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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

海軍兵學校 展示兵器

広島県江田島に所在する海上自衛隊 第一術科学校は言わずと知れた海軍兵學校の跡地にあります。
第一術科学校には各種兵器が展示されています。
海軍兵学校 A 全景(広島江田島)
▲戦艦「陸奥」の主砲、及び砲弾、十二糎七単装高角砲

【探索日時】
平成17年10月26日、平成19年11月24日、平成29年4月2日・8日





※海軍兵學校については前記事『海軍兵學校』を参照

A 地区
砲術講堂付近にあります。
定期見学の授業が無い日曜、4月初旬の学校開放日、特別見学会の歴史と建物コース「陸奥」編の際、見学可能です。
四十五口径三年式四十一糎聯装砲
言わずと知れた戦艦「陸奥」の主砲です。
陸奥は大正10(1921)年10月24日、横須賀海軍工廠において竣工、第一艦隊に編入され、昭和9(1934)年9月5日から昭和11(1936)年9月30日、横須賀海軍工廠において大改装が行われ、主砲を土佐、加賀用のもの(仰角43度)に換装、第四砲塔は教材用として海軍兵學校に移設されます。
特別公開では砲塔内部に入れます。
海軍兵学校 A 陸奥主砲 (4)(広島江田島)
▲遠くから見ると一種異様な風景です

海軍兵学校 A 陸奥主砲 (2)(広島江田島)
▲近影

海軍兵学校 A 陸奥主砲 (3)(広島江田島)
▲主砲

海軍兵学校 A 陸奥主砲(広島江田島)
▲後部から

海軍兵学校 A 陸奥主砲入口(広島江田島)
▲砲塔後端にある入口


長門主砲弾
長門型の主砲弾ですが、形式は不明です。
海軍兵学校 A 長門主砲弾(広島江田島)


九二式四聯装發射管四型
我が海軍の決定版とも言える発射管で重巡、軽巡、駆逐艦に搭載されました。
九二式四聯装發射管は白露型の計画段階で用兵側からの強い要請で開発され同型以降、朝潮型、陽炎型、夕雲型、秋月型、松型、松型改の総計103隻、四型は陽炎型以降に搭載されます。

同発射管は改丁型の「梨」に搭載されていたものです。
「梨」は昭和20(1945)年3月15日、川崎重工業㈱神戸造船所で竣工、第五十二驅逐隊に編入され、7月28日、山口県平郡島北岸沖においてF6Fの空襲を受け被弾、擱座してしまいますが、昭和31(1956)年5月31日、浮揚改装され海上自衛隊に編入、警備艦「わかば」として再就役します。
改修の際、兵装は全て換装され、第一術科学校に展示されます。
海軍兵学校 A 九二式四聯装魚雷発射管(広島江田島)
▲全景

海軍兵学校 A 九二式四聯装魚雷発射管 (3)(広島江田島)
▲後部から

海軍兵学校 A 九二式四聯装魚雷発射管 (2)(広島江田島)
▲発射装置

海軍兵学校 A 九二式四聯装魚雷発射管 (4)(広島江田島)
▲発射管内部
  上部の溝は魚雷を固定させる導溝


四十口径八九式十二糎七単装高角砲
同じく駆逐艦「梨」の一番砲です。
丁型はその名称から「雑木林」と揶揄されますが、抗湛性、対空能力に優れ、大戦末期、各地で活躍します。
海軍兵学校 A 四十口径八九式十二糎七単装高角砲 (2)(広島江田島)
▲全景

海軍兵学校 A 四十口径八九式十二糎七単装高角砲(広島江田島)
▲41cm砲と対比
  1/700の模型で死ぬほど見てきた大きさの違いですが、実物を見るとかなりの差です

海軍兵学校 A 四十口径八九式十二糎七単装高角砲 (3)(広島江田島)
▲装填部


四十口径安式十五糎砲
アームストロング社製の艦載砲で明治22(1889)年度計画の防護巡洋艦「秋津洲」に初めて搭載され、当時は安式四十口径十五拇砲と称します。
明治30(1897)年、假呉兵器製造所で国産化され、四十口径安式十五拇速射砲として戦艦の主砲、巡洋艦の副砲として搭載、明治41(1908)年12月25日、 四十口径安式一號・二號・三號六吋砲、大正6(1917)年10月5日、四十口径安式十五糎砲と改称します。
大東亜戦期においては既に旧式化していたため沿岸砲、本土決戦に備え内地の陣地に備砲されます。

説明板(砲の解説は?な内容)によるとアームストロング社製の砲で、サイパン島の沿岸砲台として備砲、昭和48(1973)年、加藤均・堺市議会議員により回収され、平成26(2016)年6月、第一術科学校に寄贈された砲の様です。
海軍兵学校 A 四十口径安式十五糎砲(広島江田島)
▲全景

海軍兵学校 A 四十口径安式十五糎砲 (2)(広島江田島)
▲尾栓


B 明石 檣
防護巡洋艦「明石」(須磨型二番艦)の檣(マスト)の一部ですが、前檣か後檣か不明です。
明治32(1899)年3月30日、横須賀海軍工廠で竣工、義和団事件、日露戦役、大正三四年戦役(第一次世界大戦)に参加し地中海まで遠征、昭和3(1928)年4月1日、除籍、7月6日、廃艦第二號と仮称され、昭和5(1930)年8月3日、伊豆大島東南方で、急降下爆撃の実艦標的となり海没しました。
海軍兵学校 B 明石 檣(広島江田島)


C 地区
教育参考館の北側一帯にあります。
甲標的甲型
甲標的(的)は昭和7(1932)年8月、設計を開始、呉海軍工廠において製造着手、昭和15(1940)年11月15日、制式採用されます。
昭和16(1941)年10月13日、甲標的の布哇作戦参加が了承され、11月18日、第三潜水隊主力で編成された神龜特別攻撃隊の甲標的各1隻を搭載した伊號第二十二潜水艦(司令潜水艦)、伊十六、伊十八、伊二十、伊二十四が呉を出撃、12月7日、神龜特別攻撃隊は出撃するも全艇未帰還(9名散華)となってしまいます。
同艇は昭和35(1960)年6月13日、米海軍により発見され回収、6月20日、海上自衛隊揚陸艦「しれとこ」に搭載され、7月20日、横須賀に帰国、7月28日、江田島に到着します。
同艇は「廣尾艇」(廣尾彰少尉、片山義雄二曹)か「古野艇」(古野繁実中尉、横山薫範一曹)と言われますが、不明です。
帰国時、発射管には魚雷が遺っている可能性があったため残置され、昭和37(1962)年2月、㈱呉造船所により復元されます。
海軍兵学校 C 甲標的甲型 (2)(広島江田島)
▲全景

海軍兵学校 C 甲標的甲型(広島江田島)
▲司令塔


甲標的 気蓄機
甲標的の舵を駆動する空気圧式操舵装置に空気を供給するため艇首に装備されていました。
海軍兵学校 C 甲標的気蓄機(広島江田島)


甲標的 発動機
海軍兵学校 C 甲標的甲型 発動機(広島江田島)


海龍 試作三號艇
海龍(SS金物)は昭和18(1943)年1月、海軍工作學校教官・淺野卯一郎機関中佐の発案により昭和19(1944)年6月27日、試作一號艇が完成、昭和20(1945)年3月15日、横須賀突撃隊において搭乗員講習を開始、4月1日、量産開始とともに「海龍」と命名されます。
海龍は二式四十五糎魚雷2本、艇首に600kgの炸薬を搭載、決號作戰(本土決戦)に向け沿岸部の特攻基地に配備され、敵上陸船団の接近に伴い反復攻撃を実施、体当たりも可能でした。
同艇は横須賀突撃隊で教育用に外板を切断した物です。
海軍兵学校 C 海龍 試作三号艇 (2)(広島江田島)
▲全景

海軍兵学校 C 海龍 試作三号艇(広島江田島)
▲後部から

海軍兵学校 C 海龍 試作三号艇 (3)(広島江田島)
▲切断部

海軍兵学校 C 海龍(広島江田島)
▲司令塔


四十口径安式十五糎砲
先述に同じ。
海軍兵学校 C 四十口径安式十五糎砲(広島江田島)


九一式魚雷(航空機用)
川棚魚雷遠距離發射場 九一式魚雷(長崎川棚片島)


九二式魚雷(水上艦用:電池)
川棚魚雷遠距離發射場 九二式魚雷(長崎川棚片島)


九三式魚雷(水上艦用:酸素)
川棚魚雷遠距離發射場 九三式魚雷(長崎川棚片島)


三景艦主砲弾
松島型防護巡洋艦「松島」、「嚴島」、「橋立」の3隻を名称から「三景艦」と称しました。
同型の主砲、カネー1890年型三十二糎単装砲の砲弾です。
海軍兵学校 C 三景艦主砲弾(広島江田島)


金剛型 三十六糎一式徹甲弾
昭和17(1942)年10月13日、挺身攻撃隊(第三戰隊「金剛」(旗艦)、「榛名」:栗田健男中将)、直衛隊(第十五驅逐隊「親潮」、「黒潮」、「早潮」・第二十四驅逐隊「海風」、「江風」、「涼風」)、前路警戒隊(第二水雷戰隊「五十鈴」(旗艦)、第三十一驅逐隊「高波」、「巻波」、「長波」)によるガダルカナル島の敵制圧下にあったルンガ飛行場(敵側呼称ヘンダーソン飛行場)の夜間砲撃の際着弾した金剛型の主砲弾です。
昭和58(1983)年8月、ガ島を訪問した赤澤璋一氏、永末英一衆議院議員により発見され、昭和60(1985)年2月、帰国、ガダルカナル島砲撃弾保存会により、昭和61(1986)年7月、江田島に移設されます。
砲弾が裂けているのは不発弾処理のため、微妙に傾いているのはガ島指向のためです。
海軍兵学校 C 三六糎一式徹甲弾(広島江田島)


駆逐艦「雪風」 主錨
「雪風」は「呉の雪風、佐世保の時雨」と称される我が海軍一の武勲艦で、ゲーム「提督の決断」では運値が唯一の99を誇ります。
雪風は陽炎型八番艦で、昭和15(1940)年1月20日、佐世保海軍工廠において竣工、呉鎭守府驅逐艦籍、第十六驅逐隊(昭和19年3月31日、第十七驅)に配属、レガスビー、メナド、ケンダリー、アンボン、クーパン攻略作戦、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー作戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ラエ輸送作戦、コロンバンガラ島沖海戦、あ號作戦、捷一號作戦、空母「信濃」護衛、天一號作戦に参加後、舞鶴において停戦を迎えます。
復員船を経て、昭和22(1947)年7月6日、中華民国に引き渡され「丹陽」と改称、昭和46(1971)年、解体されます。
10月22日、雪風保存会に舵輪と錨のみが返還され、第一術科学校に寄贈されます。
海軍兵学校 C 雪風主錨(広島江田島)


主要参考文献
『写真 日本の軍艦1  戦艦Ⅰ』 (昭和63年7月 光人社)

『日本海軍鑑定写真集 17』 (平成9年10月 光人社)

『日本海軍鑑定写真集 18』 (平成9年11月 光人社)

『「歴史群像」太平洋戦史シリーズ㉑ 金剛型戦艦』 (平成11年3月 学習研究社)

『軍艦メカニズム図鑑 日本の戦艦(下)』 (平成13年7月 泉江三 グランプリ出版)

『軍艦メカニズム図鑑 日本の駆逐艦』 (平成7年7月 森恒英 グランプリ出版)

『日本海軍艦載兵器大図艦』 (平成14年8月 山本義秀・吉原幹也 KKベストセラーズ)

『図説 特殊潜航艇全史』 (平成24年9月 奥本剛 学習研究社)海軍兵学校
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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