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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎

広島県呉市倉橋町(倉橋島)に所在した呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場の西海岸に番舎がありました。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 4 五(右)・六番舎 南西から(広島呉倉橋島)
▲空家になっている五・六番舎

【探索日時】
平成29年4月3日





呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 概略
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場は海軍省の燃料備蓄計画更新に伴い、昭和11(1936)年、安芸郡倉橋島村の倉井地区、飛呂井地区に鋼製燃料槽(後に高峯地区に土中式燃料槽)、大亀地区に管理、給送油設備、洲ノ崎地区に番舎が建設されます。

昭和19(1944)年5月、倉井地区の6基のみを残し他の鋼製燃料槽は解体(廣燃料置場の建設が進んだため?)、規模が縮小され、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月28日、倉橋島燃料置場は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全海軍用地の接収を示達して来ます。
9月26日、米軍が呉鎭守府に進駐、倉橋島燃料置場は規模が縮小されていた事もあり軍需品の処理とともに返還された様ですが再利用される事無く、『緊急開拓事業実施要領』(11月9日、閣議決定)、『自作農特別措置法』(昭和21年10月21日、公布)等一連の戦後開拓法案により、元地権者を中心に入植者、戦災者により結成された3耕作組合18戸に、番舎も開拓民住宅として払い下げられ現在に至ります。


遺構について
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎
停戦時、戸建て8棟(七~九、十二~十四、十七、十八番舎)、2戸連棟5棟(一・二、三・四、五・六、十・十一、十五・十六番舎)があり、番号が中央から両外側に向け振られている事から、当初は各3棟づつ、後に外側に増やされた様です。
戸建は63㎡、2戸連棟は152㎡の広さがあり、全戸南向きで縁側を備えた理想的な住宅でした。
現在、戸建ては全て破壊、2戸連棟が5棟(うち2棟は完存、3棟は半分)が遺されていますが、殆どが空家になっており、倒壊も時間の問題です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 倉橋島燃料置場 倉橋島燃料置場(広島倉橋島)
▲遺構の配置

1 十五番舎
手前にあった十六番舎は撤去され、庭になっていた様です。
現在は空家になり久しい様で倒壊寸前です。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 1 十六番舎 北西から(広島呉倉橋島)
▲門柱を構えるなど格式が高い建物です

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 1 十六番舎 東から(広島呉倉橋島)
▲東側の炊事場・風呂場には煉瓦が使われています


2 一 ・ 二番舎
東側が一、西側が二番舎です。
コンテナが邪魔で奥の一番舎が見えませんが、両方とも完存しています。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 2 一(奥)・二番舎 南西から(広島呉倉橋島)


3 三番舎(減築)
手前にあった四番舎は撤去され畑になっています。
また三番舎も手前の1/3が減築されています。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 3 三番舎(減築) 西から(広島呉倉橋島)
▲南西から

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 3 三番舎(減築) 北西から(広島呉倉橋島)
▲北西から

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 3西側 四番舎門柱(広島呉倉橋島)
▲三番舎手前に遺る四番舎の門柱

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 3西側 四番舎炊事場基礎(広島呉倉橋島)
▲畑に遺る四番舎の炊事場・風呂場基礎


4 五 ・ 六番舎
東側が五、西側が六番舎で両方とも完存しています。
両方とも空家になっています。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 4 五(右)・六番舎 南西から(広島呉倉橋島)
▲南西から
  手前が六、奥が五番舎

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 4 五(左)・六番舎 北西から(広島呉倉橋島)
▲北西から
  手前が五、奥が六番舎

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 4 五番舎 南西から(広島呉倉橋島)
▲五番舎
  非常に良い状態ですが、残念ながら空家になっています


5 十番舎
手前の十一番舎は撤去され、遺された十番舎も空家になっています。
呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 5 十番舎 南西から(広島呉倉橋島)
▲南西から

呉海軍軍需部 倉橋島燃料置場 番舎 5 十番舎 北から(広島呉倉橋島)
▲北西から
  こちらも門柱が遺ります


主要参考文献
『日本海軍航空史(2)軍備篇』 (昭和44年9月 土子猛 ㈱時事通信社)

『倉橋町史 通史編』 (平成13年3月 倉橋町)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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