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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

海軍兵學校 鷲部官舎

広島県江田島市に所在した海軍兵學校の南側に隣接して海軍兵學校 鷲部官舎がありました。
海軍兵学校 鷲部官舎 セ 丙二(左)・一號 南西から(広島江田島)
▲一般住宅に転用されている丙一號(右)と丙二號(左)官舎

【探索日時】
平成29年4月8日





遺構について
⑪ 海軍兵學校 鷲部官舎
明治21(1888)年8月1日、海軍兵學校が東京築地から江田島に移転、校内に職員用の官舎が建設されます。

爾後、生徒数、職員の増加に伴い校内官舎を増設、昭和15(1940)年11月、呉海軍経理部は海軍兵學校の拡張用地として矢ノ浦地区の農地を買収、昭和17(1942)年7月1日、鷲部官舎(12,899坪)の建設を開始します。

停戦時、戸建て(木造平屋一部2階)の乙號官舎3、戸建て(〃)の丙號官舎2、2戸連棟(木造2階、〃平屋)の丙號官舎24、2戸連棟の丁號官舎21棟、合計51棟、他に酒保配給所1棟がありました。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、28日、官舎は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、9月26日、米軍が呉に進駐、10月10日、海軍兵學校を接収します。
鷲部官舎は接収から外れたようで、近隣住民の斡旋で一部に戦災者や引揚者が入居するなどします。

昭和31(1956)年1月10日、海軍兵學校は連合軍から大蔵省に返還され、15日、防衛庁が供用開始、16日、海上自衛隊 術科学校(昭和33年4月1日、第一術科学校に改称)が横須賀から移転開校、鷲部官舎西側を自衛隊官舎として転用、東側の不要住宅は随時民間に払い下げられた様です。
払い下げられた経緯や時期は資料が無く不明ですが、昭和30(1930)年7月、江田島町が旧兵校の防衛庁移管に伴う陳情の中に「不要地域、建物の町への譲渡」があり、敷地が大蔵省から防衛庁に移管された昭和32(1957)年5月以降と思われます。

現在、西側にあった官舎は全て破壊され自衛隊官舎が建てられ滅失、東側は一般住宅に転用されたため改修はされているものの数棟が遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 兵学校 現在(広島江田島)
▲残存官舎配置

ア 乙三號
戸建て一部2階建です。
外壁は改修され、一部増築されていますが、外観は当時のままです。
海軍兵学校 鷲部官舎 ア 乙三號 南西から(広島江田島)


イ 丙二十三・二十四號
2戸連棟2階建の両方が遺ります。
両方とも外壁が改修、丙二十四號は1階部分が大幅に改築されています。
海軍兵学校 鷲部官舎 イ 丙二十四(左)・二十三號 南東から(広島江田島)


ウ 丙二十一號
左側にあった丙二十二は撤去され、片方だけが遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 ウ 丙二十一號 南西から(広島江田島)


エ 丙十九・二十號
両方とも、特に右側の丙二十號はかなり増改築されており、裏側が辛うじて原型が遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 エ 丙二十(右)・十九號 北から(広島江田島)


オ 乙二號
戸建て一部2階建てで、かなり増改築されています。
海軍兵学校 鷲部官舎 オ 乙二號 北西から(広島江田島)


カ 丙十八號
右側にあった丙十七號は撤去され、片方だけが遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 カ 丙十八號 南から(広島江田島)


キ 丙十五・十六號
両方とも遺り、特に左側の丙十六號の2階は殆ど原型のままで門柱も遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 キ 丙十六(左)・十五號 南西から(広島江田島)


ク 丙十四號
右側にあった丙十三號は撤去され、片方だけが遺りますがかなり増改築されています。
海軍兵学校 鷲部官舎 ク 丙十四號 南西から(広島江田島)


ケ 丙十一・十二號
両方とも遺り、2階は殆ど原型のままで門柱も遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 ケ 丙十二(左)・十一號 南西から(広島江田島)


コ 丙九號
1階はかなり改築されていますが、2階は原型を留めます。
左側の丙十號は建替え中?で確認できませんでした。
海軍兵学校 鷲部官舎 コ 丙九號 南東から(広島江田島)


サ 丙七號?
官舎と思いましたが、西側の現存官舎と軸線がずれており、建て替えられた物の様です。


シ 丙五・六號
両方とも遺り、1階はかなり増改築されていますが、2階は原型を留めます。
裏側は良く原型が遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 シ 丙六(右)・五號 北東から(広島江田島)


ス 丙四號
右側にあった丙三號は撤去され、片方だけが遺りますがかなり増改築されています。
海軍兵学校 鷲部官舎 ス 丙四號 南東から(広島江田島)


セ 丙一・二號
両方とも遺り、増改築も少なく原型を留め、現存の丙號官舎で最も状態が良いです。
門柱も遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 セ 丙二(左)・一號 南西から(広島江田島)

海軍兵学校 鷲部官舎 セ 丙二(右)・一號 北西から(広島江田島)
▲裏側


ソ 丙三十一號
右側にあった丙三十號は撤去され、片方だけが遺りますがかなり増改築されており、躯体以外ほぼ原型がありません。
ただ、門柱は遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 ソ 丙三十一號 南西から(広島江田島)


タ 丁十九號
2戸連棟の平屋です。
左側にあった丁二十號は撤去されていますが、非常に状態が良く、ほぼ原型のままで、門柱も遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 タ 丁十九號 南東から(広島江田島)


チ 丁十八號
右側にあった丁十七號は撤去され、かなり増築されています。
こちらも門柱は遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 チ 丁十八號 南東から(広島江田島)


ツ 丁十六號
右側にあった丁十五號は撤去され、改築されていますが、原型を留めます。
海軍兵学校 鷲部官舎 ツ 丁十六號 南西から(広島江田島)


テ 丁十四號
右側にあった丁十三號は撤去され、かなり増築されています。
海軍兵学校 鷲部官舎 テ 丁十四號 南西から(広島江田島)


ト 丁十一號
左側にあった丁十號は撤去されていますが、非常に状態が良く、ほぼ原型のままで、門柱も遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 ト 丁十一號 南西から(広島江田島)


ナ 丁五號
左側にあった丁六號は撤去され、かなり増改築されています。
海軍兵学校 鷲部官舎 ナ 丁五號 南東から(広島江田島)


ニ 丁三・四號
2戸連棟平屋の丁號官舎で唯一両方とも遺ります。
正面側は増築と植木で殆ど見通せませんが、裏側は離れ(便所?)も遺るなど原型を留めます。
海軍兵学校 鷲部官舎 ニ 丁四・三號(左) 北東から(広島江田島)


ヌ 丁一號
左側にあった丁二號は撤去され、かなり増改築されています。
海軍兵学校 鷲部官舎 ヌ 丁一號 南から(広島江田島)


a 堤防
一部遺ります。
当時はこの位置が陸地南端で江田島図書館、鷲部公園は海でした。
海軍兵学校 鷲部官舎 a 堤防(広島江田島)


b 境界石標 一七
水路内に遺ります。
非常に状態が良く正面の二重波線、頂部の方向表示、裏面の通し番号に黒色の墨入れが遺ります。
海軍兵学校 鷲部官舎 b 境界石標一七 (2)(広島江田島)
▲裏面から

海軍兵学校 鷲部官舎 b 境界石標一七(広島江田島)
▲正面
  カメラが入らないのでこんな近影になってしまいました

c 孔?
穴を埋めた跡がありますが、詳細不明です。
海軍兵学校 鷲部官舎 c 孔?(広島江田島)


主要参考文献
『江田島町史』(平成13年10月 江田島町)海軍兵学校

『江田島海軍兵學校(本校)位置圖』
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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