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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大日本國防婦人會 關西本部會館

大坂城のほど近く歩兵第八聯隊、歩兵第三十七聯隊に近接して大日本國防婦人會 關西本部會館がありました。
大日本國防婦人會館 關西本部會館 建物(改築) (2)(大阪)
▲今は無き大日本国防婦人会館 関西本部会館

【探索日時】
平成21年1月13日





大日本國防婦人會 關西本部 概要
大日本國防婦人會の前身、大阪國防婦人會の発祥は諸説ありますが、昭和7(1932)年3月18日に結成、12月13日、大阪國防婦人會は大日本國防婦人會 關西本部に改組され、昭和16(1941)年8月26日、既存の愛國婦人會、大日本聯合婦人會と合併、大日本婦人會が発足、昭和17(1942)年5月6日、大日本婦人會 大阪支部が結成されます。
昭和20(1945)年6月13日、急迫する戦局に大日本婦人會は解散します。

会は「國防は台所から」を合言葉に、常着にたすき掛けの割烹着を制服とし活動は出征、凱旋、入退営将兵の歓送迎、傷病将兵の慰問、英霊の出迎え並びに弔葬、傷痍軍人並びに遺家族の慰問、前線将兵への慰問袋の発送、さらに神社への武運長久祈願参拝、国産愛用、物資節約、金属回収、航空機献納運動を発起、警防団に協力し防空演習への参加、後に空襲に際して消火、救護など銃後において男性に劣らぬ活動力を発揮します。


遺構について
大日本國防婦人會 關西本部會館
大日本國防婦人會 關西本部の会員激増、業務拡大に伴い会館建設の要望が高まった事から、昭和8(1933)年12月23日、皇太子殿下御降誕の記念事業として会館新設が計画されます。

八代チエ女史の斡旋により、国婦幹部の基金、及び一般会員の醵金により上町に291坪を確保、昭和11(1936)年、着工、昭和12(1937)年9月(3月1日説あり)、竣工し(財)關西本部會館が運営します。
昭和17(1942)年5月6日、大日本國防婦人會の解散に伴い(財)關西本部會館も解散、清算法人になります。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』が煥発、16日、停戦に伴い、9月25日、米第6軍第1軍団が和歌山市二里ヶ浜に上陸、26日、市内の住友銀行ビルに司令部を設置、關西本部會館は接収され陸軍病院食堂、次いで対敵諜報隊本部に転用されたため、清算業務が遅延します。
昭和28(1953)年9月、接収解除に伴い清算業務を再開しますが、運輸省大阪陸運事務所が同居したため婦人団体が退去を要求、昭和31(1956)年9月10日、(財)大阪婦人会館が設立(昭和32年4月1日より大阪府委託事業を開始)されます。
昭和33(1958)年6月、陸運事務所が退去、昭和38(1963)年4月、改修工事が竣工、(財)大阪婦人会館に改称、平成6(1994)年4月1日、新築された大阪府立女性総合センターに移転、会館は大阪府警察本部上町別館として転用されますが、平成25(2013)年1月、NTT都市開発に売却され、平成26(2014)年1月、解体され滅失、跡地はマンションが建設されます。
平成21(2009)年1月13日時点で既に閉鎖されていました。
大日本國防婦人會館 關西本部會館 建物(改築)(大阪)
▲全景

大日本國防婦人會館 關西本部會館 建物(改築) (2)(大阪)
▲建物が建て込んでおり、正面側からしか見えません

何時もお世話になっているBESAN様のサイト『まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室』に当時の写真があります。
これを見ると正面の出っ張り、窓の位置、形状など相当改築されているのが判ります。
大日本婦人会関西本部会館

大日本國防婦人會 關西本部 略歴
大日本國防婦人會の前身、大阪國防婦人會の発祥は2説あります。
① 『東區史 第二巻』、(財)大阪婦人会館の公式記録
昭和6(1931)年9月18日、柳条湖事件(滿洲事變)が勃発、昭和7(1932)年1月28日、上海事変が勃発、応招に応じた関西在住者が大阪港より帰郷するに際し見送る境遇に差がある状況を見た港区市岡在住の安田せい女史は「国のため身を捧げる人々が安心して出征頂く事が後に残る婦人の務め」と感じます。
安田女史は市岡婦人會々員・三谷英子(後述せんと同一人物?)女史の協力を得て同志の婦人を呼集、早朝の大阪港築港桟橋、深夜の大阪駅において出征兵士を労う活動を開始、昭和7(1932)年3月18日、市岡第五尋常小学校において大阪國防婦人會を設立します。
この母性愛による大阪市の婦人たちの行動は大阪を通過する全ての軍人に感銘を与え、陸軍の後援を得て全国に広まります。

② 『大阪歩兵第三十七聯隊史 上巻』
昭和6(1931)年9月18日、柳条湖事件(滿洲事變)が勃発、第四師團に対し關東軍衛生隊要員の抽出が下令、隷下各歩兵聯隊より1個小隊が抽出され、歩兵第三十七聯隊は井上清一中尉が小隊長に任命されます。
12月12日夜半、新婚間もない千代子夫人は出生する夫の後顧の憂いを断つべく、白無垢姿の正装に着替えると懐剣で頸動脈を切り覚悟の自決を遂げます。
13日、井上中尉は出征、14日、阿倍野斎場において千代子夫人の葬儀が行われ、この壮挙は日活が『ああ井上中尉夫人』、新興キネマは『死の餞別』として映画化されます。

後日、夫人の故郷・長滝での追悼会において井上夫婦を媒酌した安田せい女史、同行の三谷せん女史が参列していた井上中尉の同期・堀田俊中尉に「婦人も戦争の役に立たねばならない非常時」と力説、婦人國防奉仕會結成を主眼とする檄文を全国に配布、婦人國防奉仕會では冗長なため、昭和7(1932)年3月18日、大阪國防婦人會として発足します。

10月27日、陸軍省の支援により大日本國防婦人會(本部長:荒木錦子女史(貞夫陸相夫人)が発会、12月13日、大阪國防婦人會は大日本國防婦人會 關西本部に改組されます。

昭和9(1934)年4月10日、大日本國防婦人會總本部設立総会が挙行され、武藤信義陸軍大将の婦人・武藤能婦子女史が会長に就任し組織強化が図られます。

当初、常着にたすき掛けの割烹着でしたが、戦争の激化に伴いモンペに変更、機密保持のため出征兵士の見送りも制限される様になります。

昭和16(1941)年8月26日、大日本國防婦人會(國婦:陸海軍省系)は既存の愛國婦人會(愛婦:内務省系)、大日本聯合婦人會(聯婦:文部省系)と合併、大日本婦人會が発足、昭和17(1942)年5月6日、大日本婦人會 大阪支部が結成されます。

昭和20(1945)年6月13日、急迫する戦局に大日本婦人會は解散します。


主要参考文献
『続東区市 4』(昭和56年 大阪市東区史刊行委員会)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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