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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉海軍工廠 工員養成所・海軍技手養成所・工廠神社

広島県呉市に所在した呉海軍工廠 本部の背後、串山に工廠神社、東麓には呉海軍工廠 工員養成所海軍技手養成所がありました。
海軍技手養成所 a 階段 北から(広島呉)
▲海軍技手養成所跡に遺るコンクリート階段

【探索日時】
平成19(2007)年11月25日、平成29(2017)年4月4日





呉海軍工廠 工員養成所 ・ 海軍技手養成所 ・ 工廠神社 概要
明治19(1886)年5月4日、第二海軍區鎭守府を安芸国安芸郡呉港(現、広島県呉市)への設置が決定、10月30日、鎭守府建設が開始され、明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府開庁とともに造船部、兵器部(明治33年5月20日、廃止)が発足します。
明治28(1895)年6月18日、假設呉兵器製造所が開設、明治30(1897)年5月25日、呉海軍造兵廠に改称、10月8日、造船部は呉海軍造船廠に改編されます。
明治36(1903)年11月10日、呉海軍造船廠と呉海軍造兵廠は統合され呉海軍工廠が発足します。
爾後、呉海軍工廠は各部門、設備を充実させ拡張していきますが、本部一帯は岩盤が強固で開発が困難な事からそのまま残されます。

大正7(1918)年10月7日、職工教習制度が規程され、11月、製鋼部付近呉海軍工廠 職工教習所(教育期間2年)が開校します。

大正9(1920)年1月23日、『呉海軍工廠造兵職工講習規程』、『呉海軍工廠造兵職工講習要領』が規程され、2月12日、砲熕部工場の一部を転用し造兵職工講習所を開校、中堅技手の養成を開始します。

大正14(1925)年4月、工廠本部裏の串山東麓に新校舎が竣工、5月1日、移転し授業を開始します。

昭和3(1928)年4月6日、横須賀海軍工廠から海軍技手養成所(慶応3年5月設立)が移転し、造兵職工講習所は閉鎖されます。

昭和15(1940)年4月5日、呉海軍工廠 職工教習所は呉海軍工廠 工員養成所に改称します。

20日、工員養成所は坪の内に移転、校舎は海軍技手養成所に移管されます。

11月10日、串山に「紀元二千六百年記念」として全額寄付金により、工廠神社(御祭神:天照大神)が建立されます。

昭和17(1942)年4月1日、海軍技手養成所は第一海軍技手養成所に改称します。

昭和19(1944)年9月11日、工員養成所校舎は女子挺身隊宿舎に転用され授業は休止、昭和20(1945)年1月、県立第二中學校(現、宮原高校)を借上げ、4月から授業再開が予定されます。

7月2日、女子挺身隊宿舎に転用されていた工員養成所校舎は焼失してしまいます。

昭和20(1945)年6月22日、7月1日夜半から2日未明、24日、28日と呉海軍工廠は空襲を受けますが第一海軍技手養成所は無傷で、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月28日、呉鎭守府の全施設は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全陸海軍用地の接収を示達、9月26日、米第6軍第10軍団先遣隊が呉海軍水上機基地に到着、呉に進駐し呉海軍工廠の一部を接収、第一海軍技手養成所は英連邦軍に引き継がれ英連邦兵器補給部兵舎に転用されます。

昭和31(1956)年11月22日、英連邦軍は撤退、全施設が大蔵省に返還され、『旧軍港市転換法』(昭和25(1950)年6月28日、成立)に基づき払い下げられ(教室4棟は民間?、大行動は呉市?)、第一海軍技手養成所は昭和30年代後半から昭和40年代中盤に、工員養成所は昭和40年代中盤から昭和50年代に、大講堂は平成初頭にそれぞれ破壊され現在に至ります。

呉海軍工廠については前記事『呉海軍工廠 (總務部・會計部・醫務部)』を参考の事

呉鎭守府 呉 現在地図(施設番号)(広島呉)
▲呉鎭守府周辺の海軍施設


遺構について

▲今回紹介の遺構配置

㉕ 呉海軍工廠 工員養成所 ・ 海軍技手養成所
教室のあった奥側2/3は建設業者の資材置場、大講堂のあった手前側1/3は市営観光用駐車場になっています。
海軍技手養成所 養成所跡 西から(広島呉)
▲現在の海軍技手養成所跡


a 階段
技手養成所唯一の遺構と言える製図室に登るコンクリート階段が遺ります。
製図室跡は近年までテニスコートがありましたが、現在は荒地になっています。
海軍技手養成所 a 階段 北から (3)(広島呉)
▲階段全景
  かなり荒れています

海軍技手養成所 a 階段 南から(広島呉)
▲上から


ス 地下壕口
駐車場の脇に遺り、壕口前に爆風避があります。
海軍技手養成所 ス 爆風除けと壕口(広島呉)
▲爆風避と壕口

海軍技手養成所 ス 壕口 (2)(広島呉)
▲フェンスの向こう側にある壕口

海軍技手養成所 ス 壕口(広島呉)
▲内部は埋まっている様です


あ 呉海軍工廠 職工教習所 見習工養成所 跡地記念碑
平成10(1998)年5月、見習工養成所同窓会により建立されました。
海軍技手養成所 あ 呉海軍工廠職工教習所 見習工養成所 跡地記念碑(広島呉)


い 海軍技手養成所跡
平成8(1996)年11月、海軍技手養成所同窓会により建立されました。
海軍技手養成所 い 海軍技手養成所跡(広島呉)


㉗ 工廠神社
昭和15(1940)年11月10日、「紀元二千六百年記念」として全額寄付金により、御祭神に天照大神を戴き建立されます。
現在、社殿は破却され基礎のみが遺ります。
8 工廠神社
海軍技手養成所 8 工廠神社社殿跡(広島呉)
▲社殿跡全景

海軍技手養成所 8 工廠神社社殿跡 (3)(広島呉)
▲平成17年訪問時

海軍技手養成所 8 工廠神社社殿跡 (2)(広島呉)
▲平成29年訪問時

海軍技手養成所 8 灯篭跡(広島呉)
▲灯籠の残骸

海軍技手養成所 8 工廠神社手水鉢(広島呉)
▲手水鉢

海軍技手養成所 8 工廠神社 石段(広島呉)
▲階段
  急過ぎてしんどい・・・


ナ 「工廠神社」社号標
海軍技手養成所 ナ 工廠神社社号標(広島呉)
▲表面

海軍技手養成所 ナ 工廠神社社号標 裏(広島呉)
▲裏面には工廠神社の由来が刻字されています

海軍技手養成所 8 工廠神社 石段 (2)(広島呉)
▲参道入口

この他、工廠神社周辺には有名な防空監視哨や串山地下工場の壕口など多数の遺構が遺されていますが、後日紹介いたします。


呉海軍工廠 工員養成所
呉海軍工廠 職工教習所は中堅職工養成を目的として中国、四国地方の高等小学校卒業生を対象として採用しました。
生徒は見習工と称され、教習修了後は技手養成所等に進みました。

大正7(1918)年11月、製鋼部付近に呉海軍工廠 職工教習所(教育期間2年)が開校します。
大正11(1922)年、入所資格が高等小学校卒業生を対象に改定されます。

大正13(1924)年、講習過程が普通科2年、高等科2年に、昭和3(1928)年、本科3年、専修科1年に、昭和5(1930)年、本科3年、補習科1年に改定されます。

昭和15(1940)年4月5日、見習科、補習科、選科、青年科が設置され、呉海軍工廠 工員養成所に改称します。

昭和19(1944)年7月14日、補習科の授業は休止され、8月1日、養成工員の採用が一時停止されます。
9月11日、校舎が女子挺身隊宿舎に転用され授業は休止、昭和20(1945)年1月、県立第二中學校(現、宮原高校)を借上げ、4月から授業再開が予定されます。
5月2日、仮校舎で補習科授業を再開、7月2日、女子挺身隊宿舎に転用されていた校舎が焼失、7月31日、見習生の卒業とともに授業は停止され、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


海軍技手養成所
海軍技手養成所は中堅技術者の確保を目的として21歳以上の者を対象に採用しました。
生徒は練習工と称され、精神、学術、実業教育を3年、必要に応じ補修科1年を受講しました。

昭和3(1928)年4月6日、海軍技手養成所(造船、造機科)が横須賀海軍工廠から呉海軍工廠に移転して来ます(28日、授業開始)。
昭和16(1941)年8月29日、第二見習職工教習所を増設、昭和17(1942)年4月1日、第一海軍技手養成所に改称、機械工作科、昭和18(1943)年4月1日、金属材料科が増設されます。
昭和19(1944)年2月14日、昭和19年度第一海軍技手養成所練習工員の採用を中止、7月13日、教育は9月末日で一時中止が決定します。
7月23日、修業中の第二学年練習工の学術技能教育を7月末日で修了し爾後、所属元に復帰させ実業教育を実施する事に決定します。
31日、第二十四期生の教育が修了し第一海軍技手養成所は事実上閉校、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


主要参考文献
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉市史 第6、8巻』 (昭和39年~平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『海軍技手養成所沿革誌』 (昭和50年 技養同窓会)

『呉海軍工廠工員養成概略史』 (平成元年 坪田孟)

『国土地理院空撮』 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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