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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

三菱重工業㈱ 第十一製作所

高岡市一帯に三菱重工業㈱ 第十一製作所が所在、砺波市雄神地区の山林に同製作所の地下工場が遺ります。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 ア 切羽→壕口方向(富山雄神)
▲地下工場内部

【探索日時】
令和2(2020)年12月4日





三菱重工業㈱ 第十一製作所 概要
第十一製作所は東南海地震(昭和19年12月7日、発災)により全壊した三菱重工業㈱名古屋航空機製作所 道徳工場の移転、及び疎開先として富山県高岡市一帯の遊休工場を賃借した応急工場、及び恒久的地下工場(未成)からなり、百式司令部偵察機の生産を行います。


遺構について
現在、砺波市雄神地区所有の山林に地下工場の跡が遺ります。
残念ながら水没(地質が悪く泥濘化)やフェンスにより閉鎖されており、殆ど進入できません。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 入口の大杉(富山雄神)
▲地下壕の遺る山林

ア 地下工場
壕口付近が浸水していますが、長靴で何とか通過できます。
長さ70m程で内部はあちこち崩落しています。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 ア 壕口(富山雄神)
▲壕口

三菱重工業㈱ 第十一製作所 ア 壕口→内部(富山雄神)
▲壕口付近の浸水

三菱重工業㈱ 第十一製作所 ア 内部 (2)(富山雄神)
▲内部
 所々崩落しています

三菱重工業㈱ 第十一製作所 ア 内部 (3)(富山雄神)
▲内部

三菱重工業㈱ 第十一製作所 ア 内部(富山雄神)
▲内部

三菱重工業㈱ 第十一製作所 ア 切羽(富山雄神)
▲切羽

三菱重工業㈱ 第十一製作所 ア 切羽付近の支保工(富山雄神)
▲切羽付近に遺る支保工


イ 地下工場
フェンスで閉鎖されています。
無理したら入れなくも無いですが、長靴では厳しい泥濘の様に見えます。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 イ 壕口(富山雄神)
▲壕口

三菱重工業㈱ 第十一製作所 イ 内部(富山雄神)
▲内部


ウ 地下工場
フェンスで閉鎖されており進入できません。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 ウ 壕口(富山雄神)
▲壕口

三菱重工業㈱ 第十一製作所 ウ 内部(富山雄神)
▲内部


エ 地下工場
浸水しています。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 エ 壕口(富山雄神)
▲壕口

三菱重工業㈱ 第十一製作所 エ 内部(富山雄神)
▲内部


オ 地下工場
入ってすぐ、2m程で崩落しています。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 オ 壕口(富山雄神)


カ 地下工場
崩落により壕口が上部にあるうえ浸水しています。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 カ 壕口(富山雄神)
▲壕口

三菱重工業㈱ 第十一製作所 カ 内部(富山雄神)
▲内部


キ 地下工場
浸水しています。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 キ 壕口(富山雄神)
▲壕口

三菱重工業㈱ 第十一製作所 キ 内部(富山雄神)
▲内部

この先にも地下壕跡が遺っていると思われますが、笹薮が酷く進めませんでした。

あ 崩落?
大きな溝があります。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 あ 崩落跡?(富山雄神)


い 崩落?
大きな溝があります。
三菱重工業㈱ 第十一製作所 い 崩落?(富山雄神)


三菱重工業㈱ 第十一製作所 略史
昭和16(1941)年6月、陸軍大臣より三菱重工業㈱名古屋航空機製作所に第二次生産能力拡充が示達されます。
しかし、名古屋航空機製作所は設備拡張の余地が無かった事から、昭和16年9月、紡績聯合協議會における紡績業整備統合の議決(第一次:昭和15年11月8日)に伴い休眠化した日清紡績㈱道徳工場を産業設備営団を通じ借用、昭和18(1943)年1月、第二工作部(陸軍機専用)から百式司令部偵察機の製造設備一式を移転し三菱重工業㈱名古屋航空機製作所 道徳工場とし増産にあたります。

昭和19(1944)年7月7日、我が国はサイパン島、8月3日、テニアン島、11日、大宮島(グアム)を相次いで失陥、11月24日、中島飛行機㈱武蔵製作所がマリアナ諸島からのB29により空襲されたのを受け、軍需省は各航空機会社に対し生産設備の分散疎開(生産疎開)を示達します。
12月、陸軍省は百偵の生産確保のため、三菱重工業㈱に対し生産設備の北陸地区への疎開、即ち富山県高岡市一帯の遊休化した紡績工場を転用した応急工場と恒久的地下工場、半地下工場からなる製作所の新設を示達します。

12月7日、東南海地震が発災、道徳工場が全壊、多数の死傷者が発生し生産不能となり、18日、名古屋航空機製作所が空襲により爆死223名、負傷者123名、建屋20棟が破壊されてしまったことから、三菱重工業㈱は即時計画を実行、軍需省の斡旋で、昭和20(1945)年1月3日、富山県の呉羽航空機㈱庄川工場(呉羽紡績㈱より航空機生産に転換するも未操業遊休化)を応急工場として賃借、大門工場と改称し設備の移転を開始します。
続いて同社福野工場(同じく未操業遊休化)、大建産業㈱井波工場、金沢市の大和航空機㈱(金澤機械工場に改称)を応急工場として賃借し移転します。

昭和20年1月末、大門工場は操業を開始、2月1日、富山一帯に疎開した第二工作部の一部を第十一製作所(仲田信四郎所長)に改称、2月11日、紀元節に合わせ同地初の百偵が完成、試運転ののち解体され各務原陸軍飛行場に輸送され試験飛行が行われます。
しかし、解体、梱包、輸送の手間がかかる事から近隣の富山陸軍飛行場に組立工場を建設し試験飛行場に指定、3月、さらに近傍の庄川沿いに整備工場、及び試験飛行場の建設を決定、北般若村の農地29町歩、柳瀬村の同16町歩を賃借し飛行場建設を開始します。
5月1日、富山陸軍飛行場において初の試験飛行を実施、6月(3月とも)、東海軍管區司令部経理部が施主として佐藤工業㈱に発注し雄神村に恒久的地下工場、般若村に半地下工場の設定を進めるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の従業員は軍人、軍属、応徴士、学校報国隊含め6,606名(大門4,171、福野1,249、井波870、金澤316名)でした。

9月2日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により『一般命令 第一号』が公布、我が国の軍需生産は禁止され、生産禁止品目が発表、10月10日、我が国の航空機生産・加工が禁止され、11月18日、『航空禁止令』が公布されます。

11月15日、三菱重工業㈱本店は14ヶ所の製作所・工場を閉鎖、 3製作所・工場の合併を進め、臨時航空機工場整理事務所を発足、第十一製作所は大門出張所に改組し生産設備を名古屋へ移設するとともに残務整理を開始します。

昭和21(1946)年8月、大門出張所は閉鎖、賃借していた各応急工場は返却されます。


主要参考文献
『三菱重工業株式会社史』(昭和31年 三菱重工業株式会社史編纂室 三菱重工業㈱)

『名航工作部の戦前戦後史 守屋相談役「私と航空機生産」』(昭和63年9月 三菱重工業株式会社 名古屋航空機製作所)

『米国戦略爆調査団報告書 会社報告第二十号 日本の地下航空機生産』



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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住の探索者。

明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達の足跡に触れ感じるため各地(西日本が多いです)を探索しています。
軍跡(軍事関連遺構)は当時を知る生きた教科書です。

精強帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、及び祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介しています。

戦後極端に盛られ歪められた歴史を公平に記述し、英霊の名誉回復、真の姿を知る一助になる事を目指し記述しています。


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