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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

第三十二軍司令部 戦闘司令所 衛兵詰所・合同無線通信所

沖縄の象徴、先日惜しくも焼失してしまった首里城の北側に第三十二軍司令部 戦闘司令所 衛兵詰所・合同無線通信所が遺ります。
豊見城七四高地 沖繩方面根拠地隊司令部壕(海軍司令部壕)と並び有名な遺構です。
第三十二軍司令部壕 ア(沖縄)
▲衛兵詰所と言われる耐弾施設

【探索日時】
平成19(2007)年11月15日、令和元(2019)年11月21日





遺構を紹介するにあたり祖国防衛のため戦い戦陣に斃れし第三十二軍、沖繩方面根拠地隊両将兵、その他の軍人、及び協力して戦った沖縄県職員、軍属、そして県民の御霊よ安らかならん。

第三十二軍司令部 戦闘司令所について
一般的に「第三十二軍司令部壕」と呼ばれていますが、当記事では正式名称の「第三十二軍司令部 戰鬭(戦闘)司令所」と記載します。

昭和19(1944)年3月15日、南西諸島防衛を担当する第三十二軍司令部の編成下令、27日、福岡市立第一高等女学校において編成完結(渡邉正夫中将)、29日、軍司令官以下福岡を出発、30日、空路那覇に進出、真和志村松川の蚕糸試験場に司令部を開設します。

8月、住民を雇用し津嘉山に地下式の戦闘司令所の設定を開始しますが地質、立地から戦闘司令所として不適当とされ軍経理部が使用します。

12月中旬、第九師團が台湾に移駐、同月より第二野戰築城隊?が首里城直下に戦闘司令所の設定を開始、昭和20(1945)年1月、軍司令部は師團司令部が置かれていた沖縄師範学校付属国民学校に移転、3月、『戰鬭司令所變更』(12月3日策定)に基づき戦闘司令所に移転、23日、軍参謀長・長勇中将により入口に「天岩戸戰鬭司令所」の墨書が掲げられます。
軍の攻勢転移に合わせ、4月29日、第二十四師團司令部、5月2日、獨立混成第四十四旅團司令部、21日、沖繩方面根拠地隊が移転して来ます。
5月27日、第三十二軍司令部は戦闘司令所を爆破し津嘉山の経理部壕へ移転、次いで30日、摩文仁へ移転します。
第三十二軍司令部壕 司令部壕 現在(沖縄)
▲第三十二軍地下戦闘司令所推定図(米軍調書より(5月5日以降の配置))
 時期に応じ配置は度々変更されます

31日、首里を攻略した米軍により司令所内の調査が行われたのち、戦後の開発により北側の第一、第二、第三、南側の第四入口は滅失、第五入口から150m、調査のため第二入口途中の直上から開けられた調査口から90m程が現存します。

昭和35(1960)年頃、那覇市が公開の可否のため調査しますが崩落が激しく断念、平成初期に公開検討されますが予算がかかる事から断念、令和2(2020)年、報道陣に公開され公開を望む声が高まっています。


遺構について
第三十二軍司令部 戦闘司令所 第一入口付近に形状、大きさがほぼ同じのコンクリート製耐弾施設4基が遺ります。
巷間では“第三十二軍司令部壕(の第一坑口)”や“坑口防護のトーチカ”などと言われていますが、位置、調査から繋がっていた可能性はあるものの入口自体では無く、また形状からトーチカでもありませんが詳細不明の施設です。

初回探索時に参考にした資料に「衛兵詰所」とあり室内の広さ、様子、位置から妥当だと思います。
またエは入口の木札から「合同無線通信所」とさせて頂きました。
第三十二軍司令部壕 第一壕口付近(沖縄)
▲遺構の配置(点線は推定)

ア 衛兵詰所
正面右側に入口がありますが鉄柵で閉鎖されています。
左側の穴は敵弾による破孔の様で窓では無い様です。
第三十二軍司令部壕 ア(沖縄)
▲全景

第三十二軍司令部壕 ア (2)(沖縄)
▲近影(入口)

第三十二軍司令部壕 ア坑口横、衛兵詰め所内部天井の穴(沖縄)
▲入口直上にある開口部

第三十二軍司令部壕 ア西側入口(沖縄)
▲左側にある破孔と思われる孔

第三十二軍司令部壕 ア東側入口から(沖縄)
▲内部

第三十二軍司令部壕 司令部壕 解説(沖縄)
▲近くにある説明板


イ 衛兵詰所
斜面を少し登った位置にありやや埋もれています。
第三十二軍司令部壕 イ(沖縄)
▲全景(入口)

第三十二軍司令部壕 イ内部(沖縄)
▲内部
 入口側から

第三十二軍司令部壕 イ内部 (2)(沖縄)
▲内部
 奥側から

第三十二軍司令部壕 イ奥通路(沖縄)
▲奥にある通路
 崩落していますが第一坑口に繋がっているのではと推測します


ウ 合同無線通信所
4基中唯一窓の様な孔と配線を通す様な孔があります。
入口に「旧第三十二軍合同無線通信所」の木札があり、他の3基と仕様が異なる事から、ウのみが通信所なのかも知れません。
第三十二軍司令部壕 ウ(沖縄)
▲全景

第三十二軍司令部壕 第三十二軍合同無線通信所標識(沖縄)
▲入口にある「旧第三十二軍合同無線通信所」の木札

第三十二軍司令部壕 第三十二軍合同無線通信所の被弾痕(沖縄)
▲弾痕

第三十二軍司令部壕 ウ内部 (2)(沖縄)
▲内部
 入口側から

第三十二軍司令部壕 ウ開口部(沖縄)
▲窓の様な開口部
 斜め上を向いており窓では無く何かを通す開口部の様です

第三十二軍司令部壕 ウ内部(沖縄)
▲通信施設に良く見られる配線孔

第三十二軍司令部壕 ウ碍子(沖縄)
▲碍子
 内部に3個ほど遺ります


エ 衛兵詰所
前面が大破しており流入した土砂で埋まっています。
第三十二軍司令部壕 エ(沖縄)
▲全景

第三十二軍司令部壕 エ (2)(沖縄)
▲倒壊した擁壁

第三十二軍司令部壕 エ通路から室内(沖縄)
▲内部
 殆ど埋まっています

第三十二軍司令部壕 エ室内から通路(沖縄)
▲奥にある通路

第三十二軍司令部壕 エ通路 奥から(沖縄)
▲通路
 奥から(入口側から撮影忘れた・・・)

第三十二軍司令部壕 エ奥通路崩落(沖縄)
▲通路の奥は崩落(埋戻し?)


供用部隊
第三十二軍司令部(球一六一六)
昭和19(1944)年2月17・18日、南洋の最大拠点・トラック島が敵艦上機の空襲により壊滅的損害を受けますが、大本営は米機動部隊の来寇が予測より遥かに早く損害とともに衝撃を受けます。

19日、大本営陸海軍部は合同研究を行い内南洋の防衛強化とともに本土、南西諸島、台湾、フィリピンの面による防衛準備が不可欠として、3月15日、同陸軍部は南西諸島、台湾を視察します。
同日、軍令陸甲第二十八号により南西諸島防衛を担当する第三十二軍司令部の編成下令、22日、戦闘序列が下令され、27日、福岡市立第一高等女学校において編成完結(渡邉正夫中将、8月10日から牛島滿中将)、29日、軍司令官以下福岡を出発、30日、空路那覇に進出、真和志村松川の蚕糸試験場に司令部を開設、4月1日0000、統帥を発動します。

4月15日、第三十二軍は大本営策定の『十號作戰準備要項』に基づき飛行場の設定を重点に作戦準備を進めます(地上戦力は奇襲及び飛行場、港湾施設防備のため2個混成旅團、1個混成聯隊を予定)。

5月3日、隷下に獨立混成第四十四、四十五旅團(8月、石垣島へ)、獨立混成第二十一聯隊等(奄美諸島へ)が編入されます。

6月15日、『南西諸島、臺灣及伊豆諸島方面ノ作戰ニ關スル陸海軍中央協定』(19年5月2日、大本営陸海軍部間で締結)に基づき、現地協定が結ばれ敵上陸に際し海軍は第三十二軍の指揮下に編入が決定します。
同日、米軍がサイパン島に上陸を開始、6月26日、大本営は南西諸島の防備強化のため第三十二軍隷下に第九師團、獨立混成第十五聯隊野戰重砲兵第一聯隊等を編入します。

7月1日、大本営より長勇少将(8日、第三十二軍参謀長に補職)が来沖、現地を視察し防衛構想、住民避難を調査、5日、「沖縄防衛には3個師團が必要」と意見具申します。

7日、緊急閣議において沖縄に敵来寇の可能性が高い事から沖縄、奄美大島、徳之島、宮古島、石垣島から老幼婦女子の本土、台湾への疎開、陸海軍の全面協力が決定しますが、未知の土地での生活不安、海路の危険性、また軍と泉守紀県知事との確執から疎開業務を進みませんでした。

8日、サイパン島守備隊が玉砕、20日、第三十二軍強化のため獨立混成第六十四旅團(奄美大島へ)、24日、第六十二師團、8月22日、第五砲兵司令部を隷下に編入します。
7月15日、帝國在郷軍人會沖縄支部は管内に防衛隊を編成します。

10月、米機動部隊がフィリピン侵攻準備として我が航空戦力を減殺すべく沖縄、台湾、南西諸島に来寇、10日0700~1545、5次(1飛行場/2飛行場・船舶/3港湾施設/4那覇市街/5那覇市街)に渡り艦上機1,300機が南西諸島に来襲(十・十空襲)、船舶、兵器、弾薬、糧食、被服に甚大な損害が出てしまいます。

10月17日、米軍がレイテ湾のスルアン島に上陸、18日、レイテ湾口に侵入、大本営は米軍の本格的侵攻と判断し、10月19日0000、捷一号作戦を発動します。

11月13日、大本営は台湾防衛のため第三十二軍より1個師團の抽出を決定、第三十二軍は砲兵力から第九師團の抽出を了承し、12月中旬から第九師團は逐次台湾へ移駐します。
当初、第三十二軍は敵の上陸に際し隷下火力を集中し橋頭堡を破砕、2日目までに総攻撃により敵撃滅を計画していましたが、11月26日、第九師團の抽出により戦略的持久に転換します。
また第三十二軍は獨立混成第四十四旅團の上陸来、逐次陣地を転換、敵上陸直前の配備は首里に軍司令部、その北方に第六十二師團、嘉手納湾に特設第一聯隊と賀谷支隊(獨立歩兵第十二大隊基幹)、知念半島に獨立混成第四十四旅團、島尻に第二十四師團、小禄半島に沖繩方面根拠地隊、国頭に國頭支隊でした。

12月、軍は県と中等学校生徒の戦力化について協議、敵の来寇に備え中学下級生に対し通信、女学校上級生に対し看護教育を実施、身分は軍人軍属とされ、昭和20(1945)年1月より教育を開始、3月24日、敵の艦砲射撃開始とともに各隊に配属されます。

昭和20(1945)年1月3日、B29爆撃機1機が沖縄本島中陸軍飛行場に来襲(偵察)、以降南西諸島には連日爆撃機、艦上機が偵察、空襲に来襲します。

22日、第八十四師團の沖縄派遣が内示されますが、23日、本土の戦力低下、輸送の困難から中止されます。

31日、島田叡・新県知事が着任、軍との関係は円滑になり、県外及び北部への疎開を促進、2月中旬、自ら台湾に渡り米3,000石を獲得するなど戦場行政に邁進します。
牛島中将、島田県知事ともに優れた人格者であった事から両者相互の信頼、尊敬が過酷な沖縄作戦を支え最後まで軍官民一体となった防衛戦の基盤となります。

2月中旬、3月上旬、急迫する戦局に第三十二軍は防衛召集を実施し兵力を増強します。

2月19日、硫黄島に米軍が上陸、3月1日、米艦上機670機が南西諸島一帯に来襲、23日0715、米艦上機355機が来襲、24日0650、艦上機の空襲に加え、0900、戦艦8ほか27隻が接近、本島南部、中城湾に艦砲射撃を開始します。

24日、第三十二軍は戦闘配備を下令、25日、米艦隊は4群44隻に増加、艦砲射撃は小禄半島、慶良間列島にも及びます。

26日0900、米第77歩兵師団が慶良間列島に上陸を開始、1100、聯合艦隊司令部は天一号作戦(沖縄周辺の敵艦船に対する特攻を主体とした航空攻撃)を発動します。
座間味島では海上挺進第一戰隊(梅澤裕大尉)、阿嘉島、慶留間島では同第二戰隊(野田義彦少佐)、渡嘉敷島では同第三戰隊(赤松嘉次大尉)が特攻艇、斬込みにより防戦しますが甚大な被害を受け遊撃戦に移行します。

27日、敵艦隊の艦砲射撃は沖縄本島北、中陸軍飛行場、南部の港川周辺に集中、28日1330、第八飛行師團(山本健児中将、台北)は那覇南方150kmの洋上に敵輸送船団100隻を発見します。

30日、連日の空襲、艦砲射撃により北、中陸軍飛行場は損傷、報告を受けた第三十二軍司令部は特設第一聯隊(青柳時香中佐)に両飛行場の破壊を下令、聯隊は滑走路を破壊ののち、31日、北飛行場付近に布陣します。

4月1日未明、嘉手納湾に集結した米軍は波平から平安山にかけ艦砲射撃、空襲に続き、0800、第10軍(サイモン.バックナー中将、北から第6、第1海兵、第7、第96歩兵師団)が一斉に上陸を開始(のち第27、第77歩兵師団加入)、特設第一聯隊が迎撃しますが甚大な被害を受け国頭地区に転進、中飛行場南側・平安山の海軍第十一砲台(西川康男兵曹長)は敵上陸用舟艇6隻を撃沈、全弾射耗ののち玉砕、1030、中飛行場、1130、北飛行場を失陥してしまいます。

敵は橋頭堡を構築しつつ、賀谷支隊(賀谷與吉中佐)の遅滞戦闘に誘引され、5日、第六十二師團(藤岡武雄中将)の主陣地・牧港-我如古-南上原-和宇慶の線に侵攻して来ます。

5日、第三十二軍は初日に飛行場を失陥した事に衝撃を受けた大本営、第十方面軍(安藤利吉大将)、第八飛行師團の要望を受け、飛行場奪還のため8日の攻勢転移を決定、6日、聯合艦隊司令部は第三十二軍の攻勢に呼応し菊水一号作戦を発動、第一遊撃部隊(伊藤整一中将、戦艦「大和」以下10隻)が沖縄に出撃しますが、7日、大和以下6隻が撃沈され作戦は中止、第三十二軍の攻勢も本島南部への敵上陸の可能性ありとの情報を受け、8日夕刻に延期されます。

8日、第三十二軍は獨歩十二・十三(原宗辰大佐)・十四大隊(内山幸雄大佐)(ともに第六十三旅團隷下)、12日、歩兵第二十二聯隊(吉田勝大佐)(第二十四師團隷下)、獨歩二十三(山本重一少佐)(第六十二師團指揮下)・二百七十三大隊(楠瀬一珍少佐)(獨混四十四旅團隷下)による夜襲を決行しますが、敵の防御に阻まれいずれも頓挫してしまいます。
8日、敵は嘉数-西原の線に浸透、9日、要所・嘉数高地に侵攻してくるも獨歩十三大隊(原宗辰大佐)が撃退、13日、軍は戦略的持久策に転移します。

19日、敵は陸海の砲撃支援とともに総攻撃を開始、第六十二師團は敵の上陸以来3個師団を迎撃し善戦、敵の侵攻を拒止していましたが戦力は半減、陣地崩壊の危機が生じたため、軍は第二十四師團(雨宮巽中将)を右翼、獨立混成第四十四旅團(鈴木繁二少将)を第六十二師團後方に部署、28日、敵は仲間-前田-幸地-翁長-我謝の線に侵攻してきます。

29日、軍司令部における幕僚会議において余力のあるうちに攻勢により敵を破砕すべく、5月4日に攻勢転移が決定します。

5月3日、攻勢主力の第二十四師團、獨混四十四旅團は攻勢発起点に進出、第五砲兵司令部(和田孝助中将)は全火力により夜間射撃を実施、4日、攻撃準備射撃に続き攻勢転移、歩兵第三十二聯隊第一大隊(伊東孝一大尉)は棚原高地に進撃するなど戦局は有利に進展しますが、各所で敵の逆襲を受け損害が増加、遂に進撃は頓挫し、5日、攻撃は中止、第二十四師團は戦力の2/3を失い、待機中の沖繩方面根拠地隊(大田實少将)から抽出された陸戦隊は出撃の機会無く旧陣地に復帰、敵の包囲環は首里2kmに迫ります。

6日、県は県民の士気鼓舞、食料増産、壕生活の改善指導のため後方指導挺身隊を創設します。

9日、兵力の損耗した第三十二軍は南部の予備戦力を加入させるとともに沖繩方面根拠地隊の兵力抽出を計画、11日、敵が首里外周の天久、沢岻、真嘉比に侵攻するに及び、海軍に首里への4個大隊、斬込隊20組(最終的に100組)の進出を下令します。

11日、敵の攻勢は激しさを増し、12日、首里西方の天久台、14日、澤祇高地、18日、要地・安里五二高地を失陥してしまいます。

21日、沖方根司令部は第三十二軍司令部に前進、急迫する戦局に同夜、軍司令部は各参謀長・高級参謀を招集し南部への転進について協議、第六十二師團以外は賛成(海軍は意見なし)を投じ、防御に適した喜屋武半島への転進を決します。

22日、敵は安里川を渡河し那覇市街に侵攻、軍は『新作戰計畫』(南部における隷下部隊の配置、作戦)、『退却作戰指導要領』(転進方法、23日以降戦局に応じ修正)を策定、25日、各部隊に下令します。
22日、また軍は首里周辺の民間人に島尻方面への避難を指示します。

25日、与那原方面の敵突破口拡大を阻止すべく第六十二師團への退却攻勢を下令しますが、連日の豪雨、極度の戦力低下により攻撃発起点への前進は遅れ、攻撃は中止されます。

26日、軍総予備に部署された小禄半島の沖方根は重砲火器、敵を利する設備を破壊、衣服を付近の壕に避難している民間人に配布し転進を開始、司令部を真栄平(与座岳南2km)に移転、27日、麾下部隊の転進が完了します。
しかし、第三十二軍は海軍部隊の転進は陸軍部隊の転進援護にあたった後、6月2日以降、追って下令する予定でしたが、早々に転進してしまった事に過早後退として小禄復帰を下令、28日、沖方根司令部は再び豊見城七四高地に復帰、29日、隷下部隊の復帰が完了します。

27日、第三十二軍司令部は津嘉山(30日、摩文仁八九高地へ)に移転、28日、第二十四師團(28日、津嘉山、29日、新垣へ)、29日、第六十二師團(29日、津嘉山を経て東風平へ)に転進が下令され、同日、敵は首里城、那覇市内第一波止場、国場川の明治橋に侵攻、31日、首里を失陥します。

27日、県挺身隊は兼城の秋風台に移転、退避してくる住民を誘導、29日、第二十四師團司令部において連絡会議が開催され、軍は避難民の知念半島方面への避難を要望しますが、すでに敵は知念半島へ浸透しつつあり断念されます。

31日、軍の転進を支えるべく、29日から識名に転進し戦線を保持していた獨立混成第四十四旅團司令部が長堂、6月1日、一〇八.七高地(摩文仁北東2km)に転進します。

6月1日、首里付近の高地帯を失陥、敵は軍収容陣地のある津嘉山に侵攻、獨混四十四旅團、歩兵第三十二聯隊(北郷格郎大佐)は敵を拒止した後、2日、国吉地区に転進します。

4日0500、第6海兵師団の敵水陸両用戦車100、兵600が垣花(小禄半島北部)に上陸を開始、沖方根は残存機銃、迫撃砲、噴進砲など全火力を集中、夜間斬込により迎撃しますが、敵は小禄海軍航空基地-当間-安次嶺-気象台、糸満街道以西に侵攻、沖方根は腹背に敵を受けるに至り大田少将は南部転進を断念、小禄半島の死守を決し七四高地西北西1km宇栄原の第九五一空戦闘指揮所に前進します。

5日、第三十二軍司令部は沖方根に真栄平への転進を下令、また牛島中将も親書を送り転進を促しますが大田少将は小禄死守の決意を返電します。

6日、敵は艦砲射撃の支援のもと具志-高宮城に侵攻、1732、大田少将は切迫する戦況に決別電とともに辞世の句を打電、夜間、沖方根司令部は七四高地に復帰、2016、世界戦史に残る不朽の名電文と言われる「沖縄縣民斯ク戰ヘリ」を打電します。
大田少将辞世
身はたとえ 沖縄の邊に朽つるとも 守り遂ぐべし 大和島根は

9日、敵は小禄-金城-宇栄原-宜保に侵攻、沖方根の陣地包囲環は2kmに圧縮され負傷者も動ける者は肉薄攻撃に出撃するなど防戦に務めます。

11日、遂に七四高地が包囲されるに至り大田少将は麾下部隊に包囲された陣地を脱し遊撃戦への移行を下令、牛島中将に対し決別電を打電、同日、司令部は馬乗り攻撃を受けます。

12日1619、沖方根は最終電を打電、13日0100、沖繩方面根拠地隊司令官・大田實少将は拳銃で自決、沖方根は玉砕してしまいます。

6月3日、獨混四十四旅團の転進に伴い敵は津嘉山、宜寿次、友寄北側、日取真付近に侵攻、第二収容陣地守備の歩二十二、東風平東側の獨歩二十一大隊が拒止しますが、知念半島では重砲兵第七聯隊、船舶工兵第二十三聯隊が糸数方面に圧迫されます。

4日、第三十二軍は『新作戰計畫』に基づき軍司令部を摩文仁八九高地、第六十二師團司令部を山城(名城-真壁-摩文仁以南)、西側の第二十四師團司令部を宇江城(東風平-世名城-八重瀬嶽西側)、東側の獨立混成第四十四旅團(同東側)、第五砲兵司令部を摩文仁東側に配置します。

5日、敵は具志頭に侵攻、6日、歩二十二は第二収容陣地を徹し真壁に転進、7日、敵は激烈な砲爆撃とともに戦車16両を伴い獨混四十四旅團正面、また第二十四師團左翼の照屋、残波、世名城に侵攻してきます。
第二十四師團は嘗ての作戦地の有利から的確な砲兵運用と斬込により一時、敵を押し返すまで善戦します。

9日、敵は獨混四十四旅團、11日、第二十四師團の主陣地帯にそれぞれ侵攻、12日、東側の要地・八重瀬嶽に侵攻して来たため第六十二師團隷下の獨立歩兵第十三、同十五大隊を獨混四十四旅團指揮下に編入、防戦にあたるも損害が増加、16日、第二十四師團は与座岳を失陥、西側の敵は国吉、真栄平に侵攻して来ます。
獨混四十四旅團の苦戦に軍は第六十二師團隷下の歩兵第六十三旅團(中島徳太郎中将)を摩文仁に配置し東側の防備を強化します。
17日、獨混四十四旅團の主陣地が突破され、また第二十四師團も損害続出、歩兵第二十二聯隊は真栄平で爆薬攻撃を受け玉砕してしまいます。
第三十二軍司令部壕 栄里の塔(歩兵第二十二連隊ー吉田勝大佐ー慰霊碑)(沖縄)
▲栄里の塔(歩兵第二十二聯隊慰霊碑)

同日、前線視察中の敵将・第10軍司令官・サイモン.B.バックナー中将が我が砲兵の射撃により破砕された珊瑚石が直撃し戦死、爾後、敵の攻撃は報復要素が加わり避難民にも及びます。

18日、敵は新垣北側高地、真栄平北東高地、一五八高地に侵攻、各部隊は分断され敵中に孤立しながらも敢闘、獨歩十二、十三大隊は甚大な損害を受けながらも敵の摩文仁侵攻を拒止します。
防戦指揮のため第六十二師團司令部は摩文仁に前進しますが既に戦力は限界を超え八重瀬嶽を放棄、摩文仁防衛のため具志頭-米須の右側に獨歩十二、十四、左側に獨歩十五、二十一、二十二を配置、獨混四十四旅團は与座岳、仲座を最後まで死守する部署が行われます。
18日1820、第三十二軍司令官・牛島滿中将は第十方面軍に決別電と辞世の句を打電します。
牛島中将辞世
矢彈盡キ 天地染メテ 散ルトテモ 魂還リ魂還リツツ 皇國護ラン
秋待タデ 枯レ行ク島ノ 青草ハ 皇國ノ春ニ 甦ラナム]

19日、敵は工兵第二十四聯隊守備の新垣、第二十四師團前衛の真栄平を包囲、西側からは真壁、歩兵第六十四旅團守備の米須に侵攻、軍司令部と隷指揮下部隊との連絡は途絶、火砲はほぼ全損した第五砲兵司令部は歩兵戦に移行、同日、歩兵第八十九聯隊長・金山均大佐、工二十四聯隊長・兒玉昶光大佐が相次いで散華、敵は遂に摩文仁八九高地東数100mに接近、軍司令部は戦車の砲撃に晒されます。
これ以上の継戦と指揮が困難になった事から牛島中将は各部隊に敵上陸来の健闘を賞するとともに生存者は各地の上級指揮官に従い最後までの敢闘と悠久の大義に生きる事を下達、軍司令部において決別の宴が張られたのち、各参謀を連絡、遊撃戦指揮のため出撃させます。

同日、第十方面軍司令官・安藤大将より第三十二軍に感状が授与され、20日、牛島中将は大将に進級します。

21日、敵戦車が摩文仁に侵攻、隷下部隊に各司令部ごとに玉砕する事が伝達され、敵の重囲にあった歩兵第六十四旅團長・有川主一少将が米須の壕で肉薄攻撃用の爆薬に点火し自決します。
第三十二軍司令部壕 第六十四旅団長 有川主一少将以下将兵自決の壕慰霊碑(魂魄の塔の奥)(沖縄)
▲第六十四旅團長・有川主一少将以下将兵自決の壕付近に建つ慰霊碑

22日、摩文仁付近で獨立混成第四十四旅團長・鈴木繁二少将が司令部将兵を直卒し斬込みを敢行し散華、0200、第六十二師團長・藤岡武雄中将と歩兵第六十三旅團長・中島徳太郎中将が摩文仁付近の壕で自決、第五砲兵司令官・和田孝助中将が摩文仁付近の壕内において20kg爆弾4ツに点火、幕僚とともに自決します。
藤岡武雄中将
▲第六十二師團長 藤岡武雄中将
 支那事変における治安戦で鍛えられた隷下旅團・大隊を率い敵上陸来、常に最前線で戦い続け驚異的な防衛戦を展開

第三十二軍司令部壕 第六十二師團慰霊碑(沖縄)
▲第六十二師團長・藤岡武雄中将と歩兵第六十三旅團長・中島徳太郎中将自刃之地と慰霊碑

第三十二軍司令部壕 喜屋武岬(第六十二師團最終地)平和の碑(沖縄)
▲喜屋武半島に建つ第六十二師團玉砕の地(平和の塔)

同日、摩文仁八九高地の司令部壕上に敵が侵入、23日0430、司令部海側壕口付近において牛島大将は通常礼装、参謀長・長中将は背に墨痕鮮やかに「忠則盡命 盡忠報國」と記した和装の白肌着を着用し古式に則り自決、第三十二軍は玉砕、爾後生存者は遊撃戦に移行します。
牛島満
▲第三十二軍司令官 牛島滿大将
 「今西郷」と称された人格者で我に倍する敵上陸部隊を迎撃、困難な状況下最後まで軍を掌握し軍官民一体となった防衛戦を継続した名将

長勇
▲第三十二軍参謀長 長勇中将
 クセのある参謀達をまとめ熊幼先輩でもある牛島大将を補佐、豪快な性格でも知られる
長中将辞世
大君の 盾となる身の感激は 唯ありがたの 涙なりけり
待敵来攻南西地 飛機滿天艦圧海 敢斗十旬一瞬夢 萬骨朽果走天外

第三十二軍司令部壕 勇魂の碑(沖縄)
▲勇魂の碑(第三十二軍司令部慰霊碑、牛島大将・長中将の墓跡)

30日、重囲に陥っていた第二十四師團長・雨宮巽中将は宇江城の壕内において、参謀長・木谷美雄中佐、参謀・苗代正治少佐、同・杉森貢少佐、高級副官・山口貞治少佐とともに10kg爆薬に点火し自決します。
第三十二軍司令部壕 真山の塔(歩兵第二十四師団ー雨宮巽中将ー)慰霊碑(沖縄)
▲真山の塔(第二十四師團)慰霊碑

島田知事以下県幹部は6月3日、秋風台から南下、5日、伊敷の轟壕に移転、9日、県庁、警察を解散、14日、島田知事は摩文仁の軍医部壕に移動、18日、側近を離脱させ、26日頃、荒井退造・県警察部長とともに殉職したと言われます。
島田叡知事
▲島田叡県知事
 就任以来、軍と協力、住民の保護に邁進し殉職

8月16日、大東亜戦争は停戦を迎え、22日、国吉地区で敢闘を続けていた歩兵第三十二聯隊(北郷大佐以下250名)が米軍の勧告に応じ、28日、軍旗を奉焼、29日、武装解除されます。

9月7日、第二十八師團長・納見敏郎中将(宮古島)、獨立混成第六十四旅團長・高田利貞少将(奄美大島)、沖繩方面根拠地隊参謀長・加藤唯雄海軍少将が南西方面の陸海軍を代表しジョセフ.スティルウェル米大将と面会、降伏文書に調印し公式に沖縄戦が終結しました。

沖縄戦における戦歿者(昭和25年、沖縄県援護課発表)
①第三十二軍・沖繩方面根拠地隊 (県外出身者)65,908名
②〃 現地召集、防衛隊、防衛召集者、学徒隊、軍属雇員、傭人など(県内出身者)28,228名
③一般人の戦闘参加者55,246名
④一般人の避難民38,754名


第三十二軍司令部隷下部隊
-沖縄本島・周辺離島-
第三十二軍司令部(球一六一六) 牛島滿 中将

第二十四師團 (山三四七二) 
第二十四師團司令部 (山三四三〇) 雨宮巽 中将
歩兵第二十二聯隊 (山三四七四) 吉田勝 中佐
歩兵第三十二聯隊 (山三四七五) 北郷格郎 大佐
歩兵第八十九聯隊 (山三四七六) 金山均 大佐
第二十四師團制毒隊 (山三四七七) 五十嵐正二郎 大尉
捜索第二十四聯隊 (山三四七八) 才田勇太郎 少佐
野砲兵第四十二聯隊 (山三四八〇) 西澤勇雄 大佐
工兵第二十四聯隊 (山三四八一) 児玉昶光 大佐
第二十四師團通信隊 (山三四八二) 保科清一郎 大尉
輜重兵第二十四聯隊 (山三四八三) 中村卯之助 大佐
第二十四師團兵器勤務隊 (山三四八四) 田中信造 大尉
 〃 第一野戰病院 (山三四八六) 安井二郎 少佐
 〃 第二野戰病院 (山三四八七) 小池勇助 少佐
 〃 病馬廠 (山三四九〇) 吉五郎 大尉
 〃 防疫給水部 (山一二〇七) 金井泰清 少佐

第二十四師團指揮下部隊
獨立機關銃第三大隊 (球六〇九〇) 金田郁平 少佐
 〃 第十七大隊 (球五二四七) 高島惣吉 大尉
獨立速射砲第三大隊 (球六四〇三) 一法師鐵男 中佐
獨立高射砲第二十七大隊 (球一二五一七) 大瀧善次郎 少佐
機關砲第百四大隊 (球一二四二七) 中田美智平 大尉

第六十二師團 (石一八八一)
 〃 司令部 (石一八八二) 藤岡武雄 中将
歩兵第六十三旅團
 〃 司令部 (石三五九一) 中島徳太郎 少将
獨立歩兵第十一大隊 (石三五九二) 三浦日出四郎 中佐
 〃 第十二大隊 (石三五九三) 賀谷與吉 中佐
 〃 第十三大隊 (石三五九四) 原宗辰 大佐
 〃 第十四大隊 (石三五九五) 内山幸雄 大尉
歩兵第六十四旅團
 〃 司令部 (石四二八一) 有川主一 少将
 〃 第十五大隊 (石三五九六) 飯塚 豊三郎 少佐
 〃 第二十一大隊 (石四二八二) 西林鴻介 中佐
 〃 第二十二大隊 (石四二八三) 磯崎璣(王幾) 中佐
 〃 第二十三大隊 (石四二八四) 山本重一 少佐
第六十二師團工兵隊 (石三五九八) 金木徳三郎 少佐
 〃 通信隊 (石三五九九) 砂川玄一郎 少佐
 〃 輜重隊 (石三五九七) 杉本秀義 少佐
 〃 野戰病院 (石五三二五) 熊倉寛 少佐
 〃 病馬廠 (石四二九七) 小川昌美 中尉

第六十二師團指揮下部隊
獨立機關銃第四大隊 (球一〇二九〇) 陶山 勝章 少佐
 〃 第十四大隊 (球一八八〇九) 村上 甚太郎 中佐
獨立速射砲第二十二大隊 (球一五五七六) 高橋 巌 大尉
 〃 第三十二中隊 (球一四七三九) 橋本恵 大尉
戰車第二十七聯隊 (球一二一〇二) 村上乙 中佐
野戰高射砲第七十九大隊 (球二一七二) 森本敏昭 少佐
 〃 第八十一大隊 (球一二四二五) 梅津哲夫 少佐
機關砲第百三大隊 (球二一七七) 苧坂清治 少佐
特設警備第二百二十三中隊 (球七〇七八) 岡敬淳 大尉
 〃 第二百二十四中隊 (球七〇七九) 中村渠清水 中尉
野戰作井第十四中隊 (球四六四九) 藤澤麗夫 大尉
獨立歩兵第二百七十三大隊 (獨混第四十五旅團)(球一四二一三) 楠瀬一珍 大尉

獨立混成第四十四旅團
 〃 司令部 (球一八八〇〇) 鈴木繁二 少将
(第二歩兵隊 ※國頭支隊) (球七〇七一) 宇土武彦 大佐
獨立混成第十五聯隊 (球七八三六) 美田千賀藏 大佐
 〃 砲兵隊 (球七〇七二) 原秀男 大尉
 〃 工兵隊 (球七〇七三) 村本福次 大尉

獨立混成第四十四師團指揮下部隊
獨立速射砲第七大隊 (球六七五〇) 中島好夫 少佐
重砲兵第七聯隊 (球四一五二) 樋口良彦 中佐
獨立歩兵第二百七十二大隊 (獨混第四十五旅團)(球一四二一二) 下田直美 大尉

國頭支隊
第二歩兵隊 (獨混第四十四旅團)(球七〇七一) 宇土武彦 大佐
第三遊撃隊 (球一八八一三) 村上治夫 大尉
第四遊撃隊 (球一八八一四) 岩波壽 大尉
特設警備第二百二十五中隊 (球七〇八〇) 西銘生一郎 中尉

軍砲兵隊
第五砲兵司令部 (球九七〇〇) 和田孝助 中将
野戰重砲兵第一聯隊 (球六五二三) 山根忠 大佐
 〃 第二十三聯隊 (球三一〇九) 神崎清治 大佐
獨立重砲兵第百大隊 (球一八八〇四) 河村秀人 中佐
獨立臼砲第一聯隊 (球三六六六) 入部兼康 中佐
迫撃第四十二大隊 駄馬崎豊 少佐
迫撃第四十三大隊 松田大尉
獨立測地第一中隊 矢頭徹郎 大尉
獨立工兵第六十六大隊 (球一〇二七九) 植松新一 大尉

軍高射砲隊
第二十一野戰高射砲隊司令部 (球一二五四五) 吉田清 中佐
野戰高射砲第八十大隊 (球二一七三) 須藤久七 少佐
機關砲第百五大隊 (球一二四二六) 村上末夫 少佐

軍船舶隊
海上挺進第一戰隊 (球一六七七七) 梅澤裕 少佐
 〃 第二戰隊 (球一六七七八) 野田義彦 少佐
 〃 第三戰隊 (球一六七七九) 赤松嘉次 大尉
 〃 第二十六戰隊 (球一九七六五) 足立睦生 大尉
 〃 第二十七戰隊 (球一九七六六) 岡部茂己 少佐
 〃 第二十八戰隊 (球一九七六七) 本間俊夫 少佐
第五海上挺進基地隊本部 (球一九七七三) 三池明 少佐
海上挺進基地第一大隊 (球一六七八八) 小澤義廣 少佐
 〃 第二大隊 (球一六七八九) 古賀宗市 少佐
 〃 第三大隊 (球一六七九〇) 鈴木常良 少佐
 〃 第二十六大隊 (球一〇一七二) 豊福安則 大尉
 〃 第二十七大隊 (球一〇一七三) 有働憲祐 少佐
 〃 第二十八大隊 (球六四七七) 石井清己 大尉
 〃 第二十九大隊 (球一五〇六六) 中本勇 大尉
第十一船舶團司令部 (湾二九五二) 大町茂 大佐
船舶工兵第二十三聯隊 (球一六七四一) 大島詰男 少佐
船舶工兵第二十六聯隊 (球一六七四四) 佐藤小十郎 少佐

軍直轄部隊
獨立速射砲第二十三中隊 (球一三二二三) 岡本章道 大尉
第五百二特設警備工兵隊 (球一八八一六 ) 宜保豊猛 中尉
第五百三 〃 (球一八八一七) 
第五百四 〃 (球一八八一八) 
電信三十六聯隊 (球一八八三〇) 大竹元治 少佐
第三十二軍航空情報隊 (球一九五六四) 塚本保次 大佐
(旧 〃 電波警戒隊(球一八八二二) 大竹元治 少佐)
第十九航空地區司令部 (球二五六九) 青柳時香 中佐
第四十四飛行場大隊 (球一六六四四) 野崎眞一 大尉
第五十 〃 (球一六六五〇) 田村眞三郎 大尉
第五十六 〃 (球九一七三) 黒澤巌 少佐
第二十九野戰飛行場設定隊 (球一五三八五) 岡本正治 少佐
第四十九兵站地區隊本部 (球五八九六) 高宮章 大佐
獨立自動車第二百十五中隊 (球五八七九) 山口鐵治 中尉
 〃 第二百五十九中隊 (球六〇五八) 大島賢二 中尉
陸上勤務第七十二中隊 (球四八三二) 剣持作治 中尉
 〃 第八十三中隊 (球五八〇七) 森田芳夫 中尉
特設水上勤務第百二中隊 (健軍八八八五) 田中良夫 中尉
 〃 第百三中隊 (球八八八六) 市川武雄 中尉
 〃 第百四中隊 (球八八八七) 中山忠 中尉
第二野戰築城隊 (球一〇一五八) 駒場 縑(糸兼) 少佐
野戰作井第二十中隊 (球一八八一〇) 荒木正夫 中尉
要塞建築勤務第六中隊 (球二七七四) 原口八郎 中尉
 〃 第七中隊 (球二七七五) 三苫繁実 中尉
第三十二軍兵器勤務隊 (球一二五一八) 杉本眞 大尉
沖繩陸軍病院 (球一八八〇三) 廣池文吉 中佐
第二十七野戰防疫給水部 (球五七五三) 藤井英太郎 中佐
第三十二軍野戰兵器廠 (球八八一二) 土田勘次郎 中佐
 〃 野戰貨物廠 (球八八一一) 伊藤馨 大佐
 〃 防衛築城隊 ※一部宮古島 (球一六一六) 牟田大輔 大尉
第七船舶輸送司令部沖縄支部 (湾四五〇〇) 平賀又男 中佐
海上輸送第十一大隊第三中隊 (湾一六七九八) 
 〃 第四中隊 (湾一六七九八) 
 〃 第五中隊 (湾一六七九八) 
 〃 材料廠 (湾一六七九八) 
海上輸送第十五大隊第三中隊第一小隊 (湾一九八一七) 
 〃 第二小隊 (湾一九八一七) 
獨立海上輸送第三中隊 (湾一六七五二) 湯川鐵男 中尉
第七野戰船舶廠第一支廠 (暁一九八〇八) 古屋憲六 少佐
船舶通信第二大隊第二中隊 (暁一六七一九) 
中央航空路部沖繩航空路管區 (風一八九一八) 近藤卓二 中佐
 〃 第五保安中隊 (風一八九一八) 渡邊泰次 中尉
 〃 第九勤務中隊 (風一八九一八) 山本幸一 中尉
第五野戰航空修理廠第一支廠 (湾一九〇二三) 近藤卓二 中佐兼
第百八獨立整備隊 (湾一八九八三) 小野忠 少尉
第二十一航空通信隊 (誠一九一五九) 小鷲武雄 少佐
第二十六対空無戰隊の一部 (誠一六六二六) 小林七郎 中尉
第十野戰気象隊第三中隊 (誠一九五六五) 
獨立飛行第四十六中隊 (東部百二十五) 佐藤勇雄 大尉
沖繩聯隊區司令部 代理 左近司六郎 中佐
沖繩憲兵隊 代理 山本亮吉 少佐

宮古島・大東島地区
第二十八師團 (豊五六一四) 
 〃 司令部 (豊五六一一) 納見敏郎 中将
歩兵第三聯隊 (豊五六二〇) 怡土軍 大佐
歩兵第三十聯隊 (豊五六二三) 富澤國松 大佐
歩兵第三十六聯隊 (豊五六二九) 田村権一 大佐
騎兵第二十八聯隊 (豊五六四〇) 上田巌 大佐
山砲兵第二十八聯隊 (豊五六四七) 梶松次郎 大佐
工兵第二十八聯隊 (豊五六四九) 外賀猶一 少佐
第二十八師團通信隊 (豊五六五三) 國武達雄 少佐
輜重兵第二十八聯隊 (豊五六五六) 宮川忠 少佐
第二十八師團制毒訓練所 那須憲三 少佐
 〃 兵器修理所 藤本 武輝 大尉
 〃 第二野戰病院 (豊五六七六) 三好祝二 少佐
( 〃 第三野戰病院 ※石垣島)(豊五六八一) 櫻井忠男 大尉
 〃 第四野戰病院 (豊五六八三) 辻義春 少佐
 〃 病馬収療所  保坂斯道 大尉
 〃 防疫給水部 (豊一二〇九) 大科達男 少佐
獨立速射砲第二十五中隊 (豊一四七九八) 柿崎慶一郎 大尉
獨立速射砲第二十六中隊 (豊一四七九九) 櫻田源吾 中尉

獨立混成第五十九旅團
 〃 司令部 (碧一二九四五) 多賀哲四郎 少将
獨立歩兵第三百九十三大隊 (碧一二九四一) 福永侑 少佐
 〃 第三百九十四大隊 (碧一二九四二) 武田登 大尉
 〃 第三百九十五大隊 (碧一二九四三) 脇本幸男 大尉
 〃 第三百九十六大隊 (碧一二九四四) 竹内隆 大尉
獨立混成第五十九旅團砲兵隊 (碧一二九四六) 遠藤修藏 大尉
 〃 工兵隊 (碧一二九四七) 美馬敬一 少佐
 〃 通信隊 (碧一二九四八) 清谷州一 大尉

獨立混成第六十旅團 旅団長 安藤 忠一郎 少将
 〃 司令部 (駒一三〇六五)
獨立歩兵第三百九十七大隊 (駒一三〇六一) 田島勇三郎 少佐
 〃 第三百九十八大隊 (駒一三〇六二) 黒田猛 大尉
 〃 第三百九十九大隊 (駒一三〇六三) 新井佑 少佐
 〃 第四百大隊 (駒一三〇六四) 川村尾張 大尉
獨立混成第六十旅團砲兵隊 (駒一三〇六七) 福島郷一 大尉
 〃 工兵隊 (駒一三〇六八) 黒木圭三 大尉
 〃 通信隊 (駒一三〇六九) 

他 宮古島・大東島地区配置部隊
大東島支隊 (球九七六〇) 深谷正 中佐
獨立機關銃第十八大隊 (球五二四八) 齊藤甚藏 少佐
獨立速射砲第五大隊 (球六二五〇) 西本哲郎 少佐
 〃 第十八中隊 (球一四四五七) 工藤司 大尉
 〃 第二十二中隊 (球一三二二二) 高木久勲 大尉
特設第四十七機關砲隊 (球一二四四四) 瀬見修二 大尉
特設第四十九 〃 (球一二四四六) 
特設第五十 〃 (球一二四四七) 
特設警備第二百十一中隊 (球七〇九六) 
第五百五特設警備工兵隊 (球一八八一九) 下地克二 中尉
海上挺進第四戰隊 (球一六七八〇) 金子昌功 少佐
 〃 基地第四大隊 (球一六七九一) 西江重樹 大尉
 〃 基地第三十大隊 (球九七九〇) 藤倉長太郎 少佐
第二百五飛行場大隊 (球八三六〇) 吉岡軍一郎 少佐
第百二十九野戰飛行場設定隊 (球一五三九三) 大木寛次 大尉
獨立自動車第二百八十四中隊 (球七〇三〇) 吉川民好 中尉
陸上勤務第百九中隊 (球六四四三) 
特設水上勤務第百一中隊 (球八八八四) 二木寛行 中尉
野戰作井第八中隊 (球七〇五一) 横山新一 大尉
 〃 第九中隊 (球七〇五二) 高橋信雄 大尉
 〃 第十六中隊 (球六六〇一) 藤野清三郎 大尉
要塞建築勤務第八中隊 (球二七七六) 岸川善二 大尉
第二移動兵器修理隊 (球一二三六五) 堀江輝雄 大尉
宮古島陸軍病院 (球六〇七一) 恒松陽之助 少佐

石垣島・八重山地区
獨立混成第四十五旅團
 〃 司令部 (球一八八〇一) 宮嵜武之 少将
獨立歩兵第二百七十一大隊 (球六四六七) 宮田金吾 少佐
( 〃 第二百七十二大隊 ※沖縄本島) (球一四二一二) 下田直美 大尉
( 〃 第二百七十三大隊 ※沖縄本島) (球一四二一三) 楠瀬一珍 大尉
 〃 第二百九十八大隊 (球六四六一) 毛木昭 少佐
 〃 第二百九十九大隊 (球六四六二) 高木清太郎 大尉
 〃 第三百大隊 (球六四六三) 滝口武臣 大尉
 〃 第三百一大隊 (球六四六四) 阿部繁 大尉
獨立混成第四十五旅團工兵隊 (球六四六五) 大藤芳久 大尉

他 石垣島・八重山地区配置部隊
獨立機關銃第十九大隊 (球三三二三) 小島誠 大尉
重砲兵第八聯隊 (球四一五四) 入野大二郎 中佐
特設第四十八機關砲隊 (球一二四四五) 櫻井元三郎 大尉
特設警備第二百九中隊 (球七〇九四) 当間林光 中尉
 〃 第二百十中隊 (球七〇九五) 宮城清昌 中尉
 〃 第二百二十六中隊 (球七〇八一) 又吉嘉栄 中尉
 〃 第二百二十七中隊 (球七〇八二) 三木義行 中尉
第五百六特設警備工兵隊 (球一八八二〇) 高良鐵夫 大尉
第六十九飛行場大隊 (球九一九二) 淺沼紀平 少佐
第百二十八野戰飛行場設定隊 (球一五三九二) 山田新右衛門 少佐
船浮陸軍病院 (球四一七三) 池田勲二 大尉
第二十八師團第三野戰病院 (豊五六八一) 櫻井忠男 大尉

奄美諸島
獨立混成第六十四旅團
 〃 司令部 (球七一六五)  高田利貞 少将
獨立混成第二十一聯隊 (球七一五六) 井上 二一 大佐
 〃 第二十二聯隊 (球七一六六) 鬼塚義淳 大佐
重砲兵第六聯隊 (球二七四〇) 末松 五郎 中佐

他 奄美諸島配置部隊
特設警備第二百二十中隊 (球七〇七五) 
 〃 第二百二十一中隊 (球七〇七六) 
 〃 第二百二十二中隊 (球七〇七七) 
第五百一特設警備工兵隊 (球一八八一五) 龍造寺 少佐
海上挺進第二十九戰隊 (球一九七六八) 山本久徳 大尉
第七十五飛行場中隊 (球一八四三二) 山縣克己 大尉
陸上勤務第七十一中隊 (球四八三一) 関仁太郎 中尉
奄美大島陸軍病院 (健軍二七八二) 永田一男 少佐
徳之島陸軍病院 (健軍一〇五九九) 久木山行泰 少佐


主要参考文献
『戦史叢書 11巻 沖縄方面陸軍作戦』(昭和43年1月 朝雲新聞社)

『旧帝国陸軍部隊一覧表 軍令付特設版』(平成8年 大内那翁逸)

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大阪在住の探索者。

明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達の足跡に触れ感じるため各地(西日本が多いです)を探索しています。
軍跡(軍事関連遺構)は当時を知る生きた教科書です。

精強帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、及び祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介しています。

戦後極端に盛られ歪められた歴史を公平に記述し、英霊の名誉回復、真の姿を知る一助になる事を目指し記述しています。


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