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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

筑波海軍航空基地 應急治療所

笠間市に所在した筑波海軍航空基地(筑波海軍航空隊)に隣接して耐弾式半地下の應急治療所がありました。
C 応急治療所 内部 (1) 筑波海軍航空基地・筑波海軍航空隊(茨城笠間)
▲應急治療所 室内

【探索日時】
平成27(2015)年3月28日





筑波海軍航空基地筑波海軍航空隊)について>
昭和9(1934)年1月、海軍航空本部は霞ヶ浦海軍航空隊は計画も含め複数の航空隊が混在し教育に支障が出る様になった事から陸上班の一部(初歩練習)移設を検討、近隣の農商務省種羊場跡地一帯を選定し新設航空基地の設営を開始、8月15日、霞ヶ浦海軍航空隊 友部分遣隊が開隊、陸上練習機の初歩操縦術教育を開始します。

昭和13(1938)年12月25日、友部分遣隊は筑波海軍航空隊として独立、引き続き陸上練習機による飛行練習生教程を担当、昭和19(1944)年3月15日、戦闘機実用機教育に転換します。

11月19日、比島に特攻要員を抽出、昭和20(1945)年3月28日、隊も神風特別攻撃隊 筑波隊を編成、4月20日、筑波空は練習航空隊の指定を解かれ実施航空隊に改編、7月20日、隊は姫路に移駐、空いた航空基地に元山空が進出し、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

※詳細は『筑波海軍航空基地(筑波海軍航空隊)』参照


遺構について
C 應急治療所
應急治療所の設営時期は不明ですが、隣接する戰斗指揮所同様に、昭和20(1945)年初旬から設営を開始、2月、竣工したと思われます。

應急治療所も戰斗指揮所同様には私有地にあり長らく放置され埋まっていましたが、筑波海軍航空隊本部庁舎(筑波海軍航空隊資料館)、及び戰斗指揮所の期間限定公開に合わせ発掘されました。

現在は戰斗指揮所とともに民家が隣接している事もあり立入禁止になっています。
私有地にあり立禁になっているので場所は伏せさせて頂きます。
C 応急治療所 入口 (2) 筑波海軍航空基地・筑波海軍航空隊(茨城笠間)
▲全景
 入口上部のコンクリート部分が僅かに露出している程度でした

C 応急治療所 入口 筑波海軍航空基地・筑波海軍航空隊(茨城笠間)
▲発掘された壕口

C 応急治療所 内部 (1) 筑波海軍航空基地・筑波海軍航空隊(茨城笠間)
▲室内
 部屋は1部屋しかありません

C 応急治療所 内部 (3) 筑波海軍航空基地・筑波海軍航空隊(茨城笠間)
▲室内から壕口

C 応急治療所 内部 (2) 筑波海軍航空基地・筑波海軍航空隊(茨城笠間)
▲室内外周にある排水溝

C 応急治療所 換気口 筑波海軍航空基地・筑波海軍航空隊(茨城笠間)
▲奥にある換気口
 木材は発掘に際に咬まされたもの
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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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