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当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

海軍潜水學校 平生分校 浄水場

平生町に所在した海軍潜水學校 平生分校(のち柳井分校)の北側に浄水場がありました。
配水池 南から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲浄水場全景

【探索日時】
平成19(2007)年11月27日、平成27(2015)年2月27日、令和4(2022)年4月1日





海軍潜水學校 平生分校 浄水場について
昭和17(1942)年12月、海軍省は潜水艦廠用地として選定していた阿多田半島に海軍潜水學校分校建設を決定、呉海軍建築部は佐賀村の50町歩を校地、曽根村の5町を営外宿舎、5反を配水池用地として各役場を訪問し村長に用地買収を告げるとともに協力を以来、各地権者を招集し時局の推移を説明したうえで用地を買収します。

昭和18(1943)年3月、佐賀村に呉海軍建築部田名工事事務所が開所、分校設備の設営を開始、昭和19(1944)年4月1日、海軍潜水學校 平生分校(長井武夫大佐)が開校(5月1日、教育開始)、浄水場は通水を開始し、管理は呉海軍施設部平生出張所(昭和18年8月18日、呉海軍建築部田名工事事務所から改称)が行います。

昭和20(1945)年3月1日、海軍潜水學校 平生分校(8月10日、柳井分校に改称)の西隣に平生突撃隊が開隊、通水を開始します。

8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』の煥発を受け、16日、大東亜戦争は停戦、28日、『戰争終結ニ伴フ國有財産處理ニ關スル件』の閣議決定により浄水場は柳井分校、平生突撃隊とともに内務省を通じ大蔵省に移管(中国財務局が管理)されますが、31日、連合軍は全陸海軍用地の接収を示達して来ます。

9月31日、浄水場は柳井分校、平生突撃隊とともに米第5海兵師団接収され、12月、米第32歩兵師団、昭和21(1946)年1月31日、米第2海兵師団、3月23日、英連邦軍第9ニュージーランド旅団に移管されたのち、6月、NZ軍の撤退に伴い大蔵省に返還され、浄水場は廃止されます。

昭和23(1948)年、10月、平生町、大野村、曽根村、佐賀村住民による反対運動が興るなか、分校本部及び兵舎、突撃隊兵舎地区は特別少年院「新光学院」、浄水場地区は少年院官舎として法務省に移管されます(爾後、昭和33年5月、平生町議会臨時会で移転要望が議決されるなど「新光学院問題」として地元の懸念に)。

昭和53(1978)年、新光学院は業務停止、平成11(1999)年、廃止され、平成13(2001)年、全建物が解体され現在に至ります。


遺構について
土地所有者の話では海軍潜水學校 平生分校(柳井分校)の水道は海から離れた場所(海水が出るため)に設けられた水源井から取水、浄水場(沈殿池、濾過池、浄水池)を通し水圧をかけるべく一旦山上に上げ、各施設に給水されていた様です。
初回探索時、浄水場(山麓側)は自由に入れましたが現在は柵に囲まれ管理地として立入禁止になっています。
平生施設のみ (山口平生)
▲部隊、建物配置

山麓の遺構
配水池 南東から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲浄水場全景
 左側手前のサビの屋根が水源井、奥の石垣上が沈殿池、濾過池、浄水池

チ 水源井
平生分校は海に突き出た阿多田半島にあったため井戸を掘ると海水しか出ないため、山を越えた内陸部に井戸を掘り水道水を取水していました。
直径5mの大井戸が遺ります。
東側にツ井戸がありますが、材質から戦後の物と思われます。
チ 水源井 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


タ 着水井
内部は埋まっていますが、水源井から取水した原水の水量・水位を調節し水質を把握するための着水井と思われます。
タ 着水井? 南西から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


セ 階段
沈殿池、濾過池、浄水池に上がる物で南側の左右にあります。
セ 階段 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


ソ 階段
ソ 階段 南から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


コ 枡
沈殿池、浄水池の南側に同一規格の枡4ヶ所が並びますが埋まっており用途不明です。
コ 枡 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


ス 枡
こちらは埋まって木が生えています。
ス 枡 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


ア 沈殿池
13m四方のコンクリート製水槽が遺ります。
中央の南北にコンクリート柱4本が立っていますが、詳細不明です。
屋根の支え?撹拌用の柱?
ア 沈殿池 北西から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲北西の縁から

ア 沈殿池 南東から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲南の縁から

ア 沈殿池オ柱列 北西から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲梯子が付いているので降りてみました

ウ 梯子
南北に鉄製の梯子があります。
ウ はしご 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲南側の梯子

エ 梯子
エ はしご 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲北側の梯子

カ 水道管
沈殿池の北側中央下部にあり、濾過池に繋がると思われます。
カ 水道管 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)

キ 水道管
沈殿池の南西側にあり、着水井から繋がっていたと思われます。
キ 水道管 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)

南側中央にある会所
南側に出る水道管が付いていますが詳細不明です。
ア 沈殿池 南端中央の枡 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


ク 濾過池
内部は埋まったうえ樹木が繁茂しており見通せません。
ク 濾過池? 西から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲西端

ク 濾過池? 北東から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲東端

ケ 枡
結構な深さがありますが、詳細不明です。
ケ 枡 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


イ 浄水池
位置的に完成した飲料水を溜める浄水池と思われますが、外周がイバラで覆われており近付けませんでした。


山上の遺構
山上には大きな削平地、それを囲むコンクリート水路、小屋(ポンプ室?)の基礎、小さな井戸跡がある程度です。
下山後、山の所有者に取材したところ「山上には水槽の様な設備は無く水路があるだけ」との事でした。
なお、山上の遺構へは所有者の自宅敷地内を通らないと行けませんので注意です。
A 井戸
A 井戸? 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


B 基礎
2m四方の基礎(レンガ積みモルタル仕上げ)が遺ります。
B ポンプ室? 基礎 南から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)


C 水路
山上の削平地を囲むように巾50㎝のコンクリート製水路が敷かれています。
当初は排水用の側溝かと思ったのですが水路の敷き方、大きさから排水用では無く水道管を上げるための暗渠かも知れません。
C水路 東から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲C付近

D(手前)・C(奥)水路 西から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲D付近

I(手前)・K(奥)水路 南から 海軍潜水學校平生分校浄水場(山口平生)
▲I 付近


主要参考文献
『海軍潜水学校史』(平成8年1月 海上自衛隊潜水艦教育訓練隊)

『平生町のあゆみ』(平成17年3月 平生町企画課)

『平生町史』(昭和53年3月 平生町)
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Author:盡忠報國
明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった精強帝國陸海軍、命をかけて国や家族を護ろうとした先人達に思いを馳せるとともに、祖国の弥栄を願い国難に殉じた英霊の遺徳に触れ感謝すべく探索・訪問した軍事遺構、護國神社、資料館を紹介、併せて遺構の歴史、地域との関わり、関連部隊などの調査、研究成果を発表しています。

遺構は飽くまで「物」であり、そこに関わった「人」の存在、歴史を理解してこそ遺構の調査、研究は成立すると考えます。
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