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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

陸軍船舶練習部 第十教育隊

海軍兵學校で有名な江田島、その北岸の幸(こう)ノ浦に陸軍船舶練習部 第十教育隊がありました。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 桟橋(広島江田島)
▲幸ノ浦に遺る突堤

【探索日時】
平成19年11月24日、平成30年11月11日





陸軍船舶練習部 第十教育隊 概要
第十教育隊では船舶練習部により選抜された海上挺進戰隊要員を招集、戰隊(第十一~五十三)を新編し四式肉薄攻撃艇(マルレ)による最終錬成を実施しました。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 幸ノ浦のマルレ(広島江田島)
▲幸ノ浦を航走中のマルレ

名称は“第十”教育隊ですが、海上挺進戰隊の訓練基地は当初、香川県の豊(て)島、次いで幸ノ浦しか無く、また挺進隊要員を輩出した船舶幹部候補生隊(豊浜)船舶特別幹部候補生隊(豊浜から小豆島)も2ヶ所しか無く、なぜ“第十”なのか不明です。


遺構について
陸軍船舶練習部 第十教育隊
昭和19(1944)年7月、四式肉薄攻撃艇が制式採用され、8月9日、陸軍船舶練習部(宇品)において海上挺進第一~第十戰隊の編成が開始されます。
戰隊要員は陸士(戦隊長、中隊長)、船舶幹部候補生隊(群長:豊浜)、船舶特別幹部候補生隊(隊員:小豆島)から銓衡され編成、小豆島西方の豊(て)島で1ヶ月の錬成を行い各作戦地に向かいました。

しかし、豊島は船舶司令部、船舶練習部(ともに宇品)から離れ不便な事から、8月下旬、船舶司令部は江田島北側の漁村・幸(こう)ノ浦を選定、郡長、村長の協力で用地の使用貸借(無償で借受、用途廃止後に返却)を受け木造本部、兵舎、練兵場等を急設、10月、陸軍船舶練習部 第十教育隊(松山作二中佐)を開設します。
用地の取得(地元の方談を参考)、施設建設の経緯は資料が無く詳細は不明です。
錬成は幸ノ浦と対岸の似島に挟まれた水道を訓練海域とし、ここを通過する海軍艦船を目標に、3日間の訓練と1日の休養を3回、都合9日の訓練を1括りとし、これを3回、約1ヶ月実施し修了、宇品に集結し作戦地に向かいました。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 ○レ艇の海上挺進戦隊の訓練基地があった「幸の浦」(広島江田島)
▲錬成を行った海域

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦時、海上挺進第四十一~五十、五十三戰隊が錬成中でした。
停戦に伴い施設、書類は焼却、用地は地権者に返却され、農地として開墾され、現在に至ります。

突堤
石造の突堤で有名な遺構です。
高さが高過ぎる事から、当時は浮き桟橋が繋留されていたのかも知れません。
戦後は農作物を広島に出荷する桟橋として使用されたそうです。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 桟橋 (2)(広島江田島)
▲西から

陸軍船舶練習部 第十教育隊 桟橋(広島江田島)
▲近影

陸軍船舶練習部 第十教育隊 桟橋 (4)(広島江田島)
▲反対側

陸軍船舶練習部 第十教育隊 桟橋 (3)(広島江田島)
▲上面はコンクリート舗装されています
  電柱や柵の残骸が遺りますが、当時の物か不明


-地下壕-
資料によると「東側の斜面に燃料格納用の隧道が多数掘削された」とありますが、当時を知る御婦人の話では「地下壕は施設背後の畦道に沿って多数掘削」されていた様です。
地下壕は戦後、開墾に伴う土取、造成で滅失してしまったそうです。
この御婦人(92)、昭和20(1945)年3月、女学校を卒業ののち、4月から海軍兵學校企画課に就職、生徒の時間割などを造っていたそうです。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 地下壕のあった斜面跡(左)(広島江田島)
▲地下壕のあった畑地
  当時は山裾がこの辺りまで伸びていたそうです


ア 地下壕
私有地内にあるため、場所は伏せさせて頂きます。
畑地の奥に遺ります。
慰霊碑の管理人の方に御案内頂きました。
畑は当時、練兵場だったそうで、退避用の地下壕の様です。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 地下壕ア(広島江田島)
▲見取図

陸軍船舶練習部 第十教育隊 ア 全景(広島江田島)
▲全景
  壕口4以外は殆ど埋まっています

陸軍船舶練習部 第十教育隊 ア4 壕口(広島江田島)
▲4壕口と御案内頂いたH氏

陸軍船舶練習部 第十教育隊 ア5 壕口(広島江田島)
▲5壕口

陸軍船舶練習部 第十教育隊 ア6 壕口(広島江田島)
▲6壕口

陸軍船舶練習部 第十教育隊 ア5→内部(広島江田島)
▲4壕口から内部

陸軍船舶練習部 第十教育隊 ア内部→5(右)・6(奥)(広島江田島)
▲内部から5(右)・6壕口方向

陸軍船舶練習部 第十教育隊 ア内部→5(広島江田島)
▲内部から5壕口

陸軍船舶練習部 第十教育隊 ア内部→6(広島江田島)
▲内部から6壕口


ウ 地下壕
掘りかけの様で、上記アの近くにあります。
形状から芋穴かも知れません・・・。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 ウ 壕(広島江田島)


イ 地下壕
道路沿いにあります。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 地下壕イ(広島江田島)
▲見取図

陸軍船舶練習部 第十教育隊 イ 壕口 (2)(広島江田島)
▲壕口

陸軍船舶練習部 第十教育隊 イ 壕口(広島江田島)
▲内部

陸軍船舶練習部 第十教育隊 イ壕口→1(広島江田島)
▲1

陸軍船舶練習部 第十教育隊 イ壕口→2(広島江田島)
▲2

陸軍船舶練習部 第十教育隊 イ壕口→3(広島江田島)
▲3


海上挺身戦隊戦歿者慰霊碑
昭和42(1972)年12月3日に建立されました。
慰霊碑の揮毫は初代教育隊長・松山作二中佐、碑文は第二代教育隊長・斎藤義雄中佐です。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 海上挺身戦隊戦没者慰霊碑(広島江田島)

大発の錨
上記慰霊碑に添えられています。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 大発の錨(広島江田島)


四式肉薄攻撃艇(マルレ)と関連部隊略史
昭和18(1943)年10月、南方より戻った挺進隊員(落下傘部隊)の菅原久一大尉は大本營陸軍部に対し自らが率いた快速艇部隊による体当たり攻撃を具申しますが、生還を期さない攻撃は大本營陸軍部の同意を得る事ができず即座に却下されます。

昭和19(1944)年4月、急迫する戦局に船舶司令部(鈴木宗作中将、宇品)は航空機に依らない、小型舟艇の体当たりによる敵上陸輸送船団の撃滅を立案、野戰船舶本廠において試作艇の研究、陸軍船舶練習部において技術面、戦術面の検討が開始されます。

また船舶司令部とは別に4月27日、大本營陸軍部も同様の着想により肉迫攻撃艇(マル二)を立案、陸軍兵器行政本部、第十陸軍技術研究所(内山鐵男中佐、白濱製造所内)に試作、技術面の検討を示達、船舶司令部の構想に同意し並行して研究が推進されます。

5月下旬、両者の試作艇が完成、試験ののち改良を加え、7月8日、第十陸軍技術研究所製の改良型試作艇(甲一號型)に絞られ、11日、千葉県岩井海岸において海軍の震洋と比較試験の結果、甲一號型を制式採用、四式肉薄攻撃艇(非匿名連絡艇、通称マルレ)と命名され、量産に入ります。
震洋が体当たりを本旨とするのに対し、マルレは敵艦船に接近し爆雷を投下後、反転帰還できる点で異なりました。
マルレは当初120kg爆雷2発を艇尾左右に装備しましたが威力不足が判明、後に250kg1発を艇尾に背負式装備に改修されます。
陸軍船舶練習部 第十教育隊 訓練中のマルレ(広島江田島)
▲訓練中のマルレ

陸軍船舶練習部 第十教育隊 海上挺進第五戰隊(台湾)(広島江田島)
▲後期型のマルレ(海上挺進第五戰隊 台湾)

7月7日、我が国は絶対国防圏の要所・サイパン島を失陥、敵が島嶼攻略において実施する強襲上陸に対し参謀本部は従前の水際撃滅は損害が甚大で爾後の継戦が著しく困難になる事から、24日、『爾後ノ作戰指導大綱』を策定、8月19日、「島嶼守備要領」を下達し、体当たり攻撃の採用、及び主陣地帯の後退配置と敵上陸前の航空機に依らない海上撃滅を示達します。

16日、船舶司令部内に海上特攻研究班を設置、マルレによる攻撃部隊の研究を開始します。

8月9日、軍令陸甲第百七號『船舶戰鬭参加令』が下令され、海上輸送、上陸作戦を主任務とする陸軍船舶部隊の攻撃第一線での運用を決定します。

マルレは海上挺進戰隊が運用、攻撃は隷属する軍司令官の命令により実行し、敵輸送船団が泊地に侵入した直後から上陸実施の夜明けの間とし、日没後に艇を泛水、1個戦隊(100隻)、または1個中隊(30隻)ごとに前進、輸送船(やむを得ない場合は小型艦艇)を攻撃目標とします。

海上挺進戰隊は決死攻撃のため全て志願者より銓衡、本部、3個中隊で編成され、各中隊は3個群(第一~第三群・直轄隊員)で編成、合計107名、マルレ100隻が配属されました。
また基地設定、舟艇の整備、泛水等の基地作業にあたる同じ隊号の海上挺進基地大隊(海上挺進第一戰隊に海上挺進基地第一大隊)が編成され、一体となり配備されます。
基地大隊は本部、3個中隊、整備中隊、通信班、医務室、経理班、重機關銃小隊で編成、合計900名が配属されます。

海上挺進戰隊(現地の軍司令官隷下)
本部・・・戦隊長、本部副官、予備隊、本部附(経理2、医務2)
戦隊長は陸士五十一・五十二期出身の少佐か同五十三・五十四期出身の大尉1名、本部副官は陸士五十七期出身(不足は五十五・五十六期、幹部候補生)の中尉か少尉で合計13名(マルレ10隻配備)、予備隊の隊長は少尉か見習士官、隊員は船舶特別幹部候補生出身の下士官8名(1名は戦隊長艇操縦)、ほか乗艇しない下士官3名

中隊・・・第一~第三中隊
中隊長は陸士五十七期出身(不足は上記と同じ)の中尉か少尉で合計31名(30隻)

・・・第一~第三群・直轄隊員
群長は船舶幹部候補生出身の少尉か見習士官、隊員は船舶特別幹部候補生出身の下士官8名、中隊直轄隊員は特幹出身の下士官3名(1名は中隊長艇操縦)

海上挺進基地大隊(現地進出の海上挺進基地本部隷下)
本部・・・大隊長、本部附
大隊長は特別現役志願将校(幹候出身の予備役から特に現役になった者)の少佐か少尉候補者から昇進の大尉、副官は同中尉、本部附の下士官、兵数名

中隊・・・第一~第三中隊(作業中隊)180名
各中隊は中隊指揮班(准尉)、第一~第三中隊(中尉、少尉)で構成、各小隊は第一~第三分隊(軍曹・伍長)で編成されます。
中隊長は上記と同じ大尉か中尉

整備中隊・・・60名
中隊長は同上

重機小隊・・・30名、重機関銃4、軽機関銃12、重擲弾筒16

昭和18(1943)年12月14日、勅令第九百二十二號により「航空、船舶、通信、技術等關係部隊ノ戰力ヲ急速ニ強化スル為實務教育ヲ主トスル下士官補充制度」が定められ、12月15日、15歳以上20歳未満の志願者(中学校3年2学期修了程度の学力保有者)から航空、船舶関係の陸軍特別幹部候補生採用が行われます(1年6か月の教育修了ののち伍長に任官)。

昭和19(1944)年4月10日、特幹第一期生からなる船舶特別幹部候補生隊(於保佐吉中佐、以下「船舶特幹隊」と略)1,890名が香川県三豊郡豊浜町(旧富士紡績㈱豐濱工場)に入隊、11日、船舶司令官・鈴木宗作中将、陸軍船舶練習部長・馬場英夫少将臨席のもと入隊式が挙行、基礎教育を開始します。
船舶特別幹部候補生隊は本部(部隊長:大佐、中佐、少佐)、6個中隊(中隊長:大尉、中尉)で編成されます。
各中隊は5個区隊(区隊長:少尉、中尉)で構成され、さらに区隊は2個教育班(班長:伍長、軍曹、班員31、2名)で構成されました。

25・26日、船舶幹部候補生第十期298名が陸軍船舶練習部(宇品)を出発、機動演習をしつつ豊浜に到着、29日、船舶幹部候補生隊(村中四郎大佐、以下「船舶幹候隊」と略)の開校式が挙行されます。
(甲種)幹部候補生は4ヶ月以上在営した兵(中等学校卒業以上の学歴保有者(から選抜、1ヶ月で伍長、3ヶ月で軍曹、教育修了後に曹長(見習士官)に任官しました。
船舶幹部候補生隊は本部(部隊長:大佐、中佐、少佐)、複数の中隊(中隊長:大尉、中尉)で編成されます。
本部は指導将校、見習士官、教官、筆生など100名、各中隊は5個区隊(区隊長:少尉、見習士官、区隊員30名)で構成され第一~第三区隊が甲板部要員、第四・第五区隊が機関部要員として専門教育を履修、前期(5~8月:基礎訓練)修了後に中隊、区隊の編成替えが行われ後期(9~10月:実地訓練・自主演習)の授業が開始されました。

5月12日、船舶幹候第十一期1,500名が入隊(12月15日、修了。うち100名が海上挺進戰隊群長要員に)、設備が狭隘になった事から、6月下旬から7月初旬にかけ、船舶特幹隊は香川県小豆郡渕崎村(旧東洋紡績㈱渕崎工場)に移駐します。

7月中旬、船舶司令部は海上挺進戰隊の幹部候補者として斎藤義雄少佐(陸士四十四期)以下18名を銓衡し招集、大角間(大カクマ)島の仮施設において四式肉薄攻撃艇(マルレ)20隻による操法、教育方法の研究を開始しますが、往来の多い広島湾では機密保持上、不適当のため、8月、幹部候補者は船舶特幹隊の指揮下に編入され、同隊の所在する小豆島近くの豊(て)島西端に移駐し研究にあたります。

8月9日、軍令陸甲第百七號により船舶司令官に、9月上旬から中旬までに海上挺進第一~第十戰隊の編成が下令されます。

15日、船舶幹候第十期が教程を修了、うち52名が海上挺進隊群長要員として船舶練習部に、25日、船舶特幹第一期の終了式が挙行され、1,718名が海上挺進戰隊要員として船舶練習部に、172名が船舶工兵第九聯隊補充隊(和歌山)に配属されます。

8月下旬、船舶司令部は小豆島が距離が離れ不便な事から、江田島北側の漁村・幸(こう)ノ浦を選定、本部、兵舎等を急設、10月、陸軍船舶練習部 第十教育隊(松山作二中佐)を開設します。
同教育隊は海上挺進戰隊要員が配属され、戰隊編成と後述1ヶ月の錬成を経て作戦地に向かいます。

8月31日、軍令陸甲第百二十號により船舶司令官に、10上旬から下旬までに海上挺進第十一~三十戰隊の編成が下令されます。

9月1日、海上挺進第一、第二、第三戰隊が宇品において編成、爾後第十戰隊まで宇品、10月1日以降、第十一~第三十戰隊までが幸ノ浦において編成されます。
編成完結後、戰隊は豊島において(第一~第九戰隊、第五、及び第十戰隊以降は幸ノ浦)3日間訓練を実施、4日目は渕崎に帰還し休養、5日目は再度豊島において3日間の訓練を実施、都合9日の訓練を3回実施し錬成を修了、宇品に集結し作戦地に向かいました。

10日、船舶特幹第二期1,900名が入隊します。 ・・・小豆島
(昭和20年1月10日、教程修了。配属先は船舶工兵第九聯隊476名、船舶整備教育隊302名、海上驅逐隊298名、機動輸送隊248名、潜水輸送教育隊202名、船舶通信聯隊130名、船舶工兵通信隊56名)

12日、船舶幹候第十二期1,300名が入隊します。 ・・・豊浜
(昭和20年4月29日、修了。うち海上挺進戰隊群長要員100名)

10月1日、幸ノ浦において海上挺進第十一戰隊(多國清二少佐)、海上挺進第十二戰隊(高橋功大尉)が編成されます。
※海上挺進戰隊は後述

昭和20(1945)年1月15日、特別甲種幹部候補生(特甲幹第一期生)が船舶幹候隊に入隊(教育中に停戦)します。・・・豊浜

2月10日、船舶特幹第三期2,160名が入隊します。 ・・・小豆島
(昭和20年5月29日、修了。船舶工兵第九聯隊補充隊673名、海上挺進戰隊要員1,193名、甲種幹部候補生249名、指導候補生39名、ほか27名)

6月10日、船舶特幹第四期2,100名が入隊(疎開中に停戦)します。 ・・・小豆島

18日、船舶幹候第十三期1200名が入隊(教育中に停戦)します。 ・・・豊浜

8月6日0815、広島市に米軍により原子爆弾が投下され県庁機能が麻痺したため、1130、船舶司令官・佐伯文郎中将は隷下部隊に平常業務と教育訓練の中止、全力での罹災者の救助を下令します。

15日、船舶幹候隊、船舶特幹隊は教育中、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

8月30日、軍令陸甲第十一號により除隊、復員完結します。


海上挺進戰隊 一覧
第一~第十は宇品、第十一以降は幸ノ浦で編成、編成年は昭和19年。
           編成日    戦隊長       配備   散華者数
 海上挺進第一戰隊  9月1日  梅澤裕 少佐   沖縄座間味島  70名
  〃  第二戰隊  9月1日  野田義彦 少佐  〃阿嘉島    41名
  〃  第三戰隊  9月1日  赤松嘉次 少佐  〃渡嘉敷島   21名
  〃  第四戰隊  9月13日 金子昌効 少佐  〃宮古島     23名
  〃  第五戰隊  9月15日 近藤三男 大尉  台南州徳庄    3名
  〃  第六戰隊  9月15日 日比野三郎 少佐 比島シムロン  86名
  〃  第七戰隊  9月15日 内田旭一 大尉   〃マウバン   96名
  〃  第八戰隊  9月18日 秋山軍士 大尉   〃マウバン   30名
  〃  第九戰隊  9月18日 上法真男 大尉   〃インファンタ 74名
  〃  第十戰隊  9月4日  菅原久一 少佐   〃トンゴヒン   95名
  〃  第十一戰隊 10月1日  多國清二 少佐  〃テルナーテ  93名
  〃  第十二戰隊 10月1日  高橋功 大尉   〃スアル 出撃  96名
  〃  第十三戰隊 10月5日  馬場計藏 大尉  〃マビニー    86名
  〃  第十四戰隊 10月5日  江島光記 大尉  〃マビニー    83名
  〃  第十五戰隊 10月5日  小串修 大尉   〃ナスグブ 出撃 93名
  〃  第十六戰隊 10月5日  月井禎吉 大尉  〃アニラオ    88名
  〃  第十七戰隊 10月15日  富田博 少佐  〃マニラ市外バコー 94名
  〃  第十八戰隊 10月15日  若林一 大尉    海没・復帰    87名
  〃  第十九戰隊 10月15日  井奥定司 大尉  主力海没、9名比島サンワケン 99名
  〃  第二十戰隊 10月15日  住田隆 大尉   台南州朴子    49名
  〃  第二十一戰隊 10月15日 林仁 大尉    高雄州坊山庄   13名
  〃  第二十二戰隊 10月25日 吉澤牧夫 大尉  潮州郡七里渓  35名
  〃  第二十三戰隊 10月25日 御厨善四郎 大尉 高雄州生海岸  50名
  〃  第二十四戰隊 10月25日 稲田滿徳 大尉   高雄州湖庄   8名
  〃  第二十五戰隊 10月25日 多々良武敏 少佐  台南州大内庄 1名
  〃  第二十六戰隊 10月25日 足立睦生 大尉   沖縄糸満 出撃 90名
  〃  第二十七戰隊 10月25日 岡部茂巳 少佐   〃与那原   80名
  〃  第二十八戰隊 10月28日 本間俊夫 少佐   〃湊川    86名
  〃  第二十九戰隊 10月28日 山本久徳 大尉   〃北谷 出撃 55名
  〃  第三十戰隊  10月28日  富田稔 少佐  艇海没、宇品  16名
  〃  第三十一戰隊 20年8月仮編成 田中外三郎 大尉 鹿児島小根占
  〃  第三十二戰隊   〃  速見鋼一 大尉  日南市
  〃  第三十三戰隊   〃  坂口景美 大尉  福岡長糸
  〃  第三十四戰隊   〃  西山定 大尉  福岡折尾・若松
  〃  第三十五戰隊   〃  田村一 大尉  鹿児島五位野
  〃  第三十六戰隊   〃  伊藤重信 大尉 鹿児島川内・比野
  〃  第三十七戰隊   〃  梅田恒男 大尉 熊本天草
  〃  第三十八戰隊   〃  山下作男 大尉 佐賀唐津
  〃  第三十九戰隊   〃  中島幸男 大尉 高知久礼
  〃  第四十戰隊    〃  森本正二 大尉 和歌山有田
  〃  第四十一戰隊   〃  岡田与平 大尉 幸ノ浦 錬成
  〃  第四十二戰隊   〃  草深圭二 大尉   〃
  〃  第四十三戰隊   〃  松本初雄 大尉   〃
  〃  第四十四戰隊   〃  藤井昌三 大尉   〃
  〃  第四十五戰隊   〃  中川明 大尉    〃
  〃  第四十六戰隊   〃  丸山正文 大尉   〃
  〃  第四十七戰隊   〃  丹羽昭 大尉    〃
  〃  第四十八戰隊   〃  石川巽 大尉    〃
  〃  第四十九戰隊   〃  清水健 大尉    〃
  〃  第五十戰隊     〃  石塚恒三 大尉  〃
  〃  第五十三戰隊   〃  都留俊一 中尉   〃
特設海上挺進第五十一戰隊 〃 吉村勝也 大尉 福岡今津
  〃     第五十二戰隊 〃 川崎又一 中尉 福岡深江
※特設戰隊の人員、マルレは通常戰隊の半分



主要参考文献
『マルレの戦史(改訂・増補版)』 (平成21年 陸軍船舶特別幹部候補生第一期生会マルレの戦史編集部)

『戦後七〇年 留魂像に思いをはせて 豊浜暁部隊の記録』 (平成27年9月 観音寺市文化財保護協会)

『日本特攻艇戦史』 (平成20年8月 木俣慈郎 光人社)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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