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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

靜觀亭 ・ 山内邸

呉鎭守府の所在した広島県呉市川原石に呉鎭守府縁の海軍軍人の邸宅だった靜觀亭が遺ります。

また、鯛之宮神社麓に初代呉海軍工廠長・山内少将邸が遺ります。
靜觀亭 南から(広島呉)
▲靜觀亭 全景

【探索日時】
平成29年4月4日





遺構について
㊶ 靜觀亭 (邸)
呉鎭守府司令長官官舎とならび呉市に遺る最古の洋風建築と言われています。
明治20(1887)年、呉鎭守府建築委員副長・佐藤鎭雄大佐の着任に際し地元の名士・澤原為綱翁が川原石の所有地に和洋折衷の邸宅を建設し提供します。

洋館部は12畳、10畳の洋間、これに向き合い和館部3畳、6畳(女中部屋)、4畳半(〃)、12畳、これに台所12畳、さらに南北の廊下を挟み客間8畳半、10畳、12畳、ほか納戸、洗面所、浴室、手洗い3ヶ所があります。
現在は個人所有のため外観のみの見学になります。
靜觀亭 南西から(広島呉)
▲玄関から

靜觀亭 南東から(広島呉)
▲全景
  驚異的な保存度です

靜觀亭 南から (2)(広島呉)
▲洋館部 拡大

靜觀亭 南から (3)(広島呉)
▲和館部 拡大


㊵ 山内邸
假設呉兵器製造所長、呉海軍造兵廠長、呉海軍工廠長、呉鎭守府司令長官を歴任した山内萬壽治中将の自邸です。
山内萬寿治中将
▲山内萬壽治中将

明治35(1902)年頃、南側にあった鯛之宮神社の石段を現在地に改修、斜面を掘削して建設されました。
明治42(1909)年12月7日、中将は14年間起居した呉を離れますが、その後の邸宅の経緯は不明、現在は個人所有になっている様です。
個別記事で挙げる予定でしたが、塀が張り巡らされており屋根の写真しか無いので抱き合わせで紹介します。
山内邸 東から(広島呉)
▲辛うじて「家屋」が見える場所

山内邸 鯛ノ宮から(広島呉)
▲鯛之宮神社から
  かなり広大なのが分かります


靜観亭 概要
明治19(1886)年9月22日、東京に呉鎭守府建築委員(眞木長義中将)が発足、委員副長に佐藤鎭雄大佐が任命されます。
佐藤鎭雄大佐
▲佐藤鎭雄大佐

明治20(1887)年6月11日、呉に第二海軍區鎭守府建築事務所が開設され、10月27日、佐藤大佐が着任します。
大佐の着任に際し地元の名士・澤原為綱翁が川原石の所有地に和洋折衷の邸宅を建設し提供します。
12月2日、建築事務所は閉鎖されますが、明治22(1889)年4月1日、佐藤大佐は呉鎭守府参謀長として再び呉に赴任、明治23(1890)年5月13日、大佐は龍驤艦艦長として転出、その後は呉鎭守府造船部長(のち呉海軍造船廠長)・赤峰伍作大技監、呉鎭守府軍港部長(のち呉海軍港務部長)・三浦功少将、徳川達成造兵中佐などが入居、昭和15(1940)年1月、呉海兵團副長兼教官・大田實大佐が大家族(みどり夫人ほか3男6女)だったため官舎では手狭なため、靜觀亭を借り受けます。
大田實少将
▲大田實少将と家族

昭和20(1945)年1月20日、大田少将は第四海上護衛隊司令官兼沖縄方面根拠地隊司令官として沖縄に赴任、6月13日、豊見城村七四高地の海軍司令部壕内において米軍の重囲のなか世界戦史上不朽の名電文と言われる「沖縄縣民斯ク戰ヘリ」を遺し幕僚とともに自決します。
大田少将辞世「身ハタトヘ 沖縄ノ邊ニ朽ツルトモ 守リ遂グベシ 大和島根ハ」(6日1732、決別電)
※巷間では司令部壕に墨書された「大君の御はたのもとにししてこそ人と生れし甲斐はありけ理」が辞世と言われていますが、この詩は大田少将の愛唱歌で幕末の志士・田中河内介のものです。

大東亜戦争停戦後、遺された家族は困窮のなか艱難辛苦を耐え生活しますが、昭和22(1947)年、同じく苦境にあった所有者の澤原家が靜觀亭を売却、新所有者が大田中将の知己だったため、昭和24(1949)年4月の退去期日以降も女中部屋を間借りし生活、昭和25(1950)年3月、大田家族の苦境を知った中将の後輩・中島千尋元少将の斡旋で横浜に転居し、現在に至ります。


主要参考文献
『呉市史 第3巻』 (昭和39年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田實海軍中将一家の昭和史』 (平成6年8月 田村洋三 講談社)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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