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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠(火薬庫・弾薬庫編)

慶長5(1600)年9月15日、天下分け目の関ヶ原合戦で知られる関ヶ原町に名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠が所在しました。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 H 洞窟火薬庫 本室(滋賀関ヶ原)
▲洞窟式火薬庫

※第二回目は關ヶ原分廠の核心である火薬庫の紹介です。

【探索日時】
平成26年2月4・12日





名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠 概略
明治45(1912)年初旬、陸軍省は日露戦役後の軍備増強に対応すべく用地選定、土地買収を開始、大正2(1913)年、着工、大正5(1916)年12月、名古屋陸軍兵器支廠 關ヶ原兵器庫(昭和15年4月1日、名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠に改称)が竣工します。

昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦時、建築物27、木造甲種倉庫(清涼火薬庫)23、同乾燥庫4、半洞窟の乙種倉庫15、洞窟倉庫5棟がありました。

停戦後、米軍の接収を経て元地権者、開拓者、玉村に払い下げられ、近年まで遊園地があった事でも知られます。
地元では地名から「玉の火薬庫」、「関ヶ原火薬庫」、「関ヶ原弾薬庫」などと呼ばれています。
※詳細は前記事『名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠(管理・試験設備編)』


遺構について
名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠
現在、一部の洞窟火薬庫、歩哨舎は関ヶ原町により整備、案内板が建てられていますが、殆どが放置されています。
特に旧関ヶ原メナードランドの私有地?(『朝日新聞』(平成8年8月21日)には“開発業者が借りて”とある)に放置されている半洞窟火薬庫15棟は何とかしてもらいたいものです。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 関ヶ原 中心のみ(滋賀関ヶ原)
▲遺構の配置
※遺構紹介は前記事『名古屋陸軍兵器補給廠 關ヶ原分廠(管理・試験設備編)』からの続き

-火薬庫・弾薬庫-
シ 土塁
北端の土塁20m程が残ります。
この奥(南側)に木造の清涼火薬庫15棟と土塁がありましたが、昭和30(1955)年代に破壊されてしまいました。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 A 隧道とシ 土塁 北東から(滋賀関ヶ原)
▲北側
 ただの小山です

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 A 隧道とシ 土塁 南西から (2)(滋賀関ヶ原)
▲南側
 草刈りされており非常に見やすく、往時はこの様な姿だったと思われます

A 隧道
北側はブロックが積まれ倉庫に転用されていた様です。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 A 隧道 北から(滋賀関ヶ原)
▲北側

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 A 隧道とシ 土塁 南西から(滋賀関ヶ原)
▲南側

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 A 隧道内部 南から(滋賀関ヶ原)
▲内部

チ 歩哨舎
当地の歩哨舎は全てこの形状です。
この歩哨舎ですが、なぜか山側(火薬庫側)を向いています。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 チ 歩哨舎 北西から (3)(滋賀関ヶ原)


B 隧道
コンクリート製でス土塁唯一の入口(西側の火薬庫には中央の仕切土塁の裏側から入る)です。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 B 隧道 北から(滋賀関ヶ原)
▲土塁内部から

ス 土塁(東側)
E型の土塁が完存していますが荒れています。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ス 東側火薬庫内部 北西から(滋賀関ヶ原)
▲東側の火薬庫内部と土塁

セ 火薬庫基礎
東側の土塁内部にコンクリート製の基礎が遺ります。 
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 セ 火薬庫基礎(滋賀関ヶ原)

ソ 大和武尊腰掛石
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ソ 大和武尊腰掛石(滋賀関ヶ原)
▲全景

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ソ 大和武尊霊碩(滋賀関ヶ原)
▲石碑の揮毫は陸軍大臣・楠瀬幸彦中将
 閣下の陸相時代(大正2・3年)に建立された様です

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ソ 大和武尊腰掛石 (2)(滋賀関ヶ原)
▲腰掛石

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ソ 大和武尊霊碩 (2)(滋賀関ヶ原)
▲読み難い説明板・・・

ス 土塁(西側)
googleマップの空撮を見ると太陽光発電所になっており、破壊されている可能性があります。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ス 土塁西側内部 西から(滋賀関ヶ原)
▲西側の火薬庫内部と土塁

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ス 西側火薬庫内部 南西から(滋賀関ヶ原)
▲西側の火薬庫内部

タ 排水溝
西側の土塁内の山側に遺る石組の排水溝
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 タ 側溝 西から(滋賀関ヶ原)


C 隧道
コンクリート製でセ土塁唯一の入口(西側の火薬庫には中央の仕切土塁の裏側から入る)です。
こちらもgoogleマップの空撮を見ると太陽光発電所になっており、破壊されている可能性があります。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 C 隧道 南から(滋賀関ヶ原)
▲道路から
 もう少し草刈りしてくれたら・・・

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 C 隧道 北から(滋賀関ヶ原)
▲土塁内部から

ツ 土塁(東側)
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ツ 土塁南東側内部 北東から(滋賀関ヶ原)
▲東側内部と土塁

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 テ 土塁後端擁壁 北西から (3)(滋賀関ヶ原)
▲仕切土塁とテ後端擁壁

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 テ 土塁後端擁壁 北西から (2)(滋賀関ヶ原)
▲テ中央の仕切土塁の後端にある通路の擁壁です

ツ 土塁(西側)
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ツ 土塁南西側内部 北東から(滋賀関ヶ原)
▲西側内部と土塁

ト 火薬庫基礎
基礎の残骸が遺りますが、状態から戦後の鉄筋泥棒による破壊の様です。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ト 火薬庫基礎 中央付近 (2)(滋賀関ヶ原)
▲基礎

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ト 火薬庫基礎 西から (2)(滋賀関ヶ原)
▲残骸


ナ 擁壁
切通のコンクリート擁壁の様です。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ナ 切通擁壁 北西から(滋賀関ヶ原)


ニ 歩哨舎
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ニ 歩哨舎 西から(滋賀関ヶ原)


ヌ 擁壁
切通のコンクリート擁壁の様です。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ヌ 切通擁壁 南西から(滋賀関ヶ原)


ネ 歩哨舎
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 ネ 歩哨舎 東から(滋賀関ヶ原)


-洞窟火薬庫-
關ヶ原分廠の北西一帯の斜面に5基完存していますが、現在全ての火薬庫が放置されています。
火薬庫は幅9.45×奥行28.5×高9.45mの内庫を一回り大きな外庫に入れてある二重構造で、外側と内側(火薬庫)の隙間は60~80cm、内庫は入口から前室・中室・本室と3部屋が繋がる同一規格で造られています。
D 洞窟火薬庫
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 D 洞窟火薬庫 入口(滋賀関ヶ原)
▲入口

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 E 洞窟火薬庫 前室(滋賀関ヶ原)
▲前室(Eの写真)
 奥の両側に外側と内側の間の空間に入る入口があります

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 D 洞窟火薬庫 外周通路入口(滋賀関ヶ原)
▲空間への入口

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 H 洞窟火薬庫 外周通路から前室への階段(滋賀関ヶ原)
▲空間から入口(Hの写真)

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 D 洞窟火薬庫 外周通路 入口側から奥(滋賀関ヶ原)
▲空間はぐるっと一周できます

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 D 洞窟火薬庫 外周通路から本室天井方向(滋賀関ヶ原)
▲天井方向

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 H 洞窟火薬庫 外周通路から床下(滋賀関ヶ原)
▲床下

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 E 洞窟火薬庫 中室(滋賀関ヶ原)
▲中室(Eの写真)

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 D 洞窟火薬庫 本室(滋賀関ヶ原)
▲本室
 当時は壁面に銅板が貼られ、その上に木製の壁が貼られていました
 筋状の物は鉄の細い板で銅板の保持材と思われます


E 洞窟火薬庫
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 E 洞窟火薬庫 入口(滋賀関ヶ原)
▲入口

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 E 洞窟火薬庫 本室(滋賀関ヶ原)
▲本室


F 洞窟火薬庫
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 F 洞窟火薬庫 入口(滋賀関ヶ原)
▲入口

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 F 洞窟火薬庫 前室(滋賀関ヶ原)
▲前室
 車を入れるため?開口部が破壊されています

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 F 洞窟火薬庫 中室から入口(滋賀関ヶ原)
▲中室

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 F 洞窟火薬庫 本室(滋賀関ヶ原)
▲本室


G 洞窟火薬庫
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 G 洞窟火薬庫 入口(滋賀関ヶ原)
▲入口
 アホが落書きしています

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 G 洞窟火薬庫 前室(滋賀関ヶ原)
▲前室

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 G 洞窟火薬庫 中室(滋賀関ヶ原)
▲中室

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 G 洞窟火薬庫 本室(滋賀関ヶ原)
▲本室


H 洞窟火薬庫
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 H 洞窟火薬庫 入口(滋賀関ヶ原)
▲入口

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 H 洞窟火薬庫 前室(滋賀関ヶ原)
▲前室
 中室側から

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 H 洞窟火薬庫 中室(滋賀関ヶ原)
▲中室

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 H 洞窟火薬庫 本室(滋賀関ヶ原)
▲本室


-半洞窟火薬庫(乙種火薬庫)-
コンクリート製の火薬庫に土を被せた構造で、東向きに12室(2箇所を夫々7室と5室に区画)、北向きに3室(1箇所を3室に区画)が完存しています。
戦後はマッシュルーム栽培に使用された後、遊園地に転用、遊園地の閉鎖後はそのまま放置されています。
遊園地跡は全域が立入禁止になっており、入口から見える I ~O、道路際のU~Wしか見学できません。
I ~O 一號~七號 半洞窟火薬庫
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 I~O 乙種火薬庫(手前から) 北東から(滋賀関ヶ原)
▲遊園地入口から
 入口は門型の装飾と夫々にアラビア数字の1~7の番号が振られています


U~W 十三號~十五號 半洞窟火薬庫
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 UVW 乙種火薬庫(手前から) 北東から(滋賀関ヶ原)
▲全景

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 U 第十三號 乙種火薬庫 入口(滋賀関ヶ原)
▲入口(U 十三號)

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 W 第十五號 乙種火薬庫 入口(滋賀関ヶ原)
▲入口(W 十五號)
 開いていたので覗いてみました

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 W 第十五號 乙種火薬庫 前室から本室入口(滋賀関ヶ原)
▲前室
 中央に本室への入口、入口上部両側に円形の換気口、その下に内庫と外庫の間にある空間への入口があります

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 W 第十五號 外周通路 左奥から右奥(滋賀関ヶ原)
▲内庫と外庫の間にある空間

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 W 第十五號 乙種火薬庫 本室(滋賀関ヶ原)
▲内室

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 W 第十五號 乙種火薬庫 本室床の排水溝(滋賀関ヶ原)
▲床面にある排水溝

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 U 第十四號乙種火薬庫 屋根上の換気口(滋賀関ヶ原)
▲屋根上にある換気塔
 屋根中央に縦に低い換気塔2基、その中央にコンクリート柱(避雷針?)があります

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 U 第十三號乙種火薬庫 屋根上の換気塔(滋賀関ヶ原)
▲U十三號のみ奥にも塔状の換気塔2本があります

名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原町分廠 U 第十三號乙種火薬庫 屋根上の左側換気塔(滋賀関ヶ原)
▲U十三號の換気塔


主要参考文献
『関ヶ原の歴史 NO.119』(平成13年5月 関ヶ原歴史を語る会)

『岐阜新聞』(昭和21年1月16日、1月17日、昭和27年8月5日、9月25日、平成7年8月15日)

『朝日新聞』(昭和25年4月22日、平成8年8月21日、平成11年8月12・13・15・17・18・19・20日

『毎日新聞』(昭和27年8月5日)

『中日新聞』(平成7年8月13日、平成8年8月15日)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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