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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

青野原陸軍演習場 高岡陸軍演習廠舎(旧青野原俘虜収容所)

兵庫県小野市、加西市にまたがり所在した青野原陸軍演習場の北端に高岡陸軍演習廠舎がありました。

同廠舎に隣接し大正年間に青野原俘虜収容所が開設されます。
高岡陸軍演習廠舎 H 便所 (2)(兵庫小野青野原)
▲民家内に遺る青野原俘虜収容所の浴場

【探索日時】
平成26年1月26日





青野原陸軍演習場 高岡陸軍演習廠舎 概略
明治21(1888)年3月30日、兵庫県加東郡、加西郡に跨る青野原に陸軍省騎兵局 青野軍馬育成所(明治29年5月11日、軍馬補充部 青野支部に改称)が開設されます。

明治32(1899)年1月18日、軍馬補充部 青野支部は閉鎖され、青野原陸軍演習場として転用、青野支部の施設を転用し大門陸軍演習廠舎が開設されます。
青野原陸軍演習場は第十師團(昭和13年8月31日から第十一師團、昭和20年4月1日から中部軍管區司令官に移管)隷下の諸団体が使用、主管1名、雇員1名により管理されます。

大門陸軍演習廠舎は元々軍馬補充部 青野支部の施設を改装したうえ、地積が狭く、演習場利用団体が増加するに連れ狭隘になったため、明治45(1912)年、演習場北端に高岡陸軍演習廠舎が開設されます。

大正3(1914)年7月28日、大正三四年戰役(第一次世界大戦)が勃発、8月23日、同盟国イギリスの要請に従い、我が国はドイツに宣戦布告、11月7日、第十八師團が青島を攻略し俘虜多数を獲得します。
大正4(1915)年5月、陸軍省は姫路市内の寺院3ヶ所に開設されていた俘虜収容所の集約を決定、6月21日、工事を落札した姫路市の五百旗頭喜八棟梁により高岡陸軍演習廠舎南側2,615坪に収容所が新設され、9月20日、青野原俘虜収容所が開設し姫路より俘虜が収容(最大時489名)されます。
大正8(1919)年6月28日、ドイツと、9月10日、オーストリアと講和条約が調印された事に伴い、大正9(1920)年4月1日、収容所は閉鎖され、設備は演習廠舎として転用されます。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により青野原陸軍演習場とともに高岡陸軍演習廠舎は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は全陸海軍用地の接収を示達して来ます。
11月9日、『緊急開拓事業実施要領』により、青野原は開拓地に指定され高岡陸軍演習廠舎は戦災者、引揚者により結成された開拓団住宅として払い下げられ、開拓が開始されますが、昭和21(1946)年6月、開拓地を含む演習場全域が米軍に接収され、開拓団は1/5に減少します。

昭和32(1957)年6月10日、演習場は大蔵省に返還、その際に開拓団に120町歩が払い下げられ、現在に至ります。
※詳細は前記事『青野原陸軍演習場』を参照

青野原陸軍演習場(施設番号)現在(兵庫小野)
▲青野原陸軍演習場周辺の陸軍施設
① 青野原陸軍演習場
② 大門陸軍演習廠舎
③ 高岡陸軍演習廠舎
④ 戰車第六聯隊
⑤ 姫路陸軍病院 青野原分院
⑥ 青野原陸軍射撃場
⑦ 戰車第六聯隊 自動車訓練場
⑧ 青野原憲兵分遣隊
名称は昭和14(1939)年頃
※緑文字が今回紹介の施設


遺構について
③ 高岡陸軍演習廠舎
高岡陸軍演習廠舎は現在、全域が住宅地、農地になっています。
北側にあった純粋な陸軍廠舎は農地になり遺構は遺っていない様で、現存する遺構は全て南側に隣接してあった青野原俘虜収容所の物になります。
高岡陸軍演習廠舎 青野原 現在(兵庫小野青野原)
▲遺構の配置

※何時もお世話になっているBESAN様のまちかどの西洋館別館に当時の正門写真が掲載されています。

F 廠舎
大門と同様、廠舎は戦後、開拓団住宅に転用した際に分割され1棟につき4世帯の住宅に転用されているため、その後の建て替えで一部(Fは1世帯分:1/4)しか遺っていません。
状態は良いのですが空家になっている様で、かなり荒れています。
高岡陸軍演習廠舎 F 廠舎 南東から(兵庫小野青野原)


G 廠舎
増築されていますが、ほぼ当時のままの様で非常に状態が良いです。
高岡陸軍演習廠舎 G 廠舎 北から(兵庫小野青野原)
▲北から

高岡陸軍演習廠舎 G 廠舎 北東から(兵庫小野青野原)
▲左側は切断面、右側が増築


H 浴場・便所
本来は倍の長さがありましたが、西側半分(便所)は撤去されています。
令和元(2019)年9月5日、兵庫県教育委員会にて兵庫県登録文化財として議決されました。
高岡陸軍演習廠舎 H 便所 (2)(兵庫小野青野原)
▲状態は余り良くありません

高岡陸軍演習廠舎 H 便所(兵庫小野青野原)
▲コンクリートの部分が浴槽でしょうか?


キ 井戸
屋根などは改修されていますが、柱や石製の支柱など原型を留めています。
高岡陸軍演習廠舎 キ 井戸(兵庫小野青野原)


ク 井戸
キ井戸と同規格のコンクリート製筒である事から井戸と思われます。
高岡陸軍演習廠舎 ク 井戸(兵庫小野青野原)


ケ 基礎
用途不明の基礎です。
高岡陸軍演習廠舎 ケ 基礎(兵庫小野青野原)


主要参考文献
『小野市史 第三、六、七巻』(平成16年3月、平成14年3月、平成12年10月 小野市史編纂専門委員会)

『小野市誌』(昭和44年12月 小野市誌編集会)

アジ歴各種史料
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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