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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

横山陸軍演習場

関西のラジオCMでおなじみ「国華園」のほど近く、和泉市善正町に横山陸軍演習場がありました。
イ「陸軍」境界石標(是ヨリ東九米境界) (4)横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲演習場跡に遺る「是ヨリ東九米境界」の刻字のある境界石標

【探索日時】
平成27(2015)年12月18日





横山陸軍演習場について
明治4(1871)年、和泉郡の信太山丘陵一帯(上地により堺県が管理)が兵部省に移管され、8月2日、新編された大阪鎭臺(明治21年5月14日、第四師團に改編)の信太山陸軍演習場として供用を開始、爾後周辺民有地を買収し拡張されて行きます。

第四師團隷下部隊は同演習場において各種演習、実弾を用いた戦闘射撃演習(地形を生かし、より実践に即した射撃)、野砲兵第四聯隊、各歩兵聯隊の聯隊砲、大隊砲の射撃演習を行いますが、次第に周辺に民家が増加、実弾射撃は中止され空砲射撃による演習に転換されます。
しかし、大陸における情勢が悪化するなか師團の演習に支障を来すため、昭和6(1931)年、陸軍省は信太山陸軍演習場の近傍に戦闘射撃が可能な演習場の新設を決定し第四師團に通達、師團は泉北郡横山村の果樹園(みかん畑)を選定します。
第四師團経理部は郡長、村長の協力を得て村民94名の共同所有地120,000坪を買収(買収価格は不明ですが、資料によると“かなりの値段で買収”された様です)、11月14日、『陸軍演習場規則』が改正され第四師團管下の演習場に横山陸軍演習場が加えられます。
演習場の整備に伴い第四師團隷下部隊は戦闘射撃演習を開始、昭和9(1934)年、横山陸軍演習廠舎(本部1、廠舎3、浴場、炊事場)が竣工、昭和14(1939)年3月22日、廠舎北側一帯2,980坪、昭和17(1942)年、さらに野砲実弾射撃のため横山村を跨いだ北側の山林を買収し拡張します(野砲射撃演習の際は村民は退避)。
戦闘射撃場横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲射場付近遠景
 正面の山肌に向かって射撃演習が行われていました

昭和20(1945)年1月22日、中部軍管區司令部の新編に伴い留守第四師團司令部より管理が移管され、大阪師管區部隊の演習に供用されるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の煥発を受け、16日、停戦を迎えます。
28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により横山陸軍演習場は内務省を通じ大蔵省に移管、大阪財務局の管理下に置かれます。

11月9日、『緊急開拓事業実施要領』の閣議決定、昭和21(1946)年10月21日、『自作農特別措置法』(法律第四十三号)により演習場跡地は農林省に移管され、昭和25(1950)年、主に第一次買収用地(演習場、演習廠舎)が海外引揚者、復員軍人、戦災者より結成された横山開拓農業協同組合32戸に1人8反づつ開墾用地として、主に第二次買収用地が元地権者に増反用地として払い下げられ主に果樹園として開拓され現在に至ります。


遺構について
横山陸軍演習場
演習場の図面が無く範囲が不明なため外周の探索はできませんでした。
演習場の遺構としては下記が遺ります。
▲遺構の配置

ア 陸軍
道路脇に境界石標が遺ります。
位置的に演習場に至る軍道の境界を示す物と思われます。
当初は1m幅しかなかった里道を陸軍が3m幅に拡張します。
ア 「陸軍」境界石標横山陸軍演習場(大阪和泉市)


イ 陸軍
非常に珍しい境界石標で道路脇に遺ります。
本来、境界線上に立てられる石標ですが、この石標は裏面に「是ヨリ東九米境界」と刻字があり、境界線が川のため建てることが不可能な事から離れた位置に立てられた様です。
イ「陸軍」境界石標(是ヨリ東九米境界) (2)横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲表面の「陸軍」刻字

イ「陸軍」境界石標(是ヨリ東九米境界) (3)横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲裏面の「是ヨリ東九米境界」

イ北側にある石柵横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲道路対面にあるコンクリート柵柱


ウ 旗竿
南側の山頂に立ち、行き難い場所にあるため鉄筋泥棒の襲撃から逃れた様です。
射撃演習中は横山村を始め周辺村々に危険を伝えるための赤旗が掲揚されます。
この場所は山道も無く不慣れな方が登ると帰路に高確率で迷う(ここは携帯の電波が入らず当時はGPSも無く自分も含め2名が道を間違えました・・・)ので場所は伏せさせて頂きます。
ウ 旗竿横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲旗竿

ウ 旗竿 下滑車横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲下側の滑車

ウ 旗竿 (2)横山陸軍演習場(大阪和泉市)
▲竿頭

横山陸軍演習場については存在をちぎょらく様、下記参考資料を和泉市教育委員会 文化遺産活用課 M様に御教示、御提供頂きました。
この場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。


主要参考文献
『広報いずみ 市史だより NO.3 「旧陸軍横山戦闘射撃場について」』(平成11年8月 南清彦)

『市大日本史 第3号 「大阪府和泉市福瀬町地域合同調査報告」』(平成12年5月 大阪市立大学日本史学会)

アジ歴史料
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住の探索者。

明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達の足跡に触れ感じるため各地(西日本が多いです)を探索しています。
軍跡(軍事関連遺構)は当時を知る生きた教科書です。

精強帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、及び祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介しています。

戦後極端に盛られ歪められた歴史を公平に記述し、英霊の名誉回復、真の姿を知る一助になる事を目指し記述しています。


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