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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

平生突撃隊

平生町に所在した海軍潜水學校 平生分校(のち柳井分校)に隣接して回天搭乗員の錬成を担当した平生突撃隊がありました。
回天(模型)(阿多田交流館) 平生突撃隊(山口平生)
▲海軍潜水學校 平生分校跡地に建つ阿多田交流館に展示されている回天の模型

【探索日時】
平成19(2007)年11月27日、平成27(2015)年2月27日

【改訂情報】
令和5(2023)年6月10日・・・遺構追加





平生突撃隊について
昭和19(1944)年7月10日、蛟龍搭乗員の教育錬成にあたっていたP基地(昭和17年10月1日、呉海軍工廠 大浦崎分工場(倉橋島)に隣接して開設)は第一特別基地隊に改編され「回天」搭乗員教育を開始、9月1日、呉海軍工廠 大津島發射場に併設して第一特別基地隊 第二部隊(大浦崎から「回天」関連を移転)、11月25日、光海軍工廠(山口県)に隣接して第一特別基地隊 第四部隊が開隊し、それぞれ「回天」搭乗員の錬成を開始します。

昭和20(1945)年1月9日、米軍がフィリピン・ルソン島に上陸を開始、20日、大本營は『帝國陸海軍作戰計畫大綱』を策定、主戦場が本土周辺に至るに及び全軍特攻化を決定します。
大本營海軍部は水上戦力が払底していたため、来るべき決號作戰(本土決戦)に向け航空特攻部隊とともに、特殊兵器を用いた水上・水中特攻部隊の整備に着手、従前のその都度部隊の部署による特攻部隊の編成では無く、建制としての特攻隊、即ち9個特攻戰隊、及びその麾下に34個突撃隊を逐次編成します。

2月10日、第一特別基地隊附・澤村誠二大佐は呉海軍施設部平生出張所において新設訓練施設の開設準備を開始、平生出張所は海軍潜水學校 平生分校から兵舎など一部の施設を移管するとともに西隣の遊休地(昭和18年初旬に潜校用地として買収するも計画縮小で遊休地化)に施設の設営を開始します。

3月1日、第一特別基地隊は第二特攻戰隊司令部に、同第四部隊は光突撃隊に、同第二部隊は光突撃隊大津島分遣隊に、第一基地隊の甲標的訓練部隊は大浦突撃隊に改編され、海軍潜水學校 平生分校に隣接して3ヶ所目の回天錬成部隊として平生突撃隊(澤村大佐)が開隊します。
平生突撃隊 平生突撃隊(山口平生)
▲西から見た平生突撃隊 全景
 右側の木陰が本部庁舎と搭乗員宿舎、中央が魚雷修理所、左側が空気圧縮所、奥が魚雷調整所

平生施設のみ (山口平生)
▲部隊、建物配置

4月13日、平生に回天6基が配備され、17日、回天の発射訓練を開始します。
訓練海域 平生突撃隊(山口平生)
▲訓練海域と航路

5月21日、第六回天隊(基地回天隊)として4名、6月4日、同じく4名が浦戸特攻基地(高知県浦戸市)へ、7月8日、第八回天隊として6名、7月14日、同じく6名が細島特攻基地(宮崎県日向市)へ出発します。

7月18日、第八次玄作戰に平生初の神潮特別攻撃隊「多聞隊」として6名が伊號第五十八潜水艦に乗艦し平生を出撃、5名が敵艦船に突入散華します。

8月15日1200、平生突撃隊は『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝しますが雑音が多く聞き取れず戦務作業を継続、16日、神潮特別攻撃隊「神洲隊」の2名は伊百五十九に乗艦し平生を出撃しますが、17日、停戦が伝達され帰還、23日、平生突撃隊は解員を開始、9月2日、平生突撃隊は復帰します。

※詳細は後述。
また、戦後の経緯は前記事海軍潜水學校 平生分校を参照。


遺構について
平生突撃隊は戦後成立する一連の所謂「戦後開墾法」により建物は引揚者住宅の資材として早期に解体搬出、敷地は農地として開墾され(現在は耕作放棄地として荒地化)、また昭和28(1953)年7月、松庫商店㈱の進出に伴い全ての建物が滅失してしまいます。
現在は僅かに地下施設が遺りますが、令和4(2022)年4月に再度見に行ったところ遺構一帯はイバラやススキ、棘のあるツルが大量に繁茂しており大荒れで近付ける状態にありませんでした。
▲平生突撃隊 遺構の配置

A 退避壕
壕口はコンクリート巻立てが施工されていますが、残念ながら鉄板で閉鎖されています。
G 壕口 平生突撃隊(山口平生)


B 退避壕
G退避壕と壕口の形状が異なり、こちらも同じく鉄板で閉鎖されています。
H 壕口 平生突撃隊(山口平生)


C 退避壕
こちらも同じく閉鎖されています。
I 壕口 平生突撃隊(山口平生)


D 通信所
コンクリート製耐弾施設でT型をしていますが、こちらも入口が閉鎖されています。
ちなみにかなり掃除しました。
J 東から 平生突撃隊(山口平生)
▲入口側は爆風避けがあります

J 入口 北東から 平生突撃隊(山口平生)
▲入口

J 北から 平生突撃隊(山口平生)
▲本体(左側が入口)

J 北西から 平生突撃隊(山口平生)
▲後端

J 西側換気口から内部 平生突撃隊(山口平生)
▲内部(後端から)


G 自力発電所 コンクリート巻立て
地下発電所ですが資料によると未成だった様です。
地下壕が崩落しており、壕口の巻立て部分が露出し航空機用掩体の様になっています。
M 巻立て部 南東から 平生突撃隊(山口平生)
▲壕口の巻立て(前から)

M 巻立て部 内部東から 平生突撃隊(山口平生)
▲内部

M 巻立て部 北東から 平生突撃隊(山口平生)
▲側面

M 巻立て部 西から 平生突撃隊(山口平生)
▲壕口の巻立て(後から)

H 自力発電所 本体
N 壕本体 壕口 平生突撃隊(山口平生)
▲壕口

N 壕本体 左側の巻立て 平生突撃隊(山口平生)
▲壕口左側にある工事中の巻立て

N 壕本体 内部 平生突撃隊(山口平生)
▲内部

N 壕本体 切羽付近の支保工 平生突撃隊(山口平生)
▲内部に遺る支保工

N 壕本体 切羽から壕口 平生突撃隊(山口平生)
▲切羽付近から壕口

F 冷却水槽
ディーゼル発電機の発電所に必ず付属する冷却設備です。
雑草で埋もれて殆どわかりませんが僅かに見える箇所からレンガ躯体のモルタル仕上げの様です。
L 水槽 南から 平生突撃隊(山口平生)
▲全景

L 水槽 北東隅部分 平生突撃隊(山口平生)
▲僅かに見える隅


I 掘削中の通路
O 通路 平生突撃隊(山口平生)


E 境界石標
コンクリート製で「海界」の刻字があります。
「海界」は第四海軍区で多く見られますが、第二海軍区では非常に珍しいと思います。
K 海界 平生突撃隊(山口平生)


Q 魚雷調整所基礎
㈱ナカタ・マックコーポレーション平生工場の際に遺ります。
Q 魚雷調整所基礎 西から 平生突撃隊(山口平生)


R 基礎
海軍潜水學校 平生分校建設の際に陸続きになった歌ヶ小島の麓に遺ります。
周辺は大荒れのため詳細は不明です。
R 基礎 北東から 平生突撃隊(山口平生)
▲並行に並ぶコンクリート基礎

R 擁壁 南東から 平生突撃隊(山口平生)
▲上記基礎の外周にある擁壁


S コンクリート擁壁
こちらも歌ヶ小島の麓に遺りますが周辺は大荒れのため詳細は不明です。
S コンクリート擁壁 北西から 平生突撃隊(山口平生)


ア 回天碑
昭和34(1959)年7月、国難に殉じられた平生突撃隊関係者、すなわち神潮特別攻撃隊「多聞隊」として散華した伴修二 中尉、小森一之 一飛曹(7月27日)、水井淑夫 少尉、中井昭 一飛曹(8月10日)、林義明 一飛曹(8月12日)、訓練中に殉職した十川一少尉(4月25日)、楢原武男上飛曹、北村哲郎上飛曹(5月11日)、自決した橋口寛大尉(8月17日)に感謝の誠を捧げ、御冥福を祈念すべく平生回天会により松庫海事㈱内に建立されますが、平生港港湾改修事業に伴い、平成16(2004)年11月、突撃隊跡を望む現在地に移転されます。
ア 回天碑 (4) 平生突撃隊(山口平生)
▲全景

ア 回天碑 (3) 平生突撃隊(山口平生)
▲回天碑

ア 回天碑 (5) 平生突撃隊(山口平生)
▲回天の模型と国難に殉じられた搭乗員

ア 回天碑 平生突撃隊(山口平生)
▲説明板


阿多田交流館
平成16(2004)年11月6日に平生突撃隊跡に開館します。
展示室に平生突撃隊、回天に関する資料、散華された上記搭乗員の御遺品などが展示されています。
阿多田交流館 全景 平生突撃隊(山口平生)
▲展示室

特眼鏡 2種類(長いのは貴重) 平生突撃隊(山口平生)
▲特眼鏡(回天の潜望鏡のこと)2種類

回天(模型)(阿多田交流館) (3) 平生突撃隊(山口平生)
▲交流館前に展示されている「回天一型」(複製=映画『出口のない海』で使用)

回天(模型)(阿多田交流館) (2) 平生突撃隊(山口平生)
▲後方から

回天(模型)(阿多田交流館) (4) 平生突撃隊(山口平生)
▲入口

回天 運搬台’阿多田交流館) (2) 平生突撃隊(山口平生)
▲運搬台車(複製)

回天 運搬台’阿多田交流館) 平生突撃隊(山口平生)
▲反対側


供用部隊
平生突撃隊(平生嵐部隊)
昭和18(1943)年初旬、戦局が次第に悪化するなか竹間忠三大尉は軍令部員(第一部 潜水艦作戦関係事項担当兼 第二部 潜水艦水雷関係兵器関係事項担当)・井浦祥二郎中佐に魚雷を主体とした新兵器による肉薄攻撃の意見具申を行いますが、艦政本部は難色を示し、軍令部も却下します。
また6月29日、侍従武官・城英一郎大佐は海軍航空本部長・大西瀧治郎中将に対し、体当たりを前提とした特殊航空隊の編成と自身の指揮官就任を打診しますが、中将は十死零生の戦法は時期尚早として却下します。

昭和18年末、P基地(昭和17年10月1日、倉橋島に開設)において第六艦隊司令部附兼呉海軍工廠附・深佐安三中尉、同久良知滋中尉、同久戸義郎中尉は電気魚雷を転用した体当たり兵器を考案、同様の考えを持つ第六艦隊司令部附・黒木博司中尉、同兼呉廠附・仁科關夫少尉が合流し具体案が造られ軍令部、海軍省に申請するも却下されますが、『人間魚雷ノ戰術的戰略的用途ニツイテ』を著し海軍部内に送付したところ聯合艦隊司令部は同案に着目し5名と面談します。

昭和19(1944)年1月20日、一旦は申請を却下した軍令部 第二部長・黒島龜人少将は脱出装置の付設を条件に艦政本部・坂本義鑑技術大佐に有人衝突撃魚雷の試作を下令、大佐は耳塚康人技術中佐と協議し原案を作成、3月1日、軍務局員・吉松田守中佐、艦政本部 第二部員・竹大孝志大尉を呉廠水雷部に派遣します。

一方、2月6日、我が国はクェゼリン環礁を失陥、17・18日、南洋の最大拠点・トラック島が敵艦上機の空襲を受け所在の航空兵力は甚大な被害を受けるなど太平洋戦域の航空兵力は著しく減退、敵の侵攻は予測より早く戦局が急迫するなか、26日、海軍省もまた方針を転換、軍務局第一課長・山本善雄大佐は呉海軍工廠魚雷實驗部に有人魚雷の試作を下令します。

昭和19(1944)年4月4日、軍令部第二部長・黒島少将は第一部長・中澤佑少将に「作戦上緊急に実現を要望する兵力」として特殊奇襲兵器7種類を列挙、海軍省に送達され艦政本部は『マル一~マル九 兵器特殊緊急實驗』として試作を決定した⑥に加え④、⑨各金物を採用し試作が開始されます。

①金物・・・潜水艦攻撃用潜航艇
②・・・対空攻撃用兵器  
③・・・可潜魚雷艇(S金物、SS金物) 後の「海龍」
④・・・船外機付き衝撃艇 後の「震洋」
⑤・・・自走爆雷  
⑥・・・人間魚雷 後の「回天」
⑦・・・電波等 
⑧・・・電波防止  
⑨・・・特攻部隊用兵器 後の震海


呉海軍工廠 水雷部長・木本伍六少将は渡邉清水技術大佐を開発責任者、鈴川溥技術大尉、楠厚技手、有坂技手を加え、大入魚雷遠距離發射場において有人魚雷(マル六金物)の開発を開始、5月、脱出装置は開発が困難な事から黒木大尉(5月11日、昇進)、仁科中尉(3月15日、昇進)の主張を容れ中止され、7月6日、試作2基が完成、航走試験ののち、8月1日、マル六金物は海軍大臣により制式採用され、8月15日、特殊兵力整備促進班長・大森仙太郎中将のマル六金物使用決断とともに幕末に活躍した幕府海軍軍艦「回天丸」より「回天」と命名されます(黒木大尉の発案で「回天」と命名されたとも)。

昭和19年7月10日、海軍省軍務局第一課は『特殊兵器緊急整備計畫』を立案、海軍水雷學校長兼軍令部出仕兼艦政本部出仕・大森仙太郎中将を主班とし特殊兵力整備促進班を編成、海軍省、軍令部、艦政本部、電波本部、運輸本部と調整し特攻攻撃の研究、開発を下令します(9月1日、海軍省に特殊兵力整備促進班を強化した海軍特攻部(大森中将)が新編)。
同日、P基地は第一特別基地隊に改編(長井滿少将、呉鎭守府所属)され回天搭乗員教育を開始しますが、同隊は「蛟龍」の搭乗員教育も行っていたため狭隘な事、反復攻撃を本旨とする蛟龍、生還を期さない回天の搭乗員教育を併設する事は不利な事から、昭和19(1944)年9月1日、整備が容易な事から呉海軍工廠 大津島發射場に併設して第一特別基地隊 第二部隊(参謀・板倉光馬少佐)を開隊、5日、回天の錬成を開始します。

11月、呉近傍で敷地に余裕のあった光海軍工廠に第四部隊建設委員(隊附・近江誠中尉)が派遣され、建設中の光廠水雷部第二調整工場、工員養成所、寄宿舎を転用し回天訓練施設を整備、11月25日、第一特別基地隊 第四部隊が開隊(2月10日から福岡徳次郎大佐)、12月1日、錬成を開始します。

第八十六回帝國議會(昭和19(1944)年12月26日~昭和20(1945)年3月25日)において臨時軍事費として特設第一基地隊新設(二 水陸諸施設急速整備ニ要スル経費 (ハ)防備部隊設備 (13)特設第一基地隊新設)など3予算(ほか2案は光海軍工廠の防空・疎開、同工廠の設備増設費)が可決成立します。

同予算は「緊急戦備特殊要員激増の結果、特設第一基地隊を新設、これが収容教育を要するに至りたるを以て差当りこれに要する最小限度の経費」として4ヶ年継続で4基地合わせて営繕費(建築費)17,500,000円、造舩造兵及修理費(雑船費)5,107,000円、舩営費(需品費)2,275,000円、軍港要港費(港用品費)402,000円、患者費(医療品費)130,000円の計25,414,000円が要求されます。

予算配分
基地名 建築費/雑船費/需品費/港用品費/医療品費
平生 5,400,000円/1,406,000円/700,000円/110,400円/40,000円 計7,656,400円
  2,700,000円/1,143,000円/350,000円/90,600円/20,000円 計4,303,600円
日出 2,700,000円/1,143,000円/350,000円/90,600円/20000円 計4,303,600円
大神 6,700,000円/1,415,000円/875,000円/110,400円/50,000円 計9,150,400円

建築費
基地名 (敷地面積=単価(㎡))買収金額/土木関係費/建築関係費/事務費
平生 (180,000㎡=3円)540,000円/1,184,600円/3,440,000円/235,400円 計5,400,000円
  (90,000㎡=3円)270,000円/592,300円/1,720,000円/117,700円 計2,700,000円
日出 (90,000㎡=3円)270,000円/592,300円/1,720,000円/117,700円 計2,700,000円
大神 (225,000㎡=3)675,000円/1,487,200円/4,245,400円/292,400円 計6,700,000円

収容教育施設
基地名 准士官以上豫備學生講習員/下士官兵講習員/定員その他
平生 150/950/900 計2,000
   50/450/500 計1,000
日出 50/450/500 計1,000
大神 100/1,000/1,300 計2,500

昭和20(1945)年1月9日、米軍がフィリピン・ルソン島に上陸を開始、20日、大本營は『帝國陸海軍作戰計畫大綱』を策定、主戦場が本土周辺に至るに及び全軍特攻化を決定します。
大本營海軍部は水上戦力が払底していたため、来るべき決號作戰(本土決戦)に向け航空特攻部隊とともに、特殊兵器を用いた水上・水中特攻部隊の整備に着手、従前のその都度部隊の部署による特攻部隊の編成では無く、建制としての特攻隊、即ち9個特攻戰隊、及びその麾下に34個突撃隊を逐次編成します。

2月10日、第一特別基地隊附・澤村誠二大佐は呉海軍施設部平生出張所において新設訓練施設の開設準備を開始、海軍潜水學校 平生分校西隣の遊休地(昭和18年初旬に買収するも計画縮小で遊休地化)に施設の設営を開始します。

3月1日、第一特別基地隊は第二特攻戰隊司令部(長井少将)に、同第四部隊は光突撃隊(長井少将兼務)に、同第二部隊は光突撃隊大津島分遣隊(板倉少佐)に、第一基地隊の甲標的訓練部隊は大浦突撃隊(山田薫中佐)に改編され、海軍潜水學校平生分校に隣接して平生突撃隊(澤村大佐)が開隊します。

4月13日、回天6基(一型4基、改一型2基)が配備され、17日、回天の発射訓練を開始します。

25日1005、十川一少尉は回天搭乗訓練中、民間曳船に衝突、特眼鏡、及び支基が破損屈曲し浸水沈没、1322、引き揚げられますが殉職してしまいます。

5月11日1200、揖取崎(梶取岬)200°800mにおいて回天曳航中の曳船が触雷し回天が沈没、搭乗の楢原武男、北村哲郎両上飛曹が殉職してしまいます。

昭和20(1945)年5月21日、『特攻兵器要員講習規定』(官房機密第二百八十四號)が制定されます。
講習区分
 蛟龍、海龍、回天ともに搭乗員及び整備班員に区分

搭乗員講習科目
 戦術要務の大要、局地戦闘法、操縦法、航法、襲撃法、機構性能、取扱整備法の大要、基地設置、運搬法

整備班員講習科目
 性能、取扱整備法、基地設置、運搬法

攻撃隊員教育
蛟龍

術科教育は海軍潜水學校において同校長を指導官として、錬成教育は大浦突撃隊において第二特攻戰隊司令官を指導官として修習
艇長たる士官、兵科士官候補生は術科教育1ヶ月、錬成教育4ヶ月
艇長たる豫備士官、飛行兵、艇員たる飛行兵は術科2ヶ月、錬成4ヶ月

海龍
錬成教育は第十一突撃隊(油壷)、第十六突撃隊(下田)において第一特攻戰隊司令官を指導官とする以外は蛟龍と同一

回天
術科教育(期間中、海軍潜水學校に派遣し襲撃法を講習)、錬成教育は第二特攻戰隊において同司令官を指導官として修習
搭乗員たる士官、兵科士官候補生、豫備士官、飛行兵は術科教育1ヶ月、錬成教育2ヶ月

基地隊員(整備班員)教育
蛟龍

錬成教育は大浦突撃隊において第二特攻戰隊司令官を指導官として修習
整備班員たる士官、豫備士官、特務士官、准士官、下士官、兵(兵科士官候補生、飛行兵は含まれず)は術科教育の期間、場所は別定とし、錬成教育2ヶ月

海龍
錬成教育は第一特攻戰隊において第一特攻戰隊司令官を指導官として修習する以外は蛟龍と同一

回天
錬成教育は第二特攻戰隊において第二特攻戰隊司令官を指導官として修習する以外は蛟龍と同一

5月21日、第六回天隊の那知勤 中尉、櫻木豊吉 一飛曹、外山研次 一飛曹、米澤博 一飛曹は回天4基とともに、6月4日、小林秀雄 少尉、仁科伸一 一飛曹、刈田吉郎 一飛曹、冨江正造 一飛曹は回天4基とともに浦戸特攻基地(高知県浦戸市)へ出発します(回天は輸送専用の潜水艦にて運搬)。

7月8日、第八回天隊の井上薫 中尉、山崎諭 少尉、青柳恵二 一飛曹、岩部承志 一飛曹、唐木田學 一飛曹、真壁三男 一飛曹は回天6基とともに、7月14日、赤松初司 少尉、落合義夫 一飛曹、加藤芳司 一飛曹、淺井琢朗 一飛曹、中島武義 一飛曹、野寄孝 一飛曹は回天6基とともに細島特攻基地(宮崎県日向市)へ出発します。

7月17日朝、①伴修二 中尉、④水井淑夫 少尉、②小森一之 一飛曹、⑤中井昭 一飛曹、③林義明 一飛曹、⑥白木一郎 一飛曹(○数字は號艇)は壮行会において第六艦隊司令長官代理・同艦隊水雷参謀・鳥巣建之助中佐より聯合艦隊司令長官よりの短刀を授与され、澤村大佐以下総出の見送りを受け神潮特別攻撃隊「多聞隊」第二陣(第九次「玄作戰」)として回天6基とともに伊號第五十八潜水艦(橋本以行少佐)に乗艦し平生を出撃しますが、豊後水道入口において試験潜航の際に回天1基の特眼鏡に水滴が発生したため引き返し、交換ののち、18日、改めて見送りを受け平生を出撃、パラオ北方300浬地点に向かいます。
神潮特別攻撃隊「多聞隊」 平生突撃隊(山口平生)
▲出撃を前に記念写真に収まる神潮特別攻撃隊「多聞隊」隊員
 後列左から澤谷大尉(整備長)、小森、林、白木、中井各一飛曹、橋口寛大尉(特攻隊長兼分隊長兼教官)、渡邉定大尉(〃)
 前列左から揚田清猪大佐(第十五潜水隊司令)、水井少尉、橋本少佐、澤村大佐、伴中尉、鳥巣中佐

第六艦隊司令長官代理・参謀・鳥巣建之助中佐より短刀を授与される水井淑夫 少尉 平生突撃隊(山口平生)
▲鳥巣中佐より短刀を授与される水井少尉

7月17日、見送りを受け出発する多聞隊隊員 先頭は隊長・伴修二中尉 平生突撃隊(山口平生)
▲17日、見送りを受け出発する多聞隊隊員(先頭は隊長・伴中尉)

22日、沖縄-大宮(グアム)島の連絡線上に到達するも会敵できず南下、27日、大宮島-レイテ連絡線上に到達し西進、28日0530、電探にて敵機探知のため潜航退避、1400、浮上にかかった際に敵大型輸送船を発見、1431、北緯19°30’、東経128°において橋本少佐は回天戦を下令、回天二号艇の小森一飛曹は「ありがとうございました」の言葉を残し発進、1433、回天一号艇の伴中尉は「天皇陛下万歳!後続のものをよろしく頼みます」の言葉を残し発進、1533、次いで1543、スコールの降りしきるなか伊五十八は爆音を聴音し油槽船1、駆逐艦1撃沈を報じます(敵側記録:米駆逐艦ローリー大破)。
小森一飛曹辞世
 海原に 神の潮をわきおこし 巻きて沈めん 醜の敵艦
 若櫻 只一途にはげまなん 榮ある御代の 幸を憶いて


29日、伊五十八は大宮島-レイテ連絡線上から沖縄-パラオの連絡線上に向かい、2000、浮上と同時に敵艦影を発見、潜航し攻撃に入り、2326、魚雷6本を発射、3本命中を確認、回天に乗艇し待機していた白木、中井両一飛曹は「敵が沈まないのであれば回天を!」と発進を催促しますが、次発装填終了ののち潜望鏡にて捜索するも艦影は無く撃沈と判断し回天使用を中止、30日、パラオ北方250浬付近北緯12°02’、東経134°38’において米アイダホ型戦艦1撃沈を報じます(米重巡インディアナポリス撃沈)。

8月1日、北上を下令され、沖縄-ウルシー連絡線上に向かい、10日0815、沖縄-レイテ航路上、アパリ北東260浬付近において敵輸送船団(10隻、駆逐艦3隻)を発見、回天戦を下令、回天六号艇(白木一飛曹)が発進しますが冷走のため発進中止、三号艇(林一飛曹)も故障のため発進できず、五号艇(中井一飛曹)が発進、新たな船団、駆逐艦の接近に四号艇(水井少尉)が発進、敵輸送船1、駆逐艦1撃沈を報じます(敵側記録なし)。
水井豫備少尉遺作
 回天之雄練技待機 来秋一撃不屠不正 超死真生悠久大儀 快哉快哉神州男子

12日1800、沖縄本島那覇150°320浬において敵水上機母艦を発見、回天戦を下令、三号艇(林一飛曹)が発進、撃沈を報じます(ドック型揚陸艦オーク・ヒル、駆逐艦トーマス・F・ニッケルを攻撃し後者を撃破)。

15日1200、帰投の途次、艦長・橋本少佐は『大東亞戰爭終結ノ詔書』を傍受しますが内容を伏せ、17日、平生にて白木一飛曹と回天六号艇を卸し、18日、呉に帰着します。
8月18日、平生に帰還した伊五十八 平生突撃隊(山口平生)
▲18日、赫々たる戦果を挙げ呉に凱旋した伊五十八
 手前に見えるのは回天の架台

昭和20(1945)年8月初旬、平生において神潮特別攻撃隊「神洲隊」が編成、6日、米軍が広島市に新型爆弾を投下、9日0100、ソ連が満洲國に侵攻を開始するなど戦局が重大な局面を迎えるなか、同日、ウラジオストクのソ連艦船を撃滅すべく神洲隊(伊三十六(回天4基)・伊百五十五、伊百五十六、伊百五十九(各回天2基))に出撃下令、伊號第百五十九潜水艦(館山武裕 大尉)は平生で神洲隊と回天2基を搭載、8月16日出撃が下令されます(伊百五十五、百五十六、百五十七、百五十八、百五十九、百六十二は九州、四国の各特攻基地へ回天輸送に従事のため搭載数は各2基)

11日0927、呉鎭守府は空襲警報を発令、伊百五十九は呉海軍工廠において整備中、P51戦闘機の攻撃を受け片舷主機械が損傷しますが、工廠も損傷のため平生で回天を搭載後、舞鶴に回航し修理を実施すべく呉を出航します。
なお、「神洲隊」の伊三十六も11日、平生に向かう途中、P51の攻撃を受け損傷のため呉海軍工廠で修理、伊百五十五と伊百五十六は大津島で回天発進錬成中(25日、出撃予定)でした。

15日1200、平生突撃隊は『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝しますが雑音が多く聞き取れず戦務作業を継続、16日昼、神潮特別攻撃隊「神洲隊」・斎藤正 少尉、今田新三 一飛曹は澤村大佐以下隊員総出の見送りを受け伊百五十九に乗艦し平生を出撃、下関海峡は敵機雷が多数投下されていた事から豊後水道から九州南端を回航、17日、所在の米艦船攻撃のため索敵しますが敵影は無く、同日、平生に残留していた特攻長で「神洲隊」隊長を拝命していた橋口寛大尉より帰投が入電、油津に入港し機密書類を焼却、18日、出港、午後、平生に帰還します。

18日0300、「神洲隊」隊長・橋口大尉は国体を護持し得なかった事の責任を感じ第二種軍装を着装し自身の搭乗予定だった回天内で心臓を拳銃で2発撃ち抜き自決します。
橋口大尉辞世
 君が代の 唯君が代の さきくませと 祈り嘆きて 生きにしものを
「神洲隊」隊長・橋口寛大尉 平生突撃隊(山口平生)
▲「神洲隊」隊長・橋口大尉
 温厚で細心の気配りができ回天の操縦が卓越していたため教官として残留、自身の出撃を何度も血書嘆願し、漸く叶った矢先に停戦を迎え・・・

19日、軍令部総長は一切の戦闘行動停止を8月22日0000と定め、隠忍自重を示達(大海令第五十號)、海軍大臣は同じくラジオを通じ隠忍自重を指示、21日、海軍大臣は各長官に第一次解員(9月1日付け)を示達、呉鎭守府司令長官は神潮特別攻撃隊の解隊を下令します。

23日、平生突撃隊は解員を開始、9月2日、平生突撃隊は復帰します。

停戦時、平生には訓練的(回天一型、一型改)39基がありました。


主要参考文献
『海軍潜水学校史』(平成8年1月 海上自衛隊潜水艦教育訓練隊)

『戦史叢書98 潜水艦史』(昭和54年6月 朝雲新聞社)

『平生町史』(昭和53年3月 平生町)

『戦史叢書102 陸海軍年表 付兵器・兵語の解説』(昭和55年1月 朝雲新聞社)

『歴史群像太平洋戦史シリーズ36 海龍と回天』(平成14年5月 ㈱学習研究社)

『図説帝国海軍 特殊潜航艇全史』(平成17年9月 奥本剛 学習研究社)

『人間魚雷 回天』(平成18年4月 ザメディアジョン)

『特攻 知られざる内幕 「海軍反省会」当事者たちの証言』(平成30年12月 戸高一成 PHP研究所)

『平生突撃隊戦時日誌 自昭和二十年三月一日 至三十一日』(平生突撃隊)

『回想の譜 光海軍工廠』(昭和59年10月 光廠会)

-WEBサイト-
なにわ会HP

大神回天基地
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Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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