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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

海軍潜水學校 平生分校

美しい景観で知られる平生町に海軍潜水學校 平生分校が所在しました。

同分校は後に柳井分校に改称、回天の錬成にあたる平生突撃隊が併設されます。
F 北東から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲山中に遺る耐弾施設

【探索日時】
平成19(2007)年11月27日、平成27(2015)年2月27日、令和4(2022)年4月1日





海軍潜水學校 平生分校について
海軍潜水學校は「海軍将校、兵科及び機関科特務士官、准士官、下士官兵をして潜水艦に関する枢要なる実務を練習せしめ之に対し潜水艦に関する学術を教授するところ」とされます。

昭和14(1934)年11月、我が国が実行中の『第四次海軍軍備充實計畫』(通称「マル四計畫」)を凌駕する米国の第三次ヴィンソン案の概要を入手した軍令部は『第五次海軍軍備充實計畫』(「マル五計畫」)の案画を開始、昭和16(1941)年5月、実行可能な事項を先行実施すべく『情勢ニ應ズル軍備缺陥補充ノタメノ臨時追加軍備計畫』(マル臨計畫)を策定し、9月1日、成立させます。

昭和17(1942)年6月7日、ミッドウェー海戦の結果(戦訓)を受けた軍令部は従前の軍備計画、及び実行中のマル五計畫を改定、航空兵力の急速かつ画期的な増勢、航空母艦の緊急増勢、潜水艦の増勢を骨子とし、9月、「改マル五計畫」を策定し随時実行します。

マル五計畫において各種45隻が計画された潜水艦は改マル五計畫では139隻に増勢され、他艦種の新造、損傷艦の修理と各海軍工廠は繁忙を極めるなか、海軍省は急増した潜水艦計画に対応すべく専用の工廠である「潜水艦廠」の建設を計画、呉及び潜水艦訓練に適した瀬戸内海西部の近傍で江戸時代からの塩田、農地が広がり、かつ陸地から急深になる山口県熊毛郡佐賀村の阿多田半島を選定します。

12月、魚雷に関する教育を管掌していた海軍水雷學校から潜水艦用の魚雷教育が海軍潜水學校(広島県佐伯郡大竹町)への移管が決定、また潜水艦乗員の掌潜航兵制度発足に伴い、練習生2,000名の収容が予定されますが、日本化成工業㈱と大竹海兵團に挟まれた海軍潜水學校は兵舎敷地のこれ以上の拡張が不可能な事から、海軍省は潜水艦廠用地として選定していた阿多田半島に分校建設を決定します。

呉海軍建築部は佐賀村の50町歩を校地、曽根村の5町を営外宿舎、5反を配水池用地として各役場を訪問し村長に用地買収を告げるとともに協力を以来、各地権者を招集し時局の推移を説明したうえで用地を買収、昭和18(1943)年3月、佐賀村に呉海軍建築部田名工事事務所を開設し設営を開始しますが、戦局の進展に伴い建築資材不足から工事は遅延してしまいます。

また、潜水艦の建造計画も度々修正され、海上護衛兵力充実に伴う特務艦の増勢、航空兵力優先により潜水艦の建造が低調になった事から乗員に若干の余裕が生じたため、潜水學校施設拡張計画は大幅に縮小(分校は13,000坪(4.3町)に)され、昭和19(1944)年4月1日、海軍潜水學校 平生分校(長井武夫大佐)が開校、海軍潜水學校 呉分校より教育中の掌水雷練習生、潜水艦講習員を転属させ、また第一期普通科潜航術水雷練習生が入校し、5月1日、教育を開始します。
海軍潜水學校 平生分校 (山口平生)
▲海軍潜水學校 平生分校における点呼の風景
 右側が本部庁舎、左側は手前から要具庫、物品購買所、第二工作場

昭和20(1945)年2月10日、第一特別基地隊附・澤村誠二大佐は呉海軍施設部平生出張所(旧呉海軍建築部田名工事事務所)において新設訓練施設の開設準備を開始、海軍潜水學校 平生分校西隣の遊休地に施設の設営を開始、3月1日、平生突撃隊が開隊し回天搭乗員の錬成を開始します。
平生施設のみ (山口平生)
▲部隊、建物配置

8月10日、平生分校は柳井分校に改称、15日1200、分校長・西野大佐以下、教官、職員、學生、練習生は『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の在校生は學生325名、練習生2,040名でした。

21日、海軍大臣より第一次解員が指示され(9月1日付け)、22日、柳井分校は解員を開始、9月15日、海軍潜水學校は閉校します。

8月28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定(大正11年1月28日、勅令第十五號『國有財産法施行令』)により海軍施設は内務省を通じ大蔵省に移管(中国財務局が管理)されます(31日、連合軍は全陸海軍用地の接収を示達して来ます)。

9月22日、佐世保に米第6軍指揮下の第5水陸両用軍団(ヒル中将)が上陸、隷下の第5海兵師団が長崎県北部、福岡県、山口県、佐賀県、大分県に進駐を開始、31日、海軍潜水學校 柳井分校(以下「分校」)、平生突撃隊(以下「突撃隊」)は接収され、兵器、軍需品の処理が開始され、回天は解体され祝島周辺海域に海中投棄されます。
12月、分校、突撃隊は米第32歩兵師団、昭和21(1946)年1月31日、米第2海兵師団、3月23日、英連邦軍第9ニュージーランド旅団に移管されたのち、6月、NZ軍の撤退に伴い、大蔵省に返還されます。

昭和20年9月24日、農林省は各地方長官に「軍用地ノ農耕地転用ニ関スル件」を発令、11月9日、政府は『緊急開拓事業実施要領』を閣議決定、昭和21(1946)年10月21日、『自作農特別措置法』(法律第四十三号)が公布され、突撃隊西側の庁舎地区2町4反が農林省に移管され農地として開放、引揚者により開墾が開始、分校営外宿舎、東端の魚雷実習場一帯が平生町に払い下げられ引揚者住宅に転用されます。

昭和23(1948)年、10月、平生町、大野村、曽根村、佐賀村住民による反対運動が興るなか、分校本部及び兵舎、突撃隊兵舎地区は法務省に移管され特別少年院「新光学院」が開院します(爾後、昭和33年5月、平生町議会臨時会で移転要望が議決されるなど「新光学院問題」として地元の懸念に)。

昭和28(1953)年7月、突撃隊南側の魚雷修理場一帯が松庫商店㈱(東京都に本社、船舶解体、サルベージ業、のちに港湾土木が主要業務に)に払い下げられ同社光作業所の佐賀分工場(昭和33年、光作業所を統合廃止し平生工場に改称)として転用されます。
昭和38(1963)年8月、松庫商店㈱から松庫海事㈱が分離独立、昭和40(1965)年2月、平生町が国の『工業整備特別地域整備促進法』(誘致された企業は税制が優遇)の指定を受けた事に伴い、昭和46(1971)年2月、松庫海事㈱と業務提携した極東マックグレゴー㈱(鋼製ハッチカバー製造)を誘致、松庫海事㈱平生工場の敷地の一部を分譲され進出して来ます。

昭和53(1978)年、新光学院は業務停止、平成11(1999)年、廃止され、平成13(2001)年、全建物が解体されてしまいます。

平成3(1991)年、極東マックグレゴー㈱は事業を㈱中田組に譲渡、同社は㈱ナカタ・マックコーポレーションに改称、平成15(2003)年1月23日、松庫海事㈱の倒産により㈱ナカタ・マックコーポレーションは松庫海事㈱の敷地を取得し、平成29(2017)年、平生工場を移転、旧工場地は平生町に払い下げられます。

新光学院跡地の一部は大蔵省より平生町に払い下げられ、平成16(2004)年、平生港港湾改修事業に伴う平生港田名埠頭臨港道路、11月6日、阿多田交流館が竣工し現在に至ります。


遺構について
海軍潜水學校 平生分校
上記の様に建物類は20年ほど前に全て滅失してしまいましたが、地下施設が遺ります。
A 門柱?
水産大学校田名臨海実験実習場の入口にあります。
平生分校時代もこの場所に校門があったのですが、当時の遺構か不明です。
石積みで切断された国旗掲揚具が遺るのですが、ニュージーランド軍接収時の写真を見ると違うような???
A 校門(遺構?) 北から (2) 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲遠景
 現在は昭和29年に架橋された「阿多田橋」となっていますが、当時は「若櫻橋」でした

A 校門(遺構?) 北から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲近影

A 校門門柱(遺構?) 東側 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲左側の門柱


B 電池庫
平生分校の遺構として最も有名な地下施設です。
蛟龍、海龍の蓄電池が格納されていた様ですが、戦後に転用した際に入口が改修され扉が付けられた様です。
B 北西から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲爆風避けの衝立があります

C 地下壕 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲初回探索時
 扉に色が塗られていました

B 北東から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲入口

B 内部 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲内部
 5m程度です

B 上部の換気口 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲上部にある換気塔
 謎の把手が両側にあるなど変わった形をしています


C 地下壕
ブロックで閉鎖されています。
内部はゴミ、埋戻しで良く見通せませんが、巻立も圧潰しており奥は崩落している様です。
D 擁壁 C 壕口(中央ブロック) 北西から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲壕口

C 内部 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲内部


D コンクリート擁壁
C地下壕の両側にあります。
D 擁壁西側 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲地下壕西側

D 擁壁東側 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲地下壕東側


E 工作機械庫
私有地の奥に遺ります。
内部は10m程で崩落しています。
E 北西から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)

E 内部 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲内部


F 耐弾施設
かなり強固な爆風避けが附いていますが、室内は狭く用途が限られる事から重要な物、例えば御真影、勅語等の奉安庫では無いでしょうか?
F 北東から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲全景

F 北東から (2) 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲入口

F 内部 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲内部

F 最奥の窪み 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲最深部にある謎の空間

F 最奥の窪み (2) 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲奥行きも無く何の空間か不明

F 最奥の窪み (3) 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲下にも何も空間はありません

F 最奥から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲最深部から壕口


abde 円形窪地
山の中腹に海側を向いて半円状に配置されている事から機銃砲台の様に思うのですが、平生分校には陸戦用の小銃しか無く詳細不明です。
a 円形窪地 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲a円形窪地

b 円形窪地 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲b円形窪地

d 円形窪地 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲d円形窪地

e 円形窪地 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲e円形窪地


G コンクリート擁壁
用途不明です。
隣地の御婦人によると上部は削平地になっておりワラビが良く採れるとの事です。
G 擁壁 北東から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲全景


H 半地下施設
私有地の奥に遺ります。
山の斜面を削り造られ、通路を通って部屋に入りますが屋根は無く水槽の様な形状をしています。
資料では「発電所の壁」となっていますがこれだけの施設の発電機室にしては小さく、またディーゼル発電機の基礎も無いため誤りと思われます。
かと言って何か?と言われると詳細不明で、通路があるのですが非常に狭く、退避所かも知れません。
半分(通路部分)はツタに覆われていたので掃除しました。
半地下詳細H 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲見取図

H 半地下施設(掃除前)北東から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲掃除前の全景

H 半地下施設(掃除後)北東から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲掃除後
 左側が部屋、右側は通路

H 半地下施設 倒壊している入口 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲通路近影
 通路の外壁は倒壊し入口を塞いでいます

H 半地下施設通路内部→本体 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲外壁を乗り越え進入

H 半地下施設通路内部←本体 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲通路から倒壊している外壁方向

H 半地下施設本体内部 北東から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲室内
 床面は水が溜まりグズグズです

H 半地下施設本体内部 西から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲室内から通路方向

H 半地下施設通路 北西上から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲上から見た通路

H 半地下施設本体 西上から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲上から見た全景

※使用者の許可を得て立ち入り掃除しています。


I 半地下施設
畑の際に遺ります。
上記と同じく隧道式の通路を通り室内に入りますが部屋は同じく屋根がありませんが、こちらは室内に区切りがあり3部屋に分かれています。
同じく用途不明です。
半地下詳細I 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲見取図

I 半地下施設 入口隧道 (2) 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲入口遠景

I 半地下施設 入口隧道 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲入口から通路隧道

I 半地下施設 2←入口 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲通路を抜け部屋2
 内部はイバラが繁茂しており通過も困難な状態でした

I 半地下施設 2→入口 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲振り返って通路方向

I 半地下施設 2→3 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲部屋2と3の隔壁

I 半地下施設 3奥 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲部屋3

I 半地下施設 1←2 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲部屋1

I 半地下施設 1 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲部屋1内部
 掃除できるレベルに無いです・・・


地下壕崩落跡
農道沿いの斜面に遺ります。
竹林が荒れており近付けません。
J 崩落跡 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲J 崩落跡

K 崩落跡 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲K 崩落跡

L 崩落跡 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲L 崩落跡


M 地下壕
私有地の奥に遺ります。
コンクリート廃材で閉鎖されていますが隙間から進入、埋め戻し部分を匍匐で進みましたが、内部は10m程で崩落していました。
土地所有者に取材したところ「この斜面に地下壕はこれしか無かった」との事です。
M 地下壕(閉鎖) 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲壕口

M 内部←壕口 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲壕口から内部

M 内部 奥 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲奥


O 防空監視哨
山の稜線に遺ります。
残念ながら転倒しています。
O 防空監視哨(転倒) (2) 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲全景

O 防空監視哨(転倒) 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲近影


P 円形窪地
北西に入口がある機銃座の様ですが、詳細不明です。
P 機銃座 南から 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲円形窪地
 光の具合でよく分かりません・・・

P 機銃座北西の入口 海軍潜水學校平生分校(山口平生)
▲入口


供用部隊
海軍潜水學校 平生分校
昭和17(1942)年12月、魚雷に関する教育を管掌していた海軍水雷學校から潜水艦用の魚雷教育が海軍潜水學校(広島県佐伯郡大竹町)への移管が決定、また潜水艦乗員の掌潜航兵制度発足に伴い、練習生2,000名の収容が予定されますが、日本化成工業㈱と大竹海兵團に挟まれた海軍潜水學校は兵舎敷地のこれ以上の拡張が不可能な事から、海軍省は潜水艦廠用地として選定していた阿多田半島に分校建設を決定します。

昭和19(1944)年4月1日、山口県熊毛郡佐賀村に海軍潜水學校 平生分校(長井武夫大佐)が開校、海軍潜水學校 呉分校より教育中の掌水雷練習生、潜水艦講習員を転属させ、また第一期普通科潜航術水雷練習生が入校し、5月1日、教育を開始します。

昭和20(1945)年3月25日、第三期豫備學生、第六期豫備學生、第三期豫備生徒439名が入学、豫備學生教育を開始します(4月21日、全員が本校に転属)。

4月1日、新分校長・杉浦矩郎大佐が着任します。
同日、3月31日に入学した第四期普通科潜航術水雷練習生、教育中の掌水雷練習生、潜水艦講習員を全て本校に転属させ、本校から「蛟龍」、「海龍」の搭乗員となる學生(士官1ヶ月、士官候補生1ヶ月半、予備学生2ヶ月)、練習生(豫科練習生2ヶ月)教育を平生分校に集約、同日より下記の通り特殊潜航艇艇長、乗員教育を開始します。
特殊潜航艇艇長 講習
4月1日 入校

・海軍兵學校 第七十四期生(少尉候補生)、海軍機關學校 第五十一期生(〃)124名
 →4月30日(蛟龍、海龍)、修了し大浦崎、横須賀各突撃隊へ

・豫備學生 第五期(少尉候補生)、豫備生徒 第二期(〃)323名
 →5月31日(蛟龍、海龍)、修了し横須賀、小豆島各突撃隊へ

6月 入校
 ・高等商船学校卒業者(少尉)38名
 →7月、修了し大浦突撃隊へ

6月9日 入校
・豫備學生 第五期(少尉候補生)、豫備生徒 第二期(〃)325名
 →蛟龍、海龍艇長講習中に停戦

特殊潜航艇搭乗員 講習
4月1日 入校

・横須賀海軍通信學校 第十四期生、防府〃 第十四期生730名
 →5月15日(海龍)、6月15日(蛟龍)、修了し横須賀、小豆島、第十一各突撃隊(油壷)、Q基地(倉橋島大迫)へ

・甲種飛行豫科練習生 第十三期生(宝塚、奈良空)、同第十四期生(滋賀空)1,000名
 →5月31日(海龍)、6月3日(蛟龍)、修了

5月31日 入校
・甲飛 第十四期生(宝塚、滋賀、美保空)、横須賀海軍通信學校 第十五期生、防府〃(〃)1,440名
 →蛟龍講習中に停戦

・甲飛 第十四期生(西宮空)600名
 →海龍講習中に停戦

昭和20(1945)年5月21日、『特攻兵器要員講習規定』(官房機密第二百八十四號)が制定されます。
講習区分
 蛟龍、海龍、回天ともに搭乗員及び整備班員に区分

搭乗員講習科目
 戦術要務の大要、局地戦闘法、操縦法、航法、襲撃法、機構性能、取扱整備法の大要、基地設置、運搬法

整備班員講習科目
 性能、取扱整備法、基地設置、運搬法

攻撃隊員教育
蛟龍
術科教育は海軍潜水學校において同校長を指導官として、錬成教育は大浦突撃隊において第二特攻戰隊司令官を指導官として修習
艇長たる士官、兵科士官候補生は術科教育1ヶ月、錬成教育4ヶ月
艇長たる豫備士官、飛行兵、艇員たる飛行兵は術科2ヶ月、錬成4ヶ月

海龍
錬成教育は第十一突撃隊(油壷)、第十六突撃隊(下田)において第一特攻戰隊司令官を指導官とする以外は蛟龍と同一

回天
術科教育(期間中、海軍潜水學校に派遣し襲撃法を講習)、錬成教育は第二特攻戰隊において同司令官を指導官として修習
搭乗員たる士官、兵科士官候補生、豫備士官、飛行兵は術科教育1ヶ月、錬成教育2ヶ月

基地隊員(整備班員)教育
蛟龍
錬成教育は大浦突撃隊において第二特攻戰隊司令官を指導官として修習
整備班員たる士官、豫備士官、特務士官、准士官、下士官、兵(兵科士官候補生、飛行兵は含まれず)は術科教育の期間、場所は別定とし、錬成教育2ヶ月

海龍
錬成教育は第一特攻戰隊において第一特攻戰隊司令官を指導官として修習する以外は蛟龍と同一

回天
錬成教育は第二特攻戰隊において第二特攻戰隊司令官を指導官として修習する以外は蛟龍と同一

7月、本土空襲の激化に伴い平生分校は退避壕の設営とともに東側の丸山の山間地に三角兵舎を急設し疎開を開始します。

7月10日、新分校長・西野耕造大佐が着任します。

8月10日、平生分校は柳井分校に改称します。

15日1200、分校長・西野大佐以下、教官、職員、學生、練習生は『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
停戦時の在校生は學生325名、練習生2,040名でした。

21日、海軍大臣より第一次解員が指示され(9月1日付け)、22日、海軍潜水學校 柳井分校は解員を開始、9月15日、海軍潜水學校は閉校します。


主要参考文献
『海軍潜水学校史』(平成8年1月 海上自衛隊潜水艦教育訓練隊)

『戦史叢書98 潜水艦史』(昭和54年6月 朝雲新聞社)

『平生町のあゆみ』(平成17年3月 平生町企画課)

『平生町史』(昭和53年3月 平生町)
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盡忠報國

Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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