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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場

「チキンラーメン発祥の地」として知られる池田市に東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場がありました。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 あ 事務所? 南から(大阪池田)
▲中学校内に遺る事務所

【探索日時】
平成25(2013)年1月20日、平成30(2018)年7月1日、令和元(2019)年7月29日





生産設備
・リジェネレーティブ式ガス溶融窯(2t坩堝1基収容) 4基
・ 〃 (1t 〃 ) 6基
・ガス発生炉(帝乾式6t) 2基
ほか珪石粉砕場、原料混和場、ガラス撹拌場、選塊場、型落し場、研磨精査場、徐冷場、坩堝製造場


生産品目
・光学ガラスBK7、F1、F2、BaK1、BaK4、SF2、SF5、SK5、BaSF1
(種類は屈折率、アッベ数の違い)
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 工場③(大阪池田)
▲坩堝製造場(戦後撮影)


遺構について
昭和30(1955)年、中学校移転時は工場施設をそのまま転用しますが、随時建て替えられ現在は数棟を遺すのみです。
また外周に境界石標が数本、校内に2本移設されています。
校内はある事をきっかけに警備が厳重なため、特別に見学させて頂きました。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 現在(大阪池田)
▲遺構の配置

あ 事務所
鉄筋コンクリート造で西側に増築されています。
池田工場の配置図が無く詳細は不明ですが、正門から入って直ぐの位置にあり工場の中枢・事務所と思われます。
教育相談室として使用されています。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 あ 事務所? 南西から(大阪池田)
▲正面

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 あ 事務所? 正面玄関(大阪池田)
▲入口

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 あ 事務所? 南東から(大阪池田)
▲正面側は木が邪魔で見通せません

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 あ 事務所? 北東から (2)(大阪池田)
▲側面

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 あ 事務所? 北東から(大阪池田)
▲裏側


チ コンクリート基礎
正門脇、事務所横にある事から職札場か自転車置場の基礎と思われます。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 チ コンクリート基礎(大阪池田)


A 階段
池田工場と密接な関係にあった隣接する大阪工業試験所との往来用と思われます。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 A 階段(大阪池田)


B 階段
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 B 階段(大阪池田)


い 危険物置場
コンクリート造で鉄扉が遺り、構造から危険物置場と思われます。
用具置場として使用されています。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 い 危険物貯蔵庫? 南西から(大阪池田)
▲正面全景

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 い 危険物貯蔵庫? 西から(大阪池田)
▲側面

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 い 危険物貯蔵庫? 換気口(大阪池田)
▲外壁上部にある換気口

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 い 危険物貯蔵庫? 西側入口 (3)(大阪池田)
▲重厚な扉

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 い 危険物貯蔵庫? 西側入口(大阪池田)
▲扉裏側

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 い 危険物貯蔵庫? 西側入口 (2)(大阪池田)
▲内部から

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 い 危険物貯蔵庫? 西側内部天井(大阪池田)
▲天井

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 い外周の土堤(大阪池田)
▲「い」の外周にある土堤


D 側溝
素掘りの溝が遺ります。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 D 排水溝(大阪池田)


タ コンクリート基礎
用途不明の中央にボルトの遺る円形基礎が遺ります。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 タ 円形基礎(大阪池田)


ツ 会所
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 ツ 会所(大阪池田)


う 物置
コンクリート造で、鉄扉が遺り大きさから危険物の物置と思われます。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 う 倉庫 南東から(大阪池田)
▲正面

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 う 倉庫 内部(大阪池田)
▲内部


-境界石標-
正面に「陸軍用地」、真裏にアラビア数字の通し番号、頂部に線刻で方向表示のある標準的な石標です。
西側外周、及び校内に移設された物が遺ります。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 遺構(大阪池田)
▲外周に遺る境界石標の位置

ア 陸軍用地 39
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 ア 陸軍用地30(大阪池田)
▲正面

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 ア 陸軍用地30 (2)(大阪池田)
▲位置的に39なのですが「30」に見える?


イ 陸軍用地 40?
数字は見えませんが前後の石標から40と思われます。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 イ 陸軍用地(大阪池田)


ウ 陸軍用地 41
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 ウ 陸軍用地41(大阪池田)


エ 陸軍用地 42
表裏が逆を向いています。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 エ 陸軍用地42(大阪池田)


オ 陸軍用地
数字は読み取れませんでした。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 オ 陸軍用地(大阪池田)


カ 陸軍用地
同上。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 カ 陸軍用地(大阪池田)


キ 陸軍用地
塀に埋まっており校内からしか見えません。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 キ 陸軍用地51(大阪池田)


ク 陸軍用地
数字は読み取れませんでした。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 ク 陸軍用地(大阪池田)


ケ 陸軍用地 53
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 ケ 陸軍用地53(大阪池田)


コ 陸軍用地 30 (移設)
中学校内に移設されています。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 コ 陸軍用地30(大阪池田)

東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 コ 説明板(大阪池田)
▲横に建てられている案内板


サ 陸軍用地 2 (移設)
小学校内に移設されています。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 サ 陸軍用地2(大阪池田)


C 排水溝
素掘りの溝が遺ります。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 C 排水溝(大阪池田)

※同地の探索は初回下見で境界石標1本を発見、その後外周を祐実総軍さん、校内を愛知の研究者と共同で探索させて頂きました。


東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 沿革
大正12(1923)年9月1日、関東大震災が発災、陸軍における光学兵器を一手に製造していた陸軍造兵廠 東京工廠(旧東京砲兵工廠)精器製造所光學工場が甚大な被害を受けてしまいますが、陸軍省は復旧には多大な経費を必要とする事から、昭和8(1933)年10月、兵器生産設備を小倉兵器製造所(福岡県)へ移転集約(小倉工廠発足)するとともに、十条兵器製造所を新たに東京工廠として改編します。

次いで緊急処置として海軍指定工場の日本光學工業㈱(現、㈱ニコン)に光学兵器製造を依頼しますが、要求仕様に隔たりがあったため服部金太郎(㈱服部時計店(現、セイコーホールディングス㈱)社長)に要請し東京光學機械㈱(現、㈱トプコン)を設立、昭和6(1931)年9月18日、柳条湖事件(満洲事変)が勃発、光学兵器の需要が増大するなか、昭和14(1939)年頃には民間企業8社(のち12社)からなる陸軍八光會を組織し光学兵器の安定供給を図ります。

昭和12(1937)年7月7日、北支事変(9月2日、支那事変と改称)が発生、軍需品の需要増大に対応すべく陸軍造兵廠各工廠は設備を拡張、東京工廠も設備拡張用地確保のため光学兵器生産設備の埼玉県大宮町(現、大宮市)への移転を決定、昭和16(1941)年4月、施設の一部が完成し操業を開始、12月8日、大東亜戦争が開戦、昭和18(1943)年4月1日、東京第一陸軍造兵廠(昭和15年4月1日、東京工廠から改称)大宮製造所が開所します。

また、陸軍省は光学ガラス生産の関東集中による供給途絶を防ぐべく、関西方面での生産拠点を検討、昭和14(1939)年、商工省大阪工業試験所(篠崎英之助所長)に光学ガラスの研究、製造設備拡張を要請するとともに、同研究所に隣接して陸軍造兵廠大阪工廠 鉄材製造所管下に光学ガラス製造工場建設を計画します(昭和15年、所管を東京第一陸軍造兵廠に変更)。
昭和15(1940)年、商工省は大阪府豊能郡池田町(現、池田市)才田、尊鉢の民有山林20,000坪を買収、昭和16(1941)年、特殊ガラスの研究、製造工場として大阪工業試験所 池田分所を開設します。

昭和17(1942)年5月6日、留守第四師團経理部は池田分所隣接地の地権者2名から山林20,000坪を買収、東京第一陸軍造兵廠(杉浦辰雄中将)が建設を担当、設備を光学ガラスの権威・高松亭、建設計画、設備・原材料手配を柔山政武(大阪工業試験所から出向)、小林淳司造兵大尉が担当、同廠精器製造所(長山三男大佐)管下の工場として東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場(小林造兵大尉)が竣工、同年内より操業を開始します。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 工場②(大阪池田)
▲正門(戦後撮影)

同工場は嘱託として高松亭、綿谷政治郎、山部敬吉、田村嘉行、大塚三男、鍋島喜代治、技術者として稲垣源四郎、工藤哲夫(二代目工場長)、金關義則、池田恒夫、白井憲章、林庸、境野照雄、紀那文雄、上原喜代重を迎え光学ガラスの製造にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
東京第一陸軍造兵廠 大宮製造所 池田工場 工場①(大阪池田)
▲工場建屋(戦後撮影)

停戦後の経緯は資料が無く不明ですが、他の陸軍造兵廠と同様に米軍に接収、及び製造機械類は賠償指定物件に指定され搬出、敷地、建屋は大蔵省に返還されたと思われます。

昭和30(1955)年1月10日、小学校が池田工場跡地に移転し開校、昭和31(1956)年4月、高校が小学校北側に設立、昭和32(1957)年、中学校が小学校南側に移転、昭和41(1966)年3月31日、敷地、建屋は大蔵省から文部省に移管され現在に至ります。


主要参考文献
『新修池田市史3 近代編』(平成21(2009)年 池田市)

『埼玉産業 歴史探訪 第三回 光学産業上』(ぶぎん地域経済研究所)

『わが国における特殊ガラスの発達(Ⅳ)』(会田軍太夫)

旧土地台帳

移記閉鎖登記簿
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住の探索者。

明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達の足跡に触れ感じるため各地(西日本が多いです)を探索しています。
軍跡(軍事関連遺構)は当時を知る生きた教科書です。

精強帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、及び祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介しています。

戦後極端に盛られ歪められた歴史を公平に記述し、英霊の名誉回復、真の姿を知る一助になる事を目指し記述しています。


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