fc2ブログ

当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

香取海軍航空基地

旭市、匝瑳(そうさ)市にまたがり国譲り神話に登場する経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を御祭神とする香取神宮にあやかった事で知られる香取海軍航空基地がありました。
D 滑走路 北西から (2) 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲自動車用ブレーキ試験場に転用されている滑走路

【探索日時】
平成27(2015)年3月29日





香取海軍航空基地について
第七十回帝國議會(昭和11(1936)年12月26日~(昭和12(1937)年3月31日)において米国の軍備増強に対抗すべく艦船に関し戦艦2隻(大和型)の新造、商船の特設空母へ改装研究、既設軽巡2、建造中4隻の重巡への改装、航空戦力に関して海上は艦戦60、艦爆190、水偵42機の合計294機、陸上は実施航空隊6隊、練習航空隊8隊(豫科練1、中練5、実用機2)262機整備を盛り込んだ「第三次海軍軍備補充計畫」(マル三計画:期間昭和12~16年度まで)が成立します。

7月7日、北支事變(9月2日、支那事變と改称)が勃発、我が国の早期解決の方針は支那国民党政府の度重なる不法行為により尽く反故にされ事変は長期化、軍令部は事変長期化に対応すべく戦備の促進(7月中旬~8月中旬、及び8月23日、第一次、10月25日、第二次、28日、第三次)を海軍省と商議、随時実行します。

さらに「マル三計画」成立とともに次期軍備計画の案画を開始、当初昭和15年度の立案を予定していましたが、昭和13(1938)年5月、マル三計画を凌駕する米国の「第二次ビンソン案」(戦艦3、空母2、巡洋艦9、駆逐艦23、潜水艦9隻、航空機950機増の計3,000機整備)の成立情報を入手、10月、海軍省と商議、昭和14(1939)年3月7日、航空戦力の均衡を保つべく航空戦備の大幅増強、即ち実用航空隊10隊、練習航空隊8隊の新設、既存航空隊8隊の拡張を盛り込んだ「第四次海軍軍備充實計畫」(マル四計画)が成立します(昭和18年末までに完了予定)。

軍令部はマル四計画の案画において関東地方に外戦兵力基地を計画(昭和17年10月完成予定)、海軍航空本部は九十九里浜東端に位置し、寛文年間に椿湖を干拓し「干潟八万石」と称され、平坦で広大な土地が確保可能な匝瑳(そうさ)郡共和村、椿海村、旭町一帯の農地に航空基地用地を選定、海軍省建築局において詳細計画が立案され、横須賀鎭守府に送達されます。

昭和13(1938)年5月、横須賀海軍建築部は各町村役場を訪問、航空基地設営を伝達するとともに協力を要請、測量ののち用地は共和村370町歩、椿海村60町歩、旭町20町歩、146戸の立ち退きが確定、地権者の陳情を受けた横鎭は反あたり相場の2倍、すなわち古田400円、開墾田、古畑350円、開墾畑300円、移転補償料4,000~15,000円を提示し買収承諾書を受領します。

昭和14(1939)年春頃、第一次用地買収(買収代金は横須賀海軍経理部より各村長に一括振り込み)を開始するとともに、横須賀海軍建築部の監督、木田組、三木組の指揮のもと労務者、応徴労務者、囚人を主力に勤労奉仕隊、学校報国隊の協力を得て航空基地設営を開始、用地内居住者は20日の期限で転居が告知され労務者により住宅解体、移築が行われます。

昭和17(1942)年4月18日、米B25爆撃機、1機が来襲、応徴労務者の飯場1棟が焼失してしまいます。

昭和17年、飛行場地区が竣工、引き続き居住地区2ヶ所、工場地区、隊外酒保の第二次用地買収を実施、11月1日、第一航空基地隊(昭和19年2月1日、復帰)が香取において編成され基地管理を担当、昭和18(1943)年7月1日、第一航空艦隊司令部(昭和19年2月20日、テニアン島へ)が新編され、9月6日、香取海軍航空基地(以下、香取基地と略)が竣工、九九艦爆3機により試験着陸が実施されます。

10月1日、第一二一海軍航空隊(一航艦/陸偵:昭和19年2月20日、テニアン島へ)、11月5日、第五二三海軍航空隊(一航艦/昭和19年2月20日、テニアン島へ)、昭和19(1944)年1月1日、第一〇二一海軍航空隊(一航艦/輸送:2月24日、サイパン及びテニアン島へ)、2月1日、第六十二航空戰隊司令部(一航艦/6月15日、第二航空艦隊に改編、7月20日、鹿屋へ)、2月1日、香取海軍航空隊(整備教育及び基地管理:昭和20年6月30日、復帰)、3月15日、第三二二海軍航空隊(一航艦/7月10日、復帰)が新編、7月10日、第二十五航空戰隊(17日、横浜へ)、第一〇二二海軍航空隊(輸送:20日、鹿屋へ)、第一三一海軍航空隊(昭和20年3月26日、串良へ)が香取において新編、関東海軍航空隊が木更津で新編され、香取空員により香取基地隊が編成され基地管理にあたります。

昭和20(1945)年2月12日、第六〇一海軍航空隊が松山から香取に移駐、16日、敵艦上機が香取に来襲、20日、六〇一空を基幹として戰鬭第三一〇飛行隊、攻撃第一飛行隊、攻撃第二五四飛行隊が編成、また各飛行隊から神風特別攻撃隊 第二御盾隊(21日、突入)が編成、決號作戰(本土決戦)に備えるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により陸海軍施設は内務省を通じ大蔵省に移管されますが、31日、連合軍は占領政策の一環として我が陸海軍の全財産を接収し、管理・処分を厳重に規制する事を示達してきたため、関東空香取基地隊は香取保安隊として軍需品管理にあたります。

8月31日、米第4海兵連隊先遣隊が館山市館山港桟橋に上陸し、9月1日、一部が木更津基地を接収、3日、第112騎兵連隊戦闘団(J・W・カニンガム准将)が館山基地に上陸し同基地を接収し司令部を開設、10月8日、茂原進駐部隊の一部160名が香取基地を接収、航空機、軍需品の処理が行われますが、米軍の怠慢な処理のため弾薬搬送が遅れ、香取保安隊は海軍大臣指示(8月21日、第一次解員(9月1日付け)、9月9日、第二次、11月30日、第三次解員)に基づき解員、爾後は旭町警察署が引き継ぎ、処理終了(時期不明、12月時点で未完)に伴い香取基地は大蔵省に返還されます。

昭和20年9月24日、農林省は各地方長官に「軍用地ノ農耕地転用ニ関スル件」を発令、10月12日、千葉県は同件を受け県帰農対策本部を開設、県内の旧軍用地を開拓農地として戦災者、復員者、引揚者の入植斡旋を開始します。
11月3日、GHQは各軍政部に『連合国軍最高司令官総司令部・高級副官部(SCAP・AG)指令第686号』、12月11日、『SCAP指令第601号』を発令、接収中の各陸軍飛行場、海軍航空基地52ヶ所の全面、もしくは一部を農地、塩田として転換する方針を下達します。

12月、大蔵省は香取基地内建物の解体転用を認可、各種学校(村立共和中学校、旭町立矢指中学校、同豊畑中学校、同中央小学校、千葉県敬愛高校)、八日市場町営住宅、中央病院、駅舎(銚子、成東)の部材として解体、搬出されます。

昭和20年11月9日、政府は『緊急開拓事業実施要領』を閣議決定、昭和21(1946)年10月21日、『自作農特別措置法』(法律第四十三号)が公布され、各地の国有地、旧軍用地は入植希望者を募集し払下げが始まり、香取基地は滑走路を除く全域が開拓地に指定され大蔵省から農林省に移管されます。

昭和21(1946)年2月、基地跡を農地開発営団が山形県からの入植者200名に1戸あたり2町3反を払い下げる(24ヶ年賦)計画を知った元地権者が反発、3月、営団は元地権者に売却面積の半分を、残余を復員者1戸あたり1町歩(住宅1棟提供)開放に変更し決着、昭和22(1947)年7月、復員者53戸が香取基地西部に入植、11月3日、開墾が始まり、昭和24(1949)年までに全域が払い下げられます。
昭和21年2月、滑走路一帯90町歩、建物8棟が東産業㈱に貸与され、九十九里浜から海水を引き込み製塩を開始しますが、取水口への砂堆積による水量不足、滑走路のひび割れ、日照不足で予定生産量を下回り、また水飛沫による周辺農地への塩害により操業を停止します(時期不明)。

昭和28(1953)年2月、保安庁は香取基地跡を航空基地候補として千葉県に内定を通知、2月21日、開拓組合は保安庁(昭和29年6月30日、防衛庁に改編)に基地反対を陳情、昭和30(1955)年3月28日、防衛庁は千葉県農地部に基地用地推薦を依頼(防衛庁は同様に茨城県にも依頼し、香取、茂原、百里原、神之池のうち1ヶ所を希望)、4月11日、開拓民の陳情を受け基地は百里原が選定され香取の計画は中止されます。

昭和37(1962)年5月10日、政府は低開発地域の工業開発を促進し、雇用を増大させ、地域間の経済格差を無くすべく『低開発地域工業開発促進法』を施行、9月、香取基地一帯は第一次低開発地域導入地区の指定を受け、飛行場地区(滑走路)跡を中心に旭鎌数工業団地として開発が決定します。
工業団地は滑走路を中心にA(滑走路西側)、B(同南側)、C・D(同北東側)の4区画に分割、用地買収はA、C・D地区を千葉県土地開発公社、B地区を旭市〃が担当、まずA地区、B地区の用地買収を開始、昭和41(1966)年3月21日、A地区の造成、昭和42(1967)年12月、分譲、続いて昭和59(1984)年6月、B地区の造成、昭和61(1986)年3月、分譲され両地区に26社が進出、さらに平成元(1989)年、C、D地区の買収を開始、平成8(1996)年3月、買収完了し、5月、造成を開始、平成13(2001)年3月、分譲され16社が進出し現在に至ります。


遺構について
香取海軍航空基地
上記の様に同基地は最大で1個航空艦隊司令部、1個航空戦隊司令部、4個航空隊が同居、錬成にあたり、広大な敷地を有した航空基地でしたが、戦後の農地化、さらに工業地化により殆どの遺構が滅失してしまい、現在以下の遺構が僅かに遺る程度です。
現在、地元では「香取飛行場」や「干潟飛行場」と呼ばれている様です。
香取 現在(施設のみ)香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲香取海軍航空基地全体図
① 香取海軍航空基地 飛行場地区
上記の様に飛行場地区は全域が工業地化されてしまいましたが、全国に数例しか現存しないコンクリート滑走路が比較的良く遺ります。

D 滑走路
日清紡ホールディングスの自動車用ブレーキの試験場になった事が幸いし区画の全て、当時のコンクリート舗装が部分的に遺ります。
D 滑走路 南東から 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲北側全景

D 滑走路 北西から 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲舗装面

D 滑走路 表面 (2) 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲近影

D 滑走路 北西端から 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲北端から全景

※見学は平日のみ、事前連絡のうえ予約、調整が必要です。


E 滑走路
工業地化の際に北東側1/4が剥がされてしまいましたが、南西側1/4は購入企業が無く奇跡的に当時のままの舗装が完存しています。
E 滑走路 北東から 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲全景
 放置されており雑草が繁茂しています

E 滑走路 表面 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲舗装面近影


F エプロン
こちらも購入企業が無く一部が遺ります。
F 駐機場 南から 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲全景
 同じく放置されており雑草が繁茂しています

F 駐機場 東から 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲舗装面

F 駐機場 表面 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲近影


G 慰霊碑
昭和51(1976)年11月23日、エプロン跡の一角に時の海原会会長・前田武氏の設計、総工費700万円で慰霊碑建設期成会により建立されました。
当航空基地関連の英霊、殉職者、軍民空襲被災者などが合祀されています。
揮毫は第一航空艦隊(基地航空部隊)の提唱者、源田實氏です。
G 慰霊 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)

G 慰霊の東側にある飛行機 香取海軍航空基地(千葉旭・匝瑳)
▲SNJ6198号機
 「テキサン」の名称で知られる練習機が展示(海自から旭市が借受)されています


② 香取海軍航空基地 居住地区
主に航空艦隊、戦隊司令部が使用しました。
建物は撤去され、遺構は何も遺されていない様です。


③ 香取海軍航空隊
香取海軍航空隊(整備術教育)、次いで関東海軍航空隊 香取基地隊が使用、航空基地の管理を行いました。
建物は早期に撤去され、遺構は何も遺されていない様です。
敷地内に円形の水槽が点在しますが、建物やエプロンの真ん中に被っていたりしており、戦後の農業用の可能性が高いです。


④ 工場地区
主に機体整備場や修理場、金工、木工場などがありました。
建物はかなり早期に撤去された様で、昭和22年の空撮ですら痕跡は全く見えません。


⑤ 香取海軍航空基地 居住地区
基地内では収容し切れない人員の臨時の居住区です。
南側に士官舎、北側に兵舎がありました。
こちらも建物はかなり早期に撤去された様で、昭和22年の空撮ですら痕跡は全く見えません。


⑥ 香取海軍航空基地 隊外酒保
こちらも建物は撤去され、遺構は何も遺されていない様です。


供用部隊
第一航空基地隊(2代目)
昭和17(1942)年11月1日、横須賀鎭守府所管の特設航空基地隊として香取基地において開隊(重廣宗雄中佐、18年12月1日から津村慶四郎機関中佐)、横須賀鎭守府に編入され、香取、松島、横濱、豊橋各航空基地の諸施設の管理、諸兵器の管理と整備、航空輸送に関する事を管掌、基地を利用する航空隊の諸作業、通信などに協力します。

昭和19(1944)年2月1日、隊は復帰、香取基地管理は新編された香取海軍航空隊に移管されます。


第一航空艦隊司令部(Ⅱ)
昭和17(1942)年末、軍令部第一部作戦課航空部員・源田實中佐の基地機動航空部隊の着想を元に、昭和18(1943)年6月19日、軍令部総長・永野修身大将は“い”號作戰の戦訓に鑑み基地機動航空部隊を編成し重要作戦場において短期決勝を図る構想を上奏します。
「基地機動航空部隊構想」は4個戦闘機航空隊、1個艦爆、陸爆、陸攻、艦偵、夜戦航空隊により1個航空戰隊を編成、3個航空戰隊で決戦遂行能力を有する航空艦隊を編成、急速な移動集中により戦場の圧倒的優勢を獲得するという物でした。

昭和18(1943)年7月1日、二六一空(佐世保鎭守府所属)、新編の七六一空により第一航空艦隊が編成、軍令部直属で機動基地航空部隊として司令部を香取に開設します。
司令長官 角田覺治中将
参謀長 三和義勇大佐
参謀 淵田美津雄中佐
参謀 山田武機関中佐
参謀 多田大典大尉
第一航空艦隊司令部 香取
 二六一空(鹿屋、艦戦定数36、内補用9) 「虎」と呼称
 七六一空(鹿児島、陸攻〃48、〃12) 「龍」
両航空隊はそれぞれの基地で兵力整備、錬成にあたります。
角田覚治中将
▲第一航空艦隊司令長官・角田覺治中将(海兵三十九・海大二十三)
 木曽、古鷹、磐手、海兵教頭、山城、長門艦長を経て三航戰司令官、大東亜戦争を四航戰司令官として迎え、南方唯一の機動部隊として南方資源地帯の攻略に活躍。
 「見敵必戦」を信条に山口多聞少将、西村祥治中将と並ぶ「闘将」として知られる。
 南太平洋海戦における「本官は諸君の生還は喜ばない、ただ戦果のみを喜ぶ」の訓示は有名。
 反面、アリューシャン列島攻略戦では帰還しない部下を何時間を待ち危険海域で目印に探照灯を照射させ、同郷の下士官兵に気さくに声を掛けるなど部下思いでも知られる。
 テニアン島において退避壕を掘る道具が無いと嘆く部下に「掘ろう!断じて掘ろう!」と長官自ら素手で掘り出すなど士気振作に務め、陣地築城に協力してくれた島民にも降伏を勧めたと伝わる


8月15日、五二一空(陸爆定24、補6/艦爆定24、補6「鵬」)が豊橋、10月1日、一二一空(艦偵定12、補3「雉」)が香取、二六三空(艦戦定36、補9「豹」)が松山、三二一空(丙戦定24、補6「鵄」)が茂原において編成され、艦隊麾下に編入され、それぞれの基地で兵力整備、錬成にあたります。
二六一空の定数は72、七六一空の定数は96に改定、司令部付属輸送隊(陸輸定24、補4)が配属されます。

10月14日、軍令部は艦隊、及び横須賀空進攻兵力を本土東方敵艦隊邀撃作戦に関し聯合艦隊司令長官の指揮下に編入を下令します。

15日、一航艦司令部、艦戦49、陸攻35は霞ヶ浦に移駐、第二基地航空部隊(十二航艦)指揮官(戸塚道太郎中将)指揮下に編入され乙聯合空襲部隊を編成、霞ヶ浦、木更津、舘山、横濱、横須賀、三澤に展開し敵機動部隊邀撃を準備します。

16日、大本營海軍部(以下、単に大本營)は有力な敵機動部隊が中部太平洋または本土に来襲の公算大と警報を発令、聯合艦隊司令部は丙作戦第五法(ウェーク、マーシャル方面警戒)を発令します。

22日、聯合艦隊司令部は在内地邀撃部隊の編成を解除、一航艦司令部は香取に復帰、大本營は今回の様に在本土兵力を聯合艦隊司令長官指揮下に統合して作戦する必要がある事からト號作戰要領を決定、一航艦はト號作戰部隊に編入されます。

11月5日、五二一空の彗星隊を基幹に五二三空(艦爆定48、補12「鷹」)が香取において新編され、一航艦に編入、兵力整備、錬成にあたります。

13日、ト號作戰は東號作戰に改称します。

15日、二六五空(艦戦定72、補18「狼」)が笠之原、三四一空(丙戦定36、補9「獅」)が松山(12月5日、笠之原に移駐)において新編、艦隊に編入され、それぞれの基地で兵力整備、錬成にあたります。

昭和19(1944)年1月1日、三四三空(乙戦定48、補12「隼」)が鹿児島において新編、艦隊に編入され、兵力整備、錬成にあたります。
司令部付属輸送隊は一〇二一空(陸輸36「鳩」)に改編、五二一空の定数が48、五二一空は48、121空は24機に改定されます。

昭和19(1944)年1月15日、二二一空(艦戦定72、補18「嵐」)が笠之原、三四五空(乙戦72定、補18「光」)が鳴尾において新編、艦隊に編入され、それぞれの基地で兵力整備、錬成にあたります。
二六五空は台湾新竹に移駐します。

第一航空艦隊司令部 香取
 二六一空(艦戦定数72、内補用18)「虎」呼称 鹿屋 18年7月1日、編成
 七六一空(陸攻〃96、〃24)「龍」 鹿児島 18年7月1日
 五二一空(陸爆〃48、〃12)「鵬」 豊橋 18年8月15日
 一二一空(艦偵〃24、〃6)「雉」 香取 18年10月1日
 二六三空(艦戦〃36、〃9)「豹」 松山 18年10月1日
 三二一空(丙戦〃24、〃6)「鵄」 茂原 18年10月1日
 五二三空(艦爆〃48、〃12)「鷹」 香取 18年11月5日
 二六五空(艦戦〃72、〃18)「狼」 新竹 18年11月15日
 三四一空(丙戦〃36、〃9)「獅」 松山 18年11月15日(12月5日、笠之原に移駐)
 三四三空(乙戦〃48、〃12)「隼」 鹿児島 19年1月1日
 一〇二一空(陸輸36)「鳩」(19年1月1日、司令部付属輸送隊から改編)
 二二一空(艦戦定72、補18)「嵐」 笠之原 19年1月15日
 三四五空(乙戦〃72、〃18) 「光」 鳴尾 19年1月15日
艦戦:零戦/艦爆:彗星/艦攻:天山/陸攻:九六・一式陸攻/陸爆:銀河/乙戦:雷電/丙戦:月光

18日、七六一空の九六陸攻9機はペリリュー島に進出、海上護衛總司令部部隊に協力し船団護衛にあたります。

2月1日、第六十一、第六十二航空戰隊司令部が編成され、艦隊麾下に編入、編制が改定されます。
また、一二一空の定数は48、二六三空、三二一空、三四三空はそれぞれ72、五二一空、五二三空は96に改定されます。

第一航空艦隊司令部 香取
 第六十一航空戰隊司令部 ※司令部無し一航艦直卒
  一二一空(艦偵48/12)「雉」 香取
  二六一空(艦戦72/18)「虎」 鹿屋
  二六三空(艦戦72/18)「豹」 松山
  三二一空(丙戦72/18)「鵄」 茂原
  三四一空(丙戦36/9)「獅」 笠之原
  三四三空(乙戦72/18)「隼」 鹿児島
  五二一空(陸爆96/24)「鵬」 豊橋
  五二三空(艦爆96/24)「鷹」 香取
  七六一空(陸攻96/24)「龍」 鹿児島
  一〇二一空(陸輸36)「鳩」 香取
 第六十二航空戰隊司令部 香取
  二二一空(艦戦72/18)「嵐」 笠之原
  二六五空(艦戦72/18)「狼」 新竹
  三四五空(乙戦72/18)「光」 鳴尾

軍令部は六十一航戰の戦力充実を5月頃、六十二航戰は六十一航戰と同程度の兵力とする様に務め、戦力充実を9月頃を目標とします。
しかし、機材の充足は開隊時期が早かった七六一空、二六一空、二六三空こそ7~8割と高かったものの他は半数にも達せず、搭乗員はこの3航空隊、及び二六五空、三四一空、三四三空、一〇二一空は定数を満たすも、一二一空、三二一空、五二一空、五二三空は半数程度でした。

同日、マーシャル諸島クエゼリンに敵が上陸を開始、在島の二十四航戰(山田道行少将、二八一空、七五二空)は玉砕、中部太平洋方面の航空兵力が低下した事から、大本營は2月中旬~4月上旬に六十一航戰を同方面に進出させ聯合艦隊の作戦に協力を下令します。

15日、七六二空(陸攻定48、補12「輝」)が鹿屋において編成、六十二航戰に編入されます。

16日、一航艦は聯合艦隊に編入され第五基地航空部隊に部署されます。

17・18日、南洋の最大拠点・トラック島が敵艦上機の空襲を受け所在の航空兵力は甚大な被害を受けてしまいます。

17日、聯合艦隊司令部はラバウルの十一航艦、二航戰の移動可能全力、十三航艦麾下の七〇五空、三三一空を内南洋方面部隊(第四艦隊)に編入、六十一航戰のマリアナ諸島進出及び内南洋方面所在の全航空兵力を第五基地航空部隊指揮官が指揮する事を下令します。
角田中将は「第一航空艦隊は第六十一航空戰隊ヲ以テ内南洋方面ニ進出、敵艦隊ヲ撃滅セントス」を発令、各隊は現作戦可能兵力全力転進とし二六一空、五二三空、三二一空の兵力半分はサイパン、七六一空、二六三空、一二一空、三二一空の兵力半分はテニアン展開を下令、同日より各航空隊は移動を開始、また空母「千歳」、「千代田」、軽巡「大淀」により人員、兵器類が輸送されます。

21日、一航艦司令部は七六一空の陸攻23機、二六三空の零戦18機、三二一空の月光5機とテニアン島に前進、ラソーに将旗を掲揚します。

22日、前日未明より索敵にあたっていた七六一空の陸攻はテニアン島90°450浬に敵機動部隊を発見、「見敵必戦」を信条とする角田中将は退避して敵に撃破されるより敵の機先を制するべく、先任参謀・淵田美津雄中佐の進出直後で戦闘機が不十分のため退避するべきとの進言を退け、1440、一航艦司令部は23日0000以降全機待機、黎明攻撃を下令します。
1500、夜間触接のため七六一空の陸攻5機に続き、1715、陸攻16機、2030、5機がテニアンを出撃、2010、敵機動部隊を発見し雷撃、23日0028、第二空襲部隊(二十二航戰)陸攻8機が出撃、0315、一二一空の彗星(偵察)が敵機動部隊4群を発見、0415、三二一空の月光5機、0330、陸攻11機がテニアン、0340、五二三空の彗星2機がサイパン、二六三空の零戦18機がテニアンを出撃、それぞれ敵機動部隊を攻撃しますが、敵直掩機の邀撃、夜間移動による事故で零戦17機、陸攻24機(二十二航戰3機含)、彗星8機、月光4機が失われます。

0540~1230、敵艦上機200機が3波に渡りテニアン、サイパンに来襲、一二一空の彗星7機、二六三空の零戦5機、三二一空の月光8機、五二三空の彗星2機、七六一空の九六陸攻7機、一式陸攻9機、一〇二一空の輸送機4機が地上撃破されてしまい、残存機は僅か3機になってしまいます。

24日、二六一空の零戦49機、七六一空の陸攻13機、横須賀空マリアナ派遣隊の陸攻19機がサイパン、テニアンに進出、爾後内地からの進出が続きます。

26日、聯合艦隊司令部は内南洋における航空兵力部署についてマリアナ方面は一航艦司令長官指揮、カロリン方面は第二十二航空戰隊司令官指揮とし、後者の司令部はテニアンからトラックに移駐します。

3月1日、五二二空(陸爆定72、補18「轟」)が木更津で新編され、六十二航戰に配属されます。

六十一航戰のマリアナ方面航空兵力は零戦50、月光11、彗星10、陸攻27、彗星(艦偵)8、使用基地はテニアン(甲部隊)、サイパン(乙部隊)、大宮島(丙部隊)、南鳥島(伊基地)、硫黄島(呂基地)、パガン(波基地)。

3日、聯合艦隊司令部は4日付で軍隊区分を更改します。
第四基地航空部隊(十四航艦)
 二十二航戰(第二空襲部隊)、八〇二空、二十六航戰(第六空襲部隊)、二五一空、二五三空、一五一空、七五三空

第五基地航空部隊(一航艦)
 六十一航戰(第四十一空襲部隊)、横須賀空マリアナ派遣隊

聯合基地航空部隊(中部太平洋方面艦隊)
 第四、第五基地航空部隊

3月4日、中部太平洋方面艦隊が新編され、新編の十四航艦(第四基地航空部隊)、第四艦隊(南洋部隊)を麾下に編入、二十二、二十六航戰は第四艦隊から十四航艦に転属します。
一航艦司令部は六十一航戰をマリアナ方面、二十六航戰を西カロリン、二十六航戰を東カロリン方面配備を下令します。
聯合艦隊司令部はZ作戦要領を発令、聯合艦隊は太平洋方面に主作戦を指向、敵攻略部隊来寇に際し全力で撃滅すべく一航艦司令部は同方面の全航空兵力指揮を下令します。

9日、中部太平洋方面艦隊兼十四航艦司令長官・南雲忠一中将がサイパン島に将旗を掲揚します。

10日、六十一航戰の第二次進出(五二三空→サイパン、三四三空(紫電隊から零戦隊に変更)→第二テニアン、三二一空→第三テニアン、三四一空(紫電の供給遅れから二五六空に変更)→ロタ、五二一空→第二大宮)が下令されます。

12日、聯合艦隊司令部は第四基地航空部隊指揮官に第二空襲部隊の陸攻6機程度で第六師團のブーゲンビル島タロキナ攻撃に協力を下令します。

13日、一航艦司令部は敵情から20日以降の敵来襲の公算大と判断、二六三空は大宮島、三四三空の18機はサイパン、七六一空はテニアンに進出を下令します。

15日、一四一空「暁」(偵三:陸偵24、第一鈴鹿→香取)、三二二空「電」(戰八〇四:丙戦24、香取)、三六一空「晃」(乙戦48、鹿児島)、五二四空「曙」(陸爆定48、補12、豊橋)、五四一空「響」(艦爆定48、補12、松山)が新編され六十二航戰に編入されます。

16日、トラックにB24が初めて来襲、零戦10機が邀撃しますが、戦果は無く3機が未帰還、7機が地上撃破されてしまいます。

23日、中部太平洋方面艦隊司令長官は兵力部署を更改します。
聯合空襲部隊(一航艦司令長官指揮) 小笠原、マリアナ、カロリン各諸島方面の航空作戦
 六十一航戰、横須賀空マリアナ派遣隊、二十二航戰

内南洋部隊(第四艦隊司令長官指揮) マーシャル、東カロリン方面防備、海上交通保護
 同艦隊、作戦指揮下の陸海軍部隊

第三十一軍 三十一軍司令官指揮 小笠原、マリアナ、ポナペ以西カロリン各諸島の陸上作戦
※2月25日の陸海軍中央協定に基づき、3月10日、中部太平洋方面艦隊司令長官指揮下に

直率
 第六空襲部隊、マリアナ方面防備部隊(第五根拠地隊)、西カロリン方面防備部隊(第三十根拠地隊)、父島方面防備部隊(父島方面特別根拠地隊、硫黄島警備隊、南鳥島警備隊)

28日、第二空襲部隊の索敵機は西進する敵機動部隊を発見、聯合空襲部隊指揮官は第二空襲部隊にトラック、メレヨンからの索敵攻撃を下令します。

29日、B24爆撃機22機がトラック来襲、零戦58機が邀撃、6機を撃墜しますが、4機が未帰還、21機が地上撃破され、秋月弾薬庫も焼失、さらに夜間空襲により二十二航戰司令・長谷川喜一少将が散華してしまいます(30日、澄川道男少将、第四艦隊参謀長から着任)。
爾後、トラック諸島は連日B24の爆撃にさらされ、空襲、邀撃により在島の航空機の損害が増加、特に夜間爆撃は夜戦の配備が少なく苦戦します。
二〇一空の陸攻2機が西進する敵機動部隊発見、第六空襲部隊の陸攻10機はペリリュー島135°236浬に敵機動部隊を発見、薄暮攻撃で空母を含む4隻撃沈を報じます。

30日0530、ペリリュー基地、パラオ泊地に敵艦上機11波、延べ456機が来襲、所在の航空戦力は甚大な被害を受けてしまいます。
聯合艦隊司令部は丙作戦第六法(Z作戦のうち西カロリン諸島方面)、丁作戦(同西部ニューギニア北岸)警戒を発令します。
第一航空艦隊司令部はパラオに来寇した敵機動部隊の薄暮攻撃を下令、1806、一二一空の彗星(偵察)2機は敵空母3群を発見、30・31日と連日、七六一空、七五五空、横須賀空の陸攻が攻撃し5隻撃破を報じます。

31日0620、敵艦上機数百機がパラオに来襲、二六一空、二六三空の零戦46機が邀撃、23機を撃墜するも25機が未帰還、5機が大破、4機が地上撃破され、また、在泊艦船20隻が沈没、パラオは艦隊泊地機能を喪失、この2日で一航艦は90機、二十六航戰は50機を喪失、特に精鋭搭乗員の損失が大きく被害は深刻なものになってしまいます。

2200、聯合艦隊司令部はパラオから八五一空2機、八〇一空1機の二式飛行艇でダバオに向かいます聯合艦隊司令長官・古賀峯一大将搭乗機は行方不明、参謀長・福留繁中将搭乗機はセブ沖に不時着大破炎上し匪賊に捕われてしまい(4月11日、在地陸軍部隊が引き取り)、4月1日午後から長官機の捜索が開始されますが、遭難確実とされ南西方面艦隊司令長官・高須四郎大将が指揮を継承(5月2日まで)します。
同日、敵機動部隊はメレヨンに来寇しますが、以降の動静は不明になります。

7日、横須賀空マリアナ派遣隊は原隊復帰、聯合空襲部隊のマリアナ方面の陸攻は七六一空の実働12機のみとなります。

12日、南西方面艦隊司令長官は、敵はニューギニア北岸に来寇の公算大として丁作戦に関しZ一作戦要領を発令します。

15日、 第一航空艦隊司令部は、Z聯合空襲部隊の配備兵力を以下の通り報告します。
第四十一空襲部隊(第六十一航戰) 角田覺治中将直卒
 二六一空(零戦25 サイパン/零戦16 メレヨン)
 二六三空(零戦22 大宮島)
 三四三空(零戦12 テニアン)
 三二一空(月光5 大宮島)
 五二三空(彗星5 テニアン)
 七六一空(陸攻12 テニアン/陸攻3 ペリリュー)

第二空襲部隊(第二十二航戰) 澄川道男少将
 二〇三空(零戦27 春島)
 二五三空(零戦32 竹島)
 二五一空(月光6 竹島)
 一五一空(機材なし 竹島)
 五○三空(彗星29 楓島)
 五五一空(九九艦爆10 楓島/天山8 楓島)
 七五五空(陸攻13 春島/ 陸攻2 メレヨン)
 三〇一空(登場員67組横須賀で機材受け込み中)

第六空襲部隊(第二十六航戰) 有馬正文少将
 二〇一空(零戦3 ダバオ
 五〇一空(爆戦3)
 七五一空(陸攻3 ペリリュー/、錬成員26組機材なし ダバオ)

第三空襲部隊(二十三航戰) 伊藤良秋少将
 二八一空(零戦24、月光2 バリクパパン)
 一五三空(百式司偵3、二式艦偵3 ケンダリー)
 七二三空(陸攻20 アエルタワル、陸攻一部ダバオ)
 七五三空(豊橋で機材受け込み中)
 八五一空(二式飛行艇4 ダバオ)

第四十一空襲部隊に5月初旬までに増勢の予定
 一二一空(彩雲3、 彗星3)
 二六五空(零戦75)
 三二一空(月光12?)
 三四三空戦零戦58)
 五二一空(陸爆12)
 五二三空(彗星40?)

同日、南西方面艦隊司令長官はニューギニア北岸に対する警戒を解きます。

18日、トラックからの索敵機が同島南430浬に敵機動部隊を発見、中部方面艦隊司令長官はニューギニア北岸に敵上陸が急迫、またマリアナ諸島に敵機動部隊来寇の公算大と発電します。

19日、メレヨンからの索敵機が敵機動部隊を発見、20日、ペリリューからの索敵機が同島125°650浬に敵機動部隊を発見、第三空襲部隊の陸攻5機がデゴスからワシレに、20日、第三空襲部隊指揮官・伊藤良秋少将はソロンに進出、一二一空の彗星、七六一空、七五五空の陸攻をペリリュー、戰三一一をビアク、七三二空をソロンに進出させます。

21日、南西方面艦隊司令部は聯合艦隊に対しZ一作戦発動を下令、米軍がホランジアに上陸を開始します。
七六一空の陸攻6、七五五空の陸攻7で梅田部隊(七六一空飛行隊長・梅田成年大尉)を編成、22日、同隊は第三空襲部隊に編入されます。

22日、南西方面艦隊司令部は第五基地航空部隊に進出可能兵力を西部ニューギニアに前進させ、敵攻略部隊後続の輸送船団の索敵攻撃を下令、併せて第一機動艦隊(小澤治三郎中将)第一航空戰隊の艦上機の転用を発電しますが、小澤中将、大本營ともに反対し次期作戦に一挙投入すべく艦上機の一部転用を控える様指示します。
同日、第三空襲部隊の陸攻がペリリュー、ビアク、ソロンから敵機動部隊の索敵攻撃を開始します。

23日、南西方面艦隊司令部は第三に加え第六、第二各空襲部隊に対し、24日を期して艦戦、艦爆により敵機動部隊及び上陸船団攻撃を下令、24日、一航艦司令長官・角田中将は少数兵力の逐次投入に反対、中部太平洋方面艦隊司令長官・南雲中将も兵力僅少と反対、また大本営も反対意見を支持しますが、高須中将はホランジアの重要性に鑑み、反対意見を退けたため、一航艦は第二空襲部隊の零戦16機、彗星16機で武田部隊を編成、第三空襲部隊に編入、第二空襲部隊の戦闘機、艦爆を10日期限で第六空襲部隊に編入、西ニューギニア、ペリリュ ーを拠点として敵機動部隊、船団の攻撃を下令します。

25日、大本營は南西方面艦隊司令長官に対し、5月中旬の第一機動艦隊の錬成完了まで戦局を打開する様な作戦は不可能とし、基地航空部隊の逐次投入は兵力を喪失する可能性が高く、少数機による奇襲以外の消耗戦を避ける様に指示、角田中将、南雲中将ともに南西方面艦隊司令部の作戦指揮に批判的でサイパンに来島した軍令部出仕・松田千秋少将に新聯合艦隊司令部の成立を急ぐよう要望します。

26日、南西方面艦隊司令部はビアク島の防備を急速強化するとともにパラオ方面の敵機動部隊来寇に備え、5月15日までに西カロリン方面、西部ニューギニア方面に海空兵力を集中配備、敵主力を捕捉撃滅しホランジアの奪還を決定、また第二方面軍司令官・阿南惟幾中将もホランジアの重要性を強調し同地での敵撃破を意見具申しますが、南方軍総参謀長・和知鷹二中将はホランジア増援の中止を発電、大本営も南方軍に同意し、27日、南西方面艦隊司令長官は、大本営の指示に従い作戦方針を変更します。

ペリリューの哨戒兵力は27日、可動2機に減少、2200、第三空襲部隊の陸攻10機はアイタベ北15浬の敵艦隊を攻撃し2隻撃沈破を報じますが、4機が未帰還となり、以後、ホランジア方面の敵艦船攻撃は中止、索敵のみになります。

28日時点の第三空襲部隊の陸攻兵力は七三二空の実働5機のみ、七五五空、七六一空は搭乗員のみに、30日時点の第二空襲部隊の兵力は二〇二空が零戦10機、二五三空が零戦25機、二五一空が月光5機、五〇三空が彗星4機、五五一空が天山6機、九七艦攻6機、 攻七〇六が陸攻5機、一五一空は機材無しに。

30日、敵艦上機650機、5月1日、300機がトラックに来襲、二〇二空、五〇三空、五五一空が敵機動部隊を攻撃しますが、戦果は挙がりませんでした。

4月中の第四十一空襲部隊の損耗は24機56名(2月下旬マリアナ来襲時90機130名~パラオ来襲前27機74名~パラオ来襲時92機91名を損耗)、第二空襲部隊の4月中の損耗は120機195名(2月下旬~3月末まで70機104名損耗)、一航艦司令長官、中部太平洋方面艦隊司令長官は連名で大本営にトラック島への航空兵力増援を要請します。

5月3日、聯合艦隊司令部(豊田副武大将、参謀長・草鹿龍之介中将)が再編され、南西方面艦隊司令長官より指揮を継承、軍隊区分を改定します。
第五基地航空部隊(第一航空艦隊司令長官指揮):六十一航戰(三四一空欠)、二十二航戰、二十三航戰、二十六航戰、二六五空、二五一空、二五三空 、七三二空

中部太平洋方面部隊(中部太平洋方面艦隊司令長官指揮):中部太平洋方面艦隊(二十二航戰、二十六航戰欠)、指揮下の陸軍部隊

付属部隊(聯合艦隊司令長官直率):六十二航戰(二六五空欠)、三四一空

聯合艦隊司令部は主作戦を中部太平洋以南ニューギニア北岸に至る正面に指向し友軍と協同、決戦兵力を集中、一挙に敵侵攻兵力、機動部隊を撃滅し敵の反攻企図を全面的に撃砕すべく「あ號作戰」計画を発令します。
同作戰要領は決戦海面周辺に機動部隊、基地航空部隊を集中、敵を誘致し全軍決戦に転移とし、第一がパラオ付近、第二が西カロリン付近に定め、敵を決戦海面に誘致するまでは小兵力により断続攻撃は行わず、敵がマリアナ方面に機動した際は基地航空部隊が攻撃、敵に壊滅的損害を与えてのち追撃戦に移行、昼夜波状攻撃を実施、攻撃に関し敵機動部隊を充分に引き付けてからの一斉攻撃、第一撃は中小型機による昼間攻撃、次いで大型機による夜間攻撃、敵機動部隊の決戦海域侵入時、東寄りは基地航空部隊、西寄りは機動部隊が攻撃と規定します。

第五基地航空部隊のあ號作戰兵力部署
第四十一空襲部隊(マリアナ方面) 一航艦司令長官指揮(テニアン)
 偵察部隊 第一、第二哨戒隊 七六一空(陸攻24)
          第一偵察隊 一二一空(艦偵6)
          第二偵察隊 五二一空(陸爆8)
          第三偵察隊 付属偵察機隊(水偵6、飛行艇6)

 遊撃部隊 第一遊撃隊 二六一空(甲戦32)
          第二攻撃隊 三四三空(甲戦32)
          第三攻撃隊 二六三空(甲戦48)
          第一夜間遊撃隊 三二一空(丙戦6)

 攻撃集團 第一攻撃集團 二六一空(甲戦32)・五二三空(艦爆48)
          第二攻撃集團 二六三空(甲戦48)・五二一空(陸爆54)
          第三攻撃集團 三四三空(甲戦54)・五〇二空(艦爆24)・五五一空(艦攻16)
          第一夜間攻撃集團 七六一空(陸攻12)
          第二夜間攻撃集團 七五五空(陸攻12)

第四十一空襲部隊(西カロリン方面) 六十一航戰司令官指揮(一航艦直卒)
 偵察部隊 第三哨戒隊 七五一空(陸攻12)
          第四偵察隊 一二一空(陸偵6、百偵若干)

 遊撃部隊 第四遊撃隊 二六五空(甲戦54)
          第五遊撃隊 二六三空(甲戦32)
          第二夜間遊撃隊 三二一空(丙戦6)

第二空襲部隊(東カロリン方面) 二十二航戰司令官指揮(トラック)
 偵察部隊 第四・五哨戒隊 七五五空(陸攻18)
          第五偵察隊 一五一空(艦偵6)

 遊撃部隊 第六遊撃隊 三〇一空(甲戦32)
          第七遊撃隊 二〇二空(甲戦24)
          第八遊撃隊 〃
          第三夜間遊撃隊 二五一空(丙戦6)
          第四夜間遊撃隊 三二一空(丙戦6)

第二空襲部隊(南比島方面) 二十六航戰司令官指揮
 遊撃部隊 第九遊撃隊 二〇一空(甲戦54)

 攻撃集團 第四攻撃集團 二〇一空(甲戦54)・五〇一空(艦爆36)
          第三夜間攻撃集團 七五一空(陸攻16)

第三空襲部隊(春亀(ハルマヘラ)方面) 二十三航戰司令官指揮(ソロン)
 偵察部隊 第六哨戒隊 七三二空(陸攻6)
          第六偵察隊 一五三空(艦偵6、百偵若干)
 遊撃部隊 第十遊撃隊 一五三空(甲戦36)

 攻撃集團 第五攻撃集團・第四夜間攻撃集團 七三二空(陸攻12)
          第五夜間攻撃集團 七五三空(陸攻12)

付属 空中輸送部隊 一航艦司令長官指揮
 第一輸送隊 一〇二一空(陸輸40)
 第二輸送隊 十一航艦付属陸輸8
 第三輸送隊 十三航艦〃8
 第四輸送隊 三航艦〃3
 第五輸送隊 一〇〇一空(陸輸10)
※各部隊の航空機数は計875機で5月末の予定兵力(実際は定数割れ)
※5月7日、サイパン島での聯合艦隊司令部による作戦計画合同説明会で基地設営状況から展開は腹案程度

5日、六十二航戰は一航艦から聯合艦隊に転属、二十二航戰、二十六航戰は十四航艦から一航艦に編入されます。

第一航空艦隊司令部
 第六十一航空戰隊司令部 ※司令部無し一航艦直卒
  一二一空(艦偵24/6)「雉」 ・・・テニアン第一
  二六一空(艦戦72/18)「虎」 ・・・サイパン第一
  二六三空(艦戦36/9)「豹」 ・・・ペリリューに主力、大宮島第一に一部
  二六五空(艦戦72/18)「狼」 ・・・サイパン第一
  三二一空(丙戦24/6)「鵄」 ・・・大宮島第一
  三四三空(乙戦48/12)「隼」・・・アイライ、ガドブス
  五二一空(陸爆48/12)「鵬」 ・・・大宮島第二に半部、ヤップに一部
  五二三空(艦爆48/12)「鷹」 ・・・大宮島第一に一部、ヤップに一部
  七六一空(陸攻96/24)「龍」 ・・・テニアン第一、ペリリューに半部
  一〇二一空(陸輸48・水輸2)「鳩」
定数計696機

 第二十二航空戰隊司令部
  一五一空 偵一〇一(陸偵24)
  二〇二空 戰三〇一(甲戦48)
           戰三〇三(〃)
  二五一空 戰九〇一(丙戦24)
  二五三空 戰三〇九(甲戦48)
           戰三〇一(甲戦48)
  三〇一空 戰三一六(甲戦48)
           戰六〇一(乙戦48)
  五〇三空 攻一〇七(艦爆48) ・・・ヤップに一部
  五五一空 攻二五一(艦攻48)
  七五五空 攻七〇一(陸攻48)
           攻七〇六(陸攻48)
計552機

 第二十三航空戰隊司令部
  一五三空 偵一〇二(陸偵24)
           戰三一一(甲戦48)
  七三二空 攻七〇七(陸攻48)
  七五三空 攻七〇五(陸攻48)
計240機

 第二十六航空戰隊司令部
  二〇一空 戰三〇五(甲戦48)
           戰三〇六(甲戦48)
  五〇一空 戰三五一(甲戦48)
           攻一〇七(艦爆48)
           攻七〇四(陸攻48)
計240機

付属 一航艦付属水偵隊(水偵8、飛行艇8)
     一航艦付属輸送機隊(陸輸4、飛行艇2)

5月10日、第三空襲部隊の七三二空、七五三空の陸攻はソロンに前進、連日ホランジアを攻撃します。

14日、第五基地航空部隊指揮官は第四十一、第二各空襲部隊の展開基地を上記の様に発令、同日のマリアナ方面の所在機数は275機、15日、六十一航戰に司令部が設置(上野敬三少将)されます。

17日、米軍がニューギニア北岸ワクデ、トム付近に上陸を開始します。
一航艦司令部は錬成部隊として第二攻撃集團(二六一空、五二一空、五二三空、二六五空)を残置、第一攻撃集團(二六三空、三四三空、五二三空、五二一空の一部)をペリリューに配備、第三攻撃集團(二〇二空、五〇三空)をヤップに配備し六十一航戰司令に指揮を下令します。

18日、部隊のペリリュー進出に伴い第四十一空襲部隊を西、東空襲部隊に分割、二十六航戰司令官はペリリューからダバオに移駐、二〇一空、五〇一空、七五一空の錬成にあたります。

19日、聯合艦隊司令長官は20日0000を期してあ號作戰開始を下令、第五基地航空部隊は軍隊区分を改定、各航空隊は移動を開始します。
第四十一東空襲部隊 一航艦司令長官直卒 テニアン
 六十一航戰の半兵力(在マリアナ方面兵力)、九〇一空、横須賀空派遣隊、一・十一・十四航艦偵察機隊、一〇二一空、一〇〇一空の一部、陸軍飛行第二・十五・二十四戰隊

第四十一西空襲部隊 六十一航戰司令官指揮 ペリリュー
 六十一航戰の半兵力(在西カロリン方面兵力)、二〇二空、五〇三空、

第二空襲部隊 二十二航戰司令官指揮 トラック
 二十二航戰(二〇二空、五〇三空欠)

第六空襲部隊 二十六航戰司令官指揮 ダバオ
 二十六航戰、第三艦隊付属輸送隊

第三空襲部隊 二十三航戰司令官指揮 ソロン
 二十三航戰、十三航艦付属輸送隊、陸軍飛行隊の一部

20、21日、敵機動部隊が南鳥島に来襲します。

26日、第五基地航空部隊は第一攻撃集團をパラオ、第二攻撃集團をマリアナ方面、第三攻撃集團をヤップに集結させ、あ號作戰配備を完了します。

27日、米軍がニューギニア北岸のビアク島に上陸を開始、聯合艦隊司令部は第三攻撃集團を第三空襲部隊(二十三航戰)指揮官の指揮下に編入、ビアク島方面の作戦従事を下令、同日より第三空襲部隊はビアク島周辺の敵艦船攻撃を開始します。

29日、聯合艦隊司令部は6月3日(31日に4日に変更)を期して第十六戰隊(左近允尚正少将)により海上機動第二旅團をビアク島に強行輸送(渾作戰)を下令するとともに、同作戦により敵機動部隊を誘引しあ號作戰の生起を企図、第五基地航空部隊に第三空襲部隊によりニューギニア北岸の索敵、ホランジア航空基地の制圧、ビアク島付近の敵艦船群攻撃を下令します。

5月中の六十一航戰の損耗は18機47名、マリアナ方面進出後の損耗合計は251機403名で415組が補充されるも熟練者から散華しており実力は大きく低下してしまいます。
二十六航戰は3月以降72機100名、二十六航戰は4月から32機86名が損耗してしまいます。

6月1日、聯合艦隊司令部は全般の状況から敵機動部隊はビアク攻略戦に伴い西カロリン方面に来寇、渾作戰を探知次第6月4~6日には第一決戦場方面に侵攻の公算大とし、機動部隊はダバオに進出、その他はあ號作戰決戦用意配備を下令します。
一航艦司令部は哨戒兵力の一部、あ號作戰攻撃兵力以外の陸海軍航空兵力を極力春亀方面に集中し、戦局転換を図るよう意見具申します。

3日、聯合艦隊司令部は第五基地航空部隊指揮官に第二攻撃集團を春亀方面への集中配備を下令、集團はワシレ、カウに進出を開始します。
第四十一東空襲部隊の兵力
テニアン
一二一空の彗星8と彩雲隊、三四三空の零戦14、三二一空の月光10、五二三空の彗星約30、七六一空の陸攻11

サイパン第一
二六一空の零戦2、二六五空の零戦

大宮島
二六三空の零戦4、五二一空の銀河約40

木更津
五二一空の銀河27

香取三二一空の月光15、輸送機等44

第四十一西空襲部隊の兵力
ペリリュー
一二一空の彗星4、二六三空の零戦28、三四三空の零戦37、三二一空の月光6、五二三空の彗星9、七六一空の陸攻1、一〇ニーの給送機2

第二空襲部隊
トラック
一五一空が彗星2、二五三空が零戦31、二五一空が月光7、五五一空が天山7と九七艦攻1、七五五空 が陸攻11

大宮島
二〇一空が零戦8、五五一空が天山4、 七五五空が陸攻12

館山
三〇一空の零戦20、雷電49

第三空襲部隊
デゴス
七三二空の陸攻15、七五三空の陸攻6、ソロンに七三二空の陸攻約6

バボとケンダリー
一五三空の零戦22、一五三空の彗星2、百式司偵2

ソロン
陸軍飛行第二十四戰隊の一式戦8

ダバオ
同20

ハルク
飛行第十五戰隊の百偵11

7日、二十三航戰司令部はソロンからケンダリーに転進、第三空襲部隊指揮下兵力は二〇三空零戦13、五〇三空彗星7、一式戦18に低下したため、聯合艦隊司令部は、在テニアンの七六一空陸攻を第三空襲部隊に増勢、さらに角田中将の「兵力の逐次消耗危惧」具申を退け、第二攻撃集團の戦闘機隊のみ使用を許可します。

8日夜間、B24爆撃機がペリリューに来襲、陸攻2機が地上撃破、9日、同11機が2波に分かれ来襲、零戦延べ49機が邀撃し5機撃墜を報じますが、銀河3、月光2、零戦3が地上撃破、145名が散華負傷、所在の第一攻撃集團は甚大な被害を受けてしまいます。
10日時点の第一攻撃集團稼働機は47機(甲戦27、艦爆8、艦偵1、陸爆6、陸攻4)に損耗、第五基地航空部隊のマリアナ方面所在兵力は零戦57、月光17、彗星(偵)13、彗星20、銀河20、陸攻17で大半は錬成隊でした。

11日、敵艦上機数千機がマリアナ諸島に来襲(爾後数波に分かれ断続的に来襲)、一航艦司令部は情報を総合し敵空母は15隻と判断、聯合艦隊司令部はワシレの第二攻撃集團を第一集中配備に復帰(搭乗員の多数がデング熱に罹患)、及び敵艦隊の詳細偵知(聯合艦隊司令部は攻略部隊、軍令部は機動空襲部隊と意見が割れる)を下令します。
同日、第一機動艦隊(小澤治三郎中将)がタウイタウイ泊地を出撃、バチャン泊地に向かいます。

マリアナ方面の一航艦麾下各航空隊は移動が頻発した事もあり各島に分散した10機内の少数機で敵艦上機の邀撃、及び敵機動部隊の攻撃に出撃、基地航空部隊として総合戦力が発揮できないまま、12日、兵力を殆ど失ってしまいます。

13日、聯合艦隊司令部は、第三空襲部隊(第三攻撃集團を抽出し第二攻撃集團に併合)を第五基地航空部隊から南西方面部隊(南西方面艦隊)に復帰(7月6日、第五基地航空部隊に復帰)させビアク島方面の航空作戦を続行させるとともに、あ号作戦用意を発令します。

14日、敵艦隊はサイパン、テニアン両島に艦砲射撃を開始、聯合艦隊司令部はダバオの二十六航戰司令官に対し、可動全力を第四十一西空襲部隊に増強を下令します。
同日、第二攻撃集団がヤップ、ガドブス(ペリリュー島)に復帰しますが、兵力僅少のため3個攻撃集団を合わせ甲第一攻撃集團に改編(五二三空司令・亀井凱夫大佐指揮)します。
甲第一攻撃集團
 第十一攻撃隊(五二三空、五〇三空、二六五空、三四三空:艦爆20、艦戦20) ヤップ、アイライ
 第十二攻撃隊(五二一空、二六一空:陸爆20、艦戦20) ペリリュー
 制空隊(二〇二空、二六三空:艦戦30) ガドプス、アイライ

15日、敵はサイパン島に上陸を開始、聯合艦隊司令部はあ號作戰を発令、第五基地航空部隊指揮官は敵機動部隊、攻略部隊攻撃を下令、第二空襲部隊がトラックから、甲第一攻撃集團はヤップ、ペリリューから出撃、トラック北方の敵艦船群を攻撃、空母1撃破、輸送船1撃破、16日、巡洋艦3撃沈破、17日、特設空母数隻撃沈破、輸送船1撃破、18日、巡洋艦1撃沈、空母4撃破、戦艦等4撃破を報じますが損害も多く、同日の可動機はトラック29機、大宮島52機、ヤップ14機、ダバオ12機など150機に減少してしまいます。

19日、第五基地航空部隊は攻撃を続行、空母2損傷、敵艦1撃沈を報じます。
同日、聯合艦隊司令部は八幡部隊(二十七航戰、横須賀空硫黄島派遣隊:硫黄島)を、南西方面艦隊司令長官は第三(二十三航戰)、第八(二十八航戰:小暮軍治少将)空襲部隊を、第五基地航空部隊に編入(後者は20日編入)、可動全力のパラオ集結を下令します。
第一機動艦隊は敵機動部隊に攻撃を開始、第一次攻撃隊307機が出撃しますが、敵直掩機に阻まれ200機を喪失、旗艦「大鳳」、「翔鶴」が被雷沈没、20日、敵艦上機の攻撃に「飛鷹」が沈没、空母3、艦上機計378機を喪失する大損害を受け中城湾に転進(22日入泊)、第五基地航空部隊も連日の戦闘で総兵力は50機に低下、制空権を喪失してしまいます。

聯合艦隊司令部は第五基地航空部隊に兵力をトラック、ヤップ、ペリリューに集結させ、夜間奇襲によりサイパンの輸送遮断、陸戦協力、制空権の快復、第四十一空襲部隊指揮官にサイパン方面攻撃の際、周辺基地の余剰搭乗員、基地隊員のダバオ輸送を下令します。

21日、第五基地航空部隊の各航空隊は大宮島、ヤップ、硫黄島からサイパン島の夜間攻撃を開始しますが、22・26日、ヤップ、23・27・29(ロタ含む)日、大宮島、24日、硫黄島に敵艦上機、大型爆撃機が来襲、邀撃、地上撃破により損害が続出します。

27日、聯合艦隊司令部は第五基地航空部隊にマリアナ方面に関し常続的夜間攻撃、間欠的昼間攻撃を反復し敵航空基地推進を撃砕つつ、敵機動部隊を拘束、分撃漸減の機会を作為し、且つ制空権の回復維持を策し敵機動部隊を奇襲攻撃し、また豪北方面に関し春亀の基地防衛を緊急整備し防空戦を展開、併せて司令部をダバオに移転、兵力の大半を比島に集結を発信しますが、一航艦司令部では受信できませんでした。

30日、八幡部隊は第五基地航空部隊から南西方面艦隊に復帰します。

7月4日、聯合艦隊司令部は第一航空艦隊改編準備として、①第五基地航空部隊に対し現兵力でサイパン、ビアク方面に奇襲攻撃を実施し、敵航空基地推進を阻止、また兵力を整頓し戦力を回復、②一航艦はダバオ、二十二航戰はトラック 、六十一航戰はパラオ、二十三航戰はアンボン、二十六航戰はダバオに司令部配置、③敵機邀撃に関し零戦約1個小隊(6~8機)を配置、敵大型機の場合は自由を制約する程度、多数来襲の場合は隠蔽待機し戦力維持し、機動戦は主に夜間に陸攻全力で実施し、同作戦所要以外の人員はダバオに集結(航空、潜水艦輸送で移動)、またダバオ集中の搭乗員、整備員を各機種ごとに統合改編、乙航空隊の配属を下令します。

6日、第七潜水部隊(第七潜水隊)指揮官(大和田昇少将、トラック)は、9日、伊號第四十五潜水艦、11日、伊三十八、13日、伊二十六、15日、伊五十五潜水艦に第一航空艦隊司令部と搭乗員収容、ダバオ移送を下令します。

同日2100、在サイパン島の最高司令官、中部太平洋方面艦隊司令長官・南雲忠一中将、第四十三師團長・齋藤義次中将、第三十一軍参謀長・井桁敬二少将、第五根拠地隊司令官・辻村武久少将が司令部内において古式に則り自決、7日0300、陸海軍将兵、在郷軍人、警防団員、青年団員等一般在留邦人も交えた3,000名はマタンサに集結、3梯団に分かれ総攻撃を開始、敵を恐慌状態に陥れタナパグ付近まで進撃しますが、態勢を建て直した敵の砲撃を受け進撃は停止、随所で昼頃まで敢闘しますが玉砕してしまいます。

8日、一航艦司令部は二十六航戰司令官・有馬少将に艦隊司令部のダバオ空輸を下令、二十六航戰司令部は不可能と判断しますが、七五一空司令・佐多直大中佐に相談、夜間飛行可能者は2名しかいませんでしたが、万難を排して救出するとの決意に決行を打電するも悪天候により中止されます。
また、潜水艦による収容も敵艦船の重囲により度々延期されます。

10日、第一航空艦隊は戦時編制を改定、部隊の再編を下令します。
第二十二航空戰隊
復帰
一五一空・偵一〇一、二二空・戰三〇一、二五三空、戰三〇九、戰三一〇、三〇一空・戰三〇一、二五一空、五〇三空・攻一〇七、五五一空、七五五空、攻七〇一、攻七〇六
転属
戰三〇一 (二〇二空)→二〇一空、戰三一六(三〇一空)→二五二空(三航艦)、戰九〇一(二五一空)→一五三空、攻二五一(五五一空)→七六一空
新編
東カロリ ン空(乙航空隊)

第二十三航空戰隊
復帰
七三二空・攻七〇七、七五三空・攻七〇五
転属
一五三空・偵一〇二→一航艦、戰三ーー(一五三空)→二〇一空
新編
豪北空(乙航空隊、第百三航空基地隊を改編)

第二十六航空戰隊
復帰
五〇一空・攻三五、七五一空・攻七〇四
転属
二〇一空、戰三〇五・戰三〇六→一航艦、攻一〇五(五〇一空)→七六一空
新編
菲島空(乙航空隊)

第六十一航空戰隊
復帰
一二一空、二六一空、二六三空、三六五空、三二一空、三四三空、五二一空、五二三空
転属
七六一空→一航艦
新編
攻四〇一→七六一空、マリアナ空、西カロリン空

第一航空艦隊編制
一航艦司令部 テニアン
二十二航戰司令部(澄川道男少将) トラック
二十三航戰司令部(伊藤良秋少将) アンボン→ケンダリー
二十六航戰司令部(有馬正文少将) ダバオ
六十一航戰司令部(上野敬三少将) ペリリュー
一五三空 偵第一〇二(陸偵24)・戰九〇一(丙戦24)
二〇一空 戰三〇一(甲戦48)・戰三〇五(甲戦48)・戰三〇六(甲戦48)・戰三一一(甲戦48)
七六一空 攻一〇五(艦爆48)・攻二五一(艦攻48)・攻四〇一(陸爆48)・攻七〇四(陸攻48)
一〇二一空(陸輸48歳、水輪2)

12日、一航艦司令部はダバオ転進のため一時将旗を降納、第五基地航空部隊の指揮を第四十一西空襲部隊指揮官・上野少将に委任しますが、すでにテニアン島は敵艦隊に包囲され伊二十六潜水艦は接近できず、14・15日、伊四十五もまた敵駆逐艦に阻まれてしまいます。

16日、一航艦司令長官直轄部隊の指揮を二十六航戰司令官・有馬少将の指揮下に編入します。

18日、テニアン島に敵上陸が切迫する状況に一航艦司令部において在島陸海軍合同の作戦会議が開かれ、角田中将は敵上陸に際し陸上戦闘の指揮は歩兵第五十聯隊長・緒方敬志大佐が採り、海軍は全て陸軍の指揮下に編入を命じます。
テニアン島守備隊
陸軍部隊 4,001名
歩兵第五十聯隊(緒方敬志大佐)
歩兵第百三十五聯隊第一大隊(和泉文三大尉)
歩兵第十八聯隊戰車中隊(鹿村一男中尉)
第三十一軍築城班(比留間正司大尉)
獨立自動車第二百六十四中隊第三小隊
第二十九師團野戰病院(稲田壽郎医中佐)

海軍部隊及び配備 4,110名
一航艦司令部(角田覺治中将)、一〇二一空(粟野原仁志大佐) ラソー山西斜面
旧一二一空残留者(岩尾正次中佐)、旧三四三空〃(軍医長・高山一雄 医少佐) テニアン第一航空基地西側海岸
十一航艦、十四航艦所属者、七六一空残留者(梅田成年大尉)、旧五二三空〃 第二基地
旧三二一空残留者、第二百三十三設營隊(林邦夫 技少佐) 第三基地

第五十六警備隊(大家吾一大佐) テニアン港正面
第八十二防空隊(田中吉太郎中尉)
第八十三防空隊(田中明喜中尉)
第十九魚雷調整班

テニアン在郷軍人会(分会長・中尾俊介少尉)
南洋庁テニアン出張所(警務課長・寺島圓喜警部)
南洋興發㈱テニアン製糖所警防団

21日0500、大宮島に戦艦6、巡洋艦9、駆逐艦57隻による艦砲射撃、0600、艦上機による空襲の後、0730、昭和湾、明石湾の2ヶ所から敵が上陸を開始します。

22日、六十一航戰司令官・上野少将は二十六航戰司令官・有馬少将に一航艦司令部の救出を下令しますが、二十六航戰指揮下の陸攻部隊に夜間、テニアンまで到達できる搭乗員はおらず航空機による救出は断念されます。

24日0445、テニアン島に戦艦1、駆逐艦6、輸送船7が接近、0540、艦砲射撃、艦上機による空襲の後、0605、上陸用舟艇100が島南部のテニアン町海岸に接近しますが、山砲、海面砲台を集中し撃退、またカロリナスの砲台は戦艦コロラド、駆逐艦ノーマン・スコットに命中弾を与え撃退します。
しかし、敵のテニアン町海岸上陸は揺動で、0730、第4海兵師団が舟艇150隻で北西海岸に上陸、0800、第一、第二航空基地に侵攻して来ます。
敵上陸に伴い一航艦司令部の指揮通信は不可能となります。

25日0000、歩五十は第一大隊が西、第二大隊が東、歩百三十五第一大隊が南の3方から敵橋頭堡に夜襲を敢行しますが、照明弾により白昼化され激烈な銃砲火に進撃は頓挫、第一大隊長・松田和男大尉、第二大隊長・神山新七大尉、歩百三十五第一大隊長・和泉大尉を始め、2,500名が散華する甚大な損害を受けてしまいます。

26日、守備隊は平原が続く島中央部から台地のある島南部に転進、海軍部隊は島南端のカロリナス台地に集結、27日、陸軍部隊も主力は同台地に配備し複郭陣地を築城します。

28日、第四十一空襲部隊はペリリュー100°30浬に敵機動部隊を発見しますが、第六空襲部隊は練度が低く出撃できませんでした。
同日、角田中将、緒方大佐は連名で在留邦人の協力を陸相、海相、大東亞相宛に打電します。

29日、戦車を伴う敵はマルポ、カーヒーに侵攻、サイパン島、及び海上からの砲撃、空襲に損害は増加、30日、第三航空基地、テニアン町を失陥、31日、敵は戦艦2、巡洋艦3の艦砲射撃支援のもと全線に渡り攻撃を開始、守備隊は攻勢転移、マルポ水源、第三航空基地南側、テニアン町南側に進撃しますが、大損害を受けカロリナス台地に圧迫されてしまいます。
同日夜、角田中将は海軍次官、軍令部次長に「今ヨリ全軍ヲ率ヰ突撃セントス 機密書類ノ処置完了 之ニテ聯絡ヲ止ム」、また緒方大佐は大宮島の第三十一軍司令官・小畑英良中将に決別電を発信、2200、0100、0415、守備隊は全力で3度に渡り住吉神社北側の敵陣に突撃、一時第8海兵連隊背後に浸透、敵第一線撃破寸前まで攻撃しますが敵の激烈な銃砲火を受け攻撃は頓挫してしまいます。

8月2日夜、聯隊長・緒方大佐以下生存者300名は軍装を整え整列、カロリナス台地南東谷地において軍旗が奉焼されます。
一航艦司令部も戦闘旗、将旗を奉焼、角田中将は手榴弾2発を持ち幕僚に「じゃあな・・・」と告げ洞窟を出撃し散華、参謀長・三和義勇大佐、副官兼参謀・大森潤一中佐、参謀・清水洋中佐、加藤實少佐、安倍義人機関少佐も相次いで自決し一航艦司令部は玉砕してしまいます。

3日0000、生存者、民間義勇隊計1,000名はカロリナス台地上の敵陣に総攻撃を敢行するも敵戦車機関銃、火炎放射戦車、迫撃砲の攻撃を受け甚大な被害を受け攻撃は頓挫、緒方大佐は態勢を整理すべく転進中、負傷散華しテニアン島守備隊は玉砕してしまいます。

7月30日、聯合艦隊司令長官は東西カロリンの配備兵力を零戦8機と搭乗員12組と規定、その他の兵力は比島に集結を下令します。

31日、第四十一空襲部隊指揮官は中部太平洋第一空襲部隊(ペリリュー)、中部太平洋第二空襲部隊(トラック)に配備兵力を零戦各8機と指示します。

8月1日、聯合艦隊は兵力部署を改定、第五基地航空部隊の長官直率部隊を比島第一空襲部隊、第六空襲部隊を比島第二空襲部隊、第四十一空襲部隊を中部太平洋第一空襲部隊、第二空襲部隊を中部太平洋第二空襲部隊、第三空襲部隊を豪北空襲部隊に改称します。

また比島第一空襲部隊(二十六航戰司令官指揮)の基本配備基地として中・南部比島を指定しましたが、整備され作戦使用可能なものはダバオ地区とセブ地区のみしかありませんでした。

中部太平洋第一空襲部隊の兵力部署は西カロリン部隊(西カロリン空)、マリアナ部隊(マリアナ空)に、西カロリン部隊は、ぺリリュー所在の西カロリン空本隊を第一部隊、ガドブス、アイライ、ヤップ、メレヨンの各分遣隊を第二~第五部隊、ペリリュー及びガドブス所在の戦闘機、陸偵、丙戦の兵力を甲一、乙二、丙三の各部隊、ヤップ派遣戦闘機を丙四部隊、アラカベサン水上基地所在の第十二偵察隊を水上偵察隊に、マリアナ部隊は大宮島所在のマリアナ空を大宮島部隊に、ロタ島派遣隊をロタ部隊に部署されます。

8月2日、ペリリュー島への大型爆撃機による空襲が激化、6日、ダバオにも大型爆撃機による空襲が開始されます。

7日、一航艦司令長官に寺岡謹平中将が親補、参謀長に小田原俊彦大佐が補職され、9日、司令長官以下幕僚は輸送機2機で横須賀発、ダバオに向かいます。

10日、第一航空艦隊は南西方面艦隊(聯合艦隊に所属)に編入され、第五基地航空部隊は南西方面部隊(南西方面艦隊)に部署されます。

2000、大宮島守備の第三十一軍司令官・小畑中将は大本營に決別電を打電、11日0000、通信機を破壊し、重要書類を焼却、1435、小畑中将は司令部壕内において拳銃で自決、大宮島守備隊は玉砕してしまいます。

11日、寺岡中将は鹿屋を経由マニラに到着、南西方面艦隊司令長官・三川軍一中将を訪問、参謀の松浦五郎中佐より反跳爆撃法(8月2日、海軍航空本部に上申、南方軍、第四航空軍も同意)の有用性の説明を受け、一航艦の現状から同意を得ます。
一航艦の兵力は278機(実働191機:零戦実働141、陸攻実働19、天山実働12)、搭乗員組数は零戦243組(実働182組)、彗星54組(12組)、 陸攻31組(24)、月光15組(7)と補充機数に見合うものでしたが、艦攻は搭乗員をトラックから輸送しないと再編できない状況でした。

12日、寺岡中将と幕僚は、輸送機2機でダバオに進出、9月初旬を目処に南部比島方面の基地、及び兵力を整備ののちマニラに移転、作戦の指揮を採るとし次期作戦要領の作成を開始します。

19日、聯合艦隊司令部は一航艦所属航空戰隊司令部の配備基地を変更します。
一航艦司令部 ダバオ 比島第一空襲部隊指揮官に
二十六航戰司令部 マニラ・ニコルス第一 比島第二空襲部隊指揮官に
六十一航戰司令部 ダバオ 
二十三航戰司令部 アンボンかケンダリー

22日、二十六航戰司令部はダバオからニコルス第一に移駐しますが、今後進出を予定する第二航空艦隊(一航艦と合わせ1,200機)を受け入れるには航空基地は6基地しか無く不足しており、基地設営を進めるとともに第四航空軍(富永恭次中将、マニラ)と交渉し陸軍飛行場の供用を依頼、また二航艦司令部も大本營に強硬に要請、設營隊5隊(既進出6隊)の緊急進出、陸軍飛行場の供用を決定します。

同日、大本營は南西方面艦隊司令部に1週間以内に敵攻略部隊は西カロリン、ダバオ、ハルマヘラ方面に来襲の公算大と通報、同日、ダバオをP38戦闘機3機が3度目の偵察に飛来、空襲が切迫したため一航艦はダバオに一部を残し航空機の大半をセブ地区に退避させます。

1日現在の一航艦の兵力は保有408機、実働249機(甲戦保有210(実働130)、丙戦22(15)、艦爆43(25)、艦攻28(15)、陸爆38(20)、陸攻61(40))。
この頃、ダバオ地区は敵陸上機の連日の空襲により航空兵力の常駐は困難となり、比島中部、南部の航空基地は設営から防備の強化に転じ、北部はマニラ、バコロド、セブ各地区に航空基地設営を急ぎます。

8日、豪北空襲部隊七五一空(アンボン)第七攻撃隊の陸攻11機はオウイ島、ランボル島、ビアク島ソリド第一、第三各基地を爆撃します。

9日0700~1700、米艦上機400機が初めてダバオ、デゴス地区一帯に来襲、1140、サンオーガスティン見張所は大型艦船4隻(空母らしき物含む)、1620、索敵機が機動部隊を発見しますが、一航艦の敵搭乗員尋問から上陸部隊不在と判明します。
夕刻、一航艦は二〇一空の零戦8機をダバオ防空に、また主力をセブからマニラ方面に退避を下令します。

10日、ダバオに米艦上機60機、大型機数十機が再度来襲、未明及び0800、サランガニ見張所はダバオ湾口に敵上陸用舟艇多数発見、0810、索敵機はダバオ97°127浬に米機動部隊2群を発見、0930、サマール島対岸の見張所からも敵水陸両用戦車がダバオ第二基地に侵攻をそれぞれ報じ、第三十二特別根拠地隊司令部(土井直治少将)に見張所指揮官より直に目撃が報告されます。

根拠地隊司令官は一航艦に偵察を依頼(1605、セブから索敵機が発進)するとともに陸戦配備を下令し敵上陸開始を通報、刻々と報じられる敵上陸に一航艦司令部は大混乱となり、1149、第五攻撃戦闘用意を下令、正午過ぎ、敵上陸開始が通報され、司令部は機密暗号書を焼却、在地各航空隊に陸戦用意を下令、1226、第五攻撃戦闘発動、1258、二十六航戰司令官・有馬少将に一航艦の指揮代行、七六一空に全力でダバオ湾口付近の敵攻撃をそれぞれ下令、1545、二十六航戰司令官はクラークに退避した二〇一空の零戦98機、彗星9機、九九艦爆3機を率いマニラを出発、1830、セブに進出します。

1515、聯合艦隊司令部は捷一號作戰警戒を発令、南西方面艦隊に第五、第三基地航空部隊により敵上陸部隊撃滅を下令します。

1620、ミンタルの三十二特根司令部付近で情勢を観測していた一航艦司令長官・寺岡中将は司令部に帰着、1637、敵上陸の事実なしと通報します(ダバオ誤報事件)。

米艦上機延べ約400機がパラオに来襲します。

11日、聯合艦隊司令部は捷一号作戦警戒を取り消し、南西方面艦隊司令部は誤報の原因調査を開始します。
セブの二十六航戰司令官は集中した戦闘機隊を分散、零戦40機をマニラ・ニコルス飛行場に、零戦24機をマクタン島に派遣します(100機残留)。

ビアク島方面を偵察した陸軍機は敵大船団を発見、米艦上機がパラオ・コロール島、ペリリュー島に来襲します。

12日、二十六航戰司令官はマニラに復帰、セブでは全機待機で警戒を続けますが、敵機来襲の様子は無く、0800、警戒を解除します。
スルアン島見張所が敵編隊西進を通報しますが、送信機の出力が弱くレガスピー、タクロバン通信所を経由したため遅延、また0905、一五三空の月光1機が敵機動部隊を発見しますが通信連絡がとれず帰着後に報告します。
0910、スルアン報告を受けた二〇一空司令・山本榮大佐は急遽滑走路に出るも、0920、敵160機は既に上空に達し1700まで連続空襲を受け、零戦25、彗星5、九九艦爆2が地上撃破、零戦22、彗星3、九九艦爆3が中小破、 零戦41機が逐次遊撃し23(不確実3)機撃墜を報じますが、25機が未帰還(落下傘降下2名)、戰三〇六飛行隊長・森井宏大尉、同附・大石英男飛曹長など熟練搭乗員を喪失する大損害を受け、可動機は零戦12機に低下してしまいます(徹夜で応急修理し零戦16、彗星3、九九艦爆2が完了)。
同日、索敵機はタクロバン東方180浬に敵機動部隊を発見しますが、第五基地航空部隊は終日混乱が続き反撃できず、米艦隊はペリリュー、アンガウル両島に艦砲射撃を開始します。

13日早朝、二〇一空の修理完了機19機はニコルスに退避、一航艦の実働兵力は99機(零戦57)に減少、零戦による反跳爆撃を主体とした捷一号作戦計画を頓挫させてしまいます。
退避1時間後、敵艦上機300がセブに来襲、一航艦司令部は兵力温存策を転換し二〇一空に敵機動部隊に黎明攻撃、14日、豪北空襲部隊指揮官に陸攻による夜間攻撃(550浬を飛行しての攻撃は不可能としハルマヘラ方面の敵艦船攻撃に変更)を下令、彗星2、九九艦爆2が出撃しますが、会敵無く帰還します(ともに1機づつ未帰還)。
14日から比島中部、南部に敵艦上機400機前後による空襲が断続的に開始されます。

15日、敵がペリリュー島、モロタイ島に上陸、同島の西カロリン空702名は歩兵第二聯隊(中川州男大佐、水戸)の指揮下に編入され陸戦に移行します。

同日、寺岡中将は聯合艦隊司令長官・豊田大将に対しダバオ奇襲により大損害を招来した事は責任重大で御叱責を乞うとともに遺憾の意を表明します。

21日終日、敵艦上機延べ450機がマニラ、クラーク地区に来襲、第五基地航空部隊指揮官は一五三空マニラ派遣隊、中部太平洋第一空襲部隊指揮官、七六一部隊指揮官、二○一部隊指揮官に敵機動部隊の反復攻撃を下令、23日、ペリリュー島の敵上陸部隊の攻撃を下令します。
また一航艦は第四航空軍と「対敵機動部隊戰闘協定」を締結、26日、南方軍は第四航空軍に敵機動部隊攻撃強化を下令します。

10月1日時点の一航艦兵力(保有213機、実働144機)
一五一空
 偵一〇二 彗星2・零戦1(実働ともに0) 搭乗員11組 ニコ ルス
 戰九〇一 月光8(実働2)・零戦1 搭乗員11組 ニコルス
          月光3(1) 搭乗員1組 ダバオ第一
二〇一空
 戰三〇一 零戦5(0) 搭乗員5組 レガスピー
 戰三〇五 零戦42(31) 搭乗員65組 ニコルス
 戰三〇六 零戦23(13) 搭乗員50組 セブ
 戰三ーー 零戦34(27) 搭乗員43組 ザンボアンガ

七六一空
 攻一〇二 彗星5(4)・九九艦爆3(0) 搭乗員8組 セブ
          彗星8(4) 搭乗員6組 ザンボアンガ
 攻二五一 天山7(4) 搭乗員6組 ザンボアンガ
          天山12 搭乗員8組 クダット(馬来)
          天山11 搭乗員8組 マカッサル
 攻七〇四 陸攻10(6) 搭乗員15組 ザンボアンガ
          陸攻15 搭乗員16組 ラブアン
一〇二一空 輸送機14(1) 搭乗員14組 ニコルス
           輸送機3(1) 搭乗員9組 セブ 
           輸送機1 搭乗員1組 サンボアンガ
           輸送機1 搭乗員1組 ケンダリー

10日、米機動部隊が沖縄、台湾、南西諸島に来寇、10日0700~1545、5波に渡り艦上機1,300機が南西諸島に来襲(十・十空襲)、船舶、兵器、弾薬、糧食、被服に甚大な損害が出てしまいます。
聯合艦隊司令部は基地航空部隊捷二號作戰警戒を発令します。

12日0342、台湾全島に空襲警報発令、0648以降、敵艦上機延べ1,100機が台湾に来襲、1052、聯合艦隊司令部は基地航空部隊に捷一號及捷二號作戰を発動(台湾沖航空戦)、T攻撃部隊(二航艦所属七六二空司令指揮)は連夜出撃、16日、空母11、戦艦2、巡洋艦2、駆逐艦1を撃沈、空母8、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦1、艦種不明13撃破を報じ、機動部隊4群中3群を殲滅したと判断されます(所謂、幻の大戦果)。

14日、聯合艦隊司令部は第二遊撃部隊(第五艦隊基幹、志摩清英中将)、基地航空部隊に撤退する敵損傷艦、残敵殲滅を下令します。

15日0800、第五基地航空部隊の索敵機はマニラ66°240浬に敵機動部隊を発見、0917、零戦22機(爆装7含)は奇襲攻撃、空母1に至近弾、巡洋艦1に命中弾、敵7機撃墜を報じます(零戦6未帰還)。
敵艦上機40機がマニラ地区に来襲、零戦50機が邀撃、25機撃墜を報じ、地上撃破は天山1機に留まり偽装飛行機(8月22日から六十一航戰担当で300機製作)が功を奏します。
空襲の無かったクラーク地区は1400、陸攻3、零戦9、陸軍戦闘機63が、ツゲガラオから天山12、零戦4が発進し、空母3隻撃沈破、敵機30撃墜を報じます(陸攻3、天山8、零戦3、陸軍戦闘機9未帰還)。

二十六航戰司令官・有馬少将は兵力僅少の状況に体当たり攻撃を立案、海軍伝統の指揮官率先の見地から上級指揮官から志願者を募集しますが立候補者はおらず、自ら一式陸攻に搭乗し出撃、陸攻の雷撃で空母1撃沈を報じ全機未帰還になります(27日、新司令官・杉本丑衞少将が二航艦参謀長から)。

司令官の航空隊直接指揮は越規行動のため飛行隊長等は制止しますが、司令は「司令長官の了解は得ている」旨を返答、のち司令長官は司令官出撃を正当化する手続きを遡って採ります。
有馬少将の行動は危急の戦局において指揮官先頭の気概を示し、部隊搭乗員の士気を高めます。

16日、第二航空艦隊(第六基地航空部隊、福留繁中将、鹿屋)は索敵から敵空母は7隻存在、T攻撃部隊報告の戦果は半数程度と考え、台湾から100機が残敵追撃に出撃します。

17日、レイテ島スルアン見張所から敵上陸が通報され、聯合艦隊司令部は、捷一号作戦警戒を発令します。

18日1000、艦船701隻、総兵力7個師團26万名を擁した米軍がレイテ湾口に侵入、1732、聯合艦隊司令部は捷一號作戰を発動、第一遊撃部隊(栗田健男中将)のレイテ湾突入を24日とします。
第一航空艦隊司令長官・寺岡中将は南西方面艦隊司令部附・大西瀧治郎中将(10月5日、発令、一航艦司令長官に予定)より第一遊撃部隊の突入前に敵空母の活動を一時的に封止するには体当たり攻撃しかないとする特別攻撃隊の構想を開陳され、編成を一任します。

19日、大西中将はクラークの二〇一空本部を訪れ玉井淺一中佐(副長・飛行長、司令代理)に体当たり攻撃の必要性を説明し隊員の人選を指示、同夜、隊長に戰三〇一分隊長・関行男大尉以下隊員24名が銓衡され4個特別攻撃隊を編成します。

20日、0600、米軍は6隻の戦艦を中心にレイテ島に艦砲射撃を開始、1000、艦砲射撃の支援のもと2個師団がタクロバンに、2個師団がドラッグに上陸(約60,000名)を開始します。
0815、索敵機はサマール島南東60~100浬に、特設空母を基幹とする2~3群の機動部隊を発見、爆装零戦3機はセブを発進、0815、特設空母2に命中弾、またニコルスを発進した天山2機は輸送船1撃沈を報じます。

同日、大西中将は一航艦司令長官に着任、特別攻撃隊は一航艦主席参謀・猪口力平大佐により地元鳥取の剣術流派・神風流から「神風特別攻撃隊」、大西中将より本居宣長の和歌“敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山櫻花”より「敷島隊」、「大和隊」、「朝日隊」、「山櫻隊」と命名され、大和隊(久納好孚中尉)4名はセブに移駐、同地において4名が加わり8名になります。

一航艦の兵力は戦闘機34、天山11、陸攻2、銀河2、偵察機1の僅か39機、在台湾の二航艦指揮下の兵力は戦闘機303、攻撃機85、偵察機7計395機(実働223機)でした。

21日、比島東岸に敵機動部隊3群を発見、1420、神風特別攻撃隊 大和隊6機は25番1発を懸吊しセブを発進直前、敵機の奇襲を受け全機が地上撃破されてしまい、1625、予備機に乗り換え3機(特攻2、援護1)が発進、天候悪化により大坪一男一飛曹は引き返すなか、隊長・久納中尉は敵機動部隊に突入散華、任務を完遂します。
久納好孚中尉
▲神風特別攻撃隊 大和隊隊長・久納好孚中尉
 法政大学から第十一期飛行科予備学生
 初の神風特別攻撃隊として知られる

22日、神風特別攻撃隊 朝日、山櫻隊はダバオに進出、同日、神風特別攻撃隊 菊水隊(2名)が編成されます。
夕刻、第六基地航空部隊(二航艦)指揮官は主力174機とともにマニラに進出します。

23日、神風特別攻撃隊 若櫻隊(1名)が編成されます。
0500、神風特別攻撃隊 大和隊の佐藤馨上飛曹はセブを発進、スルアン島沖の敵艦船群に突入散華、任務を完遂します。
第六基地航空部隊の後続はクラーク地区に進出、比島に進出した同部隊兵力は戦闘機126、攻撃機10、翌24日まで予定される比島進出兵力は二航戰、三航戰、四航戰395、T攻撃部隊100、三航艦70、機動部隊116機の計681機(実働2/3程度)、及び第四航空軍716機。
夕刻、第四航空軍は司令部をバゴロドに進出します。

第六基地航空部隊の計150機が出撃しますが、悪天候と敵直掩機100機に阻まれ敵機動部隊に達する事ができませんでした(彗星2機未帰還)。

24日、当日の総攻撃は陸軍が輸送船団、海軍が機動部隊担当と定められ、第六基地航空部隊の第一次攻撃隊190機が出撃しますが、またも悪天候と直掩機100機に阻まれ軽空母プリンストン(第38.3任務部隊)を撃沈するも全体とし戦果が上がりませんでした(彗星5機未帰還)。
続いて第二次攻撃隊の彗星4機が出撃しますが、戦果は挙がりませんでした(1機未帰還)。

敵機動部隊(第34任務部隊)はシブヤン海において第一遊撃部隊を攻撃、第六基地航空部隊は同機動部隊を探知できず第一遊撃部隊の掩護ができず、戦艦「武藏」が沈没してしまいます。

1145以降、機動部隊本隊(小澤治三郎中将)から攻撃隊80機が出撃、攻撃終了後、零戦18機、彗星13機、艦偵2機がルソン島北部アパリ、ツゲガラオに進出、第六基地航空部隊の指揮下に編入されます。

25日0100、第一遊撃部隊第三部隊(西村祥治中将)はスリガオ海峡に突入、レイテ湾に進撃しますが、敵艦隊と交戦、戦艦「山城」、「扶桑」が沈没、司令官・西村中将は散華、後続の第二遊撃部隊(志摩清英中将)は反転します。

機動部隊本隊は、0607、直掩機18機を残し彗星1、爆装零戦7機をニコルスに進出させ、以後米艦上機の攻撃を引き付け空母「瑞鶴」、「瑞鳳」、「千歳」、「千代田」を失うも敵機動部隊の北方誘致に成功、第一遊撃部隊はサンベルナルジノ海峡を抜け、0652、サマール島沖において敵機動部隊を捕捉し砲撃戦を開始、0800、空母4隻を含む10隻撃沈、空母2隻を含む7隻撃破を報じ、1056、部隊を集結させレイテ湾に向かいますが、1236、南西方面艦隊が発見したヤキ1カ地点の敵機動部隊を撃滅すべく反転、その後会敵なく戦機は去りサンベルナルジノ海峡を経て退避してしまいます。

第五基地航空部隊は、0630、神風特別攻撃隊 朝日隊・上野敬一一飛曹(援護零戦1)、山櫻隊・上野敬一一飛曹、(援2)、菊水隊・加藤豊文、宮川正両一飛曹(特2、援1)がダバオを発進、0800、敵機動部隊に突入、菊水隊1機は空母1隻に命中、撃破を報じます(菊水隊1機は護衛空母サンティ、また別の1機は同スワニーの艦尾にそれぞれ命中し撃破)。
0725、敷島隊・関行男大尉、中野盤雄、谷暢夫一各飛曹、大黒繁男上飛、菅川操、永峰肇各飛長(直掩は西澤廣義飛曹長含む零戦4機)はマバラカット西を発進、1040、レイテ島タクロバン85°90浬の敵機動部隊に突入、空母2、重巡1撃沈を報じます(護衛空母セント・ローに1命中し撃沈、同カリニン・ベイに1機命中(不発)、1機至近で小破、同キトカン・ベイに1機命中し撃破、同ホワイト・プレインズに至近で小破)。
敷島隊
▲戦友の見送りを受けマバラカット西を発進する神風特別攻撃隊 敷島隊

敷島隊 セント・ロー
▲敷島隊の1機が命中した護衛空母セント・ロー

0900、大和隊(大坪一男一飛曹、荒木外義飛長)、若櫻隊(中瀬清久一飛曹)は彗星1機(國原千里少尉、大西春雄飛曹長)に誘導されセブを発進、バタク島130°70浬の敵機動部隊に突入散華、1030、彗星隊1機(須内則男二飛曹、浅尾弘上飛曹)はマバラカットを発進、レイテ湾の敵艦船に突入散華、任務を完遂します。

第六基地航空部隊は零戦75、九九艦爆24、彗星5が出撃、レガスピー東方の敵機動部隊に進撃しますが索敵機の位置誤認のため会敵できず(彗星2機未帰還)、1350、第二次攻撃隊の零戦28、九九艦爆2がクラークを出撃しますが会敵できませんでした。
1450以降、彗星4、九九艦爆23、零戦35がレガスピーを出撃、レイテ島東方に進撃しますが、敵艦上機35に阻まれ帰還(零戦6、九九艦爆2未帰還)、1730、天山9、零戦35がクラークを出撃、サマール島東方の敵機動部隊に進撃しますが、敵直掩機30に阻まれ帰還します。

二航艦司令長官・福留中将は特攻戦術に否定的でしたが、24日と25日の攻撃の不首尾から特攻攻撃の採用に転換、特別攻撃隊の編成を下令します(27日、一航艦指揮下編成の神風特別攻撃隊を第一神風特別攻撃隊、二航艦指揮下編成を第二神風特別攻撃隊と呼称)。

敷島隊、大和隊、朝日隊、山櫻隊、菊水隊以降に編成された神風特別攻撃隊
第一航空艦隊編成の第一神風特別攻撃隊

23日、若櫻隊(零戦4)、葉櫻隊(零戦6)

第二航空艦隊編成の第二神風特別攻撃隊
26日、忠勇隊、義烈隊、純忠隊、誠忠隊、至誠隊(各九九艦爆3)、28日、神武隊、神兵隊、天兵隊(各九九艦爆3)

第一聯合基地航空部隊(のうち一航艦)編成の第三神風特別攻撃隊以降
10月29日、第三神風特別攻撃隊 梅花隊、左近隊、櫻花隊、白虎隊、時宗隊、正行隊、山本隊、聖武隊、朱雀隊、高徳隊、笠置隊、吉野隊、春日隊、櫻井隊、千早隊(各彗星)、11月1日、神風特別攻撃隊 攻撃五〇一飛行隊(銀河5)、6日、第四神風特別攻撃隊 鹿島隊、神崎隊、香取隊(各九九艦爆)、第五神風特別攻撃隊 疾風隊、強風隊、怒涛隊(各銀河3)、颱風隊(銀河6)、草薙隊(零戦6)、19日、神風特別攻撃隊 第一~第三十金剛隊(零戦)、昭和20(1945)年1月3日、旭日隊(彗星7)、5日、八幡隊(天山2)

1730、南西方面艦隊司令長官・三川中将は在比島の第五、第六基地航空部隊全兵力により第一聯合基地航空部隊を編成、指揮官に二航艦司令長官を発令、全力で比島東方海上の残敵撃滅を下令します。

第一聯合基地航空部隊司令部は本日の決戦で敵機動部隊の殆どは壊滅するも、散在する残存空母からの攻撃の公算大として、26日を期して残敵撃滅を計画します。

26日0045、九〇一空の飛行艇は敵機動部隊2群を発見、黎明後、クラーク、レガスピー、セブから索敵攻撃隊が出撃しますが敵機動部隊を発見できず、第一聯合基地航空部隊司令部は目標を特攻隊以外はレイテ湾内に発見の敵艦船110隻に変更、0650、零戦14がクラークを発進、輸送船3撃破、敵機6撃墜(未帰還6)、午後、零戦18、天山11、九九艦爆5、陸攻12が出撃、艦船6撃沈破、零戦隊はドラッグ、タロクバンの両飛行場を銃爆撃します(零戦1、陸攻5、九九艦爆2未帰還)。

神風特別攻撃隊 大和隊5機(植村眞久少尉、勝又富作、塩田寛各一飛曹、五十嵐春雄二飛曹、勝浦茂夫飛長)は援護機3機とともに2群に分かれセブを発進、スリガオ東方70浬の敵艦船群に突入、空母2撃沈破を報じます(援護機の移川晋一一飛曹、日村助一二等飛行兵曹散華)。
大和隊
▲神風特別攻撃隊 大和隊の1機が護衛空母スワニーに命中

27日、聯合艦隊司令部は、第一師團、第二十六師團、第六十八旅團を陸軍と協同でレイテ島輸送(多號輸送作戰)を下令、28日、南方軍と南西方面艦隊は「レイテ決戰陸海軍航空協同要綱」を締結、陸海軍航空はレイテ方面の制空・制海権を確立し地上決戦兵力集中輸送の間、タクロバン一帯の敵基地使用の封止、レイテ湾方面の敵艦船撃滅を重点とし、海軍は哨戒、残存空母の殲滅、陸軍はカテモス海方面の敵艦船を一掃し護衛の強化が定められます。

第一聯合基地航空部隊の零戦37機、紫電6機、陸攻8機はレイテ島タクロバンを攻撃、10機撃墜、41機を地上撃破と報じます(零戦6未帰還)。
以降、第一聯合基地航空部隊は連日、哨戒、通常攻撃、特攻攻撃を併用し敵機動部隊の索敵攻撃、レイテ湾内の敵艦船群、タクロバン飛行場群、パラオ方面の攻撃を実施します。

29日、敵艦上機290機がマニラ、クラーク地区に来襲、零戦133機で邀撃し33機撃墜を報じます(22機未帰還、陸攻4、銀河1、零戦1が地上撃破)。
以降、11月5日、200機、6日、90機、13日、350機、14日、350機、19日、200機、25日、270機の敵艦上機が来襲します。

31日、多號第二次輸送部隊はマニラを出航、作戦要領に基づき海軍基地航空部隊は洋上哨戒、敵機動部隊及び敵水上艦艇のサンベルナルジノ海峡、カニガオ水道の侵攻に備え攻撃待機し、また月光と零戦で泊地の夜間哨戒、船団直衛、モロタイ島及びタクロバンの敵基地攻撃、瑞雲隊はカテモス海、カリ ガラ湾、スリガオ水道等の敵魚雷艇掃討を実施、11月1日0915、輸送部隊のオルモック湾突入し際し制空の零戦37、紫電11でタクロバン、ドラグ両飛行場、付近の敵輸送船、銀河11、天山17、艦爆9、陸攻5がレイテ湾、スリガオ海峡の敵艦船を攻撃します。

第一聯合基地航空部隊の在比島兵力は零戦保有116(実働53)、紫電25(15)、銀河35(14)、陸攻16(12)、瑞雲21(13)、爆装零戦12(12)、天山10(8)、彗星10(4)、九九艦爆7(6)、月光12(5)、零夜戦4(4)、飛行艇3(1)、彩雲2(1)。

11月1日、戰三〇一は二〇一空から二五二空(三航艦)に転属します。

2日、陸軍機の偵察でタクロバン基地に敵150機が進出と判明、第一聯合基地航空部隊は2日、3日と全力で基地攻撃に出撃します。

8日、多號第四次輸送部隊がマニラを出航、9日0300、同第三次部隊が出航、第四次部隊はオルモックに入港、11日、第三次部隊は敵艦上機の空襲により甚大な損害を受けてしまいます。
同日、T攻撃部隊(陸攻18、四式重爆17、銀河10、彩雲6、二式飛行艇6)が第六基地航空部隊の指揮下に編入され、9日、台湾に進出します。

11日、カンズアネス見張所、索敵機から敵艦隊発見が報じられ、T攻撃部隊に出撃が下令されますが、台風の影響で攻撃は回避され、13日、レイテに向かう船団5群を攻撃します。

15日、戦時編制が改定されます。
復帰
二十二航戰、六十一航戰

転属
東カロリン空・マリアナ空→第四艦隊
西カロリン空→二十六航戰
菲島空は北菲空・中菲空・南菲空に分割→二十六航戰
戰九〇一・偵一〇二(一五三空)→七五二空(三航艦)、一四一空(二航艦)
戰八〇四(一四一空・二航艦)、戰八一二(二〇三空・二十五航戰・三航艦)→一五三空
戰三〇六(二〇一空)→二五二空(三航艦)
戰三〇二(二五二空・三航艦)・戰三一六(二五二空・三航艦)→二〇一空
攻三(七六三空・ 二航艦)・攻五(七五二空・三航艦)・攻二五六(七五二空・三航艦)→七六一空
攻四〇一・攻七〇四(七六一空)→七五二空(三航艦)

第一航空艦隊の編制
一航艦司令部 マニラ

二十三航戰司令部 ケンダリー
 豪北空

二十六航戰司令部 マニラ
 北菲空、中菲空、南非空、西カロリン空
 一五三空 戰八〇四(丙戦24)
          戰八一二(丙戦24)
 二〇一空 戰三〇二(甲戦48)
          戰三〇五(甲戦48)
          戰三一一(甲戦48)
          戰三一六(甲戦48)
 七六一空 攻三(艦爆48)
          攻五(艦爆18)
          攻一〇五飛(艦爆18)
          攻二五一(艦攻18)
          攻二五六(艦攻18)
 一〇二一空(陸輸48)
※飛行機数は「定数」

20日、戰三〇五・戰三一一(二〇一空)→二五二空(三航艦)、攻一〇五・攻二五一(七六一空)→一三一空(三航艦)に転属。

21日、南方軍司令部は暗にレイテ決戦続行は不利を大本營陸軍部に具申しますが大本營はレイテ決戦を続行、マニラの陸海軍首脳部は第六十八旅團を確実に輸送、レイテの戦力を増強し陸海部隊が連携し航空作戦を実施し、12月初旬までにブラウエン飛行場を制圧、さらに大型船による輸送力増強の方針を規定します。

23日、軍需品を搭載した第五次多號輸送部隊第一梯団がマニラを出航しますが、24日、避泊先のマスバテ島南東カタイガンで敵艦上機の空襲を受け被爆炎上、同第二梯団がマニラを出航、25日、避泊先のマリンドケ島で敵艦上機の空襲を受け2隻沈没、1隻中破し輸送は挫折、マニラに帰航します。

同日、陸海軍航空部隊はレイテ湾の敵艦船総攻撃を予定していましたが、敵艦上機延べ270機がルソン島一帯に来襲し出撃できず、特攻6隊(爆戦16、九九艦爆2、銀河7)がマニラ東北東の敵機動部隊に突入、空母4を含む7隻を撃沈破を報じます。

26日、部隊の兵力は保有183機(実働97機)。

28日、第六次多號輸送部隊がオルモックに入泊、30日、第七次多號輸送部隊第一梯団はマニラを出航、レイテ島イビル、同第二梯団はレイテ島シラド湾に入泊、同第三、第四梯団はマニラを出航、12月2日、オルモックに入泊します。

12月5日時点の在比島海軍航空兵力は保有213機(実働136機)、零戦85(実働63うち特攻21)、紫電39(19)、彗星20(14)、天山9(6)、銀河8(4)、陸攻11(6) 、月光22(12)、瑞雲13、(8)、百偵2(2)、艦偵5(2)。

南西方面艦隊参謀長・有馬馨少将は聯合艦隊司令部に第一聯合基地航空部隊の特攻兵力は連日の出撃で減少、編成部隊の兵力も同じく連日の出撃で余裕無く、現状爆戦16機しか無く、早急に爆戦搭乗員を補充するとともに、数日来スリガオ海峡に出現した敵大部隊を殲滅するためにも台湾待機の特攻部隊を運用できるよう依頼します。

同日、レイテ島では高千種空挺部隊による挺進攻撃(テ號作戰:422名うち降着40名)に策応し第二十六師團(山県栗花生中将)とともに第十六師團(牧野四郎中将)混成部隊(11月末時点総兵力2,030名、内歩兵1,400名)は歩兵第九聯隊長・神谷保孝大佐の指揮のもとブラウエン飛行場に突撃(和號作戰)、一時飛行場の制圧に成功します。

7日、米第77歩兵師団が西海岸のオルモック南方イビル、アルペラ(第十六師團の背後)に上陸、第一聯合基地航空部隊は特攻、通常攻撃を集中、第八次多號輸送部隊はオルモック入泊を断念しイシドロに擱座揚陸します。

8日、ブラウエン飛行場では態勢を建て直した敵の包囲攻撃を受け歩九・神谷大佐が散華、11日、第十六師團は敵中に孤立し作戦は中止、敵の重囲を突破し脊梁山地に転進します。

8日、台湾待機の特攻部隊(零戦20機)がクラークに進出します。

9日、第九次多號輸送部隊がマニラを出航、10日1608、パロンポン沖で敵40機の空襲を受け、輸送船2隻が被爆炎上、1隻はパロンポンに突入、同夜、輸送艦2隻は駆逐艦2隻とオルモックに突入、海軍戦車隊と陸戦隊を揚陸します。

10日、攻一〇二(七〇一空・二十五航戰・三航艦)が七六一空に編入されます。
第一航空艦隊の編制
一航艦司令部 マニラ

二十三航戰司令部(19年9月9日~古川保少将) ケンダリー
 豪北空

二十六航戰司令部 マニラ
 北菲空、中菲空、南非空、西カロリン空
 一五三空 戰八〇四(丙戦24)
          戰八一二(丙戦24)
 二〇一空 戰三〇二(甲戦48)
          戰三一六(甲戦48)
 七六一空 攻三(艦爆48)
          攻五(艦爆48)
          攻一〇二(艦爆48)
          攻二五六(艦攻48)
 一〇二一空(陸輸48)

15日、攻二五二(七〇一空・二十五航戰・三航艦)が七六一空に編入されます。

13日、索敵機がミンダナオ海を西進する敵大艦隊を発見、14日、敵はパナイ、ネグロス方面に上陸と予測され、15日、南西方面艦隊司令部は本日、マニラ方面に来寇の公算大として邀撃部署を発令、敵がミンドロ島に上陸を開始したため、第一聯合基地航空部隊指揮官は特攻隊4隊に攻撃を下令、援護機は輸送船14撃沈破を報じます。
以降、連日陸攻、月光による夜間、黎明攻撃、特攻機による攻撃が続きます。

17日時点の第一聯合基地航空部隊の航空兵力(実働)は僅か28機、クラーク地区に零戦4、紫電4、艦爆4、偵察機3、月光1、陸攻2、ニコルスに月光3、キャビテに瑞雲1、セブに夜零戦1、月光3、ダバオに天山1、彗星1。

18日、南方軍総参謀長・飯村穣中将はマニラに第十四方面軍(山下奉文大将)、第四航空軍(富永恭次中将)、南西方面艦隊(大川内伝七中将)の各幕僚を招集、当面の作戦についてレイテ島は一時持久戦に転移、ミンドロ島の増援はせず、ルソン島はマニラ東方山岳地、クラーク丘陵地、バギオ周辺に拠点を確立するとともにマニラ方面に戦力を集中等の方針を決定します。
しかし、聯合隊司令部(豊田副武大将)、第一聯合基地航空部隊(福留繁中将)、第四航空軍はミンドロ島の奪回を 強く要請したため第十四方面軍と折衝、1個大隊の派遣、のち約100名派遣で決着します。

19日、索敵機はミンドロ島付近に輸送船30、マンガリン付近に上陸用舟艇35隻、レイテ湾内に艦艇40、輸送船160隻を発見、南西方面艦隊司令部は航空部隊によりミンドロ島方面への敵補給線の遮断、支援の敵機動部隊、及びサンホセ敵基地の制圧、封止を、またルソン島各要地の防備急速強化を指示します。

22日、サンホセの敵航空基地が完成間近な事が判明、23日、月光、天山、瑞雲計12機が夜間爆撃を実施、以降継続します。

昭和20(1945)年1月1日、戰八〇四は(一五三空)から北東空(十二航)に、戰八五一(北東空)は一五三空に、攻二五六(七六一空)は七〇六空(二十五航戰・三航艦)に編入されます。

2日1400、スリガオ派遣隊は敵艦船20を、3日、特設空母12を含む80隻を視認します。

5日朝、マニラ湾口南西40浬のルバン島に敵機動部隊2群、及び輸送船団20隻を発見、第一聯合基地航空部隊指揮官はクラーク所在の特攻隊に全力攻撃を下令、1557、第十八金剛隊(零戦16、直掩3)はマバラカットを発進、1730、敵船団に突入、輸送船4撃沈破を報じます。

攻三・攻五(七六一空)は一三一空(三航艦)・七〇一空(二十五航戰・三航艦)に転属します。

同日、南西方面艦隊司令部はマニラからバギオに移駐、同日、クラーク地区を視察した第十四方面軍参謀長・武藤章中将は方面軍司令部の防衛計画が全く無視されている実情に驚愕、海軍航空部隊は陸軍の指導で陣地築城にあたります。

6日、敵輸送船団はリンガエン湾西沖に来寇、神風特別攻撃隊 第二十金剛隊(零戦5)、第二十二金剛隊(零戦4)、第二十三金剛隊(零戦12)、八幡隊(天山2)が出撃し、敵艦船15の撃沈破を報じます。

第一聯合基地航空部隊指揮官・福留中将は、連日の空襲でクラーク地区の基地機能は甚大な被害を受けたため残存兵力の一部をルソン島北部のエチアゲ、ツゲガラオ、台湾方面に転出させ、同地残留の海軍部隊15,000名をクラーク海軍防衛部隊に改編、各戰區隊はマバラカット飛行場群西部、高森山周辺に複郭陣地を築城します。
クラーク海軍防衛部隊司令部(二十六航戰司令官・杉本丑衞少将) 総員15,400名、小銃6,540
 二十六航戰200名、一航艦残留員350名、二航艦残留員200名計750名、小銃150丁

第十三戰區隊(一四一空司令・中村子之助大佐)
 一四一空50、第三百八設營隊500、陸戦隊200、防空隊800、二〇一空50、北菲空100、計1,700名、小銃870

第十四戰區隊(七六一空司令・天谷孝久大佐、2月5日、松本眞實中佐)
 七六一空100、海没艦艇残置者200、第三百三設營隊50、防空隊1,200、二〇一空50、北菲空150、計2,000名、小銃1,140

第十五戰區隊(第三十七警備隊司令・宮本實夫中佐)
 二二一空100名、海没艦艇残置者200、第三百三十二設營隊等500、防空隊1,200、北菲空200、計2,200、小銃 1,130

第十六戰區隊(七六三空司令・佐多直大大佐)
 七六三空200、防空隊2,560、一五三空50、一〇二一空50、北菲空640、第三百二設營隊500、計4,000名、小銃1,870

第十七戰區隊(三四一空司令・舟木忠夫中佐)
 三四一空100、防空隊2,560、北菲空500名、第三百十八設營隊500、計2,500名、小銃680挺

雷部隊(北菲空司令・瀬戸口熊助機関中佐)
 北菲空200、第百三施設部200、海没艦艇残置者200、計800名、小銃600挺

後方部隊
 百三空廠1,250、台湾人工員500、第百三軍需部50、第百三工作部50、第百三施設部100、スピク工廠支那人工員300、計2,250名、小銃100挺

7日、クラーク海軍防衛部隊は逐次高森山陣地に移動を開始しますが、第四航空軍参謀副長・山口槌夫少将は航空作戦続行、及び敵の飛行場利用を阻止すべく飛行場死守を主張し、二十六航戰参謀・粟屋輝次郎少佐に逃避準備と難詰、8日、サンフェルナンドからクラーク地区に進出した同地区守備の陸軍第一挺進集團(建武集團)長・塚田理喜智少将も山口少将を支持します。

9日、塚田少将は同地区の防衛についてストチェンバーグ(クラーク西側)の洞窟に司令部を設置、飛行場地区左側に高山地區隊(左地区占領部隊、機動歩兵第二聯隊長・高山好信中佐以下3,800名)、右側に江口地區隊(右地区占領部隊、第十航空地區司令官・江口清助中佐)を配置、敵に一撃攻勢を加えた後、防御に転移、持久を企図します。

12日、クラーク海軍防衛部隊は小枝原大尉以下700名(陸戦隊200、海没艦艇残置者500)の最精鋭部隊を高山地區隊後方への配備に決定、転進時期は海軍の判断と定め16日、移動を開始します。

16日夕方、第一挺進集團参謀長・岡田安次大佐がクラーク地区に着任、20日、クラーク地区バンバン陣地を視察した結果、塚田少将に同地区正面は20㎞にも及ぶも正規歩兵は3個大隊しか無く陸海軍とも航空関係者が多く、特に海軍は陸戦に期待できず、糧食不足ながら飛行場群のため対空火器、航空兵装が充実、など現地、部隊の特性から前線を後方に下げ正面を狭くする配置変更を具申、了承を得て戦線縮小を図ります。

昭和20年1月8日、戦時編制が改定され第二航空艦隊が復帰、麾下の一四一空、二二一空、三四一空、六三四空、七六三空が、一航艦に編入、現地航空隊、設營隊人員により第三十七警備隊が現地編成され二十六航戰に編入されます。
二十六航戰は13個航空隊、19個特設飛行隊を麾下に編入しますが、航空機は払底、航空戦力は殆どありませんでした。
第一航空艦隊の編制
一航艦司令部 マニラ

二十三航戰司令部 ケンダリー
 豪北空

二十六航戰司令部 マニラ
 北菲空、中菲空、南菲空、西カロリン空、第三十七警備隊
 一四一空 偵四(陸偵24)
          偵一〇二(陸偵24)
 一五三空 戰八一二(丙戦24)
          戰八五一(丙戦24)
 二〇一空 戰三〇二(甲戦48)
          戰三一六(甲戦48)
 二二一空 戰三〇三(甲戦48)
          戰三〇四(甲戦48)
          戰三一二(甲戦48)
          戰三一三(甲戦48)
          戰三一五(甲戦48)
          戰三一七(甲戦48)
 三四一空 戰四〇一(甲戦48)
          戰四〇二(甲戦48勝)
 六三四空 偵三〇一(陸偵24機)
 七六一空 攻一〇二(艦爆48)
          攻二五二(艦攻48)
 七六三空 攻四〇五(陸爆48)
          攻七〇二(陸攻48)
 一〇二一空(陸輸48)

同日、南西方面艦隊司令長官は第一航空艦隊と第二十一航空戰隊(城島高次少将、高雄警備府部所属、台湾新竹)、一〇二二空(第百一航戰)で第一聯合航空基地部隊を編成(一航艦隊司令長官指揮)、部隊は局地偵察兵力のみ比島に配備、他の司令部員、搭乗員、整備員は台湾に集結移動を下令され、クラーク地区を出発しタルラックまで自動車移動、その先は徒歩でエチアゲに集結、9日から陸攻、 輸送機、月光、水偵等で台湾に移送、14日までに計135名が輸送されます(その間、陸攻3機喪失)。

9日、米軍175,000名がリンガエン湾に上陸し南部のマニラ、北部山岳地帯に侵攻を開始、0650、神風特別攻撃隊 第二十四、第二十五金剛隊の零戦3機、援護零戦1機がニコルス、ツゲガラオを発進、1200、第二十六、第二十七金剛隊の零戦4機がツゲガラオを発進、それぞれ敵艦船群に突入散華、輸送船3隻の撃沈破、巡洋艦2隻の撃沈破を報じます。

10日、一航艦司令長官・大西中将及び司令部はクラークから台湾・小崗山海軍航空基地(高雄北25㎞)に移駐します。
同日、戰三〇四(二二一空)は二五二空(三航艦)に、偵一二(七五二空・三航艦)が一四一空に編入されますが、第一聯合航空基地部隊の在比島兵力はツゲガラオに26機、キャビテに水爆1機、ニコルスに数機まで減少してしまいます。

15日、偵一〇二(一四一空)は七五二空(三航艦)に、攻四〇一(七五二空・三航艦)は七五三空に編入されます。

同日、第一新高隊(零戦1機:森岡光治一飛曹)は台中を発進、馬公の196°190浬の敵艦隊に突入散華、任務を完遂します。

21日1105、一航艦零戦隊(零戦2)、1130、神風特別攻撃隊 第二新高隊(彗星5)が臺南、第三新高隊(零戦3)が比島ツゲガラオを発進、台東115°60浬の敵機動部隊に突入散華、任務を完遂します。

2月16日、前七六三空副長・福元秀盛中佐(横鎭附)以下の整備員を基地員としてクラーク地区に引き続き残置、台湾との連絡に対応させます。

20日、攻四〇三(七六三空)は七六二空(十一航戰・聯合艦隊付属)に転属します。

同日、リンガエン湾から南侵した米第14軍団(第37、第40歩兵師団)は急速に侵攻、一部は18日、タルラック前面に侵攻、21日、タルラック、22日、バンバン飛行場(24日、使用開始)を失陥、23日、高山地區隊主陣地は激烈な砲爆撃を受け、24日、敵第160歩兵連隊が高山地區隊右地區隊(第百三十二飛行場大隊長・岡本實吉大尉)に侵攻、海軍前進陣地は破壊され西方六〇三高地に転進します。
敵の侵攻を阻止していた右地區隊は、26日、全線に渡り斬り込みを敢行しますが敵の銃砲火により甚大な被害を受け、28日、敵は第37歩兵師団を投入、高山地區隊は第二線に転進し敵の侵攻を拒止、小枝原隊は殆ど玉砕、生存者は第十三戰區陣地に転進します。

29日、クラーク海軍防衛部隊指揮官・杉本少将は南西方面艦隊司令部に第一挺進集團は海軍要望の陣地内戦闘を退け、陣地築城を否定、前進陣地転進にあたり5度に渡り懇請するも死守を命じられ小枝原隊は壊滅、集團との交渉は困難なため海軍指揮官を南西方面海軍航空廠長・近藤一馬中将とし陸軍指揮下では無く、陸海軍共同作戦にする旨、意見具申します。
30日、集團司令部は高森山に転進します。

2月1日、偵四(一四一空)・戰四〇一・戰四〇二は三四三空(二十五航戰・三航艦)に、戰八一二(一五三空)は七五二空(三航艦)に、戰三一六(二〇一空)は二五二空(三航艦)に、戰三一二・戰三一三は二〇三空(二十五航戰・三航艦)に編入されます。

2月3日、米第37歩兵師団先遣隊はさらに南侵しマニラ郊外に侵攻、陸軍振武集團(第四十一軍基幹)長・横山静雄中将はマニラ市内の陸軍部隊をマニラ海軍防衛部隊(第三十一特別根拠地隊・岩淵三次少将)の指揮下に編入、4日、敵はマニラ南部ニコルス飛行場に侵攻、南部隊(古瀬貴季大佐、海軍第二・第三大隊基幹、雷部隊(北菲空)配属)は12糎高角砲で敵戦車を砲撃し撃破、夜間斬込にて侵攻を拒止します。

5日、二十一航戰(高雄警備府部隊所属)は復帰、第一聯合基地航空部隊は編成を解かれ、一航艦は南西方面部隊第五基地航空部隊に部署され、一航艦の戦時編制が改定されます。
転属
二十三航戰→十三航艦(第十方面艦隊所属)
一四一空、一五三空、二〇一空、二二一空、三四一空、七六一空、七六三空→二十六航戰
偵一二(一四一空)→一三二空、戰八五一(一五三空)→一三三空、戰三〇二(二〇一空)→二〇五空、戰三一五・戰三ー七(二ニー空)→二〇五空、攻一〇二・攻二五二(七六一空)→七六五空、攻七〇二(七六一空)→七六五空

新編
一三二空、一三三空、二〇五空、七六五空

一航艦編制 
一航艦司令部  小崗山
一三二空 偵一二(陸偵24)
一三三空 戰八五一(丙戦24)
二〇五空 戰三〇二(甲戦48)
         戰三一五(甲戦48)
         戰三ー七(甲戦48)
六三四空 偵三〇一(水爆24)
七六五空 攻一〇二(艦爆24)
         攻二五二(艦攻24)
         攻四〇一(陸爆48)
         攻七〇二(陸攻18)
一〇二一空(陸輸48)

二十六航戰司令部 クラーク丘陵地(高森山)
北菲空(在マニラ)、中菲空、南菲空、西カロリン空、第三十七警備隊、一四一空、一五三空、二〇一空、二二一空(戰三〇三)、三四一空、七六一空、七六三空

6日、敵はマニラ南部ニコルス飛行場に侵攻、南部隊が敵の侵攻阻止にあたり激戦となります。

9日、クラーク地区の高山地區隊二線陣地後方にあった高屋支隊(滑空歩兵第二聯隊長・高屋三郎少佐)は逐次圧迫され第十五戰區の複廃陣地、10日、高山地區隊主力も第十三、第十四戰區陣地に転進して来ます。

9日、マニラ海軍防衛部隊指揮官・岩淵少将はマニラ放棄の時期到来、現有兵力では敵撃退は不可能とし司令部を市内農商務省ビルから郊外のマッキンレー兵舎に移転、南部隊の北菲空は斬込隊1個小隊を出撃させます。

9日を持ち比島残留航空要員の台湾輸送は一旦打切られ、輸送にあたった横須賀空、豊橋空各派遣隊は原隊に復帰、延べ一式陸攻51、零式輸送機21、天山2、 瑞雲1、零式水偵5、計81機で搭乗員998名(准士官以上128、下士官兵542名、整備員准士官以上30、下士官兵187、司令部電信員等111名)を救出、喪失機数は陸攻10機(攻一〇二:3機未帰還、 2機破損、豊橋空:1機未帰還、同2機破損、横須賀空・一〇ニー空:不時着各1機)、零式輸送機不時着1機、零式水偵被弾不時着1機、搭乗員24名、便乗者54名が散華、18日再開を予定し現在、ツゲガラオに250名残置、到着予定440名でした。
※18日、敵機動部隊が硫黄島方面に来寇、また他部隊の協力不能のため要員輸送は中止され、残留者は地上戦に移行します。

2月10日、戰三〇三(二二一空)は三〇三空(二十五航戰・三航艦)に転属します。

11日、クラーク地区の敵は各戰區複郭陣地に侵攻、第十五戰區陣地の第一峰を失陥、マニラ市外周の各陣地は突破され敵は市内中心部に侵攻、マニラ海軍防衛部隊司令部地區隊(司令指揮)、中地區隊(第一大隊(清水常喜大尉)・第二大隊(稲政博大尉))、陸軍北部隊(野口勝三大佐)北地區隊(臨時歩兵第二大隊(野内彦司郎少佐)・同第三大隊(袖岡經男大尉))は包囲されるなか、振武集團の作戦計画(マニラ東方拠点を確保し侵攻する敵を撃破、マニラ、マッキンレー要塞を固守し機に乗じ敵の背後から攻撃)を達成すべくマ海防指揮官・岩淵少将は敵中を突破し再び市内司令部に復帰、南部隊は敵に圧迫されマッキンレー兵舎、ついでモンタルパンに転進、海軍第三大隊(峯尾靜彦少佐)、第四大隊(小川左右民少佐)はニコルス飛行場群に斬込を敢行します。

13日、クラーク地区では第三線陣地に圧迫されていた江口地區隊が第十六戰區陣地に転進、第十五戰區第二峰を失陥、高屋支隊は集團命令により第三峰に進出し敵の侵攻を拒止、敵は第十四戰區陣地にも侵攻して来ます。

マニラ海軍防衛部隊はタバスカラ、ハイアライ地区で敵の攻勢を拒止しますが甚大な損害を受け当日までに戦力の8割を喪失、横山中将はマ海防司令部にマッキンレー方面、指揮下部隊はマリキナ方面への転進を下令しますが、16日、岩淵少将は最早戦場離脱は不可能な旨、返答します。

16日、敵艦上機が関東地区の航空基地を空襲、F6F、F4U、SB2C、TBFが0715~0805、第1波90機、0810~0845、第2波90機、第3波100機、1035~1145、第4波100機、1230~1310、第5波90機、1415~1540、第6・7波450機が来襲します。
聯合艦隊司令部は関東方面の航空戦力を減殺したのち南方諸島に上陸の公算大として各基地航空部隊に邀撃を下令します。

17日、敵は市民を顧みずマニラ市街地に砲撃を開始、17~18日、振武集團は全線に渡り総攻撃を敢行しますが、敵の堅陣、激烈な砲撃に阻まれ頓挫してしまいます。
18日、横山中将は再度、夜間離脱を指示、マ海防は指揮下部隊に斬込にて離脱を下令しますが、敵に通じた市民に通報され敵の重囲を突破できず旧陣地に復帰します。

19日、一航艦は陸攻5、20日、陸攻2によりクラーク地区、高森山陣地に物資を投下します(19日、1機未帰還、1機不時着、20日、1機不成功)。

21日、マ海防の拠点は農商務省ビル(司令部)、財務省ビル(陸軍北部隊)、市役所、マニラホテル、パシグ河に囲まれた一角に圧迫、24日1555、岩淵少将は決別電を打電、26日0400、部隊に戦場離脱を指示し自決、生存者はなおも抗戦を続け3月1日、マ海防は玉砕してしまいます。
2月27日、南西方面艦隊司令部はマ海防生存者を基幹としてマニラ東方防衛部隊(北菲空司令・瀬戸口熊助機関中佐、2,700名)を編成、編制は銃隊6個大隊2,100名、海洋隊100名、通信隊50名、生産隊300名でしたが、糧食は半月分しか無く、インファンタにおいて自戦自活体制に入るも、7月13日、瀬戸口中佐が散華、部隊は敵の追撃、匪賊の襲撃、糧食欠乏により大半が散華してしまいます。

2月24日、クラーク地区の敵は第十三戰區陣地の崖を爆破し埋め戦車を伴い侵攻、杉本少将は第十七戰區隊から斬込隊を増援しますが草原地帯に潜伏中を急襲され玉砕、25日、第十四戰區隊は屋島富士一帯を失陥、洞窟内に圧迫、26日、生き埋めの危険から後方陣地に転進します。

27日、第十三戰區隊左翼にあった高山地區隊が海軍に無通告で転進したため第十三、第十四戰區隊は敵の猛攻を支えきれず北方から崩壊、両隊は糧食を残置し急遽転進します。
第十六、第十七戰區は赤山、黄山方面からの敵の侵攻を連夜の斬込により阻止、3月3日、第十四戰區陣地を攻略した敵は第十五戰區側面に侵攻、塚田少将はクラーク海軍防衛部隊に高森山から転進を下令します。

4日、第十五戰區隊、高屋支隊は本丸(クラーク海軍防衛部隊司令部)に転進、6日、本丸は敵に包囲されたため、集團命令により第十七戰區陣地、8日、深山に移動します(司令部兵力330名)が、第十六戰區隊第二大隊は赤山を死守し玉砕してしまいます。

3月中旬、第十三(150名)、第十四(350名)、第十五戰區隊(150名)はピナツボ山(高森山南西)西方に転進、20日、杉本少将は長期遊撃戦を実施すべく第十六戰區隊(1,300名)、第十七戰區隊(500名)を同山南方に転進させます。

3月31日、敵の急速な追撃に各隊の損害は増加、第十六戰區隊を主力として防戦にあたりますが、第十三戰區隊は中村大佐以下数名、第十四戰區隊も天谷大佐以下数名、第十五戰區隊も宮本中佐以下数名となってしまいます。

4月5日、杉本少将は各戰區隊に自活体制の確率と遊撃戦を下令、第十三、第十四、第十五、第十七戰區隊は敵と離脱し西海岸・イバ方面に転進、第十五戰區隊は宮本中佐の漁船による比島離脱案が了承されます。

20日、杉本少将はクラーク海軍防衛部隊の編成を解き各隊の行動は各戰區隊長に委任するとともに、5月1日、遊撃戦を指揮すべくイバ東方に移駐、第十六戰區隊(700名)は敵が撤退したためピナツボ山西方の農地に移駐し自活体制に移行します。

6月5日、二十六航戰司令部(50名)は匪賊に急襲され包囲、12日、杉本少将は自決、司令部は玉砕してしまいます。

10日、第十三戰區指揮官・中村大尉、20日、第十五戰區指揮官・宮本中佐、7月10日、第十七戰區隊指揮官・舟木中佐が相次いで散華、8月24日、第十六戰區隊は所有の無線機により停戦を知り、二十六航戰は佐多大佐以下455名が停戦を迎えます。

-中菲空(セブ島)-
昭和20(1945)年3月26日、米軍はセブ島タリサイに上陸、27日、セブ市街に侵攻、中菲空(根来茂樹大佐)はセブ防衛海軍部隊(第三十三特別根拠地隊:第百二師團指揮下、准士官以上206、下士官兵3,452、軍属1,550名、計5,208名)第二大隊に編成され陸戦の準備に入ります。
27日、第三十五軍司令官・鈴木宗作中将はセブ陣地で持久ののち島北部に転進、第一師團と合同の方針を下達します。

28日、敵はセブ航空基地に侵攻、大隊はセブ北方陣地のトーチカ、坑道陣地に拠り抗戦、4月10日、陣地1/4を失陥しますが、12日、逆襲により陣地を奪還します。

14日、師團長・福榮真平中将はセブ陣地の放棄、北方への転進を下令、16日、海軍部隊は第二大隊を先頭に転進を開始、5月3日、セブ島北端に到着、第一師團(片岡董中将)指揮下に編入され、自活体制に移行しますが、マラリアが蔓延、戦闘不能状態のまま、8月18日、敵が散布した第一師團長名の伝単により停戦を知り、3,000名が停戦を迎えます。

昭和20年3月29日、米軍はネグロス島パコロドに上陸、所在の中菲空ネグロス派遣隊(分隊長・相澤親雄機関大尉)500名は歩兵第七十七旅團(河野毅中将)指揮下に編入され敵と交戦、激戦ののち、西方の山地に転進、自戦自活体制に移行、敵の追撃は微弱のため山裾地帯で耕作を実施、8月18日、敵が散布した第一師團長名の伝単により停戦を知り、250名が停戦を迎えます。

昭和20年3月17日、聯合艦隊司令部は天一號作戰要領を発令、敵艦上機が18日に九州方面来襲と予測し航空機の温存を下令、18日、敵艦上機540機が南九州に来襲、20日、第一機動基地航空部隊(五航艦、宇垣纏中将、鹿屋)は米機動部隊を追撃しますが兵力を殆ど失ってしまいます。
21日、第一機動基地航空部隊は敵機動部隊に対し神風特別攻撃隊 神雷櫻花特別攻撃隊(陸攻18・桜花15・戦闘機32)に出撃を下令、陸攻は全機未帰還になります。
18日から五航艦は敵機動部隊を延べ193機で攻撃し161機(特攻69機含)を喪失、50 機が地上撃破され、保有機は110機に低下、聯合艦隊司令部に兵力補充を要請しますが、すでに海軍にその余力は無く現有機材の整備、未熟練搭乗員の錬成しか手段はありませんでした。

一航艦の実働兵力も零戦73(搭乗員73組)、紫電7(6組)、月光12(11組)、月光12(8組)、彗星18(18組)、銀河11(10組)、陸攻8(5組)、瑞雲7(10組)零式水偵3(3組)、輸送機3(3組)、計147機、搭乗員164組でしたが、補充は五航艦が優先され一航艦の戦力回復は限定的でした。

3月23日0715、沖縄、南大東島に敵艦上機355機が来襲、24日0650、艦上機1,200機の空襲に続き、0900、戦艦8ほか27隻が接近、本島南部、中城湾に艦砲射撃を開始します。

第五基地航空部隊指揮官は新竹、台南、台中に零戦特攻各1隊(4機、直掩4機)、台南に彗星特攻4機、薄暮攻撃の銀河特攻4機を準備、誘導の銀河と彗星各1機は鹿屋に進出を下令します。

25日、索敵機情報から敵艦隊は4群44隻に増加、艦砲射撃は小禄半島、慶良間列島にも及びます。

26日0900、米第77歩兵師団が慶良間列島に上陸を開始、神風特別攻撃隊勇武隊(銀河3機)、誘導の銀河1機と彗星1機は台中を発進、沖縄東方の敵動部隊に突入します。

1100、聯合艦隊司令部は天一號作戰(沖縄周辺の敵艦船に対する特攻を主体とした航空攻撃)を発動します。

28日、第五基地航空部隊の月光5機、陸攻、天山、瑞雲各3機が慶良間列島泊地の敵艦船を夜間攻撃します(月光2機未帰還)。

29日、陸攻2機は沖縄泊地の敵艦船を夜間攻撃、敵艦2隻を撃破と報じます。

4月1日未明、嘉手納湾に集結した米軍は波平から平安山にかけ艦砲射撃、空襲に続き、0800、第10軍が一斉に上陸を開始します。
0645、零戦12機(うち爆戦6)が石垣島を発進、宮古島南方の敵機動部隊を攻撃(爆戦3と直掩1未帰還)、1330、神風特別攻撃隊 第一大義隊(零戦4機)、同忠誠隊(彗星1機)は新竹を発進、台東72°260浬の敵機動部隊に突入、1439、零戦4機、銀河2機は会敵なく帰還、1830、月光1機は高雄を発進、対潜哨戒にあたり、2300、月光2機が新竹を発進、沖縄周辺敵艦船を攻撃、第五基地航空部隊は神風特別攻撃隊 第二大義隊(零戦3)、同第三大義隊(零戦3)、同第四大義隊(零戦3)を編成します。
忠誠隊2
▲4月1日、出撃前に別盃を交わす神風特別攻撃隊 忠誠隊隊員

以降、一航艦は台湾及び南西諸島近郊、沖縄周辺に来寇した敵艦隊、また敵に制圧された沖縄本島陸軍飛行場に対し索敵、少数機による通常攻撃、神風特別攻撃隊による攻撃を続行します。

台湾から出撃した第五基地航空部隊編成の神風特別攻撃隊
昭和20(1945)年1月8日、新高隊、忠誠隊(各彗星)、2月5日、大義隊(零戦)、勇武隊(銀河)

2日~5日、零戦、爆戦、紫電、月光、陸攻、銀河、彩雲、特攻隊が沖縄周辺の敵艦船群を索敵、攻撃します。

同指揮官・大西中将は明6日の第一遊撃部隊(第二艦隊、伊藤整一中将)の沖縄突入に策応すべく彩雲、紫電は黎明に索敵を石垣島の隊は早朝ないし1600~1800に攻撃、陸爆特攻は0800以降待機、情報が無ければ0830発進し敵空母攻撃、艦爆特攻は敵空母攻撃、銀河1機は電探欺瞞、その他の兵力は全力で夜間または薄暮攻撃を下令します。

6日~9日、天山、陸攻、彩雲、特攻隊が沖縄周辺の敵艦船群を索敵、攻撃します。

10日、第五基地航空部隊指揮官は明11日に特攻総攻撃とし各特攻隊は全力を使用、天山2機は雷装で零戦誘導、台中所在の零戦隊の突入は1530~1600とし、目標は零戦と天山(通常)は輸送船、巡洋艦、陸爆と天山(特攻)は空母、戦艦の攻撃を下令します。

11日、部隊は敵制圧下にある沖縄本島中、北各陸軍飛行場の攻撃を開始、月光2機が嘉手納付近を爆撃、軍需品を炎上させます。
一航艦の5~11日の出動は攻撃延べ44機、偵察延べ4機、未帰還16機、大破9機で期間中、天候が悪く損害が増加してしまいます。
一航艦の実働兵力は零戦39機、彗星8機、天山5機、九六式陸攻6機、瑞雲8機、月光6機、九九艦爆4機、計76機。

12日~6月15日(26日、5月1日、7日は悪天候のため出撃できず)、一航艦は爆戦、零戦、月光、天山、陸攻、銀河、瑞雲、零式水偵、特攻隊が沖縄周辺敵艦船、沖縄各飛行場の攻撃を実施します。

5日、攻二五三(三三一空・二十八航戰・十三航艦)が、七六五空に編入されます。

8日、第一航空艦隊は南西方面艦隊から聯合艦隊に編入、二十六航戰は南西方面艦隊に、西カロリン空は第三十根拠地隊(第三南造艦隊)に編入されます。
一航艦司令部 小崗山
 一三二空 偵一二(定数陸偵24)
 一三三空 戰八五一(百戦24)
 二〇五空 戰三〇二(甲戦48)
          戰三一五(甲戦48)
          戰三ー七(甲戦48)
 六三四空 偵三〇二(水爆36)
 七六五空 攻一〇二(艦爆48)
          攻二五二(艦攻48)
          攻二五三(艦攻48)
          攻四〇一(陸爆48)
          攻七〇二(陸攻48)

10日、大西瀧治郎中将は軍令部出仕を経て軍令部次長に転出、高雄警備府司令長官兼第一航空隊司令長官・志摩清英中が第五艦隊司令長官から着任します。

11日、海軍總隊司令部(4月25日、編成、豊田副武大将)は、南九州来寇の敵機動部隊の全力攻撃を企図、第五基地航空部隊に対し攻撃を下令します。

20日、六三四空は第五航空艦隊に編入されます。

6月5日、一三三空は復帰、戰八五一は一三二空に編入されます。

一航艦司令部 小崗山
 一三二空 偵一二(定数陸偵24)
 一三三空 戰八五一(百戦24)
 二〇五空 戰三〇二(甲戦48)
          戰三一五(甲戦48)
          戰三ー七(甲戦48)
 七六五空 攻一〇二(艦爆48)
          攻二五二(艦攻48)
          攻二五三(艦攻48)
          攻四〇一(陸爆48)
          攻七〇二(陸攻48)

15日、第一航空艦隊は復帰、高雄警備府司令長官兼第一航空艦隊司令長官・志摩清英中将、高雄警備府参謀長兼第一航空隊参謀長・中澤佑少将はそれぞれ免兼職。


香取海軍航空隊
「整備員」は機体、発動機の整備作業だけを担当するものでは無く、これらに関する諸施設、工作、自動車、補給等広範多岐にわたる作業を担当、且つ専門的高度な技術を有し、地上作業の大部分を管掌する職種でした。
また航空隊、空母、水上機母艦、航空機搭載艦船、陸攻、飛行艇に加え、発着機、航空諸兵器など配置区分によりその作業は異なり、戦域拡大に伴う基地の設営、撤収をも担当する様になります。

明治45(1912)年6月、海軍航空術研究委員會が発足、整備術の修得を開始、大正5(1916)年4月1日、横須賀海軍航空隊が開隊、練習部内に臨時講習科が設置され、6月1日、航空術學生として機關科将校(整備科士官)の教育を開始(第一期~第三期まで)、大正8(1919)年7月1日、『海軍航空隊令』が改定され、航空術機關學生に改称(第四期~第十一期)、大正15年度から飛行機整備學生に改称します。

また、昭和7(1932)年12月、『海軍練習航空隊令』に基づき上記学生教程を経ず整備科士官及び特務士官・准士官養成として特修科學生の教育も開始します。

大正9(1920)年6月1日、横須賀海軍航空隊練習部において初の整備関係練習生(下士官兵)として第一期普通科練習生(飛行機機体術練習生26名、航空機関術〃40名)を採用し教育を開始、大正9(1920)年12月、航空工術練習生に改称、大正11(1922)年11月1日、霞ヶ浦海軍航空隊が開隊、整備員教育は同航空隊練習部に移管され、大正13(1924)年12月、霞空練習部において第一期高等科練習生20名の教育を開始します。
昭和4(1929)年10月、航空工術練習生は整備術練習生に改称(昭和5年6月から実施)、普通科は従来の機体、発動機、攻撃兵器、写真各整備専修を一体とし前2者を修業、後2者は整備員として必要程度を教育、高等科は前2者、兵器、写真の3種の専修教育に区分されます。

昭和7(1932)年4月1日、横須賀追浜に海軍航空廠が開庁したため、昭和9(1934)年末採用の第二十期整備學生から再び横須賀空に移管されます。

昭和16(1941)年12月8日、大東亜戦争が開戦、航空要員の大量養成が急務になったため、昭和17(1942)年11月1日、追濱、相模野各海軍航空隊が開隊、前者に整備學生、高等科整備練習生、後者に普通科、高等科整備術練習生教育を移管します。

昭和19(1944)年、海軍省人事局(三戸壽少将)は急迫する戦況に陸海軍協定外の飛行豫科練習生の確保を積極的に行い、確保した人員の一部を搭乗員以外の水上・水中特攻、用地防衛、基地築城兵力、生産兵力として来たるべき本土決戦に備え総合的な人的戦力を有利に確保すべく、海軍航空本部の「海軍全体の信用に塁を及ぼす恐れがある」との懸念を抑え、豫科練習生の大量採用を決定します。

4月19日、海軍省は『飛行豫科練習生派遣修業取扱特例』を令達、大量採用した豫科練習生の教育に関しては半分から3分の1(昭和19年度で採用者の6割62,160名、昭和20年度で1/3の30,000名)は従来通り搭乗員教育を実施、残余は整備員、電信員、電測員、気象員として専門教育を施したうえで機を見て搭乗員としての教育を実施すべく、豫科練採用者のうち搭乗員被教育者以外は全員を土浦海軍航空隊に配属のうえ即日整備航空隊、各種學校に専門術修業のため派遣(派遣飛行練習生)する形式が採られます。

昭和19(1944)年2月1日、香取基地において横須賀鎭守府所管の常設航空隊として香取海軍航空隊(篠崎磯次 機関大佐)が開隊、第十八聯合航空隊(練習聯合航空總隊所属)に編入され練習航空隊に指定、整備術教育、及び香取基地管理を担当します。
隊は横須賀鎭守府部隊第十八聯合航空隊に部署され教育にあたります。

昭和20(1945)年3月1日、戦局急迫に伴い敵の本土上陸に対応すべく学生、練習生の教育を停止、第十八聯合航空隊、練習聯合航空總隊は復帰、香取空は第二十聯合航空隊(横須賀鎭守府所属)に編入、横須賀鎭守府部隊第二十聯合航空隊に部署され航空基地整備、航空機生産協力、陸戦訓練にあたります。

6月30日、香取空は復帰、人員は関東海軍航空隊香取基地隊に再編され、引続き香取基地管理にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


第二十五航空戰隊司令部
昭和19(1944)年7月10日、第二航空艦隊(福留繁中将)の編制を改編し第二十五航空戰隊司令部(菊池朝三大佐、10月15日、少将進級)を新編、麾下に新編の南西諸島海軍航空隊を編入します。
南西諸島航空隊は乙航空隊で本部を小禄に、宮古島、石垣島、喜界島、南大東島に派遣隊を置き各航空基地の管理、整備、防備、派遣航空隊の収容指揮にあたります。
戰隊は第六基地航空部隊(二航艦)西二空襲部隊に部署されます。

17日、戰隊司令部は横濱に移転、哨戒任務の研修にあたり、27日、さらに鹿屋、8月1日、沖縄・小禄に進出、鏡水の第四海上護衛司令部に仮設(同居は拒否されたため)、20日、小禄国民学校を借上げ移転します。
将来的には沖縄本島北陸軍飛行場に移転を予定しますが、実現しませんでした。

9月11日、攻四〇六の銀河11機、13日、同2機、19日、偵三の二式艦偵8機が小禄に進出してきます。
20日、索敵に出撃した銀河1機が未帰還、21日、二式艦偵8機が事故で焼失してしまいます。

27日、二航艦司令部は捷一號作戰準備を発令、部隊は台湾、次いで比島方面進出を準備、10月中旬を目処に作戦準備を下令されます。
30日時点の戰隊の人員は士官60、特務士官49、下士官177、兵2,443の合計2,754名。

10月6日、二航艦司令部は鹿屋から高雄に進出します。

9日、鹿屋発進の索敵機が0845消息を絶ち、T攻撃部隊(敵戦闘機が活動困難な気象状況下を突いて攻撃を集中する精鋭部隊)司令・久野修三大佐(七六二空司令)は「明10日、敵機動部隊来寇の公算大」を発電、二航艦司令部は明朝の索敵、T攻撃部隊の日の出前2時間からの全力待機を下令しますが、戰隊司令部は同夜、小禄において歓迎会に出席、南西諸島は無警戒になってしまいます。

10日、敵機動部隊がフィリピン侵攻準備として我が航空戦力を減殺すべく沖縄、台湾、南西諸島に来寇、聯合艦隊司令部は基地航空部隊捷二號作戦警戒を発令、0600、西二空襲部隊の艦偵1は第六基地航空部隊第一次海上輸送部隊の対潜警戒に発進、0610、銀河4は沖縄本島北陸軍飛行場を発進、索敵哨戒に、0630、第一警戒配備が下令されます。
0700~1545、敵艦上機1,300機が5次に渡り南西諸島に来襲(十・十空襲)、西二空襲部隊は銀河13、艦偵6が地上撃破、ほか銀河3、艦偵2が未帰還になり所在航空戦力を喪失してしまいます。

12日、敵艦上機が台湾に来襲、聯合艦隊司令部は基地航空部隊捷一號、捷二號作戦を発動します(台湾沖航空戦)が、第六基地航空部隊の鹿屋留守司令部は西二空襲部隊(二十五航戰)の状況不明のため、T攻撃部隊の沖縄経由での攻撃を変更、鹿屋から直接攻撃し台湾に帰着させる措置を採ります。

13日、第六基地航空部隊指揮官は第七基地航空部隊派遣兵力(五十一航戰司令官指揮)を西五空襲部隊に部署、敵機動部隊を攻撃し台湾へ進出を下令、戰隊は経由地(小禄、沖縄本島北、同中、伊江島)の受入準備にあたります。

14日、二航艦指揮下の攻撃隊380機が南九州各地を発進、敵機動部隊攻撃します。

15日、戰隊に二航艦から九州海軍航空隊(鹿屋)が編入されます。

18日、艦船701隻、総兵力7個師團26万名を擁した米軍はレイテ湾口に侵入、聯合艦隊司令部は敵の本格的侵攻と判断し、10月18日、捷一號作戰を発動します。

22日、二航艦司令部は高雄からマニラに進出、戰隊は比島に進出した第六基地航空部隊への兵力増援、空輸が急務となり、南九州-台湾-比島の兵力進出、輸送支援は多忙を極めます。

24日、新司令官・横井俊之大佐が着任します。

11月2日、戰隊司令部は小禄から鹿屋に進出、九州空は鹿屋、鹿児島、種子島、第二都城の整備、二〇三空は出水、笠之原の整備を担当します・

15日、戰隊は三航艦に転属、五十一航戰復帰に伴い麾下に二〇三空、七〇一空が配属されます。
二十五航戰司令部(鹿屋)
 南西諸島空(小禄:乙空)
 九州空(鹿屋:〃)
 二〇三空(笠之原:戰三〇八(甲戦48)・戰四〇七(乙戦48))
 七〇一空(第一國分:偵三(陸偵24)・攻一〇三(艦爆48))
戰隊(南西諸島空欠)は第七基地航空部隊(三航艦)西一空襲部隊に部署(南西諸島空は同西二空襲部隊)されます。

12月20日、戰三〇八は二二一空(二航艦所属)に転属、戰三一二(甲戦48)が二二一空から二〇三空に編入されます。

昭和20(1945)年1月1日、戰九〇一(丙戦24)が七五二空(三航艦所属)から二〇三空に編入されます。

25日、戰隊に三四三空が配属、戰四〇七は二〇三空から三四三空に転属します。
二十五航戰司令部(鹿屋)
 南西諸島空(小禄:乙空)
 九州空(鹿屋:〃)
 二〇三空(笠之原:戰三一二(甲戦48)・戰九〇一(丙戦24))
 三四三空(松山:戰三〇一(甲戦48)・戰四〇七(乙戦48)・戰七〇一(乙戦24))
 七〇一空(第一國分:攻一〇三(艦爆48))

2月1日、戰九〇一は二〇三空から七五二空(三航艦所属)に転属します。

10日、二十五航戰は復帰、南西諸島空、九州空、二〇三空、七〇一空は新編された第五航空艦隊(宇垣纏中将)に、三四三空は三航艦(寺岡謹平中将)に転属します。


第一〇二二海軍航空隊
昭和19(1944)年7月10日、横須賀鎭守府所管の特設航空隊として第二航空艦隊司令部附輸送機隊を改編し香取(原駐地は木更津)において編成(佐土原親光大佐)、第二航空艦隊(福留繁中将)に編入され、第六基地航空部隊長官直卒甲航空隊一〇二二空部隊に部署され、輸送任務に従事します。
隊は第二鹿屋に移駐、第六基地航空部隊の九州、南西諸島、台湾方面への展開輸送に従事します。

8月21日、新司令・宇都米二中佐が副長から兼務します。

12日、九〇式機上作業練習機が種子島基地に着陸時に大破、栗山虎雄予少尉、五嶋運正二飛曹、同乗の佐世保鎭守府参謀・井上武治中佐が殉職してしまいます。

10日、敵機動部隊がフィリピン侵攻準備として我が航空戦力を減殺すべく沖縄、台湾、南西諸島に来寇、0700~1545、敵艦上機1,300機が5次に渡り南西諸島に来襲します(十・十空襲)。

12日、敵艦上機が台湾に来襲、聯合艦隊司令部は基地航空部隊捷一號、捷二號作戦を発動します(台湾沖航空戦)。
第六基地航空部隊は比島への進出を下令され、隊主力は南九州、台湾に、一部を比島に配置し部隊の展開輸送にあたります。

31日、台湾からクラークに向かった零式輸送機1機が消息不明になり鹿島道生予少尉(偵察)、清水武人二飛曹(電信)、谷利男飛長(操縦)、蘆田信一飛長(射撃)、笠井元幸整備兵曹が散華してしまいます。

昭和20(1945)年1月8日、米軍がリンガエン湾に上陸を開始、比島から台湾へ航空兵力移送にあたります。
比島航空戦において兵力を消耗した第六基地航空部隊(ニ航艦)は復帰、隊は第百一航空戰隊(田中實大佐、聯合艦隊付属、厚木)に転属、聯合艦隊付属部隊輸送機部隊に部署されます。

2月15日、隊は第五航空艦隊(聯合艦隊付属)に付属、軍隊区分は変更なく、第一機動基地航空部隊(五航艦)の九州展開輸送にあたります。

3月5日、再び第百一航空戰隊に編入されます。

17日、聯合艦隊司令部は天一號作戰要領を発令、第七基地航空部隊(三航艦)は第一基地航空部隊(五航艦)指揮官の指揮下に入り南九州展開を下令、隊はその輸送、及び各種機材の補充空輸にあたります。

26日、聯合艦隊司令部は天一號作戰発動、連日の敵艦上機来襲により三航艦の九州展開は遅延、29日、隊本部は博多に移駐します。

6月10日、新司令・那須和機関大佐が着任します。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


第一三一海軍航空隊
昭和19(1944)年7月10日、呉鎭守府所管の常設航空隊として原駐地を松山海軍航空基地として横須賀において編成(濱田武夫大佐)、第三航空艦隊(聯合艦隊所属)に編入され、第七基地航空部隊(三航艦)指揮官直卒部隊甲航空部隊一三一空部隊に部署され香取基地に配備、錬成にあたります。
新編の偵察第十一飛行隊(陸偵24)、戦闘第八五一飛行隊(丙戦24)が配属されます。

11日、隊主力は第七基地航空部隊東一空襲部隊に部署、本土近海の邀撃及び錬成にあたり、月光3機は同東二空襲部隊(二十七航戰)に部署され南方諸島における作戦に従事します。
隊本部、戰八五一の月光10は香取、偵十一の彗星10は木更津で錬成にあたります。

28日、戰八五一の月光2が硫黄島に進出します。

8月1日、偵十一(彗星10)は東一空襲部隊第二航空部隊(七五二空:木更津)に部署、戰八五一(月光24)は同第五空襲部隊に部署、香取に所在した攻五(彗星25、7月10日進出)、攻二五六(天山25、7月11日進出)は一三一空指揮下に編入され同香取基地部隊に部署されます。

3~5、31~9月2日、硫黄島に敵艦上機が来襲、在地の航空兵力は壊滅してしまいます。

8月21日、偵十一はT攻撃部隊(敵戦闘機が活動困難な気象状況下を突いて攻撃を集中する精鋭部隊、二航艦直属、七六二空司令指揮)への編入(予定兵力は彩雲10、百偵6)を予定し兵力整備を目指します。

9月6~8日、T攻撃部隊第一回総合教練を実施するも、偵十一は通信混乱過多、空間観測不良と判定されます。
12日、偵十一の彩雲(予定兵力)は丹作戦部隊(三航艦指揮)忠部隊に部署され、米機動部隊の泊地攻撃準備を下令されます。

25日、T攻撃部隊の編成が発令されます。

10月3日、偵十一の彩雲5機は硫黄島に進出、4日、サイパン、大宮島を偵察し「敵空母なし」を報告のため、丹作戦は延期され、彩雲は木更津に復帰します。

10日、敵機動部隊がフィリピン侵攻準備として我が航空戦力を減殺すべく沖縄、台湾、南西諸島に来寇、10日0700~1545、5次に渡り艦上機1,300機が南西諸島に来襲(十・十空襲)します。

同日、聯合艦隊司令部は第七基地航空部隊の作戦可能全兵力南九州に集結を下令します。
偵十一は七六二空に転属、偵十二が新編され隊に編入されます。

12日、敵艦上機が台湾に来襲、聯合艦隊司令部は基地航空部隊捷一號、捷二號作戦を発動(台湾沖航空戦)、隊を除く第七基地航空部隊主力は南九州に前進します。

18日、艦船701隻、総兵力7個師團26万名を擁した米軍はレイテ湾口に侵入、聯合艦隊司令部は敵の本格的侵攻と判断し、10月18日、捷一號作戰を発動します。

11月15日、偵十二は七五二空に、戰八五一は北東空に転属、七六一空から隊に攻二五一(艦攻48)が編入されます。
また、七〇一空所属の攻一〇二(艦爆48)、同攻二五二(艦攻48)が隊の指揮下に編入されます。
攻二五一、攻二五二は比島航空戦で消耗し、隊所属、指揮下で再建に入ります。

11月20日、七二一空から攻一〇五(艦爆48)が配属されます。

昭和20(1945)年2月15日、攻一〇五は七六一空に、攻二五一は七〇一空に転属、七〇一空から攻二五六が隊に編入されます(隊の特設航空隊は1隊に)。

16日、敵は硫黄島上陸を直前に我が関東方面の航空戦力を減殺すべく機動部隊3群(銚子南方200㎞、銚子南東250㎞、八丈島西方150㎞)により関東地区の航空基地を空襲、F6F、F4U、SB2C、TBFが7:15~8:05、第1波90機、8:10~8:45、第2波90機、第3波100機、10:35~11:45、第4波100機、12:30~13:10、第5波90機、14:15~15:40、第6・7波450機が来襲します。

三航艦司令部は麾下稼働艦爆、艦攻に犬吠埼120~190°250浬圏内の敵機動部隊の索敵特攻攻撃を下令、1400、敵機動部隊を発見するも効果的な攻撃はできず帰還します。

17日0750、F6F艦戦70~180機が6波に分かれ関東地区の航空基地に来襲、三航艦司令部は隊に退避を下令、0500までに攻一〇五は第一國分、攻二五一は串良に退避します。

24日、敵艦上機来襲の公算大として、三航艦司令部は25日0530を期して艦爆、艦攻は岩國に退避を下令、25日0825、F6F艦戦600機が2波に分かれ中島飛行機㈱小泉製作所、関東北部に来襲します。

3月5日、六〇一空から攻二五四(艦攻48)、七五二空から戰八一二(丙戦24)、戰九〇一(丙戦24)が隊に編入されます(隊の特設航空隊は4隊に)。

17日、聯合艦隊司令部は天一號作戰要領を発令、第七基地航空部隊(三航艦指揮)指揮官(寺岡謹平中将)は第八基地航空部隊(十航艦)から編入の部隊と現指揮下の部隊を整頓、早急に西方への移転準備をするとともに、天一號作戰警戒発令とともに第一機動基地航空部隊指揮官(五航艦司令長官)指揮下への編入を下令します。

20日、北東空から戰八〇四(丙戦24)が隊に編入されます。

26日、聯合艦隊司令部は天一號作戰を発動、隊は戰九〇一、戰八〇四、戰八一二より夜間戦闘の熟練者を抽出し芙蓉部隊(飛行長・美濃部正少佐、零戦、彗星)を編成、関東空司令の指揮下に編入され鹿屋(のち岩川)に前進、少数機により敵制圧下の沖縄各飛行場の機銃掃射、敵機動部隊奇襲、特攻機の進路啓開に従事、また錬成隊は藤枝に配備します。
隊本部は攻二五四(艦攻48)、攻二五六(艦攻48)とともに一三一空部隊を編成、第一機動基地航空部隊指揮官は隊の進出先を串良に指定、30日、芙蓉部隊の零戦、彗星計40機、一三一空部隊の天山33機(攻二五四は「雷風雷撃隊」、攻二五六は「陣風雷撃隊」と呼称)は31日までに串良に前進、在串良の艦攻部隊を隊司令・濱田大佐が統一指揮します。

芙蓉部隊は4月1日1500、彗星3機が鹿屋発進、都井岬160~215°350浬、2日0405、彗星5機、零戦12機、4日0530、彗星2機で奄美大島、屋久島付近に索敵攻撃に出撃しますが会敵できず帰還します。

5日1700、彗星5機、零戦2機は敵哨戒艦艇を夜間攻撃します。

6日0315、彗星8機(2機引き返す)、零戦8機は沖縄周辺の敵艦船群を重爆撃します。

1200、沖縄特別根拠地隊は戦艦9、巡洋艦12隻を基幹とする敵輸送船団を発見、聯合艦隊司令部は菊水一號作戦を発動します。
1535、串良を発進した一三一空部隊は沖縄周辺の敵機動部隊を攻撃、天山5機が体当たりし15名が散華、聯合艦隊告示九十一、第百三十七号により神風特別攻撃隊 菊水部隊 天山隊として全軍布告。
神風特別攻撃隊 菊水部隊 天山隊
操縦/偵察/電信
攻二五六
吉岡久雄 中尉/武下明 少尉/山口武雄 上飛曹
山村英三郎 少尉/植島幸次郎 少尉/飛田與四郎 二飛曹
田中和夫 二飛曹/大倉由人 二飛曹/河瀬厚 二飛曹

攻二五四
熊澤庸夫 少尉/荻原武 一飛曹/川添多喜男 二飛曹
野口吉正 一飛曹/舛見良雄 少尉/望月九州男 二飛曹

同日の司令指揮下の兵力は天山103(実働88)、搭乗員95組(実働83)、九七艦攻47(41)、同47組(41)。

7日1300、芙蓉部隊の彗星3機(誘導1、牽制(電探欺瞞紙散布)2)は陸軍の司偵振武隊(振武櫻特別攻撃隊)4機を援護し鹿屋を発進、彗星1機は故障で引き返し、1229、欺瞞紙散布、1440、司偵振武隊隊長・竹中隆雄中尉機、吉原重發軍曹機は敵艦船群に突入、誘導機・宮田治夫 上飛曹/大沼宗五郎 中尉は「突入、命中」に続き、「我モ敵空母ニ突入ス」を打電し突入散華します。

8日0300、零戦8機で奄美大島東方の索敵攻撃に出撃しますが会敵できず帰還します。

11日の司令指揮下の兵力は天山100(実働79)、搭乗員88組(実働77)、九七艦攻40(34)、同37組(34)。

爾後、芙蓉部隊の零戦、彗星は少数機で沖縄、奄美大島周辺の敵艦船群、敵制圧下の沖縄本島及び周辺飛行場を攻撃、一三一空部隊は指揮下に編入された艦攻特攻隊により体当たり攻撃を実施します。
12日0325、零戦8、彗星9 鹿屋を発進、沖縄本島北、中陸軍飛行場攻撃(零戦3、彗星3未帰還)
13日0344、零戦3、彗星3 都井岬周辺の敵機動部隊索敵攻撃(会敵なし)
14日0555、彗星2 沖縄周辺の敵機動部隊索敵攻撃(会敵なし)
16日0225、零戦4、彗星6 沖縄本島北、中陸軍飛行場攻撃(零戦1未帰還)
17日0313、彗星4、彗星5 火崎周辺の敵機動部隊索敵攻撃(零戦1未帰還)

17日以降、一三一空部隊は編成を解かれ兵力温存に転換、十航艦からの特攻隊配属も4月中旬で中止されます。
隊本部は艦攻隊とともに香取に復帰、兵力再建と錬成に移行します(艦攻隊は18日に香取復帰)。

20日0300、零戦2、彗星11 喜界島南方、奄美大島付近の索敵攻撃(会敵なし)
21日0340、零戦3、彗星6 列島線付近の索敵攻撃(会敵なし)
22日0315、零戦3、彗星9 列島線東方付近の索敵攻撃(会敵なし)
25日0350、零戦3、彗星6 奄美大島付近の索敵攻撃(天候不良で引き返す)
27日黎明、月光3、他隊の彩雲3 敵機動部隊索敵攻撃(会敵なし)
1940、零戦5、彗星12 沖縄本島北、中陸軍飛行場攻撃(零戦1、彗星6引き返す:効果甚大)
28日1950、零戦10、彗星26 沖縄本島北、中陸軍飛行場攻撃(零戦2、彗星7引き返す、零戦1、彗星2未帰還:効果甚大)
29日2050、零戦15 沖縄本島北、中陸軍飛行場攻撃(零戦4引き返す、零戦1、彗星2未帰還:効果甚大)

5月2日、月光8 沖縄本島北、中陸軍飛行場の物資集積場を攻撃(効果甚大)
4日2050、零戦3、彗星15 沖縄本島北、中、伊江島陸軍飛行場攻撃(零戦2、彗星6引き返す:効果甚大)
5日0026、零戦2、彗星12 沖縄本島北陸軍飛行場、慶良間泊地の敵空母攻撃(彗星8引き返す:効果甚大)
7日0200、彗星6 沖縄本島北陸軍飛行場を攻撃
8日0400、彗星3 佐多岬南方の敵機動部隊索敵攻撃(彗星1引き返す、会敵なし)
9日0325、彗星8 敵機動部隊索敵攻撃(会敵なし)、零戦1、彗星2 列島線東方付近の索敵攻撃(会敵なし)
10日0230、彗星2 沖縄本島北陸軍飛行場攻撃、0422、彗星2 奄美大島周辺の索敵攻撃(会敵なし)
11日0220、彗星10 沖縄本島北陸軍飛行場攻撃(効果甚大)

12日、聯合艦隊司令部は第一機動基地航空部隊(五航艦)と第七基地航空部隊(三航艦)で天航空部隊編成(五航艦司令長官指揮)を下令します。
0417、零戦3、彗星3 佐多岬南方の敵機動部隊索敵攻撃(浮上潜水艦以外は会敵なし)

13日0338、零戦3、彗星8 佐多岬南方の敵機動部隊索敵攻撃(同岬144~173°に敵機動部隊発見)
関東空主力とともに芙蓉部隊は岩川に移駐します。

14日0320、零戦2、彗星6 鹿屋150°150浬の索敵攻撃(会敵なし)

15日、三一八空から戰九〇二が一三一空に編入されます。

24日0200、零戦4、彗星10 列島線東方付近の索敵攻撃(会敵なし)

25日、戰九〇二は三五二空に転属します。
0047、零戦4、彗星14 列島線東方付近の索敵攻撃(会敵なし)

26日0430、零戦4、彗星4 列島線左右80浬の索敵攻撃(会敵なし)
27日0235、零戦4、彗星8 佐多岬170~270°200浬圏内の索敵攻撃(会敵なし)
28日0235、彗星2 沖縄本島北陸軍飛行場攻撃(濃霧のため中止)

6月2日夕刻、零戦5、彗星8、天山5 沖縄方面攻撃(天候不良で引き返す)
3日0247、零戦6、彗星6 奄美大島付近の索敵攻撃(1機引き返す、会敵なし)
4日0410、零戦6、彗星9 九州南方、南東の索敵攻撃(会敵なし)
6日0245、零戦6、彗星9 九州南方の索敵攻撃(0450以降天候不良で引き返す)
8日0202、零戦6、彗星10 伊江島陸軍飛行場攻撃(零戦1、彗星6引き返す:敵機なし)
9日0147、零戦5、彗星10 伊江島陸軍飛行場攻撃(零戦1、彗星4引き返す:敵機なし)
10日0130、零戦4、彗星3 沖縄南東海面の索敵攻撃(会敵なし)

15日、新飛行長、芙蓉部隊指揮官・山代繁少佐着任、美濃部少佐は一三一空附に。

21日1900、彗星6 沖縄本島北陸軍飛行場を攻撃(1未帰還)
22日0350、零戦6 九州南方の索敵攻撃(会敵なし)
25日、彗星8 沖縄本島北陸軍飛行場を攻撃、零戦4、彗星1 奄美大島付近の制圧(2114、全機帰還)

7月3日0130、彗星10 伊江島陸軍飛行場攻撃(4引き返す、1未帰還)
4日、零戦3、彗星10 列島線進攻と制圧(会敵なし)
5日0300、零戦4、彗星4 列島線の索敵攻撃を企図(濃霧のため発進中止)

7日、月光10機は天航空部隊夜間攻撃隊(第一機動基地航空部隊指揮官)芙蓉部隊に部署され岩川に配備されます。

15日1755、零戦6、彗星2 対潜掃討
18日1900、彗星10 伊江島陸軍飛行場攻撃、1830、零戦4 諏訪之瀬島方面の制圧
19日0230、彗星10 沖縄本島北陸軍飛行場を攻撃(2未帰還)、0300、零戦10 奄美大島上空制圧
23日1800、零戦3、彗星8 東シナ海の索敵攻撃(零戦2、彗星2引き返す)
25日0130、零戦3、彗星9 九州東方の索敵攻撃(会敵なし)、1730、零戦8 潮岬南東の敵機動部隊索敵(会敵なし)
27日0000、彗星16 沖縄本島北陸軍飛行場攻撃(効果甚大)
28日0300、零戦8、彗星4 九州東方の索敵攻撃(零戦3、彗星3引き返す、会敵なし)、1800、九州東方の対潜掃討
29日0120、零戦4、彗星3 沖縄本島北陸軍飛行場攻撃
新飛行長、芙蓉部隊指揮官・藤村悟中佐が着任します。

30日1800、零戦8 対潜掃討
31日、零戦2、彗星4 敵機動部隊の索敵攻撃(天候不良のため引き返す)
一三一空の零戦2、彗星4は未明に清水市を艦砲射撃した敵艦隊を索敵攻撃するも会敵できず帰還します。

8月1日0100、彗星12 沖縄本島北陸軍飛行場攻撃、0400、零戦4 対潜掃討
5日1800、零戦4、彗星8 九州南方の対潜掃討
6日0300、零戦6、彗星6 敵機動部隊の索敵攻撃
7日1800、零戦4、彗星6 東シナ海の対潜掃討
8日、彗星8 沖縄本島北陸軍飛行場攻撃(効果甚大)
9日、彗星7 沖縄本島北陸軍飛行場攻撃(効果甚大)
11日1745、零戦4、彗星6 列島線の索敵攻撃
13日0400、零戦6、彗星8 九州南方、西方の索敵攻撃
14日、彗星3 索敵攻撃(会敵なし)

8月15日、隊主力は藤枝、香取、芙蓉部隊は岩川において『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
一三一空は停戦まで沖縄方面に延べ600機出撃、60機が未帰還、77名が散華してしまいます。


戰闘第三一〇飛行隊(第六〇一海軍航空隊)
攻撃第一飛行隊(第六〇一海軍航空隊)
攻撃第二五四飛行隊(第六〇一海軍航空隊→第一三一海軍航空隊)
昭和20(1945)年2月11日、第一航空戰隊は復帰、第六〇一海軍航空隊(杉山利一中佐)は第三航空艦隊(寺岡謹平中将、木更津)に編入、第七基地航空部隊第六〇一部隊に部署され、松山から香取基地への移駐を下令されます。
※六〇一空は昭和19(1944)年2月15日、岩國において編成された空母搭載専用部隊であ号作戦、捷一号作戦に参戦ののち、11月15日、松山において再建、錬成中。

12日0800、六〇一空司令は隊の艦攻隊(肥田真幸大尉、天山)、艦爆隊(村川弘大尉、彗星)に香取移駐を下令(在岩國の戦闘機隊(香取頴男大尉)は16日、移駐)、1300、杉山中佐以下本部は輸送機、艦攻、艦爆隊は松山を離陸、1700、香取に移駐します。

14日、三航艦司令部は六〇一空に敵の硫黄島来寇に際し特攻攻撃を、戦闘機、艦攻、艦爆隊から神風特別隊の編成を下令します。

15日1300、硫黄島より「硫黄島160°300浬に敵水上艦艇の大部隊発見」が入電、三航艦司令部は六〇一空に索敵を下令、16日0500、天山4機(索敵)が発進、「敵艦隊は香取基地100°、110°の洋上」を報告、0900、彗星6機で敵艦隊を攻撃しますが天山2、彗星4機が未帰還になってしまいます。

16日、敵は硫黄島上陸を直前に我が関東方面の航空戦力を減殺すべく機動部隊3群(銚子南方200㎞、銚子南東250㎞、八丈島西方150㎞)により関東地区の航空基地を空襲、F6F、F4U、SB2C、TBFが7:15~8:05、第1波90機、8:10~8:45、第2波90機、第3波100機、10:35~11:45、第4波100機、12:30~13:10、第5波90機、14:15~15:40、第6・7波450機が来襲します。
香取は午前中攻撃を受け天山3機が地上撃破されてしまいます。

同日、戦闘機隊の零戦20機は岩國を離陸、関東地区に敵機来襲を知り厚木で給油、霞ヶ浦上空で敵艦上機を邀撃、4機を失ってしまいます。

16日夜、司令・杉山中佐は飛行長・武田少佐、飛行隊長3名を本部に招集、戦闘機12、艦爆12、艦攻8機、計60名により特別攻撃隊の編成、20日の出撃を告げ、家庭事情、人間関係を重視、指揮官は海兵出身、志願者に限る事を条件に隊員銓衡を指示(この際、艦攻隊・肥田大尉は隊の特攻転用を反対)します。

17日0750、F6F艦戦70~180機が6波に分かれ関東地区の航空基地に来襲、戦闘機隊は零戦7機で邀撃、6機撃墜を報じます。
隊の艦爆、艦攻は18日0500以降、岩國に移動待機を下令されます。

同日午後、飛行長は特別攻撃隊の編成と志願者を募集、刻限の夕食後、血書を含め全員が志願したため、志願者から隊員を銓衡、18日、隊長に村川大尉が任命され、攻撃用法の検討の結果、八丈島を前進基地(一三一空飛行長・藤村少佐以下14名が前進)とし主力を彗星とし、彗星は2名、天山は3名搭乗、彗星は敵直掩機が着艦した直後の16~17時に突入、天山は雷装、爆装ともに突入とし、援護が無いため日没後30分頃の1745~1800に突入、零戦は特攻援護、戦果確認ののち父島に着陸、翌日爆装ののち突入に決します。
第一攻撃隊(村川弘 大尉・・・指揮官直率)
爆撃隊 彗星4・・・500㎏
1番機 村川弘 大尉/原田喜太男 飛曹長 ★2月21日
2番機 田中武夫 一飛曹/幸松 正則 上飛曹 ★2月21日
3番機 青木孝充 上飛曹/木下茂 少尉 ★2月21日
4番機 小石政雄 上飛曹/戸倉勝二 上飛曹 ★2月21日

直衛戦闘機隊(戦闘機隊総指揮官:岩下泉蔵 中尉)
零戦4
1番機 岩下泉蔵 中尉 ※⑧⑨⑩
2番機 志村勇作 上飛曹 ★2月21日
3番機 長輿走 二飛曹 ★2月21日
4番機 森川博 一飛曹 ★2月21日

第二攻撃隊(中尉 飯島 晃)
爆撃隊 彗星4・・・500㎏
1番機 大久保勲 一飛曹/飯島晃 中尉 ★2月21日
2番機 水畑辰雄 二飛曹/下村千代吉 上飛曹 ★2月21日 ※③
3番機 小松武 上飛曹/石塚元彦 上飛曹 ★2月21日
4番機 三宅重夫 一飛曹/伊藤正一 一飛曹 ★2月21日
 
直衛戦闘機隊(茨木速 中尉)
零戦4
1番機 茨木速 中尉 ★2月21日 ※②
2番機 松重幸人 一飛曹 ※⑨●
3番機 林光男 二飛曹 ※⑨
4番機 岡田金三 二飛曹 ★2月21日 ※②

第三攻撃隊(小平義男 少尉)
爆撃隊 彗星4・・・500㎏
1番機 小平義男 少尉/新谷淳滋 上飛曹 ※⑪●
2番機 河崎亘 飛長/小林善男 上飛曹 ★3月1日※⑫
3番機 池田芳一 一飛曹/小山照夫 上飛曹 ★2月21日
4番機 北爪円三 二飛曹/牧光廣 上飛曹 ★2月21日

直衛戦闘機隊(柳原康男 少尉)
零戦4機
1番機 柳原康男 少尉 ※⑥
2番機 田邉信行 一飛曹 ※⑤●
3番機 長先幸太郎 一飛曹 ※④●
4番機 古市勝巳 飛長 ※⑤●

第四攻撃隊(定森肇 中尉)
爆撃隊 天山4機・・・800㎏
1番機 木須奨 一飛曹/定森肇 中尉/岡本秀一 二飛曹 ※⑦●
2番機 原口章雄 一飛曹/清水茂 二飛曹/河原茂 二飛曹 ★2月21日
3番機 中村吉太郎 少尉/小嶋三良 上飛曹/叶之人 二飛曹 ★2月21日
4番機 和田時次 二飛曹/信太宏蔵 二飛曹/鈴木辰蔵 一飛曹 ★2月21日

第五攻撃隊(櫻庭正雄 中尉)
爆撃隊 天山4機・・・九一式改三航空魚雷
1番機 村井明夫 上飛曹/櫻庭正雄 中尉/窪田高市 上飛曹 ★2月21日 ※①
2番機 稗田一幸 一飛曹/中村伊十郎 上飛曹/竹中友男 二飛曹 ★2月21日
3番機 佐川保男 少尉/岩田俊夫 上飛曹/小山良知 二飛曹 ★2月21日
4番機 栗之協直 上飛曹/吉田春夫 上飛曹/吉本静夫 二飛曹 ※⑬●

※艦爆は 操縦/偵察、艦攻は操縦/偵察/電信

★・・・突入日時 ●・・・生還

※① 20日、八丈島進出時に脚折損のため4番機に乗り換え
※② 21日、特攻機援護中に未帰還
※③ 21日、故障のため遅れて発進、1700、進撃中に硫黄島東方40浬にてF6F 4機と交戦、撃墜散華
※④ 21日、増槽の吸引不足のため八丈島に引き返す
※⑤ 21日、進撃中、父島北方でF6F 10機と交戦、1機撃墜ののち父島に着陸するも乗機大破
※⑥ 21日、発動機故障のため遅れて発進、進撃中に硫黄島の90°40浬にて
           F6F 4機と交戦し父島に着陸するも乗機大破し散華
※⑦ 故障のため引き返し、1650、父島に不時着の際に乗機大破
※⑧ 21日、特攻援護、戦果確認ののち父島着陸
※⑨-Ⅰ 松重一飛曹:21日、進撃中に硫黄島東方40浬にてF6F4機と交戦、
        爆撃隊下村機撃墜のため父島に帰還するも乗機大破し残留
        林二飛曹:同じく父島に着陸、24日、父島で爆装し出撃するも浮揚せず海中に突入散華
※⑨-Ⅱ 父島に帰還、24日、爆弾架が無く硫黄島に上陸した敵地上部隊への機銃掃射に任務変更
※⑩-Ⅰ 24日1617、爆装し父島発進するも浮揚せず海中に突入し重傷
※⑩-Ⅱ 24日、父島を出撃するも機銃故障のため引き返し、着陸時に海中に突入し重傷
※⑪ 21日、進撃中、父島北方にてF6F 10機と交戦、被弾のため父島に着陸するも乗機大破
※⑫ 21日、⑪同様に被弾のため父島に着陸ののち3月1日1605、再出撃
※⑬ 乗機を櫻庭隊長に譲る
第二御盾隊 村川大尉
▲第二御盾隊隊長・村川弘大尉(海兵七十)
辞世「いにしえの 防人たちの行きしてふ 道をたづねて われはいで征く

19日1000、三航艦司令長官・寺岡中将、同作戦参謀・角田求士中佐、同航空参謀・三澤裕少佐が木更津から来隊、特別攻撃隊は神風特別攻撃隊 第二御盾隊 六〇一部隊と命名され、長官訓示ののち、万歳三唱、乾杯が行われ、隊員は香取神宮を参拝、長官、参謀とともに宴が張られます。
寺岡謹平中将と第二御盾隊
▲第三航空艦隊司令長官・寺岡謹平中将と第二御盾隊隊員

20日、隊の戦闘機隊は戰鬭第三一〇飛行隊、艦爆隊は攻撃第一飛行隊、艦攻隊は攻撃第二五四飛行隊に改編されます。

0800、寺岡中将代理の参謀長・山澄忠三郎大佐臨席のもと別盃が交わされ、0930~1005、司令・杉山中佐、戦友の見送りを受け第二御盾隊32機は香取を離陸八丈島に向かいますが、悪天候のため引き返します。
村川大尉訓示 第二御盾隊
▲出撃直前、村川大尉(台上)の訓示を聞く隊員

21日0800、第二御盾隊は香取を離陸、1000、八丈島に前進、着陸時に村井機は脚を折損してしまいます(粟之機に乗り換え)。

1200、第一、第二、第三攻撃隊12機がそれぞれ50番1発を懸吊し直衛戦闘機隊10機に護衛され八丈島を発進、1613、第二攻撃隊長・飯島中尉は硫黄島東方30浬に敵機動部隊を発見、「突撃體形ヲ作レ」、1614、同三番機・石塚上飛曹は「ユタ(輸送船に体当たりの略)」、「突撃ニ成功ス」、続いて1615、第二御盾隊指揮官・村川大尉は「指揮官航空母艦ニ突入」ののち長符を発信、敵空母に突入散華、任務を完遂します。

1315、第五攻撃隊3機は九一式航空魚雷を懸吊し八丈島を発進、1752、三番機・小山二飛曹は「航空母艦轟沈」、1610、攻撃隊の僚機は「突入ニ成功セリ」、1617、別機は「突入ニ成功」を発信ののち敵空母に突入散華、任務を完遂します。

1400、第四攻撃隊4機は80番1発を懸吊し八丈島に発進、1747、三番機・叶二飛曹は「輸送船ニ體當リス」、1750、四番機・鈴木一飛曹は「輸送船ニ體當リス」を発進ののち敵輸送船団に突入散華、任務を完遂します。

第一、第二、第三攻撃隊は硫黄島東方海域にて敵機動部隊を発見、敵直掩機と交戦し、1651、第二攻撃隊直衛戦闘機隊隊長・茨木中尉機、4番機・岡田二飛曹機が撃墜されてしまいますが、攻撃隊は熾烈な対空砲火を突破し、1703、彗星1機が空母サラトガの艦尾方向から飛行甲板を通過して艦首付近に命中、2機目は飛行甲板を飛び越え海中に突入するも艦首に爆弾を投下し大火災を発生させます。
続いて3機目が舷側に命中し隔壁3枚を貫通し格納庫内に突入し爆発、艦上機、燃料を炎上させ、4機目は対空砲火で片翼を吹き飛ばされ海中に突入するも懸吊した50番が舷側の水線下で爆発、大破孔を開けます。
さらに5機目が飛行甲板に命中、6機目は撃墜され左舷後部に墜落するも懸吊した爆弾が舷側に命中し艦内で爆発、続いて右舷から迫った数機は撃墜されるも懸吊した80番が飛行甲板に命中、甲板5枚を貫通し艦内で爆発、サラトガを撃破します。

1825、第四、第五攻撃隊が戦場に到達、天山1機が護衛空母ルンガポイントに突入するも、護衛空母ビスマルクシーの対空砲火に撃墜され、1945、さらに2機目がルンガポイントに突入、撃墜されてしまいますが、四散した機体が火災を起こしながら飛行甲板を滑走し反対舷に落下、至近弾となり同艦を小破させます。

1950、敵駆逐艦の艦尾を飛び越した1機がビスマルクシーの後部昇降機付近の舷側に命中し格納庫に火災を発生させ、続く2機目が後部昇降機直前の飛行甲板に命中、弾薬、飛行機、燃料を炎上させ、同艦を撃沈します。

第四、第五攻撃隊はさらに防潜網輸送艦キオクク、戦車揚陸艦第477号、同809号にも命中、撃破する大戦果を挙げます。

※彼我の記録は2時間の時差がありますが、状況から空母サラトガは爆撃隊と攻撃隊、護衛空母ルンガポイント、同ビスマルクシーは攻撃隊による戦果と思われます。

同日、在硫黄島の第二十七航空戰隊司令官・市丸利之助少将より「友軍航空機ノ壮烈ナル特攻ヲ望見スル等ニヨリ士気益々昂揚、必勝ヲ確信、敢闘ヲ誓イアリ」と入電します。

22、23日は雨天のため出撃ができませんでしたが、24日、直衛戦闘機隊隊長・岩下中尉、第二攻撃隊直衛戦闘機隊3番機・林二飛曹は爆装し父島を出撃するも、岩下中尉機は浮揚できず海中に突入し重傷、林二飛曹機も浮揚できず海中に突入し散華してしまいます。

異説では直衛戦闘機隊隊長・岩下中尉は第一攻撃隊の突入後、戦果を確認し父島に着陸、また第二攻撃隊直衛戦闘機隊2番機・松重一飛曹、3番機・林二飛曹は故障のため遅れて発進した第二攻撃隊2番機・下村機を護衛して進撃中、硫黄島東方40浬にてF6F4機と交戦、下村機が撃墜されてしまったため父島に着陸、機体を遮蔽すべく地上滑走中に松重機は片脚が窪みに嵌りプロペラが湾曲してしまいます(同機は着陸時大破とも)。
父島には爆弾架が無く、且つ硫黄島守備隊からの要望もあり上陸した敵地上部隊(東海岸の水上部隊とも)への機銃掃射に任務変更、24日、岩下機、林機は父島を出撃するも林機は故障により発進取り止め、岩下機は機銃故障のため引き返しますが、着陸時に右翼を崖に引っ掛け墜落、重傷を負ったとも言われます。

3月1日1605、第三次攻撃隊3番機は50番1発を懸吊し父島を発進、硫黄島周辺の敵艦船群に突入散華、任務を完遂します。


-戰鬭第三一〇飛行隊-
昭和20(1945)年2月20日、横須賀鎭守府所管の特設航空隊(定数甲戦48、内補用12)として、六〇一空戦闘機隊(定数甲戦36、内補用9)を改編(香取頴男大尉)、六〇一空(三航艦所属)に編入されます。
六〇一空は第七基地航空部隊東一空襲部隊(三航艦司令長官直卒)に部署され、香取において兵力整備、硫黄島方面の特攻攻撃(上記「第二御盾隊」戦闘機隊員は当隊附)にあたります。

25日0825、F6F艦戦600機が2波に分かれ中島飛行機㈱小泉製作所、関東北部に来襲、隊は0630、零戦19機を発進させ邀撃、4機撃墜を報じますが杉江克巳中尉が木更津上空で散華してしまいます。

17日、聯合艦隊司令部は天一號作戰要領を発令、第七基地航空部隊(三航艦)は可動全力を本土西部へ転進を準備、第一機動基地航空部隊指揮官(五航艦司令長官)の指揮下に編入を下令されます。

26日、聯合艦隊司令部は天一號作戰を発動、六〇一空は松山に、31日、戰三一〇、戰三〇八(零戦20機)は第一國分に移駐します。

29日、第七基地航空部隊指揮官は天一號作戰において六〇一空は敵の南方、東方よりまた好機において奇襲特攻攻撃を下令します。

31日、六〇一空は第一機動基地航空部隊六〇一部隊に部署されます。

4月1日、大本營陸海軍部は「昭和二十年度前期陸海軍戰備ニ關スル申合」により「陸海軍全機特攻化」を決定します。
同日、米軍が沖縄本島に上陸を開始します。

3日、軍令部は聯合艦隊司令部に対し航空部隊全力による戦局の打開を要請、第一機動基地航空部隊は菊水一號作戦要領を下令します。
隊の零戦は他隊とともに20機で都井岬、種子島、屋久島、5日、同8機で都井岬、種子島、屋久島、口永良部島、黒島、坊ノ岬の移動哨戒に出撃しますが会敵できませんでした。

4月4日、聯合艦隊司令部は敵が制圧した沖縄本島北、中両陸軍飛行場を使用する前の5日乃至6日を期し陸海軍航空戦力全力、及び残存海上戦力を沖縄に集中、海空の攻勢に策応し沖縄守備の第三十二軍も攻勢に転移する事を決し、隊も稼働機により神風特別攻撃隊を編成します。

6日1200、沖縄方面根拠地隊は戦艦9、巡洋艦12隻を基幹とする敵輸送船団を発見、聯合艦隊司令部は菊水一號作戰を発動します。

11日1150、隊の爆装零戦は他隊とともに50機で第一國分を発進、奄美大島南方の敵機動部隊を索敵攻撃、20機が未帰還になってしまいます。
神風特別攻撃隊 第三御盾隊 六〇一部隊
平賀左門 二飛曹

当日の戦果(他隊と合計)
駆逐艦キッド 1機命中 大破
〃ブラード 損傷
護衛駆逐艦サミエル・S・マイルズ 損傷
空母エセックス 損傷
駆逐艦ハンク 損傷 小破

12日1330、隊の零戦は他隊とともに20機で第一國分を発進、機体不調で引き返しが多く攻撃は中止されます。

14日1145、隊の零戦は他隊とともに125機で第一國分を発進、徳之島付近の敵艦上機制圧に向かいますが、紫電隊が敵機と誤認し零戦隊を攻撃したため、引き返します。

15日0600、隊の零戦は他隊とともに52機で第一國分を発進、奄美大島方面の制空に向かい、敵機2機を撃墜するも6機が未帰還、分隊長・奥海眞中尉が散華してしまいます。
1200、隊の爆戦4機は他隊の66機とともに第一國分を発進、敵機動部隊を索敵攻撃、3機が突入します。
神風特別攻撃隊 第三御盾隊 六〇一部隊
青木牧夫 中尉

17日1320、六〇一空の爆戦4機は第一國分を発進、敵機動部隊を索敵攻撃、3機が突入します。
神風特別攻撃隊 第三御盾隊 六〇一部隊
唐渡賀雄 二飛曹
木内美秀 二飛曹
佐藤一志 二飛曹

当日の戦果(他隊と合計)
駆逐艦ベナム 損傷

18日、戦力消耗のため香取に移駐、兵力整備、錬成にあたります。

5月25日、P51戦闘機65機が松戸、所澤陸軍飛行場、28日1235、同30機が千葉、茨城県下の航空基地に来襲、隊は他隊とともに邀撃、31日、堀口正一中尉が香取上空で散華してしまいます。

6月23日1230、敵艦上機75機が茨城県下の航空基地、7月4日1200、P51戦闘機120機が千葉、茨城県下の航空基地に来襲、低空からのロケット弾攻撃により零戦多数が損傷を受け修復に10日かかります。
爾後、隊は決號作戰(本土決戦)に向け邀撃を中止、兵力温存を計ります。

5日1100、P51戦闘機100機が霞ヶ浦、横芝、谷田部各基地、6日1200、同90機が関東地区、8日、1220、同150機が百里原、調布に来襲します。

18日、隊は六〇一空本部とともに第一鈴鹿に移駐、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


-攻撃第一飛行隊-
昭和20(1945)年2月20日、横須賀鎭守府所管の特設航空隊(定数艦爆48、内補用12)として、六〇一空艦爆隊(定数艦爆15、内補用3)を改編(村上弘大尉)、六〇一空(三航艦所属)に編入されます。
六〇一空は第七基地航空部隊東一空襲部隊(三航艦司令長官直卒)に部署され、香取において兵力整備、硫黄島方面の特攻攻撃(上記「第二御盾隊」爆撃隊(彗星)員は当隊附)にあたります。

27日、飛行隊長・村上大尉は第二御盾隊隊長として散華、國安昇大尉が二一〇空附から着任します。

3月1日、隊の兵力は彗星7機(実働6)、九九艦爆3機(実働2)で機材不足により錬成が遅れます。

17日、聯合艦隊司令部は天一號作戰要領を発令、第七基地航空部隊(三航艦)は可動全力を本土西部へ転進を準備、第一機動基地航空部隊指揮官(五航艦司令長官)の指揮下に編入を下令されます。

26日、聯合艦隊司令部は天一號作戰を発動、六〇一空は松山に移駐します。

29日、第七基地航空部隊指揮官は天一號作戰において六〇一空は敵の南方、東方よりまた好機において奇襲特攻攻撃を下令します。

31日、六〇一空は第一機動基地航空部隊六〇一部隊に部署、攻一(彗星14機)は第一國分に移駐します。

4月1日、大本營陸海軍部は「昭和二十年度前期陸海軍戰備ニ關スル申合」により「陸海軍全機特攻化」を決定します。

2日0400、隊の彗星5機は50番1発を懸吊し第一國分を発進、敵機動部隊を索敵攻撃しますが、会敵できず引き返す途中、1機が不時着、高崎孝一中尉が散華してしまいます。

3日、軍令部は聯合艦隊司令部に対し航空部隊全力による戦局の打開を要請、第一機動基地航空部隊は菊水一號作戦要領を下令します。
1510、隊の彗星17機は50番1発を懸吊し第一國分を発進、沖縄北端97°60浬の敵機動部隊を攻撃し、4機が突入、1機が不時着、松浦豊予少尉が散華してしまいます。
神風特別攻撃隊 第三御盾隊 六〇一部隊
操縦/偵察
川部裕 少尉/今村信人 上飛曹
安部茂夫 中尉/古橋達夫 少尉
米谷克窮 少尉/小田憲二 二飛曹
寺岡達二 大尉/五井武男 上飛曹

当日の戦果(他隊と合計)
護衛空母ウェーキ・アイランド 損傷

6日1200、沖縄特別根拠地隊は戦艦9、巡洋艦12隻を基幹とする敵輸送船団を発見、聯合艦隊司令部は菊水一號作戰を発動します。

隊の彗星4機は他隊とともに24機で50番1発を懸吊し第一國分を発進、沖縄北端90°85浬の敵機動部隊を攻撃し、2機が突入します。
神風特別攻撃隊 第三御盾隊 六〇一部隊
杉本孝雄 一飛曹/百瀬甚吾 中尉
川合仁 少尉/

当日の戦果(他隊と合計)
駆逐艦ブッシュ 2機命中 沈没
掃海駆逐艦コルフウン 3機命中 沈没
エモンズ 3機命中 沈没
戦車揚陸船447号 1機命中 沈没
給弾艦ローガンビクトリア 1機命中 沈没
〃ホップスビクトリア 1機命中 沈没
軽空母サン・ハーシント 1機至近 小破
駆逐艦モリス 1機命中 大破
〃ハッチングス 1機至近 小破
〃ロイツエ 1機命中 大破
〃マラニー 1機命中 大破
〃ハリスン 1機至近 小破
〃ニューコム 3機命中 甚大
〃ホーワース 1機命中 大破
〃ヘインスワース 1機命中 大破
〃ハイマン 1機命中 大破
護衛駆逐艦ウイッター 1機命中

7日1120、隊の彗星11機は50番1発を懸吊し第一國分を発進、沖縄北端90°110浬の敵機動部隊を攻撃し、全機が突入します。
神風特別攻撃隊 第三御盾隊 六〇一部隊
中川紀雄 飛曹長/國安登 大尉
倉智宣明 上飛曹/村瀬良吉 二飛曹
松倉弘文 少尉/大島勇 二飛曹
清水雅春 二飛曹/池田榮吉 一飛曹
庄屋次郎 少尉/富樫惣吉 上飛曹
上田博重 一飛曹/上川安則 二飛曹
谷川隆夫 少尉/佐久間務 少尉
工藤双二 少尉/偵察不明
安藤勝 一飛曹/小林久光 二飛曹
山内末廣 上飛曹/
星川清久 一飛曹/

当日の戦果(他隊と合計)
正規空母ハンコック 1機命中 大破
戦艦メリーランド 1機命中
駆逐艦ペネット 1機命中 大破

17日、隊の彗星5機は他隊とともに15機で50番1発を懸吊し第一國分を発進、喜界島155°80浬の敵機動部隊を攻撃し、4機が突入します。
神風特別攻撃隊 第三御盾隊 六〇一部隊
天谷英郎 中尉/右田勇 二飛曹
飯村清一 飛長/
岡田敏男 中尉/和田守圭秀 中尉
真島豊 飛長/

当日の戦果(他隊と合計)
駆逐艦ベナム 損傷

18日、戦力消耗のため第七基地航空部隊に復帰、百里原に移駐、兵力整備、錬成にあたります。

8月9日0600~1720、敵艦上機1,660機が東北地区、郡山の航空基地、飛行場に来襲、1410~1640、隊の彗星は4機1隊として3個攻撃隊12機が50番1発を懸吊し百里原を発進、犬吠埼東方の敵機動部隊を南方から索敵攻撃し、7機が突入します。
神風特別攻撃隊 第四御盾隊
田中幸二 中尉/萬善東一 一飛曹
板橋泰夫 上飛曹/北村久吉 中尉
遠山明 上飛曹/澁谷文男 二飛曹
榊原靖 中尉/岩部敬次郎 一飛曹
原島久仁信 上飛曹/原田敏夫 一飛曹
遠藤良三 上飛曹/増岡輝彦 一飛曹
廣島忠夫 一飛曹/

13日0535、敵艦上機がそれぞれ平塚に20機、横須賀に7機、宇都宮に8機、長野に7機、厚木に11機、藤澤に13機、東京に38機、霞ヶ浦に32機来襲、1330~1500、隊の彗星4機が空襲の合間を縫って50番1発を懸吊し百里原を発進、犬吠埼東方の敵機動部隊を索敵攻撃し、4機が突入します。
神風特別攻撃隊 第四御盾隊
小城亞細亞 中尉/森保 上飛曹
平野亨 中尉/加藤康夫 二飛曹
三橋栄治 中尉/今井勲 一飛曹
武内良之 一飛曹/生津賢裕 一飛曹

15日0530~0730、敵艦上機250機が千葉ほか関東地区に来襲、隊の彗星11機が50番1発を懸吊し百里原を発進、犬吠埼東方の敵機動部隊を索敵攻撃し、8機が突入します。
神風特別攻撃隊 第四御盾隊
谷山春男 中尉/田島平三 一飛曹
田上初治 一飛曹/田中喬 一飛曹
藤本嶺 一飛曹/新井唯夫 二飛曹
岩谷樺王 上飛曹/溝口和彦 一飛曹
永田與四雄 一飛曹/矢上保 一飛曹
川合壽一 上飛曹/水上潤一 中尉
山本好人 上飛曹/勝原通利 中尉
弘光正治 一飛曹/

同日1200、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


-攻撃第二五四飛行隊-
昭和20(1945)年2月20日、横須賀鎭守府所管の特設航空隊(定数艦攻48、内補用12)として、六〇一空艦攻隊(定数艦攻15、内補用3)を改編(肥田眞幸大尉)、六〇一空(三航艦所属)に編入されます。
六〇一空は第七基地航空部隊東一空襲部隊(三航艦司令長官直卒)に部署され、香取において兵力整備、硫黄島方面の特攻攻撃(上記「第二御盾隊」爆撃隊(天山)員は当隊附)にあたります。

3月5日、攻二五四は一三一空(三航艦所属)に転属、一三一空は第七基地航空部隊東一空襲部隊に部署され、引き続き香取において兵力整備、錬成にあたります。

一三一空の艦攻特設航空隊、攻二五四、攻二五六の合計兵力は天山21(実働10)、九九艦爆5(同1)で機材不足により錬成が遅れます。

17日、聯合艦隊司令部は天一號作戰要領を発令、第七基地航空部隊(三航艦)は可動全力を本土西部への転進を準備、第一機動基地航空部隊指揮官(五航艦司令長官)の指揮下に編入を下令されます。

25日、聯合艦隊司令部は天一號作戰警戒を発令、26日、敵は沖縄方面に来寇、同作戰を発動します。

30日、隊は三航艦麾下の艦攻隊とともに串良に移駐、31日、隊の天山は他隊とともに21機で串良を発進、沖縄周辺の敵機動部隊を夜間攻撃、11機が未帰還、1機が不時着、隊の橋本暎一郎大尉が散華してしまいます。

4月1日、敵機の空襲を受け分隊長・松田雄吉大尉が散華してしまいます。

17日、一三一空は戦力消耗のため兵力温存に転換し隊本部は香取に移駐、18日、攻二五四は第七基地航空部隊に復帰、香取に移駐、兵力整備、錬成にあたります。

5月6日2337、隊の天山は他隊とともに3機、月光2、四式重爆3機とともに宮崎を発進、敵制圧化の沖縄本島中、北各陸軍飛行場を夜間攻撃、2機が未帰還、隊の木村忠義予少尉が散華してしまいます。

20日2100、隊の天山は他隊とともに3機で串良を発進、沖縄周辺の敵艦隊を夜間攻撃します。

爾後、香取において決號作戰(本土決戦)に備え錬成にあたるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。


主要参考文献
『旭市史 第2巻 近世北部史料編』(昭和48年 旭市史編さん委員会 旭市役所)

『飯岡町史』(昭和56年 飯岡町史編さん委員会 飯岡町)

『千葉県の歴史 通史編近現代2 県史シリーズ 7』(平成18年 千葉県史料研究財団 千葉県)

『学校が兵舎になったとき 千葉からみた戦争一九三一~四五』(平成16年 千葉県歴史教育者協議会 青木書店)

『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧(三)~(六)』 (平成21年 渡辺博史 楽學庵)

『歴史街道 平成20年8月号』(平成20年8月 PHP研究所)

『神風特別攻撃隊』 (平成7年11月 ㈱モデルアート)

『南溟の果に』(昭和35年4月 安延多計夫 自由アジア社)
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
検索フォーム
正定事件の真実
戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ジャンルランキング
[ジャンルランキング]
地域情報
66位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
4位
サブジャンルランキングを見る>>
月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
--------------
掲載写真、図面、資料、文章の
無断転載は禁止します。
当ブログを参照した際は度合いによらず必ず引用明記のうえリンクを張ってください。

リンク
Twitter @yuukyuunotaigi
最新コメント
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる