廣海軍工廠 ・ 第十一海軍航空廠 地下工場(閉鎖・崩落壕編)
呉市広に所在した廣海軍工廠、及び第十一海軍航空廠周辺には地下工場が設営されていました。

▲墓地に遺る地下工場跡
【探索日時】
平成29年4月6日、7日

<廣海軍工廠 ・ 第十一海軍航空廠 地下工場 概要>
大正10(1921)年1月15日、当初は『八八艦隊計畫』に向けた海軍造機廠(機関の研究・製造)として計画されるも、発展著しい航空機製造部門の併設に計画変更された呉海軍工廠 廣支廠が開廠します。
大正12(1923)年3月24日、航空機生産体制の拡充を計るべく廣支廠は廣海軍工廠として独立、海軍最大の航空機試作工廠に位置付けられ、主に飛行艇、及び発動機の開発、製造を行います。
昭和16(1941)10月1日、廣海軍工廠 航空機部を改編し、廣海軍工廠に第十一海軍航空廠が併設されます。
昭和19(1944)年3月、敵の本土空襲が迫る中、両廠は分散疎開計画を立案、12月頃から生産工場の分散疎開を開始します。
昭和20(1945)年3月19日、5月5日、7月2日、米軍による空襲により甚大な被害を受け、6月1日、急迫する戦局に航空機増産を最優先とすべく廣海軍工廠は第十一海軍航空廠に吸収合併され閉廠、疎開工場、地下工場で生産を続行するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月28日、第十一海軍航空廠の全施設は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全陸海軍用地の接収及び、9月2日、十一空廠の生産設備の現状保管を示達して来ますが、復員が開始され管理者不在の地下工場等から工作機械の盗難が相次ぎます。
26日、米第6軍第10軍団先遣隊が呉海軍水上機基地に到着、第十一海軍航空廠、及び付帯施設の大半を接収します(10月7日、米第41歩兵師団が進駐し本格的に占領開始、昭和21年3月7日、英連邦軍に交代)。
10月31日、第十一海軍航空廠は閉廠、地下工場は借地だった様で地権者に返還され放置されます。
※『廣海軍工廠 ・ 第十一海軍航空廠』については前記事参照
<遺構について>
第十一海軍航空廠の地下工場は敷地東側の螺山(つぶやま)、南側の黄幡山斜面に小規模な物が多数設営されましたが、現在はその殆どが開発で滅失、または閉鎖、崩落しています。
今回は閉鎖、及び崩落している地下工場(隧道)をまとめて紹介します。
なお、地下工場の名称については『第十一海軍航空廠 引渡目録』所収の「廣地区施設位置圖」を参照にしていますが、図面と現状のズレがあり、適当に比定している間違っている可能性があります。

▲隧道の位置
数字は行ったり来たりしたのでバラバラです。
a 第二變電所隧道
20 壕口
墓地に上がる通路の下にあります。

21 壕口
空地の奥にあります。

b 不明地下壕
※次記事で紹介します。
c 名田(なだ)第一隧道
全ての壕口が民家の敷地内にあり、許可を得て見学させて頂きました。
『目録』では「目」型をしていますが、住民の方の話では23と24、25と26がコ型に繋がっているだけとの事です。
23 壕口
本体側面に開口しています。

24 壕口
下記25(右)壕口と並んでいます。

25 壕口
両方とも3m程で閉鎖されています。

26 壕口
家屋の裏にあります。

d 名田第三隧道
住宅敷地内に遺っている可能性がありますが、住民が不在で探索できませんでした。
e・ f 名田第二隧道
27 壕口
駐車場の物置裏に遺ります。

g・h・ i 名田第二隧道
開発により滅失したと思われます。
28 壕口
『目録』に記載が無く、名称は不明です。
駐車場奥にあります。

j 第三門前隧道
※次記事で紹介します。
32 壕口
『目録』に記載が無く、名称は不明です。

k 名田螺山隧道
※次記事で紹介します。
l 第一變電場隧道
34 壕口

35 壕口

36 壕口

37 壕口

m 隧道
38 壕口
『目録』に記載が無く、名称は不明です。
斜面を上った墓地脇に遺り、物置に使われていた様ですが、5m程で崩落しています。

▲内部から入口方向

▲内部

▲内部
39 壕口
『目録』に記載が無く、名称、形状ともに不明です。

40 壕口?
同上

41 壕口
同上

42 壕口?
同上

n 第五號隧道
43 壕口

44 機銃掃射跡

45 壕口

46 壕口?
草に埋もれていますが、位置的にココと思います。

47 壕口

48 壕口

49 壕口

o 第六號隧道
50 壕口

51 壕口

52 第二車庫
崩落しています。

▲全景

▲コンクリート巻立て前端部は崩壊しています
53 第三車庫
崩落しています。

▲全景

▲内部
この南側には同規格の第四車庫がありましたが、宅地開発により滅失している様です。
54 第十六號隧道

55 第十六號隧道
落石防止網が張られていますが、内部は遺っている様です。


▲内部
56 第十七號隧道
内部は雑草やゴミが詰まり見通せません。

57 第十七號隧道
同じく内部は雑草やゴミが詰まっていますが、内部は遺っている様です。


▲内部
65 第十七號隧道
車庫に転用され、5m程で閉鎖されています。

この南側には同規格の壕があった様ですが痕跡すらありませんでした。
p 第二十四號隧道
住宅地にあり探索できませんでしたが、擁壁で埋められていると思われます。
q 第二十三號隧道
※次記事で紹介します。
r 第二十二號壕隧道
62 壕口

63 壕口?
米軍施設内に崩落跡の様な場所が見えます。

以下、米軍施設内に遺ります。
s 71 第一號隧道
現在も使用されている様です。

t 第二號隧道
70 壕口?
桜の後ろに窪みが見え・・・・ます?

72 第二號隧道(左) ・ u73 第十五號隧道(右)
並んで開口しており、こちらも使用されている様です。

v 第三號隧道
樹木が繁茂しており見えません。
w 第四號隧道
同上。
x 第十號隧道
同上。
y 第十一號隧道
同上。
z 第十三號隧道
同上。
<主要参考文献>
『第十一海軍航空廠 引渡目録』「廣地区施設位置圖」
最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
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▲墓地に遺る地下工場跡
【探索日時】
平成29年4月6日、7日


<廣海軍工廠 ・ 第十一海軍航空廠 地下工場 概要>
大正10(1921)年1月15日、当初は『八八艦隊計畫』に向けた海軍造機廠(機関の研究・製造)として計画されるも、発展著しい航空機製造部門の併設に計画変更された呉海軍工廠 廣支廠が開廠します。
大正12(1923)年3月24日、航空機生産体制の拡充を計るべく廣支廠は廣海軍工廠として独立、海軍最大の航空機試作工廠に位置付けられ、主に飛行艇、及び発動機の開発、製造を行います。
昭和16(1941)10月1日、廣海軍工廠 航空機部を改編し、廣海軍工廠に第十一海軍航空廠が併設されます。
昭和19(1944)年3月、敵の本土空襲が迫る中、両廠は分散疎開計画を立案、12月頃から生産工場の分散疎開を開始します。
昭和20(1945)年3月19日、5月5日、7月2日、米軍による空襲により甚大な被害を受け、6月1日、急迫する戦局に航空機増産を最優先とすべく廣海軍工廠は第十一海軍航空廠に吸収合併され閉廠、疎開工場、地下工場で生産を続行するなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
8月28日、第十一海軍航空廠の全施設は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全陸海軍用地の接収及び、9月2日、十一空廠の生産設備の現状保管を示達して来ますが、復員が開始され管理者不在の地下工場等から工作機械の盗難が相次ぎます。
26日、米第6軍第10軍団先遣隊が呉海軍水上機基地に到着、第十一海軍航空廠、及び付帯施設の大半を接収します(10月7日、米第41歩兵師団が進駐し本格的に占領開始、昭和21年3月7日、英連邦軍に交代)。
10月31日、第十一海軍航空廠は閉廠、地下工場は借地だった様で地権者に返還され放置されます。
※『廣海軍工廠 ・ 第十一海軍航空廠』については前記事参照
<遺構について>
第十一海軍航空廠の地下工場は敷地東側の螺山(つぶやま)、南側の黄幡山斜面に小規模な物が多数設営されましたが、現在はその殆どが開発で滅失、または閉鎖、崩落しています。
今回は閉鎖、及び崩落している地下工場(隧道)をまとめて紹介します。
なお、地下工場の名称については『第十一海軍航空廠 引渡目録』所収の「廣地区施設位置圖」を参照にしていますが、図面と現状のズレがあり、適当に比定している間違っている可能性があります。

▲隧道の位置
数字は行ったり来たりしたのでバラバラです。
a 第二變電所隧道
20 壕口
墓地に上がる通路の下にあります。

21 壕口
空地の奥にあります。

b 不明地下壕
※次記事で紹介します。
c 名田(なだ)第一隧道
全ての壕口が民家の敷地内にあり、許可を得て見学させて頂きました。
『目録』では「目」型をしていますが、住民の方の話では23と24、25と26がコ型に繋がっているだけとの事です。
23 壕口
本体側面に開口しています。

24 壕口
下記25(右)壕口と並んでいます。

25 壕口
両方とも3m程で閉鎖されています。

26 壕口
家屋の裏にあります。

d 名田第三隧道
住宅敷地内に遺っている可能性がありますが、住民が不在で探索できませんでした。
e・ f 名田第二隧道
27 壕口
駐車場の物置裏に遺ります。

g・h・ i 名田第二隧道
開発により滅失したと思われます。
28 壕口
『目録』に記載が無く、名称は不明です。
駐車場奥にあります。

j 第三門前隧道
※次記事で紹介します。
32 壕口
『目録』に記載が無く、名称は不明です。

k 名田螺山隧道
※次記事で紹介します。
l 第一變電場隧道
34 壕口

35 壕口

36 壕口

37 壕口

m 隧道
38 壕口
『目録』に記載が無く、名称は不明です。
斜面を上った墓地脇に遺り、物置に使われていた様ですが、5m程で崩落しています。

▲内部から入口方向

▲内部

▲内部
39 壕口
『目録』に記載が無く、名称、形状ともに不明です。

40 壕口?
同上

41 壕口
同上

42 壕口?
同上

n 第五號隧道
43 壕口

44 機銃掃射跡

45 壕口

46 壕口?
草に埋もれていますが、位置的にココと思います。

47 壕口

48 壕口

49 壕口

o 第六號隧道
50 壕口

51 壕口

52 第二車庫
崩落しています。

▲全景

▲コンクリート巻立て前端部は崩壊しています
53 第三車庫
崩落しています。

▲全景

▲内部
この南側には同規格の第四車庫がありましたが、宅地開発により滅失している様です。
54 第十六號隧道

55 第十六號隧道
落石防止網が張られていますが、内部は遺っている様です。


▲内部
56 第十七號隧道
内部は雑草やゴミが詰まり見通せません。

57 第十七號隧道
同じく内部は雑草やゴミが詰まっていますが、内部は遺っている様です。


▲内部
65 第十七號隧道
車庫に転用され、5m程で閉鎖されています。

この南側には同規格の壕があった様ですが痕跡すらありませんでした。
p 第二十四號隧道
住宅地にあり探索できませんでしたが、擁壁で埋められていると思われます。
q 第二十三號隧道
※次記事で紹介します。
r 第二十二號壕隧道
62 壕口

63 壕口?
米軍施設内に崩落跡の様な場所が見えます。

以下、米軍施設内に遺ります。
s 71 第一號隧道
現在も使用されている様です。

t 第二號隧道
70 壕口?
桜の後ろに窪みが見え・・・・ます?

72 第二號隧道(左) ・ u73 第十五號隧道(右)
並んで開口しており、こちらも使用されている様です。

v 第三號隧道
樹木が繁茂しており見えません。
w 第四號隧道
同上。
x 第十號隧道
同上。
y 第十一號隧道
同上。
z 第十三號隧道
同上。
<主要参考文献>
『第十一海軍航空廠 引渡目録』「廣地区施設位置圖」
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