fc2ブログ

当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

茨城縣護國神社

日本三名園の一つ、偕楽園の桜山に茨城縣護國神社が鎮座しています。
一の鳥居と社号標 茨城縣護國神社(茨城水戸)
▲一の鳥居と社号標

【参拝日】
平成27(2015)年10月12日





茨城縣護國神社は幕末、明治維新に斃れた水戸藩関係烈士1,800柱を含め大東亜戦争に至るまで国難に殉じた茨城県出身、及び縁故のある英霊63,494柱が祭祀されています。
二の鳥居 茨城縣護國神社(茨城水戸)
▲二の鳥居

拝殿 (2) 茨城縣護國神社(茨城水戸)
▲拝殿

拝殿 茨城縣護國神社(茨城水戸)
▲拝殿内

-境内に建立されている碑-
丁丑殉節碑
西南の役により散華された英霊を凱旋した戦友が鎭霊社(茨城縣護國神社の前身)に奉祀した事を記す碑です。
丁丑殉節碑 茨城縣護國神社(茨城水戸)

征清記念碑
明治二十七八年戰役(日清戦争)における英霊、出征者の顕彰、慰霊碑です。
明治30(1897)年4月、日本郷友連盟茨城縣支部により建立されます。
題字は小松宮彰仁王大将です。
征清記念碑 茨城縣護國神社(茨城水戸)

北征記功碑
明治三十七八年戰役(日露戦争)における英霊、出征者の顕彰、慰霊碑です。
明治39(1906)年2月、建立されます。
題字は閑院宮載仁王大将です。
北征記功碑 茨城縣護國神社(茨城水戸)

戦歿者留魂の処
水戸陸軍墓地に建立された納骨堂に建てられていた碑です。
忠霊塔建設に向け保管されていた支那事変以降の御分骨7,700余柱は昭和25(1950)年9月21日、(財)茨城県遺族連合会により水戸陸軍墓地に建立された戦没者留魂の処(納骨堂)に埋葬されますが、昭和38(1963)年5月、陸軍墓地の水戸市移管、市営墓地造成に伴い顕勲の塔に奉納されます。
戦歿者留魂の処 茨城縣護國神社(茨城水戸)

顕勲の塔
明治二十七八年戰役(日清戦争)以降、大東亜戦争までの茨城県出身の英霊58,000余柱の顕彰、慰霊碑です。
昭和38(1963)年5月、茨城県により建立されます。
顕勲の塔 茨城縣護國神社(茨城水戸)

あゝ戦友の碑
ニューギニア戦域における英霊の顕彰、慰霊碑です。
昭和47(1972)年2月、茨城県東部ニューギニア戦友会により建立されます。
あゝ戦友の碑 茨城縣護國神社(茨城水戸)

鎮魂 歩兵第二百十三聯隊
昭和52(1977)年11月、第三十三師団歩兵第二百十三聯隊(弓六八二二部隊)戦友会により建立されます。
鎮魂 歩兵第二百三聯隊 茨城縣護國神社(茨城水戸)

大東亞戰爭記念碑
昭和61(1986)年8月15日、茨城県大東亜戦争記念碑建立発起人会により建立されます。
大東亞戰爭記念碑 茨城縣護國神社(茨城水戸)

平和のねがい
昭和62(1987)年8月9日、大東亜戦争における工兵第二十二聯隊の英霊顕彰・慰霊のため同聯隊戦友会により建立されます。
平和のねがい 茨城縣護國神社(茨城水戸)

鎮魂 岩上大隊の英霊ここに眠る
ロスネグロス島防衛の増援として同島に派遣され玉砕した獨立混成第一聯隊第二大隊(岩上泰一郎少佐以下750名)の英霊顕彰、慰霊碑です。
平成元(1989)年5月、岩上大隊遺族マヌス会により建立されます。
鎮魂 岩上大隊の英霊ここに眠る 茨城縣護國神社(茨城水戸)

ペリリュー島慰霊会奉献
ペリリュー島の守備にあたった同聯隊を基幹とするペリリュー地區隊の英霊顕彰、慰霊碑です。
平成5(1993)年11月24日、歩兵第二聯隊の軍旗が奉焼された日に合わせ歩二会、ペリリュー島慰霊推進会により建立されます。
ペリリュー島守備部隊鎮魂碑 茨城縣護國神社(茨城水戸)

-御皇室関連-
天皇皇后両陛下御親拝記念
天皇皇后両陛下御親拝記念 茨城縣護國神社(茨城水戸)

奉祝 天皇陛下御在位六十年記念
奉祝 天皇陛下御在位六十年記念 茨城縣護國神社(茨城水戸)

さくら山遺品館
茨城縣護國神社に祭祀されている英霊の御遺影、御遺品などが展示、英霊の遺徳に触れる事ができます。
さながら「小遊就館」の様で実に素晴らしい施設です。
さくら山遺品館 茨城縣護國神社(茨城水戸)
▲外観

さくら山遺品館 展示 (3) 茨城縣護國神社(茨城水戸)
▲館内

さくら山遺品館 展示 茨城縣護國神社(茨城水戸)
▲展示

さくら山遺品館 展示 (2) 茨城縣護國神社(茨城水戸)
▲複製?軍旗


茨城縣護國神社 由来
明治11(1878)年2月9日、常磐神社(明治7年、建立、御祭神は徳川光圀公、徳川斉昭公)境内に幕末、明治維新に斃れた水戸藩関係烈士1,800柱を祭祀すべく水戸藩関係者により鎭霊社が建立されます。

その後、西南の役、明治二十七八年戰役(日清戦争)における英霊を合祀、茨城県出身者の英霊を広く祭祀する神社として位置付けられ、明治三十七八年戰役(日露戦争)、支那事変における英霊を合祀します。

昭和14(1939)年、内務省が全国各地の招魂社を護國神社に改称する計画を受け、茨城県は鎭霊社は狭隘であったことから、2月、茨城縣護國神社奉賛會(会長:吉永時次知事)を結成、鎭霊社の移転、新築費用として250,000円(県補助30,000円、市町村寄付80,000円、篤志家寄付140,000円(のち60,000円追加))を計上します。
奉賛會は新境内地として県営・偕楽園の桜山、一遊亭(藩政期の藩主休憩所)跡地5,077坪を選定、用地買収ののち、在郷軍人、青年団員、県内学校生徒、県民のべ50,000名の奉仕により境内地の造成、続いて社殿が建設されます。

3月15日、内務省令第十二號『招魂社ハ之ヲ護國神社ト改稱ス』発令により、4月1日、全国各地の招魂社が護國神社に改称します。

昭和16(1941)年11月、本殿、祝詞殿、中殿、拝殿が竣工、6日、遷座祭、7日、遷座祝詞祭、奉納武道大会、本日までの英霊の合祀祭が斎行されます。

昭和20(1945)年8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の渙発を受け大東亜戦争は停戦、連合軍の進駐により護國神社に対し干渉・抑圧が加わったため、昭和22(1947)年8月、桜山神社に改称します。

昭和27(1952)年4月28日、サンフランシスコ講和條約の発行によりわが国は主権を回復、昭和29(1954)年10月、茨城縣護國神社に復称、現在に至ります。


祭事
4月10日  春季大祭
11月10日  秋季大祭

1月1日  元旦祭
1月3日  元始祭
2月9日  創祀記念祭
2月11日  建国記念祭
2月17日  祈年祭
2月23日  天長祭
3月彼岸日 春分祭
4月29日  昭和祭
6月30日 夏越大祓式
8月15日  終戦記念祭
9月彼岸日 秋分祭
10月17日 神嘗祭当日祭
11月2日  顕勲の塔慰霊祭
11月3日  明治祭
11月6日  遷座記念祭
11月23日 新嘗祭
12月31日 年越大祓式


主要参考文献
『水戸市史 下巻3』(平成10年5月 水戸市史編さん近現代専門部会 水戸市)

参拝の栞
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
検索フォーム
正定事件の真実
戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ジャンルランキング
[ジャンルランキング]
地域情報
66位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
4位
サブジャンルランキングを見る>>
月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
--------------
掲載写真、図面、資料、文章の
無断転載は禁止します。
当ブログを参照した際は度合いによらず必ず引用明記のうえリンクを張ってください。

リンク
Twitter @yuukyuunotaigi
最新コメント
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる