございます。

霧島寮、元々ボロボロでしたから仕方ないとは言え滅失は残念です。
枚方製造所の住宅は殆ど知られていない事もあり、由来が知られていないまま単に「古い建物」だけで解体され消えていくのは残念です。

北ヶ丘合同宿舎跡地、遺構が出土すると良いですね!
現地説明会情報、お待ち致しておりますm(_ _)m
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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