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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂)

名古屋市千種区、末森城二之丸に所在する愛知縣昭和塾堂留守第三師團司令部が移転していました。
留守第三師團司令部は後に名古屋師管區司令部に改編されます。
留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 南西から(愛知名古屋千種)
▲愛知縣昭和塾堂

【探索日時】
平成26(2014)年12月26日





愛知縣昭和塾堂について
明治38(1905)年9月1日、明治三十七八年戰役(日露戦争)は我が国の勝利で終結しますが人的、経済的損失も大きく、特に地方の沈滞を活性化するため政府は29日、『地方青年團向上發達ニ關スル件』(内務省)、12月27日、『地方青年團ニ關スル件』(文部省)などを公布し地方の生産、生活を担う青年の組織化、即ち青年団の結成を推進します。

明治43(1910)年4月26日、全国青年大会が名古屋市の真宗大谷派東別院対面所で開催され、大正10(1921)年4月、愛知県は全国初の青年指導主事を設置します。
大正14(1925)年3月、愛知県連合青年団を組織(青年団を一町村一団体に統一)、4月15日、大日本連合青年団が愛知県議会議事堂で発団式を挙行します。

青年団活動が活発になるなか、昭和2(1927)年3月、愛知県は青年教化、精神修養の拠点建設を計画、道場建設趣意書を県民に配布、勤労奉仕、及び寄付金を募集します。
5月28日、愛知県は建設地として城山八幡社境内を選定、同社と土地の無償貸与契約を締結します。
6月4日、地鎮祭を斎行、9月12日、県連合青年団が土工工事の勤労奉仕(延べ1,081名)を開始、昭和3(1928)年1月6日、志水組が建物を起工、昭和4(1929)年1月9日、竣工、県・文部省共催の成人教育講習会が開催され、3月25日、愛知縣昭和塾堂の落成式が挙行されます。

昭和19(1944)年中旬?、留守第三師團司令部経理部が借上げ、第七十三師團司令部留守第三師團司令部名古屋師管區司令部が供用、昭和20(1945)年8月16日、大東亜戦争停戦に伴い愛知県に返還されます。
※大東亜戦争中の考察は後述

12月、空襲により校舎を焼かれた名古屋大学医学部の一部が移転、昭和25(1950)年3月18日、医学部は鶴舞に復帰、愛知県教育文化研究所などとして供用され、昭和38(1963)年12月、愛知県機関は転出し、爾後未使用が続きます。
昭和41(1966)年2月1日、昭和塾堂は愛知県から土地所有者の城山八幡宮に売却され、6月、千種区役所新築のため仮庁舎として供用(昭和45年1月、退去)、昭和45(1970)年1月15日、愛知学院大学が借上げ大学院研究室として供用、平成29(2017)年3月、愛知学院大学は退去し、現在は未使用となっています。

留守師團司令部は第三師團の外地出征の際に動員され、第三師團の管轄する名古屋師管區内の各聯隊補充隊、聯隊區司令部を総理し新設師團の動員管理、担当師團の補充、新兵の招集、教育、及び管区内の防衛、警備などの軍政を代行しました。


遺構について
愛知縣昭和塾堂
上記の様に現在は使用されておらず、今後の動向が注目されます。
愛知縣昭和塾堂は上空から見ると中央の塔から3方向に建物が伸び「人」型をしています。
留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 南西から(愛知名古屋千種)
▲正面の棟

留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 南西から (2)(愛知名古屋千種)
▲西側の建屋

留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 西側棟 南西から(愛知名古屋千種)
▲西側の建屋 近影

留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 西側棟 南西から(地下)(愛知名古屋千種)
▲地下があります

留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 北東から(迷彩)(愛知名古屋千種)
▲北から
 薄くなっていますが、全体に迷彩が施されています

留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 北東から(迷彩) (2)(愛知名古屋千種)
▲西側の建屋
 迷彩の近影


殉國之碑
靖國神社遥拝鳥居

城山八幡宮の境内地に建立されています。
殉國之碑は明治年間に田代村(現、田代町)の田代小学校に建立された忠魂碑で、昭和21(1946)年、城山八幡宮に移設しました。
靖國神社遥拝鳥居は昭和62(1987)年春、殉國之碑移設40周年を記念し城山三十日講により、靖國神社の方角に向け同神社二の鳥居を模して建立されました。
留守第三師團司令部(愛知縣昭和塾堂) 殉国之碑(愛知名古屋千種)


愛知縣昭和塾堂 供用部隊の考察
昭和塾堂に関しては「大東亜戦争末期、陸軍が使用していた事」は確実の様ですが、各種書籍、自治体、個人などWebサイト等に様々な情報が掲載されているものの、一次史料が無く具体的な部隊、年時など詳細は不明です。
以下に列記し考察してみました。

城山八幡宮の公式サイト(『愛知県青年会館史』引用)
代表的なもので多くのサイトに引用されています。

昭和18年、軍(いかり部隊)に接収
昭和19年~昭和20年8月、東海軍司令部駐留

「いかり部隊」=怒部隊=第七十三師團の編成が下令されたのは“昭和19(1944)年7月6日”で「昭和18年」に供用する事は有り得ません。
昭和18(1943)年12月1日時点の『愛知県職員録』に昭和塾堂の堂長、教諭、書記が記載されている事から、同年中はまだ陸軍に借上げられていなかったと思われます。

次項、「東海軍」という部隊は存在しておらず、東海軍管區司令部の誤記としても同司令部の編成は“昭和20(1945)年2月1日”なので「昭和19年」は有り得ません。
また東海軍管區司令部(第十三方面軍司令部)は名古屋城下の第三師團師團司令部に所在したので供用自体が間違いです。

『戦時下・愛知の諸記録 2015』

昭和18年、軍(いかり部隊)に接収
昭和19年~昭和20年8月、東海軍司令部駐留
昭和20(1945)年2月9日、名古屋師管区司令部駐留、 名古屋高射砲集団司令部(市公会堂)の一部も駐留

昭和18、19年の項は上記『愛知県青年会館史』の孫引きと思われますが、昭和20年の項は部隊名は間違っているものの(留守第三師團司令部が名古屋師管區司令部に改編されるのは4月10日)日時が具体的且つ大阪の例からも信憑性が高いと思われます。
大阪では本丸にあった留守第四師團司令部は中部軍司令部(のち第十五方面軍・中部軍管區司令部)編成に伴い、同司令部に庁舎を移譲、二之丸の新築庁舎に移転している事から名古屋も同様の経緯であったと思われます。

『学芸員と歩く愛知・名古屋の戦争遺跡』

昭和塾堂に高射第二師団の一部や名古屋師管区司令部などが駐屯していました。

上記『戦時下~』の引用と思われます。

以上の事から留守第三師團司令部が昭和塾堂を借上げたのは昭和19(1944)年中旬、7月10日、編成完結した第七十三師團司令部が供用の後、11月、同師團は岡崎市立高等女学校に進出、昭和20(1945)年2月1日、第十三方面軍・東海軍管區司令部が第三師團司令部庁舎を供用したため、2月9日、留守第三師團司令部は昭和塾堂に移転、4月10日、名古屋師管區司令部に改編され名古屋防衛にあたるなか、停戦を迎えたと思われます。
高射第二師團の一部の詳細は不明ですが、指揮連絡のための通信隊の一部と思われます。


所要参考文献
『戦時下・愛知の諸記録 2015』(平成27年8月 あいち・平和のための戦争展実行委員会)

『学芸員と歩く愛知・名古屋の戦争遺跡』(平成28年4月 伊藤厚史 名古屋市教育委員会)

『愛知県職員録』(昭和18年12月1日 愛知県)

城山八幡宮 公式サイト

名古屋市千種区役所
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住の探索者。

明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達の足跡に触れ感じるため各地(西日本が多いです)を探索しています。
軍跡(軍事関連遺構)は当時を知る生きた教科書です。

精強帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、及び祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介しています。

戦後極端に盛られ歪められた歴史を公平に記述し、英霊の名誉回復、真の姿を知る一助になる事を目指し記述しています。


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