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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場

古代造船で知られる広島県呉市の倉橋島に呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場がありました。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ス 地下油槽(未成)西から(広島呉倉橋島)
▲養豚場に遺る呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場の未成土中式燃料槽

【探索日時】
平成29年4月3日





呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 概略
明治40(1907)年3月、海軍省は横須賀箱崎島に海軍初の鋼製6,000噸燃料槽を建設、爾後各軍港地域に燃料槽の建設を進め、大正末年までに燃料槽合計159万噸分の燃料置場を建設します。

大正11(1922)年2月6日、ワシントン海軍軍縮条約が締結、わが国は艦船の保有量を制限されたため、燃料槽の建設も低調になります。
昭和4(1929)年から昭和5(1930)年以降、大多数の艦艇の燃料が重油に替わり、重油の需用増大により、海軍省は昭和初期に設定した燃料の備蓄目標300万噸を満洲事変(昭和6年9月18日、勃発)以降、再考し昭和9(1934)年頃には目標600万噸に更新、さらに昭和11(1936)年頃には目標1,000万噸に更新します。

この備蓄目標更新により、昭和5(1930)年頃から重油槽の建設は再度活発化し、昭和9(1934)年から昭和16(1941)年頃にかけて最盛期を迎え各軍港、各要港地域に急速に燃料槽が建設されていきます。
海軍省は停戦までに鋼製燃料槽333万噸、土中式燃料槽359万噸、合計692万噸を竣工させます。

大正8(1919)年4月1日、呉鎭守府は江田島に飛渡瀬燃料置場を着工、大正15(1926)年、供用を開始(最終的に鋼製42万噸、土中10万噸)、昭和3(1928)年、鹿川燃料置場(同鋼製137万噸)、昭和10(1935)年、吉浦燃料置場(同土中16万噸)の供用を開始します。

昭和11(1936)年、呉鎭守府は4番目の燃料置場として安芸郡倉橋島村の谷地を選定、呉海軍経理部により用地買収が行われ、呉海軍建築部の監督により、鋼製燃料槽、付帯施設を着工、完成した槽から随時重油を充油、昭和13(1938)年、呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場のおおよそが竣工、昭和15(1940)年、新たに高峯の山地を買収し、土中式燃料槽を着工、昭和18(1943)年12月時点で鋼製36基、土中式1基(2基は工事中止)が完成していました。
鋼製燃料槽は夏期、温度上昇を防ぐため海水が散水され、夜間は塩分を落とすため水源地からの真水で洗浄されていました。

昭和19(1944)年5月、倉井地区の6基を残し他の鋼製燃料槽は解体(廣燃料置場の建設が進んだため?)、規模が縮小され、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月28日、倉橋島燃料置場は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全海軍用地の接収を示達して来ます。
9月26日、米軍が呉鎭守府に進駐、倉橋島燃料置場は規模が縮小されていた事もあり軍需品の処理とともに返還された様ですが再利用される事無く、『緊急開拓事業実施要領』(11月9日、閣議決定)、『自作農特別措置法』(昭和21年10月21日、公布)等一連の戦後開拓法案により、元地権者を中心に入植者、戦災者により結成された3耕作組合18戸に払い下げられ開拓、現在に至ります。


遺構について
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場
現在、燃料槽は遺っていませんが、その巨大な基礎を中心に遺構が遺ります。
ただし、主要遺構は全て私有地内に遺り立ち入りには許可が必要です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 倉橋島燃料置場 倉橋島燃料置場(広島倉橋島)
▲遺構の配置

ア 三十一番油槽基礎
鋼製重油槽のコンクリート基礎で、畑の中に南側の縁が遺ります。
基礎は全て直径40m、内径38.5m、縁厚0.75mあります。
所有者の方に許可を得て見学させて頂いたうえ、同燃料置場について色々とご教示頂きました。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ア 三十一番油槽基礎 西から (2)(広島呉倉橋島)
▲コンクリート製の縁
  基礎は全てコンクリートでは無く、内部は石積みだったそうです

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ア 三十一番油槽基礎 西から(広島呉倉橋島)
▲縁の近影


イ 三十番油槽基礎
畑の中(上記と同じ)に北側の基礎が遺ります。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 イ 三十番油槽基礎 東から(広島呉倉橋島)
▲花壇の様になっており、油槽部分にネギが植わっています

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 イ 三十番油槽基礎 東から (2)(広島呉倉橋島)
▲縁の近影


ウ 二十九番油槽基礎
荒地の中に東側の基礎が遺ります。
Google Mapでは北側の基礎が見えるのですが、土地が荒れており見えず、逆に東側に基礎が露出していました。
この辺りは別の農家によると耕作放棄地が多い様です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ウ 二十九番油槽基礎 東から(広島呉倉橋島)


エ 二十八番油槽基礎
Google Mapでは南北の基礎が見えますが、荒れ具合が酷く確認できませんでした。


オ 三十二番油槽基礎
同じくGoogle Mapで見ると円形に見え、あぜ道から見ると縁に沿って農道がある様ですが、所有者がおらず不明です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 オ 三十二番油槽基礎? 西から(広島呉倉橋島)


テ コンクリート構造物
倉井地区の油槽入口付近の畑にあり、石積みとコンクリートで作られた箱状の用途不明の構造物です。
油槽基礎は外周と縁はコンクリート、内側は石積みで、戦後開拓の際に石材は道路建設資材として撤去された様なので、その石を転用した貯水槽かも知れません。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 テ コンクリート構造物(広島呉倉橋島)


カ 二十五番油槽跡
耕作放棄地に遺ります。
南西側の地形が遺りますが、基礎は見当たりませんでした。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 カ 二十五番油槽跡 北西から(広島呉倉橋島)
▲正面の畑跡の際が湾曲しています


キ 二十四番油槽基礎
畑が円形になっています。
あぜ道が縁の跡でしょうか?
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 キ 二十四番油槽基礎?農道? 東から(広島呉倉橋島)


ク 八番油槽跡
草地に遺ります。
基礎は埋められている様ですが、縁の部分の草が円形に枯れています。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ク 八番油槽跡(草枯れ部)北東から(広島呉倉橋島)
▲分かり難いので矢印で表示

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ク 八番油槽跡(草枯れ部)北から(広島呉倉橋島)
▲草枯れ部分(点線)の近影


ケ 水源地
飲料水兼、重油槽の冷却水として使用され、濾過池、配水池を通じ重油槽地区、番舎などに送水されました。
戦後長らく放置され埋まっていた様ですが、呉市が農業用に改修したそうです。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ケ 水源地 北から(広島呉倉橋島)
▲全景
  かなり巨大な貯水槽です

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ケ 水源地(広島呉倉橋島)
▲内部

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ケ南側の谷にある境界柵?(広島呉倉橋島)
貯水槽南側の谷地にあるコンクリート境界柵の残骸

※平成30年7月に発災した豪雨災害に伴う土砂崩れによりケ水源地、下記のコ濾過池、ト配水池は甚大な被害を受けました。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 水源池 全景(広島呉倉橋島)
▲周辺の惨状(平成30年11月12日)


コ 濾過池
放置され、雑草で埋まっています。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 コ 濾過池(広島呉倉橋島)
▲道路から

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 コ 濾過池 内部(広島呉倉橋島)
▲内部

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 コ 濾過池 北西から(広島呉倉橋島)
▲縁

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 コ 濾過池(広島呉倉橋島)
▲豪雨災害後


ト 配水池
荒れた果樹園内に遺ります。
平成30年7月に発災した豪雨災害に伴う土砂崩れにより滅失してしまいました。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ト 配水池(広島呉倉橋島)


呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ?(広島呉倉橋島)
▲ト配水池の南側付近にあるコンクリート構造物


倉井地区と飛呂井地区の間に伸びる山地脚に隧道が掘削されています。
隧道はそれぞれ貫通していましたが、用途は不明です。
a 隧道
100m程あり貫通しています。
戦後、海岸に道路ができるまで周辺住民の通路として使われていたそうです。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 a 通路壕 西側(広島呉倉橋島)
▲西側壕口

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 a 通路壕 東から(広島呉倉橋島)
▲内部
  状態は良いとは言えません

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 a 通路壕 東側(広島呉倉橋島)
▲東側壕口


b 隧道
途中で崩落しています。
戦後、水源地から送水するために送水管が引かれ、壕床のコンクリートが張られているそうです。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 b 通路壕 西側(広島呉倉橋島)
▲西側壕口

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 b 通路壕 西から(広島呉倉橋島)
▲内部


サ 灌水喞筒所
重油槽を冷却するため海水を汲み上げるポンプがありました。
崩壊して海水に洗われています。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 サ 灌水喞筒所基礎南西から(広島呉倉橋島)
▲全景

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 シ 桟橋 構築物 (2)(広島呉倉橋島)
▲近影

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 サ 灌水喞筒所基礎 階段(広島呉倉橋島)
▲灌水喞筒所に降りる階段

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 サ 灌水喞筒所基礎 堤防側の孔(広島呉倉橋島)
▲送水口

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 サ 灌水喞筒所基礎 南東から(広島呉倉橋島)
▲時間帯によっては水没しています

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 護岸サ 灌水喞筒所基礎 西から(広島呉倉橋島)
▲周辺の護岸も当時の物t思われます


シ 桟橋
油槽船が着岸し重油の充油、給油を行う施設で、給油用の2噸起重機がありました。
現在は工事業者の駐車場になっています。
許可を得て見学させて頂きました。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 シ 桟橋 北東から(広島呉倉橋島)
▲桟橋全景

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 シ 桟橋 南東から(広島呉倉橋島)
▲桟橋下部

桟橋には階段や繋船柱がありますが、当時の物か不明です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 シ 桟橋 構築物 (1)(広島呉倉橋島)
▲階段

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 シ 桟橋 構築物 (3)(広島呉倉橋島)
▲繋船柱

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 シ 桟橋 構築物 (4)(広島呉倉橋島)
▲排水溝

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 シ 桟橋から護岸(広島呉倉橋島)
▲周辺の護岸も当時の物t思われます


ツ 繋船柱
『配置図』に記載があり、当時の物です。
当時は反対側(北側)にもありましたが、戦後撤去されてしまった様です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ツ 繋船柱(広島呉倉橋島)


c 隧道
資材置場一体は事務所、灌水泡沫喞筒所、送油喞筒所など管理設備がありました。
現在、管理設備の遺構は何も遺されていませんが、背後の斜面に60m程の隧道が遺ります。
用途は不明です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 c西側(広島呉倉橋島)
▲西側壕口

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 c東側から (2)(広島呉倉橋島)
▲内部

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 c東側(広島呉倉橋島)
▲東側壕口


ス 土中式燃料槽
理由は不明(廣燃料置場の工事を優先するため?)ですが、工程70%程(所有者談)で工事は中止されます。
直径90mあり、周囲井筒のコンクリート打設が始まっていました。
形状、付帯設備から廣燃料置場の土中式井筒型重油槽の巨大盤の様です。
停戦後、払い下げの際、住宅地から近いため1反5畝までの制限がかかり敷地は4分割され4世帯が開墾、現所有者が一括して購入、養豚場を建設したそうです。
普段は部外者立入り禁止ですが、特別に見せて頂きました。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ス 地下油槽(未成)西から(広島呉倉橋島)
▲道路から見た北側

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ス 地下油槽(未成)北西から(広島呉倉橋島)
▲同じく南側

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ス 地下油槽(未成)基礎 北東(広島呉倉橋島)
▲井筒コンクリート基礎の近影

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ス 地下油槽(未成)基礎 南東(広島呉倉橋島)
▲別の位置

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ス 地下油槽(未成)基礎 北西構造物(広島呉倉橋島)
▲給油施設?

なお底に降りるコンクリート道路は所有者が造った物で関係ありません。


d 送油管隧道
総コンクリート造で本来は内部に鉄製の送油管が巡らせてあったと思われます。
セ・ス土中式燃料槽の間にあり、上部に給送油口と思われる立坑があります。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 dス(広島呉倉橋島)
▲ス側開口部

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 dス→あ(広島呉倉橋島)
▲入ってすぐはガラクタが投棄されています

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 dあ→い(広島呉倉橋島)
▲直角に折れ、内部は奥に行くごとに降って行きます

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 dえ→う(広島呉倉橋島)
▲中間部分に立坑への横坑があります

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 dう縦坑(広島呉倉橋島)
▲給送油配管を止める金具が遺る立坑

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 dい→え(広島呉倉橋島)
▲セ側へ抜ける部分は土が堆積して歩きにくいです

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 dセ(広島呉倉橋島)
▲セ側開口部


チ コンクリート流し
ス土中式燃料槽を見下ろす斜面上にあります。
所有者の話では練ったコンクリートをここから下に流す設備だそうです。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 チ コンクリート流し 南から(広島呉倉橋島)
▲下から見た右側の縁

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 チ コンクリート流し 側面(広島呉倉橋島)
▲上から見た左側の縁

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 チ コンクリート流し 内部(広島呉倉橋島)
▲内部は2区画に分かれスベリ台状になっています


セ 土中式燃料槽
3基あった土中式燃料槽のうち唯一完成し充油され、供用されていました。
当時は偽装のため上部に畑が造られていた様です。
戦後、呉市により埋められ、現在はバラ農家の温室が建てられており痕跡はありません。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 セ 地下油槽跡 西から(広島呉倉橋島)
▲全景

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 セ 地下油槽跡 通路は戦後のもの(広島呉倉橋島)
▲Google Mapで見ると円形の基礎の様な物が見えますが・・・最近温室外周に造られた農道です


ソ 土中式燃料槽
斜面を掘削した時点で工事中止になったため、何も遺構は遺されていません。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 ソ 地下油槽(未成)跡(広島呉倉橋島)


タ 貯水槽
廃材屋入口脇にある山道を登って行きます。
四角の貯水槽で現在も農業用水として使われている様です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 タ 貯水槽 (2)(広島呉倉橋島)
▲縁から

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 タ 貯水槽(広島呉倉橋島)
▲内部

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 タ 貯水槽内部の梯子(広島呉倉橋島)
▲唯一のハシゴが切断されているので、落ちたら死にます(゜Д゜;)

配置図には貯水槽南側に建物が書かれているのですが、擁壁があるだけで何も遺されていません。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 タ 貯水槽 南側の石組(広島呉倉橋島)
▲石垣を模した擁壁


主要参考文献
『日本海軍航空史(2)軍備篇』 (昭和44年9月 土子猛 ㈱時事通信社)

『倉橋町史 通史編』 (平成13年3月 倉橋町)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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