FC2ブログ

当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

歩兵第四十聯隊 炊事場 【移設】

鳥取県八頭郡八頭町に鳥取市に所在した歩兵第四十聯隊兵営の炊事場が移設されています。
歩兵第四十聯隊炊事場 南東から(鳥取)
▲移設され農機具小屋に転用されている炊事場

【探索日時】
平成30年12月25日





歩兵第四十聯隊 概略
明治29(1896)年1月、政府は外圧、特にロシアの侵攻に備え安全保障のため、軍備増強を決定、3月14日、陸軍省は『陸軍平時編制』を改定し第七から第十二師團の編成を決定します。
5月1日、陸軍省は『陸軍常備團體配備表』を改正し、鳥取市に歩兵聯隊の設置を決定、8月下旬、兵営が起工され、明治30(1897)年4月25日、大阪から歩兵第四十聯隊が転営して来ます。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』が煥発、16日、停戦に伴い、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により聯隊兵営は内務省を通じ大蔵省に移管されます。

10月29日、米軍が聯隊兵営を接収、昭和22(1947)年10月、兵営は大蔵省に返還されます。

昭和24(1949)年5月31日、兵営において鳥取大学が発足、昭和41(1966)年4月、大学は湖山町に移転したため、跡地は高田勇・鳥取市長の誘致を受けた三洋電機㈱が買収し、7月1日、鳥取三洋電機㈱として発足します。

昭和45(1970)年、鳥取三洋電機㈱は敷地内の不要建物3棟を払い下げ、炊事場は牛舎として現在地に移設されます。
昭和55(1980)年、農機具小屋に転用され、現在に至ります。

※『歩兵第四十聯隊』についてはこちら


遺構について
歩兵第四十聯隊 炊事場
兵営には東側に第一炊事場、南側に第二炊事場・汽罐場があった様(同時期に払い下げ)ですが、該当遺構がどちらか不明です。
遺構は幅11×奥行24m木造平屋建、瓦葺で小屋根を乗せた建物で、北・西側に増築、間柱が増やされてはいるものの、大きな改築は無く驚異的な保存度です。
建設年は不明ですが、兵営跡に遺る兵舎と同様、明治29(1896)年頃と言われます。

歩兵第四十聯隊炊事場 東から(鳥取)
▲間口側(幅11m)

歩兵第四十聯隊炊事場 東から内部(鳥取)
▲内部
  天井板があり小屋組は余り見えません

歩兵第四十聯隊炊事場 南から(鳥取)
▲南側
  全面に窓ガラスが付いていますが兵営時代からある物か不明

歩兵第四十聯隊炊事場 南西から(鳥取)
▲同じく南側

歩兵第四十聯隊炊事場 南東から (2)(鳥取)
▲窓ガラスの詳細

歩兵第四十聯隊炊事場 北西から(鳥取)
▲北側の庇は移築後の増築の様です

こちらの遺構は祐実総軍三等兵様と見学して来ました。


主要参考文献
『鳥取県の近代化遺産』 (平成10年 鳥取県教育委員会)
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
検索フォーム
正定事件の真実
戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。

リンク
最新コメント
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる