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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

松江陸軍墓地

島根県松江市に所在した歩兵第六十三聯隊兵営の北側、切剥山南麓に松江陸軍墓地があります。
松江陸軍墓地 陸軍墓地全景(島根松江)
▲松江陸軍墓地 全景

【参拝日】
平成25年12月2日、平成30年12月20日





松江陸軍墓地 概略
明治40(1907)年9月19日、陸軍省は『陸軍平時編成』・『常備團體表』を改正、島根県松江市津田村古志原に歩兵第六十三聯隊の設置を決定します。
福岡世徳・松江市長は松江市兵営献納委員会(会長=市長)を組織、兵営北側の切剥山南側中腹を陸軍埋葬地として買収し陸軍省に献納、明治41(1908)年、臨時陸軍建築部廣島支部の指揮により造成され、明治41(1908)年11月16日、歩兵第六十三聯隊が中国地方での演習を経て移駐、松江陸軍埋葬地の供用を開始します。

大正8(1919)年10月19日、シベリア出兵の際、歩六十三より派遣の脇谷靜雄中尉が散華、松江陸軍埋葬地初の埋葬者として埋葬されます。

昭和13(1938)年5月5日、『陸軍墓地規則』により松江陸軍墓地に改称します。

昭和6(1931)年9月18日、柳条湖事件(滿洲事變)、昭和12(1937)年7月7日、北支事変(支那事変)が発生、歩兵第六十三聯隊、歩兵第百六十三聯隊の出征に伴い多数の英霊が帰還、昭和14(1939)年末の埋葬者は411柱になります。

昭和15(1940)年、墓地西側を整地し仮納骨堂を建立、帰還する英霊の遺骨を仮安置、大東亜戦争停戦には約1,000柱が安置されます。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』が煥発、16日、停戦、12月1日、陸軍省廃止に伴い、松江陸軍墓地は西部軍管區経理部から内務省を通じ大蔵省へ移管されます。

11月6日、米軍が松江に到着、陸軍施設を接収し占領行政を開始、12月1日、松江陸軍墓地は管理者の西部軍管區司令部経理部から、大蔵省に移管されます。

昭和22(1947)年、GHQは小林誠一・松江市長に対し「好まざるものの存在」として陸軍墓地の撤去を指令します。
松江市から陸軍墓地の改造を委託された松江宗教連盟は、寄付により改装費45万円を準備、昭和23(1948)年3月18日、起工式を挙行、7月中旬より英霊411柱を掘り出し、慰霊塔基部に納骨堂を設置し埋葬者411柱、仮納骨堂安置の1,000柱を安置し、墓標は大燈籠の台石に転用、10月10日、落慶入魂式を挙行、式典斎了ののち遺族より募集し松江陸軍墓地改め緑山苑と命名されます。

昭和31(1956)年7月、多年に渡る松江宗教連盟、松江遺族会連合会、緑山苑保存会などの陳情を受けた松江市は大蔵省に旧松江陸軍墓地の無償譲渡を申請、10月、墓地は大蔵省より松江市に無償譲渡されます。

昭和40(1965)年10月19日、松江市連合郷友会、松江市、自衛隊による再整備(兵営に歩兵第六十三聯隊跡碑設置事業と併せ)が起工され、11月28日、竣工し整備竣工報告慰霊祭が挙行され現在に至ります。
松江陸軍墓地 松江(現在)(島根松江)
▲松江陸軍墓地の遺構配置

⑦ 松江陸軍墓地
当墓地の総面積は13,177㎡で墓域は東西に分割されていました。
東側は生垣に囲まれ東西に玉砂利の敷かれた歩道3本が走り、中央東端に滿洲事變忠死者之碑が聳え、歩道両側に、東北隅の飯塚朝吉大佐を先頭に個人墓標が並び、西側の中央に仮納骨堂が建立されていました。
上記のように2度に渡る改修(個人的な感想は破壊)により現在は見る影もありません。
歩兵第六十三聯隊 松江陸軍墓地(島根松江)
▲支那事変当時の松江陸軍墓地

松江陸軍墓地 陸軍墓地全景(島根松江)
▲現在の松江陸軍墓地
  おぉ・・・

慰霊塔
元は「滿洲事變忠死者之碑」でしたが、改修に際し刻字は削られ、裏側に「慰霊塔」と刻字され転用されます。
松江陸軍墓地 慰霊塔(島根松江)

松江陸軍墓地 慰霊塔 裏面(本来の正面?)(島根松江)
▲元の正面側(現、裏側)


大燈籠
「滿洲事變忠死者之碑」両側に建立されます。
昭和8(1933)年4月、山陰新聞社の斡旋で官民有志者により寄進されました。
松江陸軍墓地 大燈籠 慰霊塔前右側 (1)(島根松江)


揚光 灯籠
参道(階段)を登り切った左側に建立されています。
満洲事変凱旋記念として、昭和10(1935)年9月18日、凱旋将兵により寄進されました。
揮毫は時の關東軍總司令官・本庄繁大将です。
松江陸軍墓地 揚光灯籠 階段上右側(島根松江)


弔忠魂 灯籠
参道(階段)を登り切った右側に建立されています。
満洲事変凱旋記念として昭和13(1938)年8月12日、松江旅館組合により寄進されました。
揮毫は時の第十師團長・磯谷廉介中将です。
松江陸軍墓地 弔忠魂灯籠 階段上左側 (2)(島根松江)


オ 陸軍用地 第七號
慰霊塔の奥に遺ります。
正面側は「陸軍用地」、裏側に「第七號」の刻字があります。
松江陸軍墓地 ナ 陸軍用地 第七號(島根松江)
▲正面側

松江陸軍墓地 ナ 陸軍用地 第七號(島根松江)
▲現在も生きている様で裏側には松江市の管理番号が貼られてしまっています


ニ 陸軍用地 第八號
下記の「歩兵第六十三聯隊歌碑」から南側の林に入った所に遺ります。
殆ど埋まっていたため、改修時に撤去を逃れた様です。
松江陸軍墓地 ニ 陸軍用地 第八號(島根松江)
▲正面側

松江陸軍墓地ニ 陸軍用地 第八號 (2)(島根松江)
▲裏側
※この境界石標は祐実総軍三等兵様が発見しました。

また、駐車場の端にも石標がありますが、上部が欠損しており詳細不明です。
松江陸軍墓地 墓地南西端にある石標?(島根松江)


門柱
墓地中央付近の両側にあります。
松江陸軍墓地の門柱と思われますが、資料に無く詳細は不明です。
松江陸軍墓地 門柱 中央灯籠手前(島根松江)
▲右側には門札の跡が遺ります

松江陸軍墓地 門柱 中央灯籠手前 (2)(島根松江)
▲左側

-戦後の物-
墓標で造られた灯籠
参道南北に建てられています。
戦後の改修に際し撤去された墓標は加工し積み上げられ、灯籠の竿部分に転用されます。
松江陸軍墓地 墓標で造った灯籠 中央(島根松江)


歩兵第六十三聯隊歌碑
慰霊塔南西に昭和57(1982)年9月に建立されました。
松江陸軍墓地 慰霊塔 南東の歩兵第六十三聯隊歌詞(島根松江)


拝殿
香炉台が造られています。
松江陸軍墓地 線香台(戦後)(島根松江)


階段
当時は石段だった様ですが、コンクリートに改修されてしまいました。
松江陸軍墓地 入口の階段 (2)(島根松江)


周辺に転がる墓標
・・・。
松江陸軍墓地 慰霊塔裏の墓標(島根松江)

松江陸軍墓地 斜面に転がる墓標(島根松江)


主要参考文献
『歩兵第六十三聯隊史』 (昭和49年7月 歩兵第六十三聯隊史編纂委員会)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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