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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

松江護國神社

国宝「松江城」の北側、北の丸に松江護國神社が鎮座されています。
松江護國神社 一の鳥居(島根松江)

【参拝日】
平成25年12月5日、平成29年11月6日

松江城観光の際はぜひ少し足を延ばし、殉国の御霊に感謝の誠を捧げてもらえればと思います。





松江護國神社は戊辰の役以降、大東亜戦争に至るまで国難に殉じた島根県(出雲、隠岐)出身、及び縁故のある英霊22,764柱が祭祀されています。
松江護國神社 拝殿 (3)(島根松江)
▲境内

松江護國神社 拝殿 (2)(島根松江)
▲拝殿

松江護國神社 拝殿(島根松江)
▲拝殿内


気凌霄漢之間 灯籠
西征(西南の役)忠死者十年祭の余剰金において明治21(1888)年4月、建立されました。
揮毫は初代陸軍軍医総監・松本順卿です。
松江護國神社 灯籠(島根松江)


-慰霊・顕彰碑-
翔飛の樹
昭和55(1980)年5月5日、島根少飛会により建立されました。
松江護國神社 少飛の樹(島根松江)

松江歩兵第142聯隊 比島戰歿者慰霊之碑
平成10(1998)年4月、比島一四二会により建立されました。
松江護國神社 松江歩兵第142聯隊 比島戦没者慰霊之碑(島根松江)

拓魂 満蒙開拓青少年義勇軍
昭和52(1977)年10月、満蒙開拓青少年義勇軍島根県拓友会連合会により建立されました。
松江護國神社 満蒙開拓青少年義勇軍 拓魂(島根松江)


松江護國神社 由緒 【地図】
明治31(1898)年7月24日、歩兵第二十一聯隊が広島から島根県那賀郡石見村黒川(現、浜田市)に転営し、毎年縁の英霊の招魂祭を斎行、また明治39(1906)年以来、毎年2回島根県主催の招魂祭が斎行されます。

昭和8(1933)年頃より県民間で招魂社建立が発議され気運が高まった事から、昭和10(1935)年6月12日、県内各種団体の代表者会議が開催され、島根縣招魂社建設奉賛會が発足、100,000円の予算で松江市、浜田市に2ヶ所の招魂社建立を開始します。

奉賛會は松江招魂社鎮座地を松江城北の丸、藩政期の上御殿跡7,685㎡に選定、昭和11(1936)年12月7日、歩兵第六十三聯隊を始め在郷軍人会、一般有志11,138名の奉仕により造成、昭和12(1937)年7月22日、造成が完了、続いて㈱鴻池組により社殿の建設に着工、昭和13(1938)年10月15日、松江招魂社が竣工します。
昭和14(1939)年3月13日、鎮座祭を挙行、2,313柱が祭祀されます。

15日、内務省令第十三號『招魂社ハ之ヲ護國神社ト改稱ス』発令により、4月1日、内務大臣指定とともに松江護國神社に改称します。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の渙発を受け大東亜戦争は停戦、連合軍の進駐により護國神社に対し干渉・抑圧が加わったため、島根神社に改称します。

昭和27(1952)年4月28日、サンフランシスコ講和條約の発行によりわが国は主権を回復、昭和28(1953)年12月9日、松江護國神社に復称します。

例大祭日
10月22日・23日
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プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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