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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

舘山海軍砲術學校 東砲台・配水池

館山市に所在した舘山海軍砲術學校に隣接して東砲台、配水池がありました。
A 砲座 内部 パノラマ写真 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲山頂に遺る東砲台の三番高角砲砲座

【探索日時】
平成27(2015)年4月1日





舘山海軍砲術學校 東砲台・配水池について
舘山海軍砲術學校は海軍砲術學校が管掌していた陸戦(基礎教育を除く)、防空教育のうち士官を対象とした海軍砲術學校學生の特修科、専攻科學生、及び予備士官候補者を対象とした兵科豫備學生、及び兵科豫備生徒教育の全部、下士官兵を対象とした普通科・高等科海軍砲術學校練習生、下士官候補練習生、海軍練習生(所謂“特年兵”)教育の全部を管掌、陸戰科において陸戰隊司令、大隊長、及び陸戰隊員に必要な、防空科において防空砲台長、及び防空砲台員に必要な素養をそれぞれ教授、のちに化学兵器科が新設され海軍唯一の化学兵器教育も教授しました。
※詳細は前記事『舘山海軍砲術學校』を参照

昭和16(1941)年5月、学校用地の造成完了とともに横須賀海軍施設部の中里七郎技手の指揮で東砲台の設営を開始、続いて田中工務店の指揮で西砲台が設営されます。
砲台には高角砲、機銃のほか聴音機、探照灯と防空教育に必要な機材が一通り揃っており、射撃演習は舘山海軍航空隊の艦攻、水偵、陸攻が引く吹き流しを目標に射撃演習が行われます。

備砲は東砲台、西砲台ともに山頂部の12.7㎝連装高角砲3基以外は資料が無く詳細不明です。
『戦跡散策』(また旅倶楽部)の再現図では東砲台は山頂の12.7cm連装高角砲の下段に12cm単装高角砲3基、8cm単装高角砲2基、さらにその下段に25㎜連装機銃4基が描かれていますが、現地を探索したところ12.7㎝連装高角砲3基、25㎜(連装乃至3連装)機銃4基と思われます。
なお西砲台は詳細不明ですが、東砲台と同等の配備だったと言われます。

昭和19(1944)年2月16日、関東地区は初めて敵艦上機の空襲を受けますが、両砲台の備砲は既に転用され木製の偽砲が据え付けられていた様です。

戦後、配水池、砲台は大蔵省に移管され配水池は三芳水道企業団に払い下げられ、昭和46(1971)年、舘砲跡地に建設された佐野浄水場の配水池に転用、西砲台のあった山は昭和40年代中盤から開発が始まり、平成2(1990)年、砲座一帯が造成され遺構は消滅、東砲台は放置され現在に至ります。


遺構について
舘山海軍砲術學校に隣接した南東の山上に東砲台、配水池がありました。
舘山海軍砲術學校 東砲台は大津島高角砲台、佐世保の田島岳(弓張)高角砲台に見られる様なコンクリートが打設された初期型の砲座があった様ですが戦後、徹底的に破壊され殆ど原型を留めていません。
資料には接収された際に爆破された描写が無い事、周辺の状況、残骸の形状から、朝鮮戦争時の金へんブームよりに鉄筋泥棒に襲撃されたと思われます。
-東砲台-
●機銃座
山道の途中にあります。
『戦跡散策』の再現図を信じるならD・E・Fが12cm単装高角砲砲座、G・Hが8cm高角砲砲座となるのですが、探索すると砲座は4基しか無く、いずれも規模から機銃座と思われ高角砲砲座の痕跡はありませんでした。

全ての銃座が鉄筋泥棒に襲撃されており(犯行の痕跡として全国的に見られる細かく割ったコンクリート片が散乱)、背後の背檣?の様なコンクリート塀が遺る程度です。
東砲台 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲東砲台 詳細図

D 四番機銃 銃座
Dク 砲座 西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲全景

Dク 砲座 近影 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲ク銃座近影
 八角形に整形されている事から木造の砲床があったと思われます

Dケ 南西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲ケ背檣

Dサ 西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲反対側のサ背檣

D 西側土塁 上南から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲銃座前面にある土堤

E 三番機銃 銃座
上記同様の状況です。
Eシスセソ 南西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲正面から見た全景

Eシ 砲座 南東から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲シ銃座近影

Eスセソ 北西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲原型も不明なス・ソ背檣

Eス 西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲ス背檣に遺る金属部

F 二番機銃 銃座
こちらの銃座は徹底的に破壊されています。
Fタチツテ 北西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲正面から見た全景

Fタ 砲座 北西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲鉄筋泥棒の犯行の痕跡が残る銃座

Fチツテ 北西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲比較的原型の遺るチ・テ背檣
 全て中央が破壊されている事から、ここに鉄筋の入った部分があった様です

G 一番機銃 銃座
笹に埋もれて見にくいですが、辛うじて背檣が遺ります。
Gト 砲座 南東から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲ト銃座
 埋もれていますが、鉄筋泥棒に破壊されたコンクリート片が散らばります

Gナニヌ 南西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲ナ・ヌ背檣
 状態は最も悪いです

Gナ 西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲ナ背檣
 上端に柱を嵌めていた?切り込みがあります

機銃座のある削平地から崖状の斜面を降った下段に建物の基礎が遺ります。
基礎の形状から発電機置場の様ですが詳細不明です。
ネノ 北から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲ネノ 全景

ノ 北東から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲ノ 基礎

O 掘り込み
O E東側の掘り込み 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

M 掘り込み
位置的に機銃砲台の弾薬庫に思いますが不明。
M 掘り込み 北から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)


●八九式十二糎七聯装高角砲砲座
山頂の南西端にコンクリート製砲座が3基並んでいましたが、全てが鉄筋泥棒の襲撃を受け徹底的に破壊されています。
東砲台 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲東砲台 詳細図

A 三番砲 砲座
胸檣の一部(8ヶ所)が遺る程度です。
A 砲座 内部 パノラマ写真 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲全景

A 砲座 内部 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲砲床の跡
 明らかに鉄筋泥棒の仕業

A 砲座 砲側弾薬置場1 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲胸檣の一部

A 砲座 砲側弾薬置場6・7・8 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲胸檣の一部

A 砲座 砲側弾薬置場7・8 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲階段の跡

A 砲座 イ 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲イ待機所跡の窪地
 本来は小部屋と砲床の下に続く地下通路があったと思われます

B 二番砲 砲座
三番砲砲座と同様、胸檣の一部(6ヶ所)が遺る程度です。
B 砲座 内部 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲全景

B 砲座 ウ 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲砲床の跡

B 砲座 砲側弾薬置場4・5・6 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲胸檣の一部

B 砲座 砲側弾薬置場5・6 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲階段の跡

C 一番砲 砲座
同じく状態は最悪の部類、3基の中で最もコンクリート残存部が少ない(2ヶ所)砲座です。
C 砲座 内部 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲全景

C 砲座 砲側弾薬置場2 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲胸檣の一部

C 砲座 キ階段 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲階段の跡


●空中聴音機
山頂の最高点に土製の遺構が遺ります。
全体的に埋まっているうえ草が繁茂しており見難いです。
東砲台 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲東砲台 詳細図

あ 掩体
聴音機置場と思われます。
Iあ 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲掩体内部

Iあ 南側の階段 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲掩体南側にある階段

い 掩体
Iい 南から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

う 通路
Iう 南から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

え 待機所
Iえ 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

お 待機所
Iお 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)


●探照灯
こちらも土製の遺構で全体的に崩れているうえ草が繁茂しており見難いです。
東砲台 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲東砲台 詳細図

こ 掩体
探照灯置場と思われます。
Jこ 円形窪地 西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

さ 掩体
Jさ 南から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

し 掩体
Jし 東から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

け 円形窪地
Jけ 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

そ 便所基礎
小便器3(左)、大便器1(右)があります。
こちらも鉄筋泥棒の襲撃を受けボロボロです。
Jそ 便所基礎 東から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲全景

Jそ 便所基礎 南東から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲便器部分

た 掘り込み
Jた 地下壕跡? 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

ち 掘り込み
Jち 掘り込み 南東から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)


●建物跡
『戦跡散策』では“兵舎”となっていますが、山を降りたところに兵舎がある事、遺構の状況から上記の空中聴音機の格納庫、もしくは休憩所と思われます。
東砲台 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲東砲台 詳細図

K 削平地
K 削平地 東から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)

く 基礎
コンクリート基礎が遺ります。
Kく 基礎 西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲南西の隅

Kく 基礎 南から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲南東の隅

Kく 基礎 北から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲北東の隅

K→か 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲山頂の空中聴音機へ続く“か”通路

K→き道 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲山道方向に続く“き”通路


L 掘り込み
位置的に高角砲の電源を供給する発電機置場の様に思いますが不明。
L 掘り込み 南西から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)


N 掘り込み
位置的に水道施設と思われますが詳細不明です。
N 方形掘り込み 北から 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲付近に散乱するコンクリート片


-配水池-
山頂付近にあった3連の配水池は昭和46(1971)年、三芳水道企業団に払い下げられた際に改修されてしまいました。
東砲台 館山海軍砲術学校 東砲台(千葉館山)
▲東砲台 詳細図

a 配水池
a 貯水槽 北から 館山海軍砲術学校 配水池(千葉館山)
▲門柱
 戦後の物と思われます

a 貯水槽 北西から 館山海軍砲術学校 配水池(千葉館山)
▲配水池の現状
 左側に僅かに見える部分が当時の物と思われます


b 減圧室
上記の配水池から繋がり、水圧を下げる水道施設で山道の途中に遺りますが大破しています。
破壊の状況から鉄筋泥棒による襲撃の可能性大ですが、鉄筋が入っていないため途中で放棄された様です。
b 減圧室? 南から 館山海軍砲術学校 配水池(千葉館山)
▲全景(掃除前)

b 減圧室? 南から (2) 館山海軍砲術学校 配水池(千葉館山)
▲全景(掃除後)
 かなり掃除しました

b 減圧室? 南西から 館山海軍砲術学校 配水池(千葉館山)
▲側面

b 減圧室? 北西から 館山海軍砲術学校 配水池(千葉館山)
▲裏側

b 減圧室?内部 東から パノラマ写真 館山海軍砲術学校 配水池(千葉館山)
▲室内


主要参考文献
『消えた砲台-少年と館山砲術学校』(平成3年10月 山口栄彦 東銀座出版社)

『戦跡散策』(また旅倶楽部)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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