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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

江田島下士官兵集會所

広島県江田島に所在した海軍兵學校の北東に江田島下士官兵集會所がありました。

また近隣には江田島海友社がありました。
江田島下士官兵集會所 南西から(広島江田島)
▲江田島下士官兵集會所

【探索日時】
平成29年4月2日・8日





遺構について
⑥ 江田島下士官兵集會所
下士官兵集會所は海軍下士官兵、同相当官の援護、扶助を目的に設置され、これらに修養(武技、学術講習など)、慰安(図書、雑誌、新聞閲覧、映画、娯楽)、休養(食堂、宿泊、入浴)、救恤扶助(物品預託、就職斡旋、住宅貸与)を実施しました。

明治19(1886)年1月、海軍省は海軍兵學校の江田島移転を決定、6月1日、現地視察、地質調査、測量、建物配置の設計を開始、7月20日、用地を買収、8月15日、用地を受領、10月1日、土木工事を開始します。
明治20(1887)年4月15日、建物建設を着工、明治21(1888)年5月31日、おおよその設備が落成、8月1日、海軍兵學校が東京築地から江田島に移転して来ます。

明治40(1907)年、江田島下士卒集會所が建設され、大正10(1921)年6月22日、「卒」は差別的で階級的賤称との批判から全国の下士卒集會所は下士官兵集會所に改称、江田島下士官兵集會所となります。
江田島下士官兵集會所 大正期(広島江田島)
▲大正期の江田島下士官兵集會所
  正面露台の屋根形状が現在と異なります

昭和13(1938)年10月3日、各軍港地で異なった援護、扶助実態を統一すべく財團法人 海仁會が発足、11月11日、各下士官兵集會所は解散、海仁會 集會所に改編されますが、江田島下士官兵集會所は従来のまま残置されたようで(『海仁會来歴』の一覧に記載が無く呉に統合?)、昭和20(1945)年8月16日、停戦を迎えました。

9月26日、米軍が呉に進駐を開始、10月10日、海軍兵學校は接収されますが、下士官兵集會所は接収を逃れ、戦争未亡人などを対象にした地域住民向けの洋裁教室として使用された後、昭和23(1948)年、大蔵省から民間に払い下げられ、㈲江田島文化興進社の事務所として転用、平成24(2012)年9月、同社の撤退に伴い有志によりぐるぐる海友舎プロジェクトが発足し維持管理を行っています。

この江田島下士官兵集會所は謎な部分が多く、上記の経緯から各軍港に設置された下士官兵集會所とは異なる様で、どちらかと言うと陸軍営内に設けられる下士官兵集会所に類似する設備だったのでは?と思います。
江田島下士官兵集會所 西から(広島江田島)
▲正面から

江田島下士官兵集會所 玄関(広島江田島)
▲玄関部分

江田島下士官兵集會所 玄関から(広島江田島)
▲玄関から内部

江田島下士官兵集會所 玄関石敷(広島江田島)
▲玄関の踏み石は煉瓦で幾何学模様が施されています

江田島下士官兵集會所 南から(広島江田島)
▲側面

江田島下士官兵集會所 北西から(広島江田島)
▲北側の側面

江田島下士官兵集會所 門柱(広島江田島)
▲門柱
  飾りも当時のままと思われます

奥にはL型の増築部があります。
この増築部ですが、呉下士官兵集會所から移設された初代「櫻松館」では無いでしょうか?
初代「櫻松館」は明治38(1905)年5月28日、日露戦役において遭難した防護巡洋艦「吉野」(桜)、触雷沈没した同「高砂」(松)を記念し建設され、昭和3(1928)年12月、江田島に移設されます(資料では具体的な場所は明記されず)。
江田島下士官兵集會所 東側建物 西から(広島江田島)
▲全景

海仁会 呉集会所(下士官兵) 櫻松館(広島呉)
▲初代「櫻松館」
  移設の際、改築されていますが入口の切妻破風、窓、腰板などの特徴が一致します

江田島下士官兵集會所 東側建物入口(広島江田島)
▲入口
  切妻破風が破損しています

江田島下士官兵集會所 東側建物 北西から(広島江田島)
▲裏側

※当記事は平成30(2018)年8月22日に執筆しましたが、その後平成31(2019)年3月9日、呉工業高専の教員、生徒により「呉下士官兵集會所から移設された初代「櫻松館」の可能性が高い」と結論付けられた様です(平成31年3月10日付、朝日新聞)

南側に和館があります。
江田島下士官兵集會所 南側建物 北西から(広島江田島)

何時も情報を頂く(前述の新聞記事の情報も頂きました)ふがじん様によると、和館部は戦後の移築で向かって左側は官舎の様です。
確かに昭和23年の国遷アーカイブにも写っていない様で、左側の平面形は現存する丙號官舎に類似しています。

江田島下士官兵集會所(現、海友舎)の開館日には内部見学も可能な様ですが、日程、時間が合わずできませんでした。


⑦ 江田島海友社
海友社は水交社に準ずる組織で准士官により組織され、学術の研究、社員相互の親睦を図る団体で運営に関しては水交社の指導を受けました。
江田島海友社の開設時期は資料が無く不明、大東亜戦争停戦に伴い農業協同組合に払い下げられますが、昭和50(1975)年代に失火により焼失、現在はJA呉江田島になっています。

遺構は何も遺されていない様です。


主要参考文献
『江田島町史』(平成13年10月 江田島町)
海軍兵学校
-WEBサイト-
たてもの情報(18)|海友舎(旧海軍兵学校下士卒集会所)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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