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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

川棚海軍工廠 百津工員住宅 ・ 白石工員住宅

長崎県川棚町百津(ももづ)郷に所在した川棚海軍工廠 百津工場の北東に百津工員住宅、北西に白石工員住宅がありました。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 6(長崎川棚)
▲百津工員住宅に遺る2階建ての工員住宅

【探索日時】
平成31年3月10日





川棚海軍工廠 工員住宅 概要
昭和17(1942)年10月15日、佐世保海軍工廠 川棚分工場が開庁、九一式魚雷の製造を開始します。

昭和17年初旬、分工場開庁に続き、川棚町は川棚新興都市計畫事務所を発足させ、長崎県土木部の主導のもと官舎、工員宿舎、寄宿舎等を含む2,300,000坪の区画整理事業、すなわち駅前の整地、区画整理(工廠との取引商社と出張所開設)、江戸川の架橋、集団疎開地の選定、臨港線の計画施工により人口50,000人程度の市街形成を計画し随時実行します。

昭和18(1943)年5月1日、川棚分工場は川棚海軍工廠に改編され、九一式魚雷年産2,500本を目指します。

昭和19(1944)年1月27日、『川棚新興都市建設土地區畫整理』(内務省告示第三十八號)が告示され区域は五反田、石木、百津、小音琴、上組、中組、下組、白石、小串、三越、新谷と定められますが、急迫する戦局に役場の業務は繁忙を極め、計画半ばで、昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により、官舎、工員住宅は大蔵省に移管されたのち、川棚町に貸与されます。

11月24日、浦頭港が外地からの引揚港として指定され引揚者の上陸が開始されると、その一部が近隣の工廠の操業停止、解員に伴い大半が空家になった川棚海軍工廠 官舎、工員住宅に入居、また縁故を頼り移住する者が増加します(昭和23年10月時点で603世帯1,917名)。

昭和21(1946)年2月27日、失火により⑬第一工員宿舎が全焼、⑮第三・第四・第五・第十一工員宿舎の一部も失火により焼失(時期不明)します。
8月31日、⑤工員養成所の西半分は日本窯業㈱に払い下げられますが、昭和23(1948)年3月21日、全焼してしまいます。
昭和22(1947)年5月、⑭第二工員宿舎に川棚中学校が移転して来ます。

昭和45(1970)年8月30日、百津工員住宅南側が町営住宅として大蔵省から払い下げが決定、31日、契約完了、のち全域が個人に払い下げられ現在に至ります。
川棚海軍工廠 全体(現在)(長崎川棚百津)
▲川棚海軍工廠 施設配置
① 川棚海軍工廠 百津工場
⑤ 工員養成所
⑥ 川棚海軍共済病院
⑦ 馬場配水池
⑧ 百津配水池
⑨ 浄水場

⑩ 官舎
⑪ 白石工員住宅
⑫ 百津工員住宅

⑬ 第一工員宿舎
⑭ 第二工員宿舎
⑮ 第三・第四・第五・第十一工員宿舎
⑯ 第十二・第十三・第十四工員宿舎
⑰ 川棚憲兵分隊
※緑文字が当記事の紹介施設


遺構について
⑫ 百津工員住宅
川棚海軍工廠の工員住宅の中で最大の面積、最多の住宅が建てられました。
当時は中央の百津配水池を挟み南側に平屋建て2戸連棟が169棟、北側に2階建て4戸101棟がありました。
現在、平屋(半分残存も含む)65棟、2階建て(〃)21棟が遺りますが、数が多いので抜粋して紹介します。

-南側-
平屋の2戸連棟が三段の造成された敷地にびっしり並んでいました。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 川棚⑫(長崎川棚)
▲現存建物の位置

2 工員住宅
この区画は2戸連棟の長屋が狭い間隔で建設されていたため、非常に見通しが悪いです。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 2(長崎川棚)

5 工員住宅
2戸連棟の基本形状が完存しています。
増築する余地が無いため、ほとんどの住宅の改修度合いは外壁の改修程度です。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 5(長崎川棚)

9 工員住宅
物置に改造され無残な姿に・・・。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 9(長崎川棚)

10 工員住宅
2戸連棟が手前と奥に遺り往時の雰囲気を伝えます。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 10(長崎川棚)

12 工員住宅
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 12(長崎川棚)

14 工員住宅
2戸連棟の片方しか遺りませんが、外壁も当時のまま遺ります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 14(長崎川棚)

17 工員住宅
2戸連棟がほぼ当時のまま遺る貴重な建物です。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 17(長崎川棚)

18 工員住宅
2戸連棟の片方しか遺りませんが、外壁も当時のまま遺ります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 18(長崎川棚)

19 工員住宅
2戸連棟がほぼ当時のまま遺る貴重な建物です。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 19(長崎川棚)

27・28 工員住宅
それぞれ片方だけが遺ります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 27(左)・28(長崎川棚)

30 工員住宅
躯体はそのままで改修されている例。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 30(長崎川棚)

36 工員住宅
2戸連棟の基本形状が良く分かります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 36(長崎川棚)

39 工員住宅
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 39(長崎川棚)

46 工員住宅
2戸連棟が遺りますが外壁が改修されています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 46(長崎川棚)

49 工員住宅
遺構として状態は良いですが、建物としてはかなり劣化しています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 49(長崎川棚)

50 工員住宅
こちらは遺構、建物とどちらも状態が良いです。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 50(長崎川棚)

56 工員住宅
こちらも良好な状態です。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 56 (長崎川棚)

63 工員住宅
左側に増築がありますが、状態は良好です。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 63(長崎川棚)

64 工員住宅
改修されている例。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 64(長崎川棚)

防火水槽
百津工員住宅には7ヶ所現存しています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 ウ(長崎川棚)

排水溝
コンクリートの状態から当時の物と思われます。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 カ排水溝(長崎川棚)


-北側-
2階建て4世帯用の住宅が並んでいました。
元々4世帯用の住宅ですが、戦後の入居時に縦2世帯分を1世帯として入居(2階建て住宅)した様です。
多くが空家になっています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 川棚⑫(長崎川棚)
▲現存建物の位置

1 工員住宅
1階、2階ともに改修されていますが、2階部分は比較的原型が遺ります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 1(長崎川棚)

2 工員住宅
1階、2階ともに大きく改修されています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 2(長崎川棚)

3 工員住宅
1階は大改修されており原型がありません。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 3(長崎川棚)

4 工員住宅
全体的に1階部分が大きく増築されています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 4(長崎川棚)

5 工員住宅
1階、2階ともに大きく改修されています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 5 (1)(長崎川棚)

6 工員住宅
1階に増築があるものの2階はほぼ当時のままの様ですが、空家になりボロボロです。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 6(長崎川棚)

7 工員住宅
こちらも1階に増築があるものの2階はほぼ当時のままの様です。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 7 (1)(長崎川棚)

8 工員住宅
外壁が改修されていますが、ほぼ原型が遺ります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 8(長崎川棚)

9 工員住宅
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 9(長崎川棚)

10 工員住宅
1階に増築はあるものの、連棟の両方が遺ります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北10(長崎川棚)

11 工員住宅
こちらも1階に増築はあるものの、連棟の両方が遺ります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 11(長崎川棚)

12 工員住宅
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 12(長崎川棚)

13 工員住宅
こちらも1階に増築はあるものの、連棟の両方が遺ります。
特に手間側は2階の入口も遺ります。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 13(長崎川棚)

14 工員住宅
玄関部分に大きな増築がある以外は状態は良好です。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 14(長崎川棚)

15 工員住宅
ほぼ原型を留めている様ですが、空家になっています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 15(長崎川棚)

16 工員住宅
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 16(長崎川棚)

17 工員住宅
大きな増築も無く、原型を留めていますが、残念ながら空家になっており倒壊寸前です。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 17(長崎川棚)

18 工員住宅
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 18(長崎川棚)

19 工員住宅
大きく増改築されており、もはや原型がありません。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 19(長崎川棚)

20 工員住宅
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 20(長崎川棚)

21 工員住宅
大きく増改築されており、もはや原型がありません。
川棚海軍工廠 百津工員住宅北 21(長崎川棚)


⑧ 百津配水池
工廠、住宅の拡張に伴い⑦ 馬場、⑧百津に配水池が築造、川棚川沿いに浄水場が開設されます。
大東亜戦争停戦に伴い水道施設は大蔵省に移管ののち、昭和21(1946)年4月、川棚町に譲渡移管されます。
馬場配水池は後に廃止され住宅地になりますが、浄水場、百津配水池は改修され現在も運用されています。
川棚海軍工廠 百津工員住宅南 ⑧配水池 (1)(長崎川棚)


⑪ 白石工員住宅
停戦時、敷地の造成は行われていましたが、住宅は南側のみ建てられていました。
当時は2階建て45棟がありました。
経緯は不明ですが、百津工員住宅同様に町営住宅を経て高台の一部を除き個人に払い下がられた様です。
現在、2階建ての半分が1棟だけ遺ります。
川棚海軍工廠 白石工員住宅⑪(長崎川棚)
▲現存建物の位置

1 工員住宅
白石工員住宅で唯一遺る貴重な住宅。
川棚海軍工廠 白石工員住宅 1(長崎川棚)

ア 防火水槽
川棚海軍工廠 白石工員住宅 ア(長崎川棚)


主要参考文献
『川棚町郷土史』(平成14年3月 川棚町教育委員会)

『長崎県川棚の軍需産業都市化に伴う景観変化』 (平成26年 大平晃久)

川棚町郷土資料館展示資料
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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