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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

海軍兵學校 小用南官舎 ・ 小用上陸場

広島県江田島市の海の玄関、小用港に隣接して海軍兵學校 小用南官舎小用上陸場がありました。
海軍兵學校 小用南官舎 全景(広島江田島)
▲一般住宅に転用された小用南官舎の丙七・丙八號(手前)と丙九・丙十號官舎(奥)

【探索日時】
平成29年4月2日





遺構について
⑬ 海軍兵學校 小用南官舎
明治21(1888)年8月1日、海軍兵學校が東京築地から江田島に移転、校内に職員用の官舎が建設されます。

爾後、生徒数、職員の増加に伴い校内官舎を増設、昭和15(1940)年11月、呉海軍経理部は海軍兵學校の拡張用地として矢ノ浦地区の農地を買収、昭和17(1942)年7月1日、鷲部官舎の建設を開始します。
小用南官舎については何時頃建設されたのか不明ですが、敷地に不自然な空地がある事から小用北官舎の増築として昭和20年代に建設されたのでは無いでしょうか。

停戦時、小用南官舎には戸建て(木造平屋一部2階)の乙號官舎2、2戸連棟(木造2階)の丙號官舎9、戸建ての丙號官舎2棟、合計13棟、他に濾過池及び浄水場、貯水池などがありましたが、昭和20(1945)年7月24日、28日、小用沖に停泊中の戦艦「榛名」が米機の空襲を受けた際に機銃掃射、爆弾片などにより戸建ての丙二十、丙二十二號が大破、2戸連棟の丙十六・十七號、丙十八・十九號が中破し、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、大東亜戦争停戦に伴い官舎は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、9月26日、米軍が呉に進駐、10月10日、海軍兵學校を接収します。
小用南官舎は接収から外れたようで、近隣住民の斡旋で一部に戦災者や引揚者が入居するなどします。

昭和31(1956)年1月10日、海軍兵學校は連合軍から大蔵省に返還され、16日、海上自衛隊 術科学校(昭和33年4月1日、第一術科学校に改称)が横須賀から移転開校、小用南官舎は自衛隊官舎に転用される事無く、随時民間に払い下げられた様です。
払い下げられた経緯や時期は資料が無く不明ですが、昭和30(1930)年7月、江田島町が旧兵校の防衛庁移管に伴う陳情の中に「不要地域、建物の町への譲渡」があり、敷地が大蔵省から防衛庁に移管された昭和32(1957)年5月以降と思われます。
海軍兵學校 小用南官舎 兵学校 現在(広島江田島)
▲残存官舎配置

ア 丙九・十號
両方とも遺りますが、正面が増築され、また丙十號は屋根が改修されています。
丙九號は門柱が片方、丙十號は両方遺ります。
海軍兵學校 小用南官舎 ア 丙十(右)・九(左) 北東から(広島江田島)
▲丙九(手前)と丙十號(奥)

海軍兵學校 小用南官舎 ア 丙十(右)・九(左) 北西から(広島江田島)
▲丙九(奥)と丙十號・門柱

海軍兵學校 小用南官舎 ア北側丙三 門柱 (広島江田島)
▲丙九・十號の対面に丙三號(官舎は建替え)の門柱のみ遺ります


イ 丙七・八號
こちらも両方とも遺りますが、同じく正面が増築され、また外壁も改修されています。
両方とも門柱は片方しか遺りません。
海軍兵學校 小用南官舎 イ 丙八(右)・七(左) 北から(広島江田島)
▲丙七(左)・八號(右)

海軍兵學校 小用南官舎 イ 丙八(右)・七(左) 北東から(広島江田島)
▲丙七(手前)・八號(奥)


ウ 丙五號
右側にあった丙六號は建て替えられており、遺る丙五號も大幅に増改築されています。
改築の際、門柱は側面に移設されています。
海軍兵學校 小用南官舎 ウ 丙五 北から(広島江田島)
▲正面側

海軍兵學校 小用南官舎 ウ 丙五 南東から(広島江田島)
▲移設された門柱と側面

海軍兵學校 小用南官舎 ウ北東にある境界石標?(広島江田島)
▲ウ丙五號の北東隅にある境界石標?


エ 乙一號
大幅に増改築されており、一見当時の建物に見えません。
左側に見える2階建てと1階の張り出しが官舎の部分です。
海軍兵學校 小用南官舎 エ 乙一號 東から(広島江田島)


オ 待合所
小用上陸場にあった待合室です。
配置図、昭和22(1947)年、現在の空撮が一致する事から遺構と思われます。
小用上陸場は防衛庁(現、防衛省)に移管され、現在も自衛隊専用桟橋として使用されています。
海軍兵學校 小用上陸場 オ 待合所 南西から(広島江田島)
▲門から

海軍兵學校 小用上陸場 オ 待合所 北東から(広島江田島)
▲北側から

海軍兵學校 小用上陸場 カ 車回し(広島江田島)
▲カ車回しも当時のままの様です。


小用南官舎の西側斜面中腹には江田島海軍水道の浄水場、配水池などがありましたが、昭和20(1945)年7月28日の空襲で損傷、現在は埋められて民家が建っています。


主要参考文献
『江田島町史』(平成13年10月 江田島町)海軍兵学校

『御殿山水源地及射的場、小用官舎其の他位置圖』
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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