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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

松江聯隊區司令部

JR松江駅駅前に松江聯隊區司令部がありました。

また松江城東側に松江憲兵分隊がありました。
松江聯隊區司令部 ス 陸軍7 南東から(島根松江)
▲松江聯隊區司令部跡(正面側)と境界石標

【探索日時】
平成30年12月20日





遺構について
② 旧 松江聯隊區司令部・歩兵第三十四旅團司令部(古志原)
② 新 松江聯隊區司令部(東朝日町)
明治6(1873)年1月10日、『徴兵令』が施行、徴兵事務は各都道府県庁が執行、陸軍省より派遣される徴兵使が監視しますが、『徴兵令』の解釈、徴兵忌避への対応に差があり、且つ常備兵役満了後の後備兵に対する事務を処理すべく、明治8(1875)年1月15日、『後備軍管轄官員條例』(陸軍省達第十七號)が制定され、26日、島根縣駐在官に中村義堯曹長が任命され、2月13日、原町の鐘築家(後、民家数件に移転の後、明治16年9月25日に中原町319番地に事務所開設)に第十一師管後備軍島根縣駐在所(明治16年7月2日、島根縣駐在所に改称)を開設します。

明治21(1888)年5月14日、『大隊區司令部条例』(勅令第二十九號)により島根縣駐在所は廃止され、駐在所に松江大隊區司令部が開設します。

明治29(1896)年3月25日、『聯隊區司令部条例』(勅令第五十六號)により、4月1日、松江大隊區司令部は濱田聯隊區司令部に改称します。

明治32(1899)年2月28日、浜田町に新庁舎が竣工、3月14日、松江の庁舎は閉鎖、19日、新庁舎に移転し事務を開始します。

明治40(1907)年9月19日、陸軍省は『陸軍平時編成』・『常備團體表』を改正、島根県八束郡津田村古志原に歩兵第六十三聯隊の設置を決定します。

明治40(1907)年5月1日、松江聯隊區司令部要員(下士官のみ)が濱田聯隊區司令部附として発令、10月1日、濱田聯隊區司令部内において松江聯隊區司令部(石井彌四郎少佐)が事務を開始します。
10月9日、歩兵第三十四旅團司令部の編成下令、11月13日、渡邉祺十郎少将が旅團長に補任され、12月4日、歩兵第二十一聯隊内において事務を開始します。

25日、松江聯隊區司令部は新設された第十七師團(岡山)隷下に編入、明治41(1908)年5月1日、古志原の歩兵第六十三聯隊兵営隣接地に竣工した新築庁舎に移駐し、14日より事務を開始します。

10月22日、歩兵第六十三聯隊は歩兵第三十四旅團に隷属転移、聯隊先発隊に続き、11月16日、聯隊本隊が中国地方での演習を経て移駐、17日、歩兵第三十四旅團司令部が浜田から移駐、聯隊區司令部庁舎を共有します。
歩兵第六十三聯隊 松江聯隊區司令部(島根松江)
▲開庁時の松江聯隊區司令部

明治44(1911)年3月15日、帝國在郷軍人会松江支部の発会式を興雲閣において挙行します。

大正14(1925)年5月1日、歩兵第六十三聯隊は第十七師團、歩兵第三十四旅團司令部の復帰に伴い、第十師團(姫路)隷下歩兵第三十三旅團司令部(岡山)に隷属転移します。

昭和14(1939)年10月24日、歩兵第六十三聯隊の復員により恩給業務が増加したため、昭和15(1940)年10月、女子職員を筆生として採用します。

昭和15(1940)年7月30日、第十師團の3単位改編に伴い、歩兵第三十三旅團司令部が復帰します。

昭和17(1942)年3月31日、『昭和十六年軍備改變要領』により松江聯隊區司令部は留守第五師團(広島)に隷属転移、濱田聯隊區司令部は松江聯隊區司令部に統合され復帰します。

昭和17(1942)年3月、庁舎が狭隘なため東朝日町への移転が決定(用地買収経緯など不明)、7月15日、新庁舎が竣工、18日、移転します。
歩兵第六十三聯隊 松江(施設のみ)(島根松江)
▲①兵営に隣接した②が開庁当時の場所(右下図②に移転)

昭和20(1945)年3月24日、決號作戰(本土決戦)に向け、本土における軍を中核とした有機的作戦組織を強化、決戦に総力を結集し戦場態勢を確立すべく軍令陸甲第四十七號により松江聯隊區司令部(松本熊吾大佐)は復帰、同日、松江聯隊區司令部(4月1日から小川全勝少将)及び松江地區司令部(聯隊區司令官兼務)が臨時編成され、既存の(特設)警備隊を隷下に編入、庁舎が狭隘な事から松江市立青年学校、県立松江商業学校を借受け地区防衛の準備にあたるなか、8月6日、米軍により広島に原子爆弾が投下され、救護班(上野勝太郎軍医中尉)を派遣、15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦時の職員は聯隊區司令官・小川少将以下将校76、准士官13、下士官102、判任文官10、兵30、雇傭人63名でした。
11月30日、復員完結、12月1日、第一復員省島根地方世話部に改編されました。

その後の聯隊區司令部の経緯は不明ですが、昭和30年代後半から40年代にかけ建物は破壊され、現在は東側がマンション、西側が商業施設になっています。
建物は皆無ですが、境界石標が遺ります。

松江聯隊區司令部 松江(現在)(島根松江)
▲遺構の配置

サ 陸軍
松江聯隊區司令部 サ 陸軍 北から(島根松江)
▲正面側には「陸軍」の刻字

松江聯隊區司令部 サ 陸軍 北から (2)(島根松江)
▲方向表示から本来、境界は直角では無く歩道側に斜めに伸びていた様です


シ 陸軍
松江聯隊區司令部 シ 陸軍 西から (2)(島根松江)
▲同じく「陸軍」の刻字

松江聯隊區司令部 シ 陸軍 西から(島根松江)
▲方向表示が不自然な事から造成の際に方向が変えられた様です


ス 陸軍 
松江聯隊區司令部 ス 陸軍7 南から(島根松江)
▲同じく正面側は「陸軍」の刻字

松江聯隊區司令部 ス 陸軍 背面7(島根松江)
▲裏側にはアラビア数字で「7」の刻字

松江聯隊區司令部 ス 陸軍7 南から (2)(島根松江)
▲頂部には方向表示があります


⑥ 松江憲兵分隊
明治40(1907)年9月19日、陸軍省は歩兵第六十三聯隊の古志原への設置を決定、松江市兵営献納委員会は松江市母衣町に憲兵隊用地を買収し陸軍省に献納します。
11月10日、岡山憲兵隊 松江憲兵分隊(田村善三大尉)が発足します。
大正14(1925)年5月1日、第十七師團の復帰に伴い、岡山憲兵隊本部も復帰、松江憲兵分隊は岡山憲兵分隊とともに姫路憲兵隊管下に編入されます。

昭和12(1937)年7月7日、北支事變(9月2日、支那事變と改称)が発生、7月27日、第十師團に第五動員一號が下令され、松江憲兵分隊も増員されます。

昭和16(1941)年4月1日、松江憲兵分隊は廣島憲兵隊管下に編入されます。

昭和20(1945)年3月30日、『憲兵令』が改正(勅令第百六十二號)され、松江憲兵分隊は松江地區憲兵隊(三浦龍治大佐)に昇格、濱田憲兵分隊を管下に編入し人員は補助憲兵も含め50名を超え庁舎が狭隘になったため、殿町の島根県教育会館を借用し移転、決號作戰(本土決戦)に備えるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

11月6日、米軍が松江に到着、兵器、軍需品を引き渡し、11月1日、復員完結します。

昭和20(1945)年8月28日、松江地區憲兵隊は大蔵省に移管され、島根行政監査局に転用されます。
その後の経緯は不明ですが、東側の一角が隣接する宗教施設に払い下げられ、西側は駐車場になっています。
歩兵第六十三聯隊 松江憲兵分隊(島根松江)
▲松江憲兵分隊の位置

松江憲兵分隊 タ 側溝 南東から(島根松江)
▲松江憲兵分隊跡地に遺されていた石積と柵の基礎


主要参考文献
『歩兵第六十三聯隊史』 (昭和49年7月 歩兵第六十三聯隊史編纂委員会)

『松江聯隊區司令部歴史』
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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