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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫

大和ミュージアムの所在する呉市宝町に第十一海軍航空廠 補給部呉地區倉庫がありました。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 1(左)・3(右) 北西から(広島呉広)
▲バブコック日立㈱呉工場内に遺る第一倉庫(奥)と第三倉庫(手前)

【探索日時】
平成29年4月4日





遺構について
㉛ 第十一海軍航空廠 補給部呉地區倉庫
明治16(1883)年2月10日、海軍省は第二海軍區鎭守府を呉湾に選定、用地を買収するとともに鎭守府建設工事を進め、明治22(1889)年7月1日、呉鎭守府が開庁します。

海軍省は文政新開を買収したものの長らく無用途のまま残置していましたが、明治27(1894)年、造成を開始し、船渠、舟艇係留池、石炭庫(のち重油槽)が設置されたのち、大正11(1922)年7月1日、呉海軍軍需部本部、及び倉庫が置かれます。

大正10(1921)年1月15日、広村に呉海軍工廠 廣支廠が開廠、廣支廠は元々造機廠として計画され、また海軍最大の建艦能力を持つ呉海軍工廠の能力を利用する事を前提に建設されるなど、呉海軍工廠と密接な関係にありました。

大正12(1923)年3月24日、航空機生産体制の拡充を計るべく廣支廠は廣海軍工廠として独立、海軍最大の航空機試作工廠に位置付けられ、主に飛行艇、及び発動機の開発、製造を行い、昭和16(1941)10月1日、廣海軍工廠 航空機部を改編し第十一海軍航空廠が併設され器材部が設置され兵器材料の調達、保管を管掌します。

昭和18(1943)年4月1日、器材部は補給部に改称、昭和20(1945)年6月1日、急迫する戦局に航空機増産を最優先とすべく廣海軍工廠は第十一海軍航空廠に吸収合併され閉廠します。

補給部倉庫が何時頃設置されたか不明ですが、建物の感じから廣支廠が廣海軍工廠として呉海軍工廠から独立、生産設備の拡張が図られた昭和初期から昭和10年代頃と思われます。

昭和20(1945)年3月19日、6月22日、7月1日、24日、28日と呉鎭守府は米軍による空襲を受け第十一海軍航空廠 補給部倉庫も光学兵器格納庫が大破、第一倉庫が中破しますが、その他の設備に損傷は無く、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、補給部倉庫は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全海軍用地の接収を示達して来ます。
9月26日、米軍が呉鎭守府に進駐、第十一海軍航空廠 補給部倉庫は隣接する呉海軍軍需部 第二區とともに接収されます。
昭和21(1946)年3月7日、米軍は英連邦軍と交代、補給部倉庫は接収区域から外れ大蔵省に返還され、『旧軍港市転換法』(昭和25年6月28日、公布)に基づき昭和34(1959)年11月、呉市の誘致により㈱日立製作所日立工場呉分工場(昭和38年10月5日、バブコック日立㈱呉工場として独立)に払い下げられ現在に至ります。

ネット上では何故かこの辺り一帯を呉海軍港務部としている情報がありますが、明確な誤りです。
また、戦後の建屋を遺構とする情報もある様で注意が必要です。

現存建物は全てバブコック日立㈱呉工場内に遺り、全て外周から見学可能です。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 地図呉 現在地図 空廠(広島呉広)
▲遺構の配置
㉛ 第十一海軍航空廠 補給部呉地區倉庫
⑤ 呉海軍軍需部本部
⑧ 呉海軍港務部

ア 正門
現在は使用されておらず塀の一部になっています。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 ア 門 北西から(広島呉広)


1 第一倉庫
空襲により中破しますが戦後改修され、現在も使用されています。
非常に巨大な建物で特徴的な形をしており目立ちます。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 1 第一倉庫 南西から(広島呉広)
▲かもめ橋から

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 1(左)・3(右) 北西から(広島呉広)
▲二河川対岸から見た全景
  手前の2連の建屋が下記の3第三倉庫

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 1 第一倉庫 北西から(広島呉広)
▲近影

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 1 第一倉庫 南から(広島呉広)
▲海上からも目立ちます


2 飛行機荷造場・航空兵器積卸場
当時はこの内部に呉駅から分岐した側線が敷かれていました。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 2 飛行機荷造場・航空兵器積卸場 北東から(広島呉広)


3 第三倉庫
非常に長い建屋で北側は一段高くなっています。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 1(奥)・3(手前) 南西から(広島呉広)
▲かもめ橋から見た全景
  手前の横長の建屋が3第三倉庫、奥の背の高い建屋が上記1第一倉庫

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 3 第三倉庫 南西から(広島呉広)
▲近影
  建物が建て込んでおり余り見通せません

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 3 第三倉庫北側高い建屋 南西から(広島呉広)
▲北側の一段高い部分

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 3 第三倉庫 北から(広島呉広)
▲北側から


4 第二倉庫
航空廠関係で良く見る建屋形状です。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 4 第二倉庫 南西から(広島呉広)


5 通常物品検査場・守衛詰所
2連の建屋です。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 5 通常物品検査場・守衛詰所 北西から(広島呉広)
▲二河川対岸から
  屋根しか見えません

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 5 通常物品検査場・守衛詰所 北から(広島呉広)
▲近影
  窓に当時の面影が遺ります


イ 滑走台
広島大学生物生産学部附属練習船基地内にあり、許可を得て見学させてもらいました。
コンクリート敷の滑走台で水に浸かっている部分に3列の石敷き(1列崩壊)があります。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 イ 滑走台 東から (2)(広島呉広)
▲側面から見た全景

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 イ 滑走台 東から(広島呉広)
▲表面のコンクリート敷

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 イ 滑走台 南西から(広島呉広)
▲全景
  石敷きの部分が良く分かります

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 イ 滑走台 西から(広島呉広)
▲石敷き近影

第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 イ 滑走台 北東から(広島呉広)
▲この護岸も当時のものと思われます


ウ 金属板(水道関連?)
二河川沿いの遊歩道に遺ります。
同種の金属板は似島にもあり、どうも水路を表す銘板の様ですが、詳細は不明です。
第十一海軍航空廠 補給部 呉地區倉庫 ウ 金属板(水道関連?)(広島呉広)


主要参考文献
『呉の歴史』 (平成14年10月 呉市史編纂委員会 呉市役所)

『呉市史 第3、8巻』 (昭和39年~平成5年  呉市史編纂委員会 呉市役所)

『アジア歴史資料センター史料各種』

『国土地理院空撮』
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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