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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

鉾田陸軍飛行學校 豊鹿島陸軍爆撃場

鉾田市に所在した鉾田陸軍飛行學校(鉾田陸軍飛行場)の南方に豊鹿島とよかしま陸軍爆撃場がありました。
E 監的壕 西から 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲保存されている機銃掃射用の監的所

【探索日時】
平成27(2015)年10月13日





豊鹿島陸軍爆撃場について
昭和13(1938)年5月11日、ノモンハン事件が勃発、優勢なソ連軍と交戦するに至り、量的充実の必要性を認識した陸軍は航空軍備の画期的拡張を計画、陸軍航空本部は軍備拡張の準備として濱松陸軍飛行學校が濱松陸軍飛行場において行っていた重爆撃機、軽爆撃機の操縦訓練の分離を決定します。

昭和14(1939)年秋、陸航本は鹿島灘と北浦に挟まれ台地で平坦で広大な土地が広がる鹿島郡新宮村、同上島村の400町歩に新設飛行学校(軽爆)と付属飛行場用地、同上島村、同白鳥村の800町歩に爆撃場用地を選定し各村長に通達、収穫を待ち各村長の協力のもと飛行学校、及び付属飛行場用地の買収を開始します。

12月21日、留守第十五師團経理部(31日から第十五師團経理部、昭和15年8月1日から第五十一師團経理部)の監督のもと㈱鴻池組が地元土建業者を指揮、勤労奉仕隊の協力を得て鉾田陸軍飛行學校、鉾田陸軍飛行場の設定を開始、昭和15(1940)年12月19日、陸航本は豊鹿島陸軍爆撃場の用地買収を開始、爆撃、銃撃標的、模擬掩体が設定されます。

昭和16(1941)年4月13日、鉾田陸軍飛行學校が開校し軽爆撃機に関する教育、研究を、豊鹿島陸軍爆撃場において模擬弾を用いた爆撃、及び着色弾を用いた機銃掃射訓練を開始します。

昭和19(1944)年6月20日、急迫する戦局に鉾田陸軍飛行學校は鉾田教導飛行師團に改編され軍隊化、昭和20(1945)年2月16日、25日、鉾田陸軍飛行場は空襲を受けたため、飛行機は一部を残置し那須野陸軍飛行場に移駐します。
7月18日、鉾田教導飛行師團は第三教導飛行隊(那須野)、第二十六飛行團司令部(那須野)に改編され、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により兵営は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は占領政策の一環として我が陸海軍の全財産を接収し、管理・処分を厳重に規制する事を示達してきます。

9月2日1100、横浜港に米第8軍第1騎兵師団が上陸を開始、10月5日、同軍隷下の第43歩兵師団隷下支隊(カイザー代将、4個大隊)が水戸教導航空通信師團(吉田)を本部兼宿舎として、㈱日立製作所 鮎川工場(日立)、古河地方航空機乗員養成所(岡郷)を宿舎として接収、茨城県下の軍事施設の接収を開始しますが豊鹿島陸軍爆撃場は原野、山林のため接収から除かれたようです。

昭和20年11月9日、政府は『緊急開拓事業実施要領』を閣議決定、昭和21(1946)年10月21日、『自作農特別措置法』(法律第四十三号)が公布され、各地の国有地、旧軍用地は入植希望者を募集し払下げが始まり、鉾田陸軍飛行場、豊鹿島陸軍爆撃場合計1,381町歩の全域が農地として開放、爆撃場の原野部分は開拓地として開墾され現在に至ります。


遺構について
豊鹿島陸軍爆撃場
同爆撃場に関する資料はアジ歴に用地買収の認可の書類、自治体史に所在した当時の村、面積、戦後の経緯が簡単に記載されている程度で境界や運用など詳細は不明です。
爆撃場なので歩兵科における演習場と同様、際立った遺構はありません。
豊鹿島陸軍爆撃場 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲豊鹿島陸軍爆撃場推定範囲
 各種空撮より原野、区画整理された農地、不自然な道路から推定

監的所
鉾田と言えばこの遺構です。
鉾田陸軍飛行學校は軽爆撃機の実施学校のため爆撃演習用と誤認されがちですが、同校が併せて行っていた襲撃機の機銃掃射演習用の監的です。
道路を挟んだ位置(現、大洋水道事務所)に標的があり、着色弾による機銃掃射ののち、ここから出て命中度を確認していました。

コンクリート製で背後に入口、外周に6ヶ所、覘視孔があり、入口の防護壁が鉄筋泥棒に襲撃され破損している以外は完存しています。
平成30(2018)年1月29日、道路拡張工事に伴い南東80mに移設されました。
E 監的壕 西から 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲全景
 探索当時は林の中に埋もれ見通せませんでした

E 監的壕 西から (2) 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲反対側

E 監的窓 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲覘視孔
 機関銃弾、機関砲弾の侵入を防ぐ様に段々になっています

E 監的壕 東から 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲背後
 入口には防弾癖があります

E 監的壕 南東から 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲入口
 鉄筋は殆ど入っていない事が分かり破壊から逃れた様です

E 監的壕 北から 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲反対側

E 監的壕 内部から監的窓 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲室内
 アホが落書きしています

E 監的壕 内部から入口 鉾田陸軍飛行學校・鉾田陸軍飛行場(茨城鉾田)
▲室内から入口


なお鹿島臨海鉄道を挟んだ北側の別荘地付近に爆撃標的の模擬掩体が3基ほどあったので探索してみましたが、別荘地分譲の際に全て破壊されてしまった様で何もありませんでした。


主要参考文献
『鉾田町史 通史編(下)』(平成13年10月 鉾田町史編さん委員会)

『茨城県史 市町村編3』(昭和56年9月 茨城県史編さん市町村史部会)

『茨城県史料 農地改革編』(昭和52年3月 茨城県史編さん現代史部会)
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Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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