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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場

広島県呉市阿賀南に呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場がありました。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 オ 魚雷試発射場並通路突堤(基礎のみ) 西から(広島呉)
▲㈱日新工機 阿賀工場、日新総合建材㈱ 呉工場内に遺る魚雷試発射場並通路突堤

【探索日時】
平成29年4月7日





呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 概要
明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府開庁とともに造船部が発足、明治28(1895)年6月18日、假設呉兵器製造所が開設、水雷工場が稼働します。
明治30(1897)年5月25日、假設呉兵器製造所は呉海軍造兵廠に改称、10月8日、造船部は呉海軍造船廠に改編されます。
明治36(1903)年11月10日、呉海軍造船廠と呉海軍造兵廠は統合され呉海軍工廠に改編、造兵部が発足します。

明治37(1904)年2月10日、明治三十七八年戰役(日露戦争)勃発、呉港内の船舶増加に伴い港内の水雷發射場は危険な事から、臨時軍事費をもって倉橋島に龜ヶ首水雷發射場を開設します。

明治43(1910)年1月15日、造兵部は砲熕部と水雷部に分離します。

大正4(1915)年10月、呉鎭守府は現用の四四式魚雷の最大射程が7,000mに対し試製中の魚雷(六年式魚雷)の最大射程が15,000mになる事から、広島県賀茂郡阿賀町大入(だいにゅう)の海岸に発射場の新設を決定します。
しかし、工事人夫の経費高騰、軟弱な地盤に既設建屋が破損するなど再工事のため費用が不足(最終的に倍額)、大正12(1923)年7月、呉海軍工廠 水雷部管下に大入魚雷遠距離發射場が竣工、六年式魚雷の試射(合格した魚雷は再び呉海軍工廠に還送し呉海軍軍需部に納品)を開始します。

大正8(1919)年3月、呉海軍工廠は八年式二號魚雷を試作、佐世保海軍工廠試作の同一號魚雷と競作となり川棚において試射のため船で輸送中に一號魚雷は針尾付近で遭難してしまい、試射に間に合わず二號魚雷が採用されます。

昭和4(1929)年、八九式魚雷、昭和5(1930)年、九〇式魚雷、昭和6(1931)年、九一式魚雷(航空用)、昭和7(1932)年、九二式魚雷(水上艦用:電池)、そして昭和8(1933)年、世界唯一の動力素に酸素を用いた九三式魚雷(水上艦用)、次いで昭和10(1935)年、同じく動力素に酸素を用いた九五式魚雷(潜水艦用)、昭和12(1937)年、同じく九七式魚雷(甲標的用)が試作、制式採用され、試射を実施します。
昭和12(1937)年7月、大射線を備えた大津島發射場が開設され、8月初旬より試射を開始します。
昭和19(1944)年9月1日、大津島發射場に第一特別基地隊(回天の訓練部隊)が移転したため、再び主要な試射は大入で実施します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、8月28日、大入魚雷遠距離發射場は内務省を通じ大蔵省に移管されます。

昭和25(1950)年6月28日、『旧軍港市転換法』が成立、昭和26(1951)年12月11日、大入の工員宿舎が大冠中学校用地として呉市に無償譲渡されます。
發射場も『軍転法』により払い下げられたと思いますが資料に記載がなく経緯は不明、現在は㈱日新工機 阿賀工場、日新総合建材㈱ 呉工場になっています。

呉海軍工廠については前記事『呉海軍工廠 (總務部・會計部・醫務部)』を参考の事


遺構について
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場
遺構は全て社有地内に遺りますが、全て外周から見学可能です。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 大入(広島呉)
▲遺構の配置

ア 魚雷納庫準備場
東側に増築、外壁も改修されていますが、基礎は煉瓦積みだそうです。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 ア魚雷納庫準備場(右)・イ汽罐場(左)(広島呉)
▲奥の青い建物がア、手前の建物が下記イ


イ 汽罐場
道路際に遺ります。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 イ 汽罐場 北西から(広島呉)
▲敷地は一段低くなっています

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 イ 汽罐場 躯体の煉瓦(広島呉)
▲煉瓦躯体のモルタル仕上げ

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 イ 汽罐場 碍子(広島呉)
▲切妻にある碍子


ウ 門
コンクリートの門柱で現在も使用されています。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 ウ 門 北から(広島呉)

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 ウ 門 西側(広島呉)
▲西側

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 ウ 門 東側(広島呉)
▲東側
  塀の跡が遺ります


エ 第一門 ・ 塀
片方の門柱(西側)のみ遺り、現在は使用されておらず塀に組み込まれています。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 エ 第一門(広島呉)

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 エ 第一門と塀(広島呉)
▲門柱に続きコンクリート塀が遺ります


オ 魚雷試發射場並通路突堤
有名な遺構です。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 オ 魚雷試発射場並通路突堤(基礎のみ) 西から (3)(広島呉)
▲全景
  試射の際はここから試験頭部を付けた魚雷の入った発射筐を卸し試射しました

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 オ 魚雷試発射場並通路突堤 東から(広島呉)
▲魚雷試發射場 東から

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 オ 魚雷試発射場並通路突堤 北から(広島呉)
▲魚雷試發射場 敷地から
  写真左側に伸びるはずの突堤は沈んでいます

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 オ 魚雷試発射場並通路突堤(基礎のみ) 西から(広島呉)
▲魚雷試發射場 敷地から
  写真右側に出っ張っている突堤が遺ります

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 オ 魚雷試発射場並通路突堤(基礎のみ) 北西から(広島呉)
▲通路の基礎
  上部の橋は戦後のものです


カ 揚収装置基礎
本来はこの上にガントリークレーンがあり、呉海軍工廠から機帆船で運ばれて来た魚雷をここから挙げ、調整、試射後、再びここから呉海軍工廠に還送しました。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 カ 揚収装置基礎(広島呉)
▲2基遺ります

呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 カ 揚収装置基礎 西側(広島呉)
▲上部にボルトが遺ります
  防波堤の上に登るのはNGのため、この角度に


キ 突堤
現在も使用されています。
呉海軍工廠 大入魚雷遠距離發射場 キ 突堤(広島呉)

最後にお忙しいところ見学の許可と御案内をして頂きました、㈱日新工機 阿賀工場の従業員様にこの場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました!



主要参考文献
『呉市史 第3、8巻』 (昭和39年、平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『大正七年 公文備考 巻百七 土木十七』

『大正十二年 公文備考 巻百三十二 土木』

『大正十三年 公文備考 巻百二十八 地理及水路』

『国土地理院空撮』 呉鎮守府 艦隊これくしょん 艦これ この世界の片隅に
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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