呉軍港水道 海軍構内浄水場
広島県呉市に所在する呉市上下水道局 宮原浄水場は呉軍港水道 海軍構内浄水場を引き継いだ施設です。

▲浄水池上屋 全景
【探索日時】
平成29年4月5日
【改訂情報】
令和1年8月4日・・・遺構(境界石標)追加

<呉軍港水道 海軍構内浄水場 概要>
明治16(1883)年2月10日、海軍省は第二海軍區鎭守府を呉湾に選定、明治18(1885)年3月17日、海軍省内に呉鎭守府建築委員會が開設され、呉湾の実地、地質調査を実施し用地買収を進めます。
明治19(1886)年5月4日、第二海軍區鎭守府を安芸国安芸郡呉港(現、広島県呉市)への設置が決定、10月30日、鎭守府建設が開始、明治21(1888)年12月、水の安定供給のため、山崎鉉次郎、福岡清一郎両技師の設計により呉軍港水道の建設が着工されます。
水源は江戸末期に築造された人工灌漑用水路・二河井手(男瀧上流)に求め、構内浄水場で浄水処理し鎭守府施設に配水を計画します。
明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府が開庁、9月、呉軍港水道が竣工、明治23(1890)年4月21日、呉鎭守府の開庁式が挙行され、水道の給水を開始します。
呉軍港水道は呉鎭守府監督部(明治30年10月8日、呉海軍経理部、大正9年10月1日、呉海軍建築部、昭和18年8月18日、呉海軍施設部)が管理しました。
爾後、呉鎭守府は大東亜戦争停戦まで軍港水道の拡張と整備を実施します。
明治33(1900)年、二河井手を利用していた農家からの旱害(明治26年、明治2年7、明治30年に発災)対策の要求に呉鎭守府は補償金50,000円の支払いと取水制限で対応します。
大正7(1918)年4月1日、余剰分を呉市に配水します。
昭和9(1934)年7月、海軍施設の拡張に伴う水需用に対応すべく、応急水道として廣村の広大川伏流水の取水を計画、昭和19(1944)年、廣海軍工廠水道と一体化し起工します(停戦により未成)。
昭和16(1941)年11月、内務省工事として呉海軍建築部は太田川表流水を戸坂村付近で取水(太田川水源)、狩留賀圧送喞筒所まで送水し、吉浦配水池に揚げ鎭守府構内に送水すべく工事を着工、昭和19(1944)年3月、竣工します。
昭和20(1945)年6月22日、7月1日夜半から2日未明、24日、28日と呉海軍工廠は空襲は空襲に晒され呉軍港水道も被害を受けますが海軍構内浄水場は無傷で、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月28日、呉鎭守府の全施設は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全海軍用地の接収を示達して来ます。
9月26日、米軍が呉鎭守府に進駐し、10月2日、呉市に用水の供給を下命、6日、呉市水道の供給を開始するも、11月、さらに大量の用水の安定供給を要求して来たため、昭和21(1946)年1月15日、本庄、戸坂、石内、三坂池水源、海軍構内浄水場が呉市に貸与され、連合軍への給水を開始します。
昭和25(1950)年6月28日、『旧軍港市転換法』が成立、昭和28(1953)年2月20日、呉市へ無償譲渡され、平成10(1998)年10月9日、浄水池上屋が国登録有形文化財に登録され現在に至ります。
※呉鎭守府については前記事『呉鎭守府』を参考の事

▲遺構の位置
③ 呉鎭守府 軍法會議
⑩ 呉鎭守府 宮原官舎
㊺ 呉軍港水道 構内浄水場
施設名、位置は昭和16(1941)年頃の開戦時
※緑文字が当記事で紹介の施設
<遺構について>
㊺ 呉軍港水道 構内浄水場
停戦時、第一~第六濾過池、浄水池2基、沈澄池、着水井2基がありました。
30 浄水池上屋
有名な遺構です。

▲全景

▲南側壁面の拡大

▲南側から
手前の設備が邪魔

▲東側から
手前の設備が邪魔

▲北東から
呉市環境部環境管理課の許可を得て建物内から撮影
ロ1 境界石標
ハイジに似た謎の絵が描かれている家の角にあります。

▲コンクリートの柵柱も当時の物と思われます

▲方角、番号等の刻字は無い様です
ロ2 境界石標
入口付近に5本放置されています。
浄水場の外周にあった物と思われますが、詳細は不明です。
これを見ると呉鎭守府外周の境界石標は文字ではなく記号だった様です。

▲宮原浄水場の許可を得てこれだけ撮影させてもらいました

見学についてネットでは「その場で申し込めばできる」と言った情報もありますが、確認したところ“できません”でした。
ただ、不定期に見学会が開催されている様です。
見学については呉市水道局にご確認下さい。
<主要参考文献>
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)
『呉市史 第8巻』 (平成5年 呉市史編纂委員会 呉市役所)
『日本水道史』 (昭和42年 日本水道史編纂委員会 日本水道協会) 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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▲浄水池上屋 全景
【探索日時】
平成29年4月5日
【改訂情報】
令和1年8月4日・・・遺構(境界石標)追加


<呉軍港水道 海軍構内浄水場 概要>
明治16(1883)年2月10日、海軍省は第二海軍區鎭守府を呉湾に選定、明治18(1885)年3月17日、海軍省内に呉鎭守府建築委員會が開設され、呉湾の実地、地質調査を実施し用地買収を進めます。
明治19(1886)年5月4日、第二海軍區鎭守府を安芸国安芸郡呉港(現、広島県呉市)への設置が決定、10月30日、鎭守府建設が開始、明治21(1888)年12月、水の安定供給のため、山崎鉉次郎、福岡清一郎両技師の設計により呉軍港水道の建設が着工されます。
水源は江戸末期に築造された人工灌漑用水路・二河井手(男瀧上流)に求め、構内浄水場で浄水処理し鎭守府施設に配水を計画します。
明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府が開庁、9月、呉軍港水道が竣工、明治23(1890)年4月21日、呉鎭守府の開庁式が挙行され、水道の給水を開始します。
呉軍港水道は呉鎭守府監督部(明治30年10月8日、呉海軍経理部、大正9年10月1日、呉海軍建築部、昭和18年8月18日、呉海軍施設部)が管理しました。
爾後、呉鎭守府は大東亜戦争停戦まで軍港水道の拡張と整備を実施します。
明治33(1900)年、二河井手を利用していた農家からの旱害(明治26年、明治2年7、明治30年に発災)対策の要求に呉鎭守府は補償金50,000円の支払いと取水制限で対応します。
大正7(1918)年4月1日、余剰分を呉市に配水します。
昭和9(1934)年7月、海軍施設の拡張に伴う水需用に対応すべく、応急水道として廣村の広大川伏流水の取水を計画、昭和19(1944)年、廣海軍工廠水道と一体化し起工します(停戦により未成)。
昭和16(1941)年11月、内務省工事として呉海軍建築部は太田川表流水を戸坂村付近で取水(太田川水源)、狩留賀圧送喞筒所まで送水し、吉浦配水池に揚げ鎭守府構内に送水すべく工事を着工、昭和19(1944)年3月、竣工します。
昭和20(1945)年6月22日、7月1日夜半から2日未明、24日、28日と呉海軍工廠は空襲は空襲に晒され呉軍港水道も被害を受けますが海軍構内浄水場は無傷で、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月28日、呉鎭守府の全施設は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全海軍用地の接収を示達して来ます。
9月26日、米軍が呉鎭守府に進駐し、10月2日、呉市に用水の供給を下命、6日、呉市水道の供給を開始するも、11月、さらに大量の用水の安定供給を要求して来たため、昭和21(1946)年1月15日、本庄、戸坂、石内、三坂池水源、海軍構内浄水場が呉市に貸与され、連合軍への給水を開始します。
昭和25(1950)年6月28日、『旧軍港市転換法』が成立、昭和28(1953)年2月20日、呉市へ無償譲渡され、平成10(1998)年10月9日、浄水池上屋が国登録有形文化財に登録され現在に至ります。
※呉鎭守府については前記事『呉鎭守府』を参考の事

▲遺構の位置
③ 呉鎭守府 軍法會議
⑩ 呉鎭守府 宮原官舎
㊺ 呉軍港水道 構内浄水場
施設名、位置は昭和16(1941)年頃の開戦時
※緑文字が当記事で紹介の施設
<遺構について>
㊺ 呉軍港水道 構内浄水場
停戦時、第一~第六濾過池、浄水池2基、沈澄池、着水井2基がありました。
30 浄水池上屋
有名な遺構です。

▲全景

▲南側壁面の拡大

▲南側から
手前の設備が邪魔

▲東側から
手前の設備が邪魔

▲北東から
呉市環境部環境管理課の許可を得て建物内から撮影
ロ1 境界石標
ハイジに似た謎の絵が描かれている家の角にあります。

▲コンクリートの柵柱も当時の物と思われます

▲方角、番号等の刻字は無い様です
ロ2 境界石標
入口付近に5本放置されています。
浄水場の外周にあった物と思われますが、詳細は不明です。
これを見ると呉鎭守府外周の境界石標は文字ではなく記号だった様です。

▲宮原浄水場の許可を得てこれだけ撮影させてもらいました

見学についてネットでは「その場で申し込めばできる」と言った情報もありますが、確認したところ“できません”でした。
ただ、不定期に見学会が開催されている様です。
見学については呉市水道局にご確認下さい。
<主要参考文献>
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)
『呉市史 第8巻』 (平成5年 呉市史編纂委員会 呉市役所)
『日本水道史』 (昭和42年 日本水道史編纂委員会 日本水道協会) 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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