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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

廣海軍工廠 官舎

呉市広弁天橋町に廣海軍工廠 官舎がありました。
当官舎はのちに第十一海軍航空廠 官舎になります。
廣海軍工廠第十一海軍航空廠 タ 長官舎(甲一號) 門柱(広島呉広)
▲女性保護施設に転用されている廣海軍工廠長 官舎(甲一號官舎)

【探索日時】
平成29年4月7日





廣海軍工廠 官舎 概要
明治40(1907)年4月4日、元帥府會議において所謂「八八艦隊計画」構想が提起され、大正6(1917)年7月14日、まず『八四艦隊計畫』の予算が可決、海軍省は大規模な艦船建造計画に対応すべく、艦船用諸機関を専門に研究・製造する海軍造機廠設立を立案します。

大正7(1918)年、海軍造機廠設立準備委員會が発足、造機廠用地として呉海軍工廠の能力を利用でき、埋め立てによる用地確保が容易、水力発電の利便があり、従業員獲得に便がある広島県賀茂郡廣村津久茂を選定します。
5月8日、呉鎭守府は岩西建造・廣村長の協力のもと用地買収、漁業権保証交渉を開始します。
7月2日、委員会は「造機廠建築物配置計畫」を完成させますが、海軍省は新設工廠に発展著しい航空機製造部門の併設を決定、造機廠新設を中止し呉海軍工廠 廣支廠の新設に計画を変更、委員會は呉海軍工廠 廣支廠設立準備委員會に改組します。

大正8(1919)年7月19日、おおよその用地買収が完了し廣支廠を起工、大正10(1921)年1月15日、呉海軍工廠 廣支廠が開廠します。
廣支廠は40棟の官舎を計画しましたが、開廠時は6棟が完成しているだけでした。

大正12(1923)年3月24日、航空機生産体制の拡充を計るべく廣支廠は廣海軍工廠として独立、海軍最大の航空機試作工廠に位置付けられ、主に飛行艇、及び発動機の開発、製造を行います。

昭和16(1941)10月1日、廣海軍工廠 航空機部を改編し、廣海軍工廠に第十一海軍航空廠が併設され、古新開に官舎が建設されます。

昭和20(1945)年6月1日、急迫する戦局に航空機増産を最優先とすべく廣海軍工廠は第十一海軍航空廠に吸収合併され閉廠、廣海軍工廠 官舎が第十一海軍航空廠 官舎として指定され、旧第十一海軍航空廠は軍属、来廠者の宿舎に指定されます。

8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、28日、官舎は内務省を通じ大蔵省に移管されます。

9月26日、米第6軍第10軍団先遣隊が呉海軍水上機基地に到着、第十一海軍航空廠、及び付帯施設の大半を接収します(10月7日、米第41歩兵師団が進駐し本格的に占領開始、昭和21年3月7日、英連邦軍に交代)が、官舎は接収地区から外れます。

その後の経緯は参考文献の転用一覧表に記載が無く不明ですが、『旧軍港市転換法』(昭和25年6月28日、公布)に基づき住宅地として払い下げられた様です。

※『廣海軍工廠 ・ 第十一海軍航空廠』については前記事参照


遺構について
⑤ 廣海軍工廠 官舎
戸建ての甲號2棟、乙號9棟、丙號14棟、2戸1棟の丁號38戸(全て四號は欠)19棟、集会場などがありました。
現在、官舎の殆どが建て替えられていますが、廣海軍工廠長 官舎(甲一號官舎)を始め、数棟が遺ります。
廣海軍工廠第十一海軍航空廠 十一空廠 現在全て(広島呉広)
▲残存官舎配置

タ 甲一號 官舎
大正11(1922)年に建設され呉海軍航空廠 廣支廠長、廣海軍工廠長、第十一海軍航空廠長 官舎として使用されました。
昭和33(1958)年3月、社会福祉法人慈愛会に払い下げられ、「呉慈愛寮」として転用されます。
空撮で判断する限り正面の洋館部、玄関車寄せ付近のみが原型を留め、和館部は入母屋、台所を撤去し切妻に減築、北側は増築するなど大幅に改造されている様です。
残念ながら施設の性格上、見学不可のため、外周からの見学になります。
廣海軍工廠第十一海軍航空廠 タ 長官舎(甲一號) 西から(広島呉広)
▲正面側全景

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 タ 長官舎(甲一號) 南西から(広島呉広)
▲洋館部近影

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 タ 長官舎(甲一號) 北西から (1)(広島呉広)
▲反対側から

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 タ 長官舎(甲一號) 基礎(広島呉広)
▲煉瓦積みの洋館部基礎

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 タ 長官舎(甲一號) 玄関部(広島呉広)
▲玄関車寄せ

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 タ 長官舎(甲一號) 南東から (3)(広島呉広)
▲和館部
  外壁は下見板張りだったと思われますが、改修されています

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 タ 長官舎(甲一號) 門柱(広島呉広)
▲門柱も当時の物の様です


チ 丙三号 官舎
現在は民家に転用されています。
辛うじて形状を留めていますが、外壁、屋根ともに改修され、西側は増築されています。
廣海軍工廠第十一海軍航空廠 チ 丙三号 南東から(広島呉広)
▲正面側

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 チ 丙三号 北東から (2)(広島呉広)
▲裏側

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 チ 丙三号 玄関(広島呉広)
▲裏側にある玄関付近


ツ 丙十四號 官舎
現在は民家に転用されています。
上記ツより状態は良く、形状を留めていますが、外壁、屋根ともに改修されています。
廣海軍工廠第十一海軍航空廠 ツ 丙十四號 北西から (1)(広島呉広)
▲側面
  全面に生垣があり見通せません

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 ツ 丙十四號 南西から(広島呉広)
▲正面側


テ 丁三十一號 官舎
元々2戸1棟だった官舎のうち右側だけが遺ります。
現在は民家に転用されています。
正面側に木製の窓枠、戸袋、明り取り窓が遺るなど、状態は良い方です。
廣海軍工廠第十一海軍航空廠 テ 丁三十一號 南から(広島呉広)
▲正面側
  本来は左側に同規格の建物が付きます

廣海軍工廠第十一海軍航空廠 テ 丁三十一號 北から (3)(広島呉広)
▲裏側
  2階建てが増築されています


主要参考文献
『第十一海軍航空廠 引渡目録』

『広島県史年表』 (昭和59年3月 広島県) この世界の片隅に
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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