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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

佐世保海軍警備隊 三越高角砲台

魚雷試験場として知られる佐世保海軍工廠 川棚魚雷遠距離發射場の北側、川棚町三越(みつごえ)郷に佐世保海軍警備隊 三越高角砲台がありました。
三越防空高角砲台 ウ 奥から(長崎川棚)
▲畑に遺る弾庫

【探索日時】
平成24年1月28日、平成31年3月11日





佐世保海軍警備隊 三越高角砲台 概略
昭和16(1941)年11月12日、軍令海第二十三號『海軍警備隊令』により佐世保鎭守府麾下に佐世保海軍警備隊(千葉慶藏少将)が編成され佐世保第一海兵團に本部を開庁、佐世保鎭守府陸上防備部隊に部署、既設の軍港警備隊、防火隊、防毒隊、救護隊、高射指揮所、防空砲台15、防空見張所4・同特設見張所4ヶ所、特設監視艇、聴音照射所を佐世保海兵團より移管され管下に編入し佐世保鎭守府地区、及び西南海面の警戒にあたります。

昭和18(1943)年12月25日、大村地区防空のため三越郷に砲台設営を開始、昭和19(1944)年1月10日、三越高角砲台(吉田正光兵曹長、十二糎七×2)が竣工、佐世保海軍警備隊防空隊大村地区に部署されます。
9月1日、佐世保海軍警備隊防空部隊高射砲部隊川棚地区に部署されます。

10月25日0936、空襲警報発令、B29爆撃機が大村地区に来襲、0945、砲撃始め下令、三越は8発を発射しますが、戦果は無く、事後11月21日、昭和20(1945)年1月6日、5月4日と対空戦闘を実施、川棚地区に部署された古里、錐崎、川棚高角砲台とともに川棚海軍工廠などの防空にあたるなか、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

停戦時は十二糎七聯装高角砲2基、二十五粍機銃4基、高射装置、探照灯、同管制機各1基などが配備されていました。


遺構について
佐世保海軍警備隊 三越高角砲台
敷地は全域が借地だった様で兵舎は停戦後、小串小学校の仮校舎として使用ののち解体、現在は全域が畑地、住宅地、太陽光発電所になり砲座、探照灯座を始め殆どの遺構が滅失していますが、下記の遺構が遺ります。
三越防空高角砲台 三越砲台(引渡目録)(長崎川棚)
▲『引渡目録 佐世保海軍警備隊 長崎の部』を修正した配置図

三越防空高角砲台 三越砲台(長崎川棚)
▲遺構の配置

A 一番砲座
倉庫外周が円形に突き出しており、砲床部分かも知れませんが詳細不明です。
三越防空高角砲台 A 砲座 南から(長崎川棚)


B 弾庫
道路から下がった位置にあり、以前紹介した川棚、皆同にある物と同型です。
農機具小屋として使用されています。
三越防空高角砲台 弾庫(長崎川棚)
▲弾庫平面図

三越防空高角砲台 ア 東から(長崎川棚)
▲ア入口

三越防空高角砲台 イ 北東から(長崎川棚)
▲イ入口

三越防空高角砲台 イからウ(長崎川棚)
▲イ入口から見たウ弾庫本体入口

三越防空高角砲台 ウ 入口から(長崎川棚)
▲ウ内部

三越防空高角砲台 ウ 奥から(長崎川棚)
▲ウ内部から

三越防空高角砲台 ウ換気口 奥は道路(長崎川棚)
▲地上に出ている換気塔


C 発電機冷却水槽
樹園に5連の水槽が遺ります。
『引渡目録』には発電機の記載がありませんが、添付の配置図に記載があります。
三越防空高角砲台 C 貯水槽 北から(長崎川棚)
▲側面

三越防空高角砲台 C 貯水槽 内部(長崎川棚)
▲内部
  通常の冷却水槽と異なり仕切りがある事から生活用水等と共用だったと思われます。

※近所の方の付き添いで立ち入っています。


D 機銃座
発電所のあった平地(樹園)の西側の斜面に遺ります。
斜面を円形に掘り込んであります。
二十五粍単装機銃座の様です。
三越防空高角砲台 D 銃座?(長崎川棚)
▲全体

三越防空高角砲台 D 銃座? (2)(長崎川棚)
▲内部から


E 円形窪地
同じく斜面を円形に掘り込んであります。
直径が小さいので機銃座では無い様です。
三越防空高角砲台 E 銃座?(長崎川棚)
▲全体

三越防空高角砲台 E 銃座? (2)(長崎川棚)
▲内部から


F 機銃座
同じく斜面を円形に掘り込んであります。
こちらも大きさから二十五粍単装機銃座の様です。
三越防空高角砲台 F 銃座?(長崎川棚)


上記の他、川棚高角砲台と同型のコンクリート製掩体の遺構が遺っていた様ですが、太陽光発電所建設に伴い破壊されてしまいました。
この遺構は川棚史談会の説明では「探照灯座」となっていますが、位置が違う事から測距儀か単装機銃座と思われます。
三越の掩体
▲川棚史談会の資料から

その探照灯は北端の高地(竹藪)にあり探索してみましたが、住宅地造成の際に破壊された様で何もありませんでした。


主要参考文献
『引渡目録 佐世保海軍警備隊 長崎の部』

『佐世保海軍警備隊 戦時日誌』

『わがまちのお宝 川棚町』 (川棚町企画財政課)
川棚町役場 川棚史談会の展示
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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