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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

岡崎海軍航空基地(第三岡崎海軍航空隊)

岡崎市と安城市にまたがり所在した岡崎海軍航空基地第一岡崎海軍航空隊第二岡崎海軍航空隊第三岡崎海軍航空隊、及び第二海軍航空廠 鈴鹿支廠 岡崎補給工場が所在しました。
D 喞筒室基礎 北西から岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲民家に遺る第三岡崎海軍航空隊の飲用水ポンプ場の基礎

【探索日時】
平成27(2015)年4月11日、令和3(2021)年2月21日





岡崎海軍航空基地 概略
岡崎海軍航空基地はミッドウェー海戦の戦訓から航空軍戦備の急速拡張に伴い当初は実施航空隊の基地として予定されますが、戦局の推移から飛練教程を担当する第三岡崎海軍航空隊(名古屋海軍航空隊 岡崎分遣隊を経て)が開隊、また隣接して大量確保された海軍飛行豫科練習生の先行教育機関として整備教育を担当する第一岡崎海軍航空隊(河和海軍航空隊 岡崎分遣隊、岡崎海軍航空隊を経て)第二岡崎海軍航空隊(岡崎海軍航空隊 上郷分遣隊を経て)が開隊します。

第一、第二岡崎海軍航空隊は整備教育航空隊のため航空機は運用せず整備教育を修業したため航空機、滑走路は運用せず、第三岡崎海軍航空隊のみが中間練習機を用いた飛練教程(中練教程)で航空機、滑走路を運用しました。
なお、同航空基地は地元では地名から「桝塚(ますづか)飛行場」と呼ばれている様です。
第三岡崎海軍航空隊の詳細は後述

※岡崎海軍航空基地、第一・第二岡崎海軍航空隊の詳細は前回記事『第一岡崎海軍航空隊・第二岡崎海軍航空隊』を参照


遺構について
岡崎海軍航空基地には3個航空隊、及び補給工場が置かれるなど広大な敷地を有しましたが戦後、徹底的に開拓されてしまい遺構は殆ど遺されていません。
今回は僅かに遺る飛行場地区の遺構を紹介します。
岡崎海軍航空基地 基地施設岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲岡崎海軍航空基地 施設配置
 ①第一岡崎海軍航空隊
 ②第二岡崎海軍航空隊
 ③第三岡崎海軍航空隊
 ④第二海軍航空廠 鈴鹿支廠 岡崎補給工場
 ⑤飛行場地区

※緑文字が当記事の紹介施設

③第三岡崎海軍航空隊
停戦時、本部庁舎1、士官舎3、士官食堂1、兵舎2、兵員烹炊所1、兵員浴室1、病舎1、飛行機格納庫3、中央指揮所1、飛行隊指揮所3、発動機整備場1、機体整備場1、プロペラ整備場1、各科倉庫1、機関木具工場1、自力発電所2、航法演習所1、兵器〃1、兵器整備場1、飛行場整備用具庫1、潤滑油庫1、飲用水ポンプ所1、電話交換室1、罐室1、弾薬庫1などがありました。

D 飲用水ポンプ所 基礎
民家の敷地内に遺り、東側に入口が造られ物置として転用されています。
民家の敷地内にあるため場所は伏せさせて頂きます。
岡崎海軍航空基地に所在する唯一元の位置にある非常に貴重な遺構ですが、所有者の方は「邪魔なので撤去したい」と・・・。
幅4.3×奥行5.9×高さ2.6mのコンクリート製の基礎で、上部に木造の上屋がありました。
基地の水は矢作川からこのポンプで吸水、北側にあった浄化水槽で濾過され各航空隊、補給工場に給水されていました。
D 喞筒室基礎 西から岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲西側

D 喞筒室基礎 東から岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲東側
 現在の上屋は戦後のものです

D 喞筒室基礎 開口部(戦後)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲東側に戦後開けられた入口

D 喞筒室基礎 南から岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲南側

D 喞筒室基礎 北西から岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲北側
 特に何も無いコンクリートの箱です

※勿論ですが許可を得て立ち入っています。


④第二海軍航空廠 鈴鹿支廠 岡崎補給工場
補給工場は一部の航空基地に配置され所在及び周辺航空隊、飛行隊の造修を担当します。
第三岡空は九三式中間練習機しか無く、同補給工場は主に知多郡半田町(現、半田市)に所在した中島飛行機㈱半田製作所で生産された艦上攻撃機「天山」、艦上偵察機「彩雲」の艤装を行っていたと言われます。

前記事に挙げた参考文献には正確な開設年月日の記載が無く、『海軍公報 第四九一九號』(昭和20年2月1日)の内令第七五號に昭和20(1945)年1月25日付で「航空兵器供給所の名称及所在地」に“第二海軍航空廠 岡崎補給工場”が加えられていることから、この前後に開場したと思われます。

遺構は何も遺されていない様です。


⑤ 岡崎海軍航空基地 飛行場地区
飛行場地区には滑走面、転圧滑走路1本、分散爆弾庫がありましたが、戦後の開拓及びその後の開発により完全に消滅、現在は区画すら遺されていません。

F 境界石標
同基地にも多分に漏れず外周に境界石標が建てられていました。
現在、当時のまま立っている物は無い様ですが、一部が天道院に移設され英霊塔の柵として転用されています。
F 境界石標が集められた英霊塔岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲英霊塔と移設された境界石標

F 海軍用地①岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲境界石標①

F 海軍用地②岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲境界石標②

F 海軍用地③(削られる)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲境界石標③
 刻字は削られています

F 海軍用地④(削られる)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲境界石標④
 同じく削られ(僅かに「地」の刻字が遺る)たうえ階段に転用されています

F 海軍用地⑤(削られる岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲境界石標⑤
 こちらも削られています

F 海軍用地⑥? 墓地南側に転がる岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲境界石標⑥
 墓地を挟んだ南側の道路脇に埋まっています

F 榊原康政生誕地岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲徳川四天王・榊原康政生誕地の碑
 元々南東150mの位置にありましたが、県営住宅建設に伴いこの場所に移設されたそうです


飛行場地区には北西から南東にかけて幅100×長1,500mの転圧滑走路が1本あり、その両側に排水溝が造られコンクリート製の蓋が被せられていました。
現在、この「蓋」が周辺の各地に点在しています。

G 暗渠の蓋
北野小学校に4枚移設されています。
G 滑走路排水暗渠の蓋(移設) (2)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

G 滑走路排水暗渠の蓋(移設)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)
▲内容がメチャクチャな説明板
 学校ならもっとしっかりしろ!

H 暗渠の蓋
山王神社の社務所脇に移設されています。
H 滑走路排水暗渠の蓋(移設)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

H 滑走路排水暗渠の蓋(移設) (3)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

I  暗渠の蓋
駐車場の土留として移設されています。
I 滑走路排水暗渠の蓋(移設)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

J 暗渠の蓋
火の見櫓の周囲に置いてあります。
ここの物は他と形状、穴の数が異なります。
J 滑走路排水暗渠の蓋(移設)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

J 滑走路排水暗渠の蓋(移設) (2)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

K 暗渠の蓋
地蔵の周囲に踏石として転用されています。
K 滑走路排水暗渠の蓋(移設)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

K 滑走路排水暗渠の蓋(移設) (2)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

L 暗渠の蓋
公民館の脇に移設されています。
L 滑走路排水暗渠の蓋(移設)岡崎海軍航空基地・岡崎海軍航空隊(愛知岡崎・安城)

J、K、L暗渠の蓋、N開拓記念碑は地元の探索者・またたび様に御教示頂きました。
元の場所にある物ならいざ知らず、散逸した小さい遺構をここまで発見されたまたたび様の執念と探索力に脱帽です!



供用部隊
第三岡崎海軍航空隊
昭和17(1942)年4月1日、愛知県西加茂郡に所在した霞ヶ浦海軍航空隊 名古屋分遣隊は名古屋海軍航空隊に改編(竹田六吉大佐)、陸上練習機操縦教育(飛練教程)を担当します。

昭和19(1944)年5月15日、岡崎海軍航空基地北東側に名古屋海軍航空隊 岡崎分遣隊(福元秀盛中佐)が開隊、陸上練習機操縦教育を開始します。

昭和20(1945)年2月11日、名古屋海軍航空隊 岡崎分遣隊は第三岡崎海軍航空隊(室井留雄中佐)に改編、第十一聯合航空隊(練習聯合航空總隊、横須賀鎭守府に所属)に編入され練習航空隊に指定され、引き続き陸上練習機操縦教育(定数:中練144機)を担当します。
隊は横須賀鎭守府部隊第十一聯合航空隊に部署されます。

昭和20(1945)年2月16日、第十一聯合航空隊司令官・城島高次少将は練習聯合航空總隊司令官・松永貞市中将より、18日以降の教育訓練の中止と4月末までに教官要員1/2~1/3を対象に特攻要員130名の選抜と錬成を下令され、3個中練特攻隊(各18機)を編成します。
同日、第十一聯合航空隊は第三航空艦隊司令長官の作戦指揮下に編入され、機材の遮蔽、待機を下令されます。

3月1日、練習聯合航空總隊は第十航空艦隊(聯合艦隊麾下)に改編(前田稔中将、霞ヶ浦)、第十一聯合航空隊は第十航空艦隊に編入されます。
隊は第八基地航空部隊(第十航空艦隊司令長官指揮)第十一聯合航空隊(司令官指揮)に部署され、特攻訓練にあたります。

17日、聯合艦隊司令部は天一號作戰要領を発令、第八基地航空部隊は錬成邀撃作戦を任務と規定されます。
26日、天一號作戰が発動されます。

5月5日、第十一聯合航空隊は復帰、隊は練習航空隊の指定を解かれ、新編された第十三航空戰隊(三航艦所属)に編入、第七基地航空部隊(三航艦)練習機特攻部隊に部署され、3個特攻隊をそれぞれ笠之原(鹿児島)、西条(橋本功大尉、愛媛)、姫路(兒玉佑吉大尉)に展開、各派遣隊は特攻訓練にあたります。

12日、聯合艦隊司令部は第一機動基地航空部隊(五航艦)と第七基地航空部隊(三航艦)で天航空部隊を編成(五航艦司令長官指揮)します。

6月6日、海軍總隊司令部(小澤治三郎中将)は決號作戰(本土決戦)における練習機特攻隊の展開配備基準を下令、第十三航空戰隊は第一配備が関東方面、第二配備が紀伊水道または伊勢湾方面とされ、戦力温存にあたります。

15日、新司令・山下榮大佐が軍令部出仕兼海軍省出仕(功績調査部)から着任します。

特攻隊の錬成にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


東海海軍航空隊
※『明治海軍航空基地』参照


主要参考文献
『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧(三)』 (平成21年5月 渡辺博史 楽學庵)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住の探索者。

明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達の足跡に触れ感じるため各地(西日本が多いです)を探索しています。
軍跡(軍事関連遺構)は当時を知る生きた教科書です。

精強帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、及び祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介しています。

戦後極端に盛られ歪められた歴史を公平に記述し、英霊の名誉回復、真の姿を知る一助になる事を目指し記述しています。


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