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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第一鈴鹿海軍航空基地(鈴鹿海軍航空隊)格納庫 【移設】

近鉄の塩浜検修車庫に鈴鹿市に所在した鈴鹿海軍航空隊第一鈴鹿海軍航空基地)の格納庫が移設されています。
鈴鹿海軍航空隊 第二格納庫(移設) 南西から(三重鈴鹿)
▲移設された第二格納庫

【探索日時】
平成26(2014)年3月19日





遺構について
鈴鹿海軍航空隊(第一鈴鹿海軍航空基地)格納庫
昭和12(1937)年7月16日、白子海軍航空隊(仮称)設立準備委員が設立され、河芸郡白子町玉垣(現、鈴鹿市)に航空基地・航空隊の設営を開始、昭和13(1938)年10月1日、鈴鹿海軍航空基地(昭和17年、第二鈴鹿海軍航空基地開設に伴い第一を冠称)において鈴鹿海軍航空隊が開隊、偵察術練習生の実用機教程を担当します。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の煥発を受け、16日、停戦、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により第一鈴鹿海軍航空基地は大蔵省に移管されますが、9月29日により米軍が三重県に進駐を開始し、第一鈴鹿海軍航空基地は接収ののち軍需品、航空機は第二鈴鹿に集められ爆破処分、用地、施設は大蔵省に返還されます。

12月、鈴鹿市は三重県の指導により海軍施設を転用し企業の誘致を開始、昭和21(1946)年9月、鈴鹿空施設にわかもと製薬㈱鈴鹿栄養工業所が進出、昭和22(1947)年、不要な第一、第二格納庫が解体撤去され、第二格納庫は近畿日本鉄道㈱に払い下げられ現在に至ります。

移築に際し屋根の形状がノコギリから切妻屋根に、正面も柱が追加されるなどかなり改築されていますが、雰囲気は残ります。
鈴鹿海軍航空隊 第二格納庫(移設) 南西から (2)(三重鈴鹿)
▲正面側
 通常非公開のため、この角度が限界です

鈴鹿海軍航空隊 第二格納庫(移設) 北西から(三重鈴鹿)
▲裏側
手前側は増築されています
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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